第31話 やっとわかった気持ちと後悔

 騎士は送ってきた私以外に、お父さん宛の書状をひとつ持っていた。

 カイル・セオ王子殿下の印が正式に記された書状は、私がちらりと話を聞いた通り、元フロイゼン侯爵が治めていた南部領地の管理代行を依頼するものだった。うちには当然それに見合った、屋敷や地位、給金なんかも出される。それどころか、侯爵位剥奪の補償も考えている。

 そこまできちんと認められていた書状をじっと見てから、お父さんは、はっきりとした口調で答えた。


「時間をください」


 お祖父ちゃんと違って、領主としての知識も侯爵としても経験もなにもない。やはり領民のことを考えて決めるべきことです。お父さんはきっぱりと今の考えを示した。


「ただ、候補として私の能力を推して頂いた王子殿下には、感謝します。陛下と殿下の想いだけでも、父はとても喜ぶでしょう」


 もちろん王都に住む貴族の一員として力は貸すつもりです。よろしくお願いします。

 堂々と答えたお父さんは、いつもよりかっこいいと思った。カイル王子の言っていた器という意味をぼんやりと考えながら、帰っていく騎士を見送った。


「お金持ちになる機会だったのにすまなかった」


 そう言ってぺこりとお母さんに頭を下げたお父さんは、いつものお父さんだったけれど。

 翌日までは家で過ごしたけれど、それから私はきちんとパン屋に謝罪に行った。なにしろ店を勝手に閉めてそのまま行方不明になってしまったのだ。おかみさんも、涙ぐんで無事を喜んでくれた。クビになっていたら、勤め先を探さなければと思っていたけれど、私はまたパン屋で勤めさせて貰えることになった。


 平穏な日々が戻った。パン屋に出勤して、パンを焼いてお店番をして、久しぶりに店に立つ私に、馴染みのお客さんが驚きつつも久しぶりと声を掛けてくれる。そんな日々はとても穏やかで温かい。

 それなのに、なぜこんなに足りないなって思ってしまうのだろう。どうして私は王都に帰ってきちゃったのかな、なんて思うの? わからない。


 私が王都に帰る日、レオンは見送りに出てくれたけれど、なにも言わなかった。集落のことも決まっていなかったから、言えなかったのだろうって、しばらくはそう思っていた。


 けれどしばらく退屈だなって思う日々が続いて、気がついた。

 私は、もっとレオンと一緒にいて笑いかけていたかった。

 あの日レオンはなにも言ってくれなかった、そうじゃない。私だってレオンに言わなかったのだ。言ってくれないなら私から言えばよかったのに。好きでいたいから、また会って欲しいとそう約束すればよかったの。

 今更会いたいと思っても、私のほうから山を上がって集落まで行く術がない。馬だってないし、そもそも私はひとりでそんなに長時間は乗っていられない。今更大事なことに気がつくと、寂しさと悲しさに切なくなる。


「どうしよう、レオンに会いたいのに会えない、そんなのやだよ」


 集落の牢の部屋で鍵をかけられていた時だって、ひりで泣かなかったのに。私はパン屋からの帰り道、声を出して泣いた。それはどうにもならないくらい溢れた後悔だった。



 あれからパン屋にはカイもやって来ない。代わりに何度かあのカイル王子付きの騎士さんが買い物に来てくれた。話を聞いたところ、あまりにも仕事が忙しくて出歩く暇がないらしい。

