第1章 第1部 第24話

 それにしても、翌日の鼬鼠戦は、静音の命運がかかった一戦だと言うのに、皆で顔を合わせているときは、そんな悲壮感がまるでない。まず焔が騒がしいし、目が離せない。静音もそれを感じさせないように明るく振る舞っている。

 晃平はどう思っているのだろう。彼がもしあのとき大人しく黙っていれば……と、過去の状況の変化を望む思考が、頭に過ぎった時だった。

 「よ!」

 と、唐突に焔の顔が、眼前に現れる。鋭児がボウッとしていたほんの一瞬ことだったのだ。

 「うっわ!」

 鋭児は必死で後ずさりするが、それ以上は壁で進むことが出来ない。足で押しのけたシーツだけが乱れてしまう始末である。

 「なにしてんだ?お前……」

 「急に現れるからだろ!」

 「ノックしたって」

 焔は、自分の耳をちょいちょいと突く。鋭児は自分が思うより大声で喋っていたし、焔も鋭児に聞こえるように大声で喋っている。問題は、鋭児がイヤホンを耳につけていることだと、焔は言いたいらしい。

 「ああ……」

 慌てながらも、鋭児は乱雑にイヤホンを引き抜いた。イヤホンからは、騒がしい楽曲のリズム音が、軽いノイズ音となって、微かに鳴っている。

 「で?なんすか?」

 鋭児はまだ、心拍数と呼吸が整っていない状態で、焔が何をしに来たのか訪ねる。焔のことだから、ちょっとした無茶を言うのではないかと、内心思っている。

 「散歩しようぜ」

 「は?」

 「散歩だよ、散歩。どうせ寝るにゃ、まだ早いだろ?」

 「散歩……すか」

 「おうよ。お前どうせ、ここに来てから、殆ど探索なんかしてねーんだろ?」

 「んな暇有るわけねーだろ」

 と、誰が自分の部屋にほぼ夜な夜な入り浸っているのかを目で訴える鋭児に対して、其れを理解出来ずに、目をぱちくりとさせている焔が居るのだった。何がそれほど不機嫌になる必要があろうか?といった具合である。

 焔の服装は、パステルグリーンのフード付きパーカーに、いつも通り際どすぎるほど短いジーンズ。履き物は、おニューのスニーカーで、靴下の色はパーカーに合わせている、踝ほどの短い丈の靴下を履いていて、ついでに靴紐の色は赤い。

 鋭児はそんな焔に連れられるようにして寮を出る。

 鋭児が散歩をする気になったのは、焔の言うように、眠るにはまだ時間が早いことと、何もない鋭児の部屋では、娯楽があまりにも無いといったとこだった。時間をつぶせる良い口実かもしれない。

 鋭児の服装は、いつも穿いている、ある程度穿き馴らされた普通のスニーカーと、ラフなグレーのロングティシャツにブルージーンズといった具合だった。

 二人は、校舎とグランドの間にある鉄門を通り抜ける。どうやら、夜でもこの扉に鍵が掛けられることはないようだ。尤もこの広大な敷地の中、外に出るにはなかなか時間のかかる話だ。この辺りは自由に出入り出来るのだろう。

 妙にアバウトな部分を感じるところがある。寮についてもそうだが、特に男子寮女子寮と別れている訳でもない。校則が載っているはずの生徒手帳は、例のカードだが、どうやら一度じっくり読み取る必要があるようだ。

 外へ出た焔はなんだかご機嫌なようで、前を歩くその背中に、何となくリズムを感じる。

 「なー、この時期の夜ってまだひんやりしてて、ちょっと気持ちいいとおもわねぇ?」

 焔は、ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、頬に当たる風を心地よく感じており、ご機嫌な表情を見せる。

 「ああ、ちょっと寒い感じもするけど、いいんじゃねぇかな」

 鋭児はあまりそういう風に思ったことがなかった。焔に言われて初めて何となくそう思った。そう考える必要もなかったのかもしれない。感じていたとしても、それはどちらでも良いことだったのかもしれない。

 「ちょっと寒いと、こういう感じにならねぇか?」

 と、前を歩いていた焔は、軽いステップで鋭児の横に並び、腕を組んでくる。ご機嫌な様子の焔が、下からワルガキのような笑みでニコニコと、愛嬌たっぷりに笑ってくる。


 確かに人肌の温もりが、邪魔にならない心地よい温度として感じられる気候であるには間違い無い。しかし、爽やかな気候とは裏腹に、焔の屈託のないそんな表情と距離感は、少し刺激的すぎるし、男として勘違いを起こしてしまいそうになる。

 「んで、オレどこにつれてかれるんすか?」

 だが鋭児は、単純に焔が自分と散歩をしたがっているだけには思えなかったのだ。

 「散歩だっつってんだろ?お前勘ぐり過ぎだぜ」

 焔の言葉はあまりに素直すぎた。そういう風に言われると、鋭児は少し、焔に悪いことをしたと思うのだったが、本当にどこまで歩くのだろう?という謎だけは、まだ解決に至っていない。

