第1章 第1部 第15話

 神村について行くと、再び神村の待機している保健室に連れて行かれることになる。神村の部屋には、覚醒の時に使った陣の中央に、紫の布がかぶせられた台が置かれており、その上に人の頭ほどある立派な球体の水晶が設置されていた。可成りの純度であり、傷一つない。

 「まぁ……、リハビリなんかにも使うのですが、ほら、自分が怖くなって、力が出せなくなったとかコントロール出来なくなったとか……、そう言うときに使う水晶なんですが……。朝のアレは、純粋にアナタの覚醒であって、属性としての力を引き出したって訳ではないです。だから、タイミングとして、能力を使って訓練云々よりも、まずは貴方は自分のことをちゃんと、知らなくてはなりません。朝倉先生と、何かしらしてたみたいですが、その時怖いくらいに身体が動きませんでしたか?」

 「あ、ああ……」

 「ま、気の流れが活発になって、心技体、いや、今はまだ、心と体ですかね。それの歯車がガッチリと合っちゃってますから。それに元々火を司る人間は、肉体面での活性化は顕著なのですよ。その反面術の練度は荒っぽいですけどね」

 神村はウロウロとしながら、説明し始める。

 「荒っぽい中で、さらに荒削りで、吹雪君が疲れてしまうほどのアナタが、さてどれくらいの物なのかは解りませんが、水晶へと引き摺り出してみましょうか」

 疑心暗鬼だが、この不可思議な学園において、疑心暗鬼もなにもあったものではないが、その上さらに、鋭児は何も知らない赤子同然である。やってみるしかない。普通の生活に戻りたくば、この場所のことは忘れろというのだ。しかし、忘れたところで、帰るところがない。いや、厳密にそうでもないのだが、居場所でないのは確かだ。

 鋭児が、水晶に手を置くと、身体の中から何かが引き摺り出されて行くような感覚に襲われる。

 「うっ!」

 指先に破裂しそうな痛みが走る。

 「はいはいはいっと」

 神村が鋭児を突き押し、水晶から離す。

 「本来自分で出す力を、無理矢理出してるんですから、我慢してくださいね。これは力の通りをよくする訓練ですから……」

 神村がニヤリと笑うのだった。少しサディスティックな笑みである。

 鋭児が訓練中、何人かの生徒が治療のために訪れたが、殆どは鋭児の訓練に時間が費やされた。やがて二時間ほどの訓練が終わる。それは、ちょうど昼からの開発授業が終了する頃合いだ。

 その頃には、鋭児の手は、包帯だらけになっていた。そして、包帯でぐるぐる巻きにされた手の甲には六芒星の印が書かれている。

 「特殊な包帯です。そのまま手を洗ったりしても問題ないですから、ここ以外で外さないようにしてください」

 と帰り際に忠告されるのだった。正直その両手では鉛筆を持つのですら痛む。怪我ではないのだが、今の鋭児の両手は、仮止めされた栓みたいなものだ。引き出し方は、両手の感覚から全身へと伝達されてゆくのだそうだ。身体の細胞が伝達して、覚えてゆくのだという。両手はその足がかりに過ぎない。

 「さて……っと」

 問題が一つ残っていた。食堂に行かねばならない。神村の忠告もある。大人しくしておかなければならない、つまりそれは、焔に理不尽に殴られても、黙っていなくてはならないと言うことだ。

 乱暴で大ざっぱな焔だが、それでも彼女は女子である。殴り返すわけにも行かない。大きく我が儘な子供を相手にする気持ちで覚悟を決めた鋭児は、人気のない食堂の隅で、どん!と、待ち構えている焔と、状況が理解出来ないまま、付き合わされている吹雪と、すっかり彼女のお付きになってしまった、静音が居る。

 「マァ座れ」

 偉そうに腕組みをした焔が、目の前の席を一度指さし、再び腕を組み直す。鋭児を正面に焔、左が吹雪で右が静音といった席になる。

 座るなり、鋭児は溜息をつく。

 「なんすか……先輩」

 理不尽に呼び出され、逆に返り討ちにした経験はいくらでもある。鋭児はいまその直前の心境で、妙にクールな感覚になっていた。当然そう言う態度は焔も気に入らないが、彼女も説明の道理を抜いて、殴りかかる気はないらしい。

 すると焔が、鋭児の前に出したのは二枚の写真だった。

 「どーいうことだ?これは……」

 焔が鋭児に見せつけた写真は、なんと頬にキスをされている鋭児の写真だった。その相手は吹雪、そしてもう一枚が静音である。焔以外の一同は、目が点になる。

 「っと……え……」

 鋭児は顔が赤くなった。呼び出された理由はわかったが、焔が怒り心頭に発している理由がよくわからない。いや、解らないでもないが、解らない。焔がどの意味で怒っているのかが解らない。

 「これ土曜日の宴会の?」

 吹雪も少々顔が赤くなっている。確かに、自分から積極的に鋭児に絡みつき、彼を逃がさないように、その頬にキスをしている写真なのだ。あまり公然と見られると、嬉し恥ずかしい気持ちになる。写真の鋭児もまんざらでないという表情である。酔った勢いという奴だろうか。

 「わ……わた……わた……私……」

 静音に関しては、もはや証拠隠滅に走りそうなほど、狼狽えてしまっている。写真を取ろうとテーブルに手を伸ばすのだが、意図もあっさり焔に阻まれてしまう。

 「確かに……酔ってたから……けど……うん。記憶にあるわねぇ」

 と、吹雪は少し誤魔化そうとしているようにも見えるが、証拠写真を突きつけられているので、少々観念した様子だ。

 静音は、焔が取り上げている写真に釣られて、ウロウロするが、故障寸前の思考回路では、手の動きすらままならない。

 「悪かったっすよ。焔さんと飲み比べたあげく、調子乗ったかもしんねぇ」

 記憶がないのが一番悪い。抱きついたのは吹雪と静音それぞれだが、それを良しとした自分が居ることも間違いない。鋭児が頭を下げようとした時だった。

 「そうじゃねぇ!問題はそこじゃねぇ!」

 と、焔は次の一枚を取り出し、鋭児の真ん前に突きつけるのだった。それは、焔が鋭児にキスをしようとしている写真であるが、それはどう見ても焔が鋭児を無理矢理ひっつかまえて、洗礼を浴びせようとしている写真だった。

 「なんでだ!?」

 「え……なんでって……焔さんが……」

 「なんで、俺だけ全力で拒否なんだ!?」

 焔はテーブルを叩き着け、前のめりになって鋭児を睨み付ける。後ろから見ると彼女の下着は丸見えという状態でもある。

 テーブルの叩かれた音とは反比例して、現場の空気は静かだった。焔以外再び、目が点になる。

 どうやらそれらしい、焔が怒っている本当の理由というのはそれらしい。

 「それ、私の携帯の……??」

 吹雪が、写真をまじまじと見る。

 「そうだ!昨日、全員、現像するから回収した写真だ!」

 要するに先ほどから言っている通り、土曜日に行った宴会の時の写真である。もちろん鋭児も回収されているわけで……。

 「何で、全力で拒否なんだ!」

 「な、何でって言われても……俺も記憶にないっすから……」

 飛んでもなく焦点の定まっていない怒りだと、鋭児は思ったのだが、ストレートなほどにヤキモチを焼いている。しかもそのヤキモチは、心の広いヤキモチであるようで、そうでないようなヤキモチだ。鋭児は近すぎる焔から、距離を置こうと、椅子を仰け反らせるが、そのまま後ろに倒れてしまう。

 「仕方がない……」

 吹雪が観念して、立ち上がる。

 「鋭児君にサプライズと思って、一枚とっておきがあったんだけど……」

 吹雪が、鞄から一枚写真を撮りだし、焔にそれを見せる。と、少ししてから、逆に焔の方が顔を真っ赤にしてしまう。

 「ば……バカヤロー!ひ、人の寝姿とんじゃねーよ!!」

 今度は、焔が吹雪に弄ばれる番となる。焔が何を照れたのかは、現状二人しか理解出来ない事実である。訳が解らない鋭児は、結局これだけ大げさに呼び出された挙げ句、勝手に収拾をつける焔にたいして、ブツブツ言いながら、椅子を起こしながら、座り直すのだった。

 「ったく……。解った、チャラにしてやるよ!吹雪テメェ!絶対それ、消しとけよ! てか今消せ!!」

 「はいはい……っと、ほら、データフォルダーにないよ」

 と、吹雪は携帯電話を焔に見せる。それと同時に鋭児が、ピクリとする。と、さらに吹雪が普段見せない、殺気だった視線で鋭児を黙らせる。

 ズボンの後ろポケットに手を伸ばそうとしていた鋭児の手が止まる。そんな横で、静音はクスクスと笑う。

 「あら?鋭児君その手……」

 そう、鋭児はここに来てから、ポケットから手を出していなかったのだ。携帯電話を取ろうとした鋭児の手がたまたま、吹雪の目に留まった。

 「ああ、結局神村さんに呼び出されて、なんかこんな風に」

 「ふぅ……ん」

 見ている方が痛くなりそうな包帯だと吹雪は思った。少し何か言いたそうな表情は、静音から見てよくわかるのだ。だが、吹雪は言わなかった。

 「っし、じゃぁチャラになった所で!俺の選定した、写真どもをだな!」

 チャラにしたいのは焔だけだと、鋭児は突っ込みたかったが、この大きな子供にごねられるのも面倒なので、黙っている事にする。相手が男なら、ボコボコに殴り倒している所だ。

 「私パスー。用事あるし……」

 吹雪が、何かすっとぼけた様子で、今にも口笛を吹きそうな表情で一人先に歩いて行ってしまうのであった。

 「おい!付き合いわりぃな!」

 「あ、吹雪先輩!!」

 と、後を追いかけてしまうのは、静音である。

 「あ!テメェ!ったく」

 親友に裏切られた焔は、可成り膨れっ面をしていた。それでも、目的を達し無ければならない焔は、一つ大きなため息をついてから、気を取り直す。

 「っし、行くぜ!」

 「行くぜって、絶対俺の部屋だろ!」

 彼女が張り切りそうな理由など、ほかにあろうものかと、この短い付き合いの中で悟る鋭児であった。

 「ほか、どこあんだよ!」

 このままでは、なんだか焔の第二の部屋になってしまうのではないかと、戦々恐々としている鋭児であった。しかも勝手に怒って、勝手に怒りを静めてしまっている我が儘さが信じられない。ただ、悪い人ではないのだとそのプリプリと怒っている背中を見ながら思う。

 鋭児はこっそりと、携帯電話の写真を見る。それは先ほど吹雪がこっそり送ってきたものなのだが、鋭児も赤面してしまう写真だった。元気者の焔が普段より思っている以上に、子供っぽい寝顔をしている。しかも、そこには同じように子供っぽい顔をしながら、抱き合って寄り添って寝ている二人がいるのだ。焔の自然な寝顔は、普段以上にワルガキで純粋な顔をしている。まさに寝ているときが一番可愛らしいと言いたくなる寝顔である。本当に二人とも無防備な寝顔だった。

 焔が問題を都合良く流したのは、その遠慮のない距離感をしている二人の寝顔のためだったのだろう。しかし其れも朝になると、鋭児が蹴飛ばされてベッドから落ちるという、結末だったのだが……。

 その日も結局鋭児と焔の飲み比べとなったことは、言うまでも無い。焔がすんなり帰るわけなどないのだ。

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