第17話 食べず嫌いさんと食事を

「アレクさん、着替えはどこにありますか?」

「すまない。ここのところずっと臥せっていてね、私もわからないんだ」


 じゃあ着替えのことは、後でマリサさんに聞いてみよう。まさか着替えもわからないのに、洗濯しますからと服を剥ぐわけにはいかない。強引な私だってそのくらいの判断はつく。


「どうぞ、食事です。マリサさんと味付けが違うから、お口に合うか分かりませんけれど」

「ありがとう、エミリア」


 ベッド脇のテーブルに煮込み料理の器を置くと、私は洗濯をするべく部屋から出た。

 私だって牢の部屋からずっと出られなかったので、こんなに沢山の洗濯物を干すのは久しぶりだ。そのくらい洗って干した。寝室と台所は強制的に掃除させてもらったけれど、書斎は難しそうな書類もあるし最低限にしておく。


「んー、気持ちいいー」


 風に煽られる洗濯物の心地良さに満足して部屋に戻ると、アレクさんの食事は全く進んでいなかった。


「なにか苦手なもの入っていましたか?」

「そうじゃないんだ、ありがとう」


 器の中身は全く減っていないし、食器が使われた様子もない。よく煮込んだので、寝起きでも少しくらいなら食べられるとは思うのだけど。

 そういえばマリサさんの味付けは薄いって、ガウデーセが言っていた。少し前、レオンのために持って行った食事を食べられてしまった時だ。私の味付けでは濃すぎて合わないのかもしれない。味が濃いとなるとどうしよう。


「なにか、これだったら食べられるとか、好きな食べ物ありますか?」

「折角作ってくれたのにすまない」


 そんな謝罪が聞きたいわけじゃない。元気をつけるためにも、少しだけでも食べてもらいたいのだ。

 進んでいない食事をじっと眺めて考え込んでいると、アレクさんが白状した。


「実は食事そのものが苦手でね」

「食べたくないってことですか」


 ぽかんと聞き返すと、アレクさんには曖昧な表情が浮かんだ。表情からして、味や食感が嫌いという問題ではなさそう。

 足がうまく動かない上に、食事も好きじゃないときた。アレクさんはおそらくそれで体力が落ちて寝てばかりいる。医師ではないけれどそのくらいは分かる。

 でもどうしよう、食べたくないという気持ちが私にはよくわからない。


「美味しいものは大事ですよ、きちんと食べないと」

「よくないなと思いはするのだが、いざ目の前にすると進まなくてね」

「目の前にあったら、むしろ食べたくなると思いますが」

「だろうね、自分でもどうにもならないんだ」


 頑なすぎるアレクさんに、私は朝ガウデーセから言われたことを思い出した。

 私の仕事はアレクさんを生かすこと。単純にお世話をすることだろうと思ったけれど、これってかなり難易度が高いことじゃないの。

 私の中では、美味しいものを食べて笑顔でいればなんとかなる、やる気だって出ると思っている。ここでの不安だって、大半はそれで乗り切ってきた。


「お腹が空きませんか?」

「空腹にはなるよ。しかしどうも口に入れることができなくてね」


 私なんて今日は朝からずっとこのお部屋の掃除など働き詰めだったからお腹が空いている。

 アレクさんに出した食事だけれど、食べないのなら私が、と言ってしまいそう。


「そうだ! 私もここで食べていいですか? 一緒に食べましょう」

「エミリアとここで一緒にかい?」


 そうです。大きく頷くと、私は台所からテーブルに出来そうな台と、椅子を持ってきた。鍋から自分のぶんを器にとり、食器と共に台に並べる。


「いただきます!」


 あえて大きな声で宣言すると、私はアレクさんの目の前で勝手に食事を始めた。

 作戦はこうだ。前に霧の日にレオンに食事を出したことがある。その時は目の前で食べているレオンがとても美味しそうだったから、つい私もお腹が空いて床で食べた。あの時みたいに私が目の前で美味しそうにしていたら、アレクさんも少しは食べてくれるのではないか。

 そう思って食べ始めたのだけど、すぐにそんな作戦は忘れた。


「おいしー!」


 自分で作っておいて自画自賛だけど、美味しかった。食べやすいようにパンではなく煮込みにしたけれど、やっぱりパンも食べたい。私は持ってきてあったパンも持ち出し、小さくちぎって食べる。


「美味しいですから、アレクさんも食べましょうよ」


 にこにこと誘いかけると、頑なだったアレクさんがようやく動いてくれた。器を引き寄せ、しばらく躊躇ってからゆっくり食事を口に運びはじめる。


「ああ、温かいね」


 アレクさんの表情が綻んだ。美味しいではなかったけれど、食べる気になってくれたのでかなりのことだ。アレクさんはゆっくりとした動きで食事を始めた。その間に私は台所に行って自分のおかわりと、アレクさんのパンを持ってきて渡す。


「そんなに食べられないよ、エミリア」


 そうは言われたけれど、アレクさんにパンを押し付ける。アレクさんは手にしたパンをじっと見つめて考え込んでいたが、パンも少しずつ食べてくれた。


「ごちそうさま、こんなに食べたのは久しぶりだよ」

「いつもはどうしていたのですか?」

「怖い顔のマリサと、いつも睨み合いだ」


 そう言ってアレクさんは笑った。あのマリサさんに睨まれても食べないなんて、そこまで食べたくないのか。

 そう考えると、今日の私はなかなかいい仕事をしたんじゃないの?

 乾いた敷布を持って戻った頃には、アレクさんはまた眠ってしまっていた。食べるだけでもかなりの力を使うのだろう。


「レオンの話とかも聞かなかったな」


 そういえばレオンはここには来ないのだろうか。ガウデーセに連れてこられた時に、レオンの家の前を通ったけれど、彼には会わなかった。


「俺がどうした?」

「レオンと会うかと思ったけれど、来ないなって、え?」


 返事をしてから、あれと思って振り返る。いつの間に来たのか、レオンがすぐそばに立っていた。窓が開け放たれて、すっかり掃除されている寝室をぐるりと見回すと、レオンは大きく息を吐いた。


「お前、相当大ごとにしたな」

「えへへ、思いっきりやらせてもらいました」


 そんな言葉からして、最近は窓も開けずにいたのかもしれない。レオンはゆっくりとベッドに近づくと、穏やかに眠っているアレクさんを覗き込んだ。やはり心配なのだろう。


「起きたのか?」

「うん、さっき食事してもらったら、疲れて寝ちゃったの」


 鍋にはまだ余っているから、残ったぶんはレオンとあと外で立番をしているハリスンさんで食べてもらおう。

 レオンは私の報告を聞くと、目を見開いて驚きの表情を浮かべた。


「食べたのか? 親父が? 舐めもしなかったろう?」

「ちゃんと食べたわよ。最初は渋っていたけれど、器に一杯とパンを少し」


 息子のレオンにまでそんな風に驚かれるということは、アレクさんは普段から本当に食べないのだろう。だったらなおさら嬉しいし、この調子でどんどん食べさせよう。こっそりとやる気を出していると、レオンがしみじみと呟く声が聞こえた。


「とんでもない女だな」

「なによその言い方」


 腰に手を当てて、頬を膨らませて見上げると、レオンは嬉しそうに笑った。


「いや、褒めている。ありがとうエミリア」


 緑の瞳は優しい色になると、やはりアレクさんに似ている。髪の色や鋭い表情が違うから、ぱっと見では似て見えないけれど、そういう表情はとても似ているなと思う。

 視線を逸らしながら、そんな優しい表情はなんだかずるいと思った。

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