第1章 第1部 第17話

 少し睨み合ったまま、時間が降着状態に入る。鋭児が胸元のポケットに、すっと手を伸ばそうとしたその時だった。

 「厚木晃平一年F4筆頭!鼬鼠先輩に勝負を挑みます!!」

 唐突だった。鋭児の後ろから、晃平がカードを取り出し鼬鼠に提示するのだった。まさかと思ったのは鋭児だけではない。突きつけられた鼬鼠ですら驚いた顔をしている。

 「おいおい。2年W1筆頭の俺に向かって、1年最弱クラスのお前が、勝負だと?」

 鼬鼠の視線が静音よりも、鋭児よりも晃平に向く。

 「晃平君!」

 静音は青ざめる。鼬鼠の狡猾さはよく知っているし、数日前に目の前で鋭児が可成りの重傷を負わされたばかりだ。

 「オメェ死んだよ!ヒャハハ」

 そう言いながら、鼬鼠はカードを見せる。互いに決闘する意思があるという意味になる。

 下級生から勝負を挑まれ、回避するためには、勝負そのものを放棄するために、一端この場で背を向け沈黙を守るか、不戦敗を申し出るかだ。潔く負けを認めない沈黙は、筆頭である彼に取るべき選択肢ではない。そもそも晃平に対して、逃げる意味がない。勿論格下相手に不戦敗になる意味もない。

 それどころか、格の差を見せつけるため、分不相応の決闘を挑んだ者には、制裁を下すこともある。この学園では実力を見極めることも、また一つの力と言える。制裁とは、大げさに言うと、殺すということだ。

 「大丈夫。鋭児もそんな心配そうな顔しなくていいよ。伊達にクラスの頭やってないし……」

 晃平がカードをポケットにしまうと、鼬鼠もカードをしまう。決闘成立の合図である。すると、鼬鼠の取り巻きは、少し距離を開ける。鋭児はそれを見て、静音を背にして、同じように距離を開ける。

 鋭児には、鼬鼠の手の周囲が揺れているのが解った。それを伝えようと、鋭児は口を開きかける。

 「鋭児君。決闘中は声を掛けちゃダメだから」

 「何言ってんすか!」

 「従えないなら去る!この学校に居る限りのルールだから……、それに彼見えてるみたいだし……」

 去ると言うことはつまり、記憶を消され、彼が此処で過ごした記憶は置き換えられると言うことである。

 「君が声を掛けたら、晃平君は戦わずして負けるし、晃平君のプライドに傷がつく」

 「静音先輩がそんなこと言うとは、思ってもみなかった……な」

 静音という人間を少し見誤っていたと思う瞬間でもあった。鋭児の思う正しいことが、必ず晃平に対して正しいことをしているとは限らないのだ。尤も正しければ全てそれでよいと言うわけでもない。静音の震えがそれを証明している。

 晃平はこの状況で、強制もされず、決闘を申し込んだ。その覚悟を、言葉で挫くことは許されない。其れが静音の言いたいことだったのだ。

 鼬鼠が軽く手を振ると、それだけで鋭く尖った風の刃が晃平を襲う。可成りのスピードだが晃平は、それを素早く躱し、鼬鼠との間合いを詰める。

 鼬鼠は余裕を持っているのか、動作の方は緩慢である。ただ、晃平が近づく前に、払うように手を振り、次々と風の刃を生み出し、晃平が間合いを詰めるのを、阻止する。鼬鼠の動きはまるで柳のようにしなやかで、フワフワとしている。

 「炎使いのわりにゃ、軟弱なスピードだな。トップスピードで風使いに勝てると思ってねぇよな?」

 それに対して晃平は何も答えない。ただ黙々と、接近戦を仕掛けるだけだ。鼬鼠は余裕を持ってそれを躱している。

 「そろそろ、いいだろ?」

 鼬鼠のスピードが急に上がり、晃平の前から姿を消す。そしてあっという間に、晃平の後ろに回り込み、手刀を作り、晃平の背中を切りつけた。そのとき晃平のスピードも上がる。鼬鼠に斬りつけられる前に、素早く鼬鼠から距離を取る。

 鼬鼠の余裕は変わらないようだが、晃平は何か隠し種を持っている。そんな雰囲気が伝わって来る。今度は逆に鼬鼠の猛攻が始まる。鼬鼠が手刀を振るう度にコンクリートの床に亀裂が次々と入る。

 晃平はそれが見えているのだろう。どうにか躱し続けている。

 「お前、その持続したスピード。単なる炎使いじゃねぇな?」

 「ご名答!五芒刻!」

 晃平が宙に描いた五芒星を地面に叩き着ける。すると鼬鼠の周辺のコンクリートが砕けると同時に、その両足に絡みつき固まる。

 「おいおいおいおい……」

 鼬鼠は相変わらず余裕の表情を見せているようだが、晃平に対して何らかの違和感を示した。

 「風は流、炎は剛。大地は定、水は柔それが基本だ。風で瞬時に刻印して、大地の技とかありえねぇだろ」

 「多面能力者マルチスカラーだわ……」

 静音が小さく呟く。属性には相剋というものが存在する、火と水、地と風、聖と闇と、それぞれ相容れない属性が存在している。基本的には両属性を同時に扱うことは不可能であるし、基本属性を上回る事などあり得ない。晃平は風で印を刻み、床にそれを転写し、そこに大地の力を流し込んだのだ。

 「バカか、多面能力者マルチスカラーなら珍しくねぇっつーの。風使いの俺の足を固めるほどの術者……。そうか、貴様5レベル以上の多面能力者マルチスカラーか……なんで、そんな奴が弱小筆頭なんだ?」

 鼬鼠は足の自由を奪われた状態で、晃平に向かって少し警戒した構えを取る。

 「先輩に答える義務はないですよ」

 晃平は距離を取りつつも鼬鼠と会話をする。鋭児には彼らの会話の意味を理解出来るほどの知識はなかった。

 「なるほどぉ。足を止めて、炎得意の接近戦かぁ」

 「そうかもな!!」

 晃平は鼬鼠のリクエストに応えるかのように、瞬発力を生かし、鼬鼠の懐の中に飛び込む。その時、晃平の目の前に、六芒星が浮かび上がる。

 鼬鼠はニヤリと笑う。それは罠に掛かった獲物に舌を巻く狡猾な獣のような表情だった。晃平は咄嗟に、腕を交差させ防御の姿勢を見せるが、六芒星から生じた強烈な風の圧力で吹き飛ばされ、大きく後方に退く事になる。

 少々ダメージを受けた様子で、踏みとどまると同時にガクリと膝を落とす。衝撃で、メガネが屋上の床に落ちるが、彼の戦意はまだ失われていないようだ。

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