 「感謝しろよ。こんな美人の焔様が、夜の散歩に誘ってやってんだからな?」

 「…………」

 自分でそこまでよく言い切れるものだと、流石にコレには閉口する鋭児だった。

 「明日、勝てそうか?」

 と焔は、どう答えて良いか解らない質問をぶつけてくる。恐らくその回答に関しては、焔の方がよくわかっているように思える。

 「勝たなきゃなんねぇんじゃねぇの?」

 「勝てりゃ、文句はねぇがな」

 焔が少し歩くペースを落とした。ただ言葉が重くなったようではない。しかし一抹の不安を感じているようであるのは、確かな言い回しだった。

 「ぶっちゃけ焔さんは、どう見てんすか?」

 「さぁな……、ただ、お前は間違い無く鼬鼠の比じゃねぇ器だとは思ってる」

 「答えになってねぇっすよ」

 「明日はわかんねぇ……其れもマジだが、お前負け認めねぇんだろうなってよ……」

 それが、どういう意味かはよく解っている鋭児だった。

 「負けって認めたら、そこで終わりじゃねぇか……」

 「終わりじゃねぇよ。取り返せばいいんだよ。静音は殺される訳じゃねぇ」

 「なんかオレが負ける前提で話してねぇっすか!?」

 鋭児は焔が絡んでいる腕を振りほどこうとするが、焔はぎゅっと脇を締めて鋭児の腕が擦り抜けるのを防ぐ。

 「鋭児!聞け!いいから!」

 焔の力は強かった。それは物理的以上に強い力を感じる。気持ちの力とでも言うべきだろうか。

 鋭児は抗うのを止めた。焔もそれほどまとまった話をするのが得意な方ではないのだ。彼女の目が話の本題を伝えたがっている。

 「お前が必死で命張って、それで本望ってくらい静音にマジボレしてんなら、止めねぇ。けど、お前それで、残されちまったアイツはどうなるんだよ」

 焔が問いただしたかったのは鋭児の生き方の問題だったのだ。

 「勘違いすんなよ。オレは、それが焔さんでも吹雪さんでも、変わんねぇよ」

 「解ってるから言ってんだろうが……」

 静音の気持ちはいざ知らず、鋭児がどういう感情で動くかは、焔には何となく解ることだった。この数日拳を交えて解ったこともある。

 「オレ、お前の稽古つけて、晃平がなんで、あんな無茶したか解ったんだよ」

 「今度は晃平の話っすか?」

 「いいから、聞けって!」

 「解ったよ……」

 鋭児は不連続な焔の話に、すこしウンザリした溜息をついた。

 「もし、あのまま鼬鼠が無理矢理静音を連れて行こうとしたら、お前……どうした?」

 「そりゃ……、黙って見てるなんて、あり得ねぇよ。けど、その前に晃平が動いて……」

 「晃平はよ。自分の力ってのが解ってる奴なんだよ。アイツのノート見てよ。そう言う奴なんだってなんか、解ってよ」

 焔が言っているのは、多面能力者というのは、どうしても戦闘におけるバランスが下方修正され気味だということを言いたかったのだ。拮抗した相対する力を持ち合わせることで、気に乱れが生じ、運動能力に影響を与えるなどの、不具合が生じやすいのだ。その反面、晃平ほどの多面能力者ともなると、あらゆるバリエーションで戦えることもまた、事実なのである。

 「アイツ。自分が鼬鼠には勝てねぇって、解ってたんだと思うぜ。多面能力者ってのはよ。器用貧乏だからよ」

 鋭児は焔の話をじっと聞いた。ただ、焔と一緒に歩いている。

 「だったら、なおさら負けられねぇ」

 「違うだろうよ!」

 「何がだよ!!」

 どうしても負けという選択肢を一番に持って行きたがっている焔が焦れったくなり、焔を突き放したくなったが、焔の腕が其れを見切ったように、鋭児を逃がすまいとする。だから鋭児は、直ぐに強引に振りほどくのを止めた。焔が最後まで聞けと言った言葉を呑んだのは鋭児本人である。

 「無駄に命張るなっつってんだよ……。晃平もオレも吹雪も、お前は鼬鼠なんかと器が違うっていってんだ。解れよ……。解れって……」

 焔はさらに鋭児を逃がさないように、ぎゅっと彼の腕に絡むのだった。焔や吹雪では、自分達よりランクが下である鼬鼠に対して、易々と決闘を仕掛ける訳にはいかないのだ。ましてや今回のやりとりは、鋭児達と鼬鼠の問題である。そもそも六皇からは、滅多なことで目下の者に決闘を申し出ることなど有ってはならないし、もし其れを理由に、焔が鼬鼠に決闘を仕掛けるというのなら、六皇同士の決闘にまで発展することになる。

 彼らはそのバランスを崩してはならないのだ。その責任は大きいということだ。始業式の時に静音が複数人に絡まれていた時とは、状況が全く異なる。

 「んな半端な気持ちで、やれねぇっすよ」

 「解ってるよ。けどよ。チャンスは一度じゃねぇってことは、理解しとけって」

 「……」

 鋭児は納得しなかった。それに最も真正面からぶつかりそうな焔が、そんなことを言い出すとは、思ってもいなかった。彼女のようなタイプなら、納得するまでぶつかって行けと、発破を掛ける方だと思ったのに、そうではなく、臆病なほどに慎重な選択肢を鋭児に突きつけてくる。そして、鋭児が自分を振りほどいて、逃げ出して話を受け入れなくなる状況を避けるために、その腕だけは確りと捕まえていた。

 「多分、オメェにしか出来ねぇ事だと、オレは思う」

 納得しない鋭児に対して、焔はその一言を付け加えるのだった。それは焔でも吹雪でも晃平でもなく、鋭児の仕事なのだと言うことだ。自分たちは鋭児が強くなると考えていると同時に、鼬鼠も強いということを、認めた上での発言だった。ただ立場上焔や吹雪では手が出せないし、晃平では勝てない、そういう相手なのだ。

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