第8話 困惑と歓迎会
次の日に私が起きると、もう既にレオンの姿はなかった。
霧の翌日は朝から天気が良く、私の部屋にも暖かな陽が差し込んでいる。格子の外に出られれば、絶好のお洗濯日和だ。水はあるから風を通して部屋に干すけれど、こんなに良い天気だとやはり陽に干したいな。
そんな風に考えつつ、なにをしようか考えていると、男の人が二人やってくるのが見えた。
一人は昨日豆をくれた人だ。お礼を言うためにも名前が知りたい。そこで私は、二人に届くように大きな声を張り上げた。
「ええと、コーラルドさん!」
「なんだお嬢、コーラルドに用事か? 後で来るように伝えるぞ」
もう、レオンったら違うじゃない。他の名前はなんだったっけ。私ったら昨日の話を思い出すのよ。
「ハリスンさん、は……」
「俺がどうかしたか?」
「あ、そっちのハリスンさんは違うんです」
こちらのもう一人がハリスンさんなのですか。
よし、ハリスンさんは覚えたわ。しかしこの人はどなたなの?
さりげなく名前が聞けたらと思ったけれど、全然うまくいかなかった。そしてコーラルドさんとは誰なの? 私が会ったことある人なのかもわからない。
「あの、お豆とても美味しかったです」
「そうか、それは良かった」
話は終わってしまった。その豆だって、試食して貰おうにも昨日レオンが全部食べてしまった。どうしよう、なにか切っ掛けが欲しい。二人からも今日は話が膨らまない。
このまま行ってしまわれても困るので、私は諦めて正直に尋ねることにした。
「それであのう、お名前を教えて貰えませんか?」
覚悟を決めておずおずと尋ねると、豆の人とハリスンさんは顔を見合わせた。そして表情を歪めて笑い始めた。
私が呼び間違えたと、つまり名前をまったく覚えていないとようやく察したらしい。
笑いごとで済ませてくれたことに私もほっとする。いくら格子があるとはいえ、怒られたら怖いものは怖い。
「コーラルドと俺じゃあ間違いようがねえだろ」
「お嬢よお、一体どうしてそうなったんだ」
「ごめんなさい。レオンに聞いたらコーラルドさんかなって」
ハリスンさんにまで突っ込まれて、私は素直に謝った。レオンの名前も出してコーラルドさんになった理由も添える。まあ言い訳だ。
「美味しくて、誰がくれたんだって話しをしたのですが、その、名前が……」
「もうコーラルドになっちまえ」
私の声はどんどん小さくなった。ハリスンさんはすっかり他人事として笑っている。怒らせていないみたいだけど、恥ずかしさと申し訳なさに背を丸めた。
「じゃあコーラルドはどうなる?」
「アルバロだろ」
つまりこの人はアルバロさんなのね! よしよし覚えたわ。二人の会話を聞きながら、しっかり心に刻む。
「そりゃめんどくせえな」
「あー、俺レオンがいいな」
「そんなのあいつにボコボコにされるぞ」
やはり彼らの中でレオンは別格なのだろうか。お頭らしき人はレオンと別にいるらしいが、レオンもそれと少し違う立ち位置にいる。確かにフードを被っていて不穏な印象を受けるが、この人たちに鋭く命じたり一緒に悪いことをするのだろうか。
わからないことはたくさんある。知りたいような知りたくないような。そんな複雑な気持ちが心の中に溜まっていく。
そしてようやく私はこの人の名前を知った。
「つまり、俺はエディンだ」
「アルバロさんではなく!」
「そんなこと言ってねえ」
エディンさんは、また大笑いし始めた。つまり折角覚えたと思った私はまんまとひっかかったのだ。本当の名前はアルバロでもなんでもない。ええとつまり、どういうことだろう。目をぐるぐる動かして考える。
「俺がエディン、こっちがハリスンだ」
「エディンさん、ありがとうございます」
私はようやく笑顔でお礼が言えた。
名前を聞けただけで、なんだか少し近くなれた気がする。ここの人が怖くて悪い人ばかりじゃないといいのに。
「それにしてもレオンのやつ、適当なこと教えやがって」
「作戦だろ、そうすりゃお嬢はあいつを頼る」
それは一体なんの作戦だろうか。
たとえ間違えて教えても、こうして呼び間違える一回しか効果はない。そもそも覚えていなかったのは私の迂闊だし。そう思いながら、私は二人の会話を聞いていた。
その日の夕方になって、エディンさんとハリスンさんがもう一度私のところに来た。そしてあれよという間に、私の格子の前に布を敷きなにかを並べ始める。
二人は下から何往復かしていくつかの物を運ぶ。そこまで大きくないがいかにも酒樽みたいなものが持ち込まれると、ようやく私もなにをしているのか察した。
ひょっとしなくともここで宴会をするつもりらしい。
さらにもう一人、料理らしきものを持った人がやってきた。
「ここだアルバロ」
「こんなところで正気かエディン」
「へっへっへ、今日は頭とレオンがいないからな」
つまりこの人がアルバロさんだ。エディンさんの言葉に目を細めて呆れたような表情をしているけれど、参加はするらしい。
どうしたらいいのかわからず見守っているとエディンさんが布を差し出した。格子のこっち側にもこれを敷けと。
「お嬢の歓迎会をするんだ」
「歓、迎会……」
無理やり連れてこられたので歓迎されても困るのに。
しかし嫌だと言っても止まりそうにないし、名前も知らなかった私が無事に生き抜くためには情報を得ることとこれからの好印象が重要だ。
そう思って素直に布を受け取ると、石床の上に敷く。
床で食事をする習慣はもちろんない。それなのに私は昨日からこんなことばかりしている。
準備をしながら、エディンさんとハリスンさんは楽しそうに会話していた。
「ここ、机と椅子を置いておくべきじゃないか」
「それ、いい考えだな」
ここで繰り返す気ですか! 私は心の中で絶叫した。確かに床というのはないなと思うけれど、私の部屋を盗賊の溜まり場にされても困る。
格子越しに布を敷いたこちら側にも、アルバロさんが料理を押し込んでくれる。落ち着いた様子のアルバロさんはてっきり消極的なのかと思ったが、てきぱき準備をしていく。
私も諦めて作っておいたパンを出してきた。あとはほんの少しだけ干し肉と野菜を揚げたもの、そのくらいしかない。
各自少しずつ持ち寄れるものを並べたといった感じだったが、布の上は思った以上に賑やかになった。
私はお酒が飲めないだろうからと、エディンさんが瓶に入った果実水を提供してくれた。
お茶に入れたりしても美味しいやつだ! これは王都でも高級品のはず、そんなものを提供してもらっていいのだろうか。それに入手した手段も気になる。どこからか盗んできたものなら、いくら美味しいといっても複雑だ。
瓶の蓋に手を掛けたまま躊躇っていた私を見て、エディンさんが不思議そうに首を傾げた。
「どうした? 開けないのか」
「これ、買ったものじゃないのかもって」
楽しそうに宴会をしようとしているのに、水を差すようなこと言って怒らせる。そんな可能性だって考えたけど、やはり嫌なものは嫌なので黙っていられない。
ハリスンさんとアルバロさんは顔を見合わせている。どうしたらいいのかわからなくて、私は思わず俯いてしまった。
そんな私に届いたエディンさんの声は、とても優しかった。
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