第1章 第1部 第16話

 翌朝、鋭児は目覚ましで目が覚める。ベッドの下には空き缶の山だ。当然誰が、どう、というのは言うまでもない。鋭児のベッドの下には、酒宴のストックがまだ幾分か残っている。見上げた壁際には、土曜日に行われた酒宴の写真が両面テープで貼り付けられている。芸が細かい所と言えば、ビールが全て黒ペンで塗りつぶされているというところだ。ただ、四人とも赤ら顔である言い訳はどうするのか?という疑問もある。もちろん吹雪と静音のキスの写真もあるし、焔が納得いかない例の写真もある。

 「焔さん……、そろそろ戻んねぇと……」

 焔は散々呑み散らかした挙げ句、俯せになってぐっすり眠っている。鋭児は何かを握りしめたと思い、持ち上げるとそれは、焔の小さく丸まったピンクの下着だ。はだけたシーツから、無防備な焔の背中が全開で見えている。焔の肌は日焼けではなく地黒なのだろう。肩口からヒップラインまで、見えているその背筋は健康美そのものだ。少し見とれてしまう、ベッドの下には上のパーツも転がっている。つまりシーツの下の焔はそう言う状態である。

 健康的な背中もそうだが、それを覆っていたパーツが転がっているということの方が生々く思え、鋭児は面食らった。

 「焔さん……」

 声に力が入らない鋭児は、焔を揺すり起こすと、彼女も漸く目を覚ます。

 「頭重てぇ」

 「何で、脱ぎ散らかしてるんすか……勘弁してくださいよ……」

 鋭児は極力焔の方を見ないようにしている。

 「どぉせ。俺は全面拒否なんだろ?」

 と、拗ねた様子を見せる焔だったが、焔自身は、鋭児が例の写真の画像を入手している事を知らない。鋭児は焔が照れた理由も知っている。不機嫌な焔は、手を出せるなら出してみろと言っているようにも聞こえる。

 そのとき、窓をノックする音が聞こえる。と、吹雪がヒョッコリと覗き込んでいるのだ。実はまだ朝の六時にもなっていないのだ。そんな時間に起きている彼女が信じられない鋭児だった。

 「吹雪さん……」

 窓に近づき、静かに開けて、小声で、誰にも気づかれないようにしてそう言った。

 「どうせ焔のことだから、アレでしょ?捨ててきてあげるから……」

 吹雪にはビールの空き缶が部屋中に散らばっているのもお見通しである。世話を焼くために、わざわざこの時間に起きてくれたのだ。そんな吹雪は面倒見の良いお姉さんといった、柔らかい表情を見せる。

 そんな吹雪に、ふと鋭児の額の怪我が目に入る。寝ぼけガオの鋭児の額に、大きな傷。彼の右の額についた傷だが、近くで見ると思う以上に酷い怪我だったことを想像させる。吹雪は思わずその傷に触れてしまう。相当な凹凸感があり、骨にまでそれが達している事を知る。

 「ゴメンなさい……」

 断りもなく不意に触れたことを謝罪する吹雪だった。頭部にこれほどの傷を負うと言うことは、鋭児が生死の境をさまよった経緯があると、吹雪は考える。

 「イイッスよ吹雪さんだったら」

 態々こんな早朝から自分たちを気遣ってくれる、面倒見の良い吹雪に対して、そこだけを拒絶するのは、少し違うと思った。細やかで繊細な吹雪の指先は、上辺だけの興味本位で自分に振れたのではないと、何となく解る鋭児だった。

 「うん。じゃぁ早く焔をたたき出して、アナタもシャキッとするのね」

 自分らしくない行動だったと、はにかんだ笑みを浮かべた吹雪は、少し落ちつきなく、次の段取りを鋭児に指示する。

 「ええ……」

 鋭児は、一度戻って空き缶を纏め、吹雪の好意に甘えることにした。

 

 時間は昼になる。鋭児も少し頭が重かった。彼の手元には、昨日の弁当の空き箱がある。一応本日の昼食であるカレーパンと缶コーヒーがあり、横にはお節介な晃平もちゃっかり居る。しかし話題は割と真面目で、晃平のノートが二人の間に広げられて、晃平は色々と技なるものの説明をしてくれている。

