第2話 お妃選考の結果
「残念だったね、エミリア」
「カイったら、全くそう思っていないでしょう」
頬を膨らませて視線を上げると、馴染み客のカイはやはり笑っていた。私だって笑い話だと思っていたけれど、本当に笑われると少し腹が立つ。
「おまけのパン付けないから