第1章 第1部 第22話
翌早朝鋭児は、ベッドの真横で目が覚める。しかもそれは晃平に揺り起こされたからで、自発的ではない。漸く太陽が昇るか登らないかの時間帯で、部屋の中が薄ら暗い。そして、妙なほどに静まりかえっている。焔が普段騒がしいため、人の流れがないその時間の静けさが、尚のこと静かに感じられた。
「俺、自分の部屋で、風呂入ってくる。お前、開けれるか?」
晃平が、誰も起こさないように、声を潜めながら、鋭児の横にしゃがみ込み、声の拡散を防ぐために右手を口に添えながら、ソロソロとそう言った。
「そっか……」
お互いに眠そうな声で、眠っている焔達を起こさないようにするが、吹雪の姿が見えない。先に戻ってしまったのだろうか、晃平はゲスト扱いで、自由にこの部屋を出入り出来る許可は得ていない。どうやら、今のところ焔の部屋の扉を開くことが出来るのは鋭児だけらしい。
鋭児は、眠たそうにすり足気味で、部屋の玄関に、晃平と共に行き、極力音を立てないように、ドアノブを捻ると、すんなりと開く。
「流石お気に入りは、違うね」
と、晃平は茶化して、戻ってゆく。晃平を送り出した鋭児も、気を遣うことなくシャワーが浴びたくなったため、手荷物を自分の部屋に持ち帰ろうと思い、リビングに顔を出した時だった。
「あ……」
「あれ……」
迂闊だった。そんな表情の吹雪と、それを見た鋭児が素っ頓狂な声を出して、思わず見合ってしまう。吹雪はバスタオル一枚だったのだ。しかも吹雪の肌から、ホンノリと湯気が立ている。まさに今浴室から出てきた所である。そんな吹雪は、ゆとりを持ってクスリと笑う。
「私の後だけど、シャワーでも浴びる?」
まつげの長い吹雪が、バスタオルがほどけないようにするため、胸元に手を置きつつ、少し色っぽい半目がちな視線で、鋭児に微笑みかけるのだった。
「あ……いや、俺自分の部屋近いっすから」
「そっか。じゃ、少しだけキッチンの方に行っててくれる?」
そう言った、吹雪は細くスッキリとした、キレイな背中を鋭児に向けるのだった。
「あ……解りました……」
焔に対しても照れはあるが、吹雪のバスタオル姿は、もっとドキドキとしてしまう。完全に顔が紅潮して、リビングを通る間に、ソファーに躓くし、キッチンへ行くまでの柱に身体をぶつけてしまうのだった。
そんな鋭児の後ろ姿を見て、吹雪はクスクスと笑い出す。
「んだよ……うっせぇな」
と、焔が鋭児があちこちにぶつかる騒がしいその音で、目を覚ますのだった。
「あ!吹雪なんだよ。そのヤラシイ格好はよ!」
「鋭児君に、見られちゃった♪」
「はぁ!?あのむっつりスケベ!」
「全部見てねぇよ!!」
と、キッチンから弁解をする鋭児の大声で目を覚ましたのが静音だった。
もちろんその後の朝練がある。こんな調子で、鋭児の特訓が木曜日の夜まで続き、一同は焔の部屋に集まるが、鋭児の疲労も、ピークに達している。もちろん連日指導に熱が入る焔も少々お疲れ気味だが、鋭児に比べるとまだまだ余裕がある。
闘技場になっている部屋の外の屋上に、全員が移動したとき、焔がこう言った。
「さて!復習程度に止めて、後は飯くって体力回復だ!今朝までに覚えたこと活かせねぇほど、疲れてたら、何の意味もねぇしな。気も充填しておかねーと」
此処まできたのだ。足掻いても仕方がない。足掻くべき場所は、闘技場の上だと、焔の表情は物語っていた。
鋭児が拳に力を込めると、炎が沸き立ち揺らめく。初日に比べ可成り力強い炎だ。もちろん常時炎を出している必要性はないのだが、そうして留め置くのも、練習の一つなのだ。
まずは、術を使わない純粋な格闘から始まる。
鋭児の飛び込みは、稀に見る速さだった。表情にも集中力があるし焔を良く捉えている。もちろん焔の方が動きの面で、まだまだ余裕はあるが、それは明らかに、経験の差から生まれているものだ。子供の頃から能力との付き合いがある焔と急増の鋭児とは、同じ速さでも質が違う。
鋭児の置く一拍は焔よりも若干長くなるクセがある。それは普通の人間だった頃の感覚が抜けきっていない証拠でもある。たった二日でそれを改善しろというのは無理な話だ。口で言っても仕方がない。
ただ、良い撃ち合いではある。ガードもしっかりとしているし、焔の動きによく着いて来ている。ただ鋭児は焔ほど上手に足を使えるわけではない。
「俺の動きをトレースしろよ!イメージはウソをつかねーぞ!」
焔は技と足技の連続を繰り出す。上段中段下段、回し蹴りに踵落とし、右足と左足と、足腰の軸が確りとしている。鋭児はあえて受けに集中する。もちろんそれはコレまでにもやってきた事だ。蹴りを繰り出して焔に止められることは多かったが、その逆は少なかった。
鋭児は焔が右上段蹴りを繰り出した瞬間、回し蹴りでそれを受け、譲らずにいる。焔はさらにその足を鋭児の足に絡め、さらに上へと蹴り上げ、その体勢を崩しにかかると同時に、跳ね上げた足先で五芒星を描く。あまり大きな印ではないが、本当に速い印の結びだった。ただし円で囲まれていない星印だけの印だ。
焔は自分の頭より高い位置に書かれた印に対して、右足を降ろすと同時に、前方宙返りをして、その印を鋭児の方向に向かって蹴り落とす。
「く!」
鋭児は咄嗟に風の力で空刻を施し右掌に炎を集中させ、焔の飛ばした印を弾き飛ばす。更に焔は既にさらなる蹴り技に入っている。着地と同時に今度は右足の踵が鋭児の右こめかみに飛んでくる。これに対しては両腕でガッチリとガードをするだけに至る。
「そらそら!こんな大技ばかり、許してんじゃねーぞ!」
今度はパンチのラッシュである。しかしパンチになると、鋭児の動きも変わる。上手く払い退け、焔の顔を仰け反らせるようなパンチも繰り出すのだ。元々のリーチが有利であるため、焔としては要警戒といったレベルのパンチである。
「鋭児君よく動いてる……相手は焔だよ。ここにきて一週間も経ってないよ」
吹雪は鋭児の動きの良さに関心をしていた。尤も元々動き慣れていた節がある鋭児なだけに、飲み込みは早いのだろう。勿論センスがあるからこその代物とも言える。
焔はすぐに鋭児の拳をガッチリと受けにかかる。焔の手はその辺りの女子に比べて、少々大きいようだ。こういう事に向いている手なのかもしれない。ただ、ガッチリとした拳とは言い難い。尤も殴り慣れているその拳は、女の子らしい手とも言い難い。指先がきっちりと鋭児の拳を捉えているが、握りつぶしてしまうほどの握力があるわけではないようだ。
ただ、それを補う足技が、焔にはある。そのキャリアは鋭児とは雲泥の差があった。焔の膝が飛ぶ。だが、鋭児はコレをすれすれで躱すのだった。左の頬当たりに焔の膝が擦ってゆく。そして至近距離で丸見えだ。
「うわ!ちょ、待った!!丸見えだって!」
「るせぇ。集中しろ!」
焔はお構いなしだった。
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