第1章 第1部 第23話

 鋭児はたまらず焔を振りほどく。体重体格、そういう部分で鋭児は焔より遙かに有利だ。自力で振り回すという単純な部分では、焔には負けない。それに食らいついてバランスを崩す事のリスクを焔は取らなかった。兎に角、鋭児にはまだまだ大きな隙があるのだ。少し距離を取ったと同時に。素早く懐に回り込み、腹部に拳の嵐を見舞う。

 瞬間的な速さの切り替えに、鋭児はまだついて行く事が出来ない。この速さの切り替えこそが、炎の使い手の持ち味とも言えるのだ。ただそれでも、僅かに完全直撃を避けている。辛うじてバックステップが間に合ったという感じだ。

 「くっそ!!」

 鋭児はそれでも膝をついてしまう、そしてそんな立ち上がり際だった。焔が頭突きを見舞ってくる。鋭児が足技を警戒した頃だろうと思われるタイミングのことだ。だが鋭児の反応も良い。頭突き返すのである。ただ、鋭児は首を右に傾け左の額で、焔に対抗するのだった。クセのある頭突きである。

 「ったぁ!」

 「っつぅ!」

 焔が珍しく、蹌踉めいてしまうのだった。自ら仕掛けた頭突きだというのに、引き分けてしまうのだった。鋭児も目が眩む。お互いそれがどれだけ堅いか、認識したことだろう。

 「ハイハイ!仕上げで、本気出して怪我したら、意味ないから一旦停止!」

 しきりに入れるのは吹雪しかいない。それにしても焔は少し楽しんでいるようにも見える。鋭児の方はなりふり構わず必死である。間に入った吹雪は焔と鋭児の額が割れていないのを確認する。双方とも思った以上に丈夫な額である。

 「鋭児テメェ、下手したら瞼切るぜ。距離感も狂うし、ワリィクセは直した方がいいと思うぜ」

 顔を右に向けるというクセがあるというのなら、そう言う隙を作らされるということである。そこに死角が生まれ、フェイントとしてその動作を使われる可能性がある。相手にバリエーションを与えるし、迷う選択しも増える。これは単純な引き算だ。

 「気ぃつけるよ」

 鋭児は額を押さえながら、妙に素直な返事を返す。

 「鋭児君は、右側がダメなんだよね」

 吹雪がそればかりは仕方がない事だと、鋭児を庇う笑みを浮かべる。それから鋭児の額に手を伸ばすと、鋭児は過剰な反応を示して、顔を強ばらせて吹雪の手を払い退ける。昨日触れることが出来た鋭児の額に触れることを鋭児が許さない。完全に恐怖感を感じた表情をした鋭児に、吹雪の方も表情を硬直させてしまう。

 「ワリィ、まだ、気が高ぶってんだ」

 「古傷……か……」

 得心のいく焔だった。安易に触ろうとした吹雪は少し黙る。一度は触れた額だったため、少し驚いたが、傷の所以までは聞いてはいない

 「骨が薄いんだよ、こっちはよ」

 もう大丈夫だと、そう言わんばかりに、鋭児は前髪を上げ、額を見せ、それから吹雪の手を取り、そこに触れさせる。吹雪の掌には、その激しい凹凸があまりにも痛々しかった。

 「ははーん。お前、そうやって、吹雪に触りてーんだな?」

 可成りのゲスな勘ぐりをする焔だった。

 「解ったよ」

 鋭児は、グローブをしている焔に対して、直接額と額でその感触を伝えるのだ。

 「お、おう。ヒデェな、ボコボコじゃねぇか」

 冷やかしだった焔だったが、鋭児の傷の状態が思った以上に深刻だったことに気がつく。そんな鋭児が逃げずに真正面からぶつかりたがった結果が、クセのある頭突きだった事を知った。

 「だからこっちは使えねぇ」

 正直それについては、歯がゆそうな鋭児だった。逃げたくなる気持ちを抑えるのに、労力を要するのだろう。

 「神村に言えばどうにかなるんじゃねぇか?」

 焔は単純に治療方法を知っていそうな人物の名を上げる。

 「コイツはそういう風に単純に消せねぇんだ」

 「お前がお前たる所以の傷ってとこか」

 消せるかもしれないが、そうはしたくない。それは彼の心にある傷が癒えていないことを示していると焔は感じた。

 「ああ」

 と、額をくっつけたまま会話をする二人だった。

 「静音さんはいいんですか?」

 と、小声でお節介をしたのは晃平である。

 「う……うん」

 少し、心苦しそうな笑みを浮かべる静音だった。

 「よっし!次は、技を混ぜるぜ、お前のウィークポイントもガンガン狙っていくからな!」

 離れた焔は、びしっと指を指す。

 「了解。焔先輩」

 鋭児は背中を向けて、適当な距離を取り、再び焔の方を向き、構えた。

 焔は構えると同時に素早く、引き足で、五芒星を描き、前に蹴り飛ばす。それと同時に鋭児は両手の拳に火を点すと同時に、両手で二重丸を描き右手で四角形を描く、四点空刻と呼ばれるものだが、二重に描いた円がより強力な印にする。左手でそれを支え、焔のはじき出した火炎弾を受け止めている間に、右手では既に六芒星を小さく素早く描き、右手の中に握り込む。

 その間に、焔は鋭児の眼前にまで迫っており、両手には掌に収まるくらいの小さな六芒星を練り上げ、まず右手で、鋭児の印を相殺し、左手で鋭児の手首を掴みにかかる。鋭児は素早く左手を下げ、通過する焔の左手を自らの左手で掴むと同時に投げ飛ばす。

 鋭児は、投げ飛ばした焔に気を払いつつ、素早く床に蹴刻を刻もうとするが、その瞬間焔が、先ほど右手に維持していた印を放ち、地面に描かれていた鋭児の印を乱す。

 五芒星は、一筆書きで描きやすく、威力が得られる反面、一本でも線を乱されてしまうと成立しなくなってしまう欠点がある。焔はその場に着地すると同時に、炎で、眼前に一メートルくらいの大きな二重円を描き、それを蹴り飛ばす。

 円に比例した火炎弾が、鋭児を襲うが、コンマ数秒遅れで鋭児は焔と同じ動作をこなしていた。そして同じように蹴り飛ばし、威力を相殺する。勿論焔は鋭児の視界を遮ると同時に、既に床に足で六芒星を刻み、炎の龍を引き出し、蹴り飛ばし、それを鋭児にぶつける。焔は絶えず攻撃中に次の動作に入っている。そして兎に角速いのだ。

 鋭児が蹌踉け、焔がそんな鋭児の眼前に肘鉄を寸止めした所で、復習は終わりである。そしてその肘鉄は、鋭児の右の額に向けられている。そこは尤も鋭児の脆い部分と言える場所だった。恐らく間違いなく致死点だろう。焔は予告通り、彼のウィークポイントを攻めたのだ。

 「テメェの大した所は、龍脚食らってその程度かってとこだな。どんだけ守備力高けぇんだよ」

 焔は肘を引いて、構えを解きながらそう言う。

 「焔さんが、俺の書きかけた蹴刻の上に印を書いたから、威力が落ちたんだよ」

 「維持してたのか」

 「地の力で刻んだから、見た目にはわからねぇ……晃平ノートに載ってた。立ち回ってる間に、何個か小さいのを仕掛けてたんだ」

 「影印かよ。以外と芸がこまけぇな」

 影印とは、表面に見える位置に刻印をせず、少し深い位置に印を描く事であるが、これが可能なのは、地と聖と闇の刻印だ。風では悟られない状態で、床の深部に気を走らせるほどの力はないし、走らせることが出来ても、異質の力は、床を割ってしまう。その事は、水も火も同等だ。

 水の場合は、環境に水があれば、同じように影印は刻めるのだが、流動的な水では、印の流れに、水が誘導されてしまうために、必ず動きが目に見えてしまう。

 風は維持は可能だが、地との相性問題があるし、炎は絶えず燃焼を必要とするため、そもそも影印には向かない。浸透性と揮発性を持つ水も、やはり使用時間の維持は難しいものがある。

 聖と闇というのは、性向性属性のため、環境や元素に影響されることはないが、逆に低すぎるレベルでは、印を歪めるほどの力にはならない。この二つの属性は、より呪術的なのだ。作用するのは、物理的な部分より、むしろ精神的な所が多く、焔や鋭児、晃平などは、邪気を含ませる、加護を加えるという部分で作用させている。

 同じ炎であったとしても、邪炎や聖火、煉獄と聖地といった具合に、同じ属性でも対立属性になる。

 より高度な技として、属性と性向性の組み合わせを行えるのが、晃平のような多面能力者と言えた。

 「六芒星は、一本死ぬと三点と変わんねぇから、それを狙ったんだけどな」

 鋭児は焔の火力が落ちることを考えていたのだが、思ったより焔の火力は高いものだと認識する。鋭児は、呪術や気を使った戦闘そのものに不慣れであるため、自分で思ったよりも、攻守のコントロールや切り替えは、スムーズでない。だから、焔の攻撃力を落としても、その攻撃力を相殺するに至らないため。高いものになってしまう。彼自身がコントロールが出来ていると思い込んでしまうのは、身体能力が今まで以上に高くなっている事に対する錯覚に過ぎないのだ。しかし、それでも自分の身体が円滑に動いているように感じられるのは、彼が日々成長しているからに他ならない。

 「ま、負けは負けだ」

 「解ってるよ」

 きっぱりそういって、さばさばとした焔の後ろを、少し悔しがりながら後頭部を掻きむしりながら歩く鋭児だった。

 「さー飯だ飯!すき焼きだ!」

 「焼き肉の次は、そればっかりっすね」

 「細かいこというなっての」

 焔は、元気満点だ。下手をすれば、一人で全ての食材を平らげてしまいそうなほどの勢いである。

 食事の準備は、吹雪と静音で進めてくれる。エプロン姿の二人は、清楚な感じもするし、静音は家庭的な雰囲気が出ており、食卓という空間によく似合っている。

 箸を振り回しながら、すき焼きを仕切りたがる焔もある意味似合っているとも言えないが、どう見ても、食べ盛りの子供といった様子で、姉と母の手を焼かせているタイプにしか見えない。兎に角焔はよく食べる、ご飯のお代わりもそうだし、箸が休むという事がない。

 「先輩、飯粒ついてるってよ……」

 「お?」

 鋭児は思わず、焔の口に端にへばりついているご飯粒を指で摘み、食べてしまう。

 そんな焔を見ている吹雪は、穏やかにクスクスと笑いだす。焔は本当に手の掛かる大きな子共のようなところがある。それに世話を妬いている鋭児の姿がなんとも、おかしかったし、妙にしっくりいっているように見えるのだ。

 「焔」という人間が、過去どういう生き方をしてきたのか、風説程度に聞き及んでいる静音と晃平からは、ここしばらくの焔は、それと少し違った角度で見えていた。それはまだ、鋭児の知らない事実だった。

 この日は、この食事で解散だった。鋭児は翌日の鼬鼠戦に向け、身体を休めるようにと、周りに散々釘を刺される。釘を刺されるほど無茶な場面を数多く見せたわけではないのに、下手をすれば監禁されてしまいそうな勢いだった。

 部屋に戻った鋭児は、携帯電話で、最近の楽曲をイヤホンで聴いている。何の娯楽も転がっていない彼の部屋では、それくらいしか、時間を潰す手段がないのだ。

 「封呪帯……か」

 鋭児は、両手に撒かれているその包帯を取ってしまえば、どうなってしまうのか?と、少し考える。

 神村との力を引き出す訓練の時は、その包帯を外している訳だし、取っても問題は無いだろうと、自分では思えてくる。だが、神村はそれを禁じている。包帯を取れば、今晩の焔との模擬戦も怯むことは無かったのではないかとも思う。一瞬右手が左手に伸び、包帯を取ってしまおうかと考えたが、大人しくしていろと釘を刺されたばかりだ。伸びた右手が止まる。

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