 お父さんからもカイル王子の話を聞いた。南部領地の話をお父さんが保留にしているから、直轄地として認めの印や処理をカイル王子が代行していると。

 それでも大きな声で文句も言わず、普段は黙々と仕事をしているらしい。


「あんな殿下を見ていたら、経験がないからなんて言った自分が恥ずかしいよ」


 そう言ったお父さんは、家に戻ってくると引き出しから古い筆記具の箱を出してきた。二十五年前まで、お祖父ちゃんがうちの認めを入れるのに使っていた古い筆記具だ。

 それを持ってお父さんは王宮へ勤めに出かけて行った。


「南部領地の管理と、それから東門の外市場の統括代行も引き受けることになった」


 数日経ってお父さんは、家族にそう報告した。担える人がいなくて滞っているのが、大きくその二つらしい。爵位などに関してはまだなにも決まっていないそうだ。


「そこは結果をみてからにして欲しいよ、そのほうが期待も重くなくてありがたいな」


 お父さんはそう言って笑いながら仕事に行っている。


 うちは貧乏から抜け出せそうなので、もう私はパン屋に勤める必要がない。だけどパン屋にまで行かなくなってしまったら、いよいよ私は空っぽになってしまう。


 カウンターに肘をついてぼんやりとしていると、店さき側にある壁の上方、明かり取りの窓に金の髪が横切った。どうやらカイが来たらしい。

 お父さんが仕事を引き受けたから、カイル王子の負担はかなり減ったと聞いた。

 でも暇ができた途端、サボってパン屋に来るとはいい度胸しているわ。入ってきたらひとこと注意しようかしら。

 そう思って待ち構えているのに、金の髪は店の外で行ったり来たりしている。

 一体なにをやっているのだろう。


「カイよね?」


 首を傾げて店先に向かう。店内から踵を上げて窓を眺めるけれど、揺れるカイの髪しか見えない。私は店の戸に手を掛けると、大きく開いて外に出た。


「なにやっているの? カイ、店に入らなっ」


 掛けた言葉は続かなかった。金の髪を揺らして店先を行ったり来たりしていたのがカイではなく、レオンだったからだ。会いたいと思っていた彼は、金だけどよく見れば同じではないのに、どうしてカイだと思い込んでいたのだろう。


「レオン! どうしているの? ここ王都のパン屋の前なのに」

「元気そうだなエミリア」


 私を見ると、レオンはいつだったかの時みたいに、髪を揺らして笑いかけてくれる。

 会いたいと、話さなきゃと思っていた筈なのに、私から出て来たのはいつもの素っ気ない言葉だった。きっと後でそうじゃなかったと後悔すると思うのに、レオンへの想いを上手く伝えることが出来ない。


「店に入ってもいいか、カイルから使いを頼まれている」

「カイから? わかった、入って」


 店に招き入れると、レオンは店内をぐるりと見回す。頼まれたといっても、カイはここの場所を教えて、おまかせで買ってこいと言っただけらしい。私はパンを入れる袋を出すと、カイの好きそうなパンを選んで詰め始めた。お付き騎士さんが来た時も大抵そうだったから、その時と同じように新作やおすすめを入れていく。

 レオンは、ほっと大きく呼吸をして力を抜いた。少し疲れているのかな。


「なんだか少し疲れているね、レオン」

「この辺りならまだいいが、中央街区画に入った途端、やたら見られるし道を訊かれる。俺のほうが知りたくて、王宮はどこだと訊ね返した」


 レオンがしみじみ言った途端、私は思わず吹き出した。どんなに道に迷っても、中央街区画にそびえている王宮は目印だしわかるから普通は聞かない。


「おまけに王宮の中に入ったら、会うやつはことごとくカイル王子と間違えてくる」

「そうなの? でも、レオンとカイルじゃあ顔立ちも雰囲気も、全然違うわ」

「要は王子であるカイルのことも、よく見ていないのかもな」


 まあでも間違えたひとを庇うわけではないけれど、それも仕方ないのかも。現在王宮に残っている王族は少ない。国王陛下にだってカイル王子しか王子がおられないから、王宮にいたら年齢と髪でカイル王子だろうとつい絞ってしまうのだ。


「いや、間違えられるのは仕方ないと思うが、説明が面倒でな」

「相手だって、その面倒を推測出来ないわ。そりゃあ違っていても、カイル王子殿下? って呼んでみるしかないわよ」


 私はくすくすと笑いながら、パンを詰め終わった袋を閉じた。これを渡してお代を貰ったら、レオンは行ってしまうのだろうか。

 こんな風に王都の話をレオンとするなんて不思議だけれど、新鮮でとても楽しい。普段王都で過ごしていないレオンの視点は、私とはまるで違っていて面白かった。もっと話していたいと思ってしまう。

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