 「コレが、二点刻、三点刻、宙に描くのを空刻、地に描くのが地刻。指で描くのが指刻、足で描くのが蹴刻。一番高度な技が、六芒刻。焔先輩なんかがよく使ってるのが、六芒蹴刻ってやつで、爪先で一気に地面に印を刻んで、技を練るんだ。印の完成度が高いと、技の効率も上がる。印が完成したときの破壊力は、通常技の非じゃないから」

 「ふぅん……」

 鋭児は、自称晃平ノートを見ながら納得する。神村は必要な説明をすると、自分のペースで、物事を進めてしまう。はぐらかしているわけではないのだろうが、質問をする間を失ってしまう。そう言う意味では、晃平ノートは有りがたい。鋭児が興味を持って、ページを戻ったり送ったりと、見ている時だった。

 「鋭児君」

 と、にこやかに声を掛けてきたのは、静音である。手には今日の弁当が乗っている。しかも大きめの弁当と小さめの弁当である。堂々とはしていないが、浮き浮きとしている様子が、少しスウィング気味に身体を揺らしている静音のその動きで、何となく理解出来るところだった。

 「お邪魔虫とか言うなよな」

 と、鋭児は、晃平が何となく言いそうな一言を先に言って、釘を刺す。晃平はその一言で、腰を上げれなくなるのだった。そう言われると、晃平は浮かしかけた、腰を再び床に落ち着ける。

 「静音さん弁当大変じゃないっすか?」

 鋭児は静音の行為を断ることが出来なかった。ただ遠回しにそう言う。尤も迷惑でないのは事実である。

 「んーん。一人分作るのも二人分作るのも一緒だから」

 静音は、鋭児に弁当を渡すと、自分もそこに座り、弁当を広げ始める。弁当そのものは、ごく普通にウィンナーが入ったり、卵焼きが入ったりと、そう言ったレベルのものである。

 「君もここなら、三人分作っちゃおうかな」

 と、静音は何とも涼やかで品のある笑みを浮かべるのだ。吹雪は神秘性に満ちあふれた笑みをするが、静音のそれは、もう一つ角が取れていて、親近感がわく。鋭児より寧ろ晃平の方がぼうっと、静音に見とれている。

 「晃平、クラスの筆頭で、昼休みは俺の家庭教師なんだ」

 と、鋭児は晃平の立ち位置を、静音に説明擦る。

 「お、お前良い奴だな……」

 晃平は、鋭児にガッチリと握手を求めてくる。穏やかで人の良さそうな晃平が、実は少し熱い部分を持っている所が見える瞬間でもあった。

 「晃平君……晃平君……ね」

 静音は晃平の名前を覚えようとしてくれているが、名字までは聞こうとしない。ただ、そう言う静音は何となく、賢そうでネジが一本抜けていそうな雰囲気で、男心を擽る。

 「静音ぇ、俺に弁当なんて作ってくれたことなんて、今の一度もないよなぁ」

 少しひび割れた中高音域で人の感を逆なでするような、人を見下した声が聞こえる。その声の持ち主は、鼬鼠だ。

 「ずっと待ってたんだよ。氷皇が居なくなるのをよぉ、ヒャハハ!」

 鼬鼠と彼の配下二人が、座っている三人を高圧的に見下ろしている。鼬鼠は相変わらずニヤニヤとして、目の前の獲物をどう料理してやろうかと、伺っている。それにしても、鼬鼠と静音が顔見知りだったとは初耳だ。出会って四日ほどなのだから、殆ど全てのことが初耳になるが、鼬鼠の執拗さから、可成り静音にご執心らしいことが解る。

 鋭児は、腰を上げようとする。この場からどうにか静音だけでも逃がさなければならないと思ったからだ。しかし、静音が鋭児の膝の上にそっと手を出して、彼を制止する。そのときの静音は、怯えて座らされていたときの静音とは、少し違っていた。

 「貴方なんて、幼なじみとも思いたくない!いつもそうやって、上からばかり人を見て!」

 静音の気持ちが強く出ている。だが、そんな彼女は震えている。身体は間違いなく怯えている。気持ち一つで、漸く立ち向かっているのが解る。鋭児は静音の手を取り、彼女の横から、すっと二人の間に割って入る。鼬鼠の方が若干背が高い。鋭児は鋭く睨み付けた。だが、鼬鼠は自分の優位を知っている。鋭児のそれに微動だにせず、余裕の笑みを浮かべていた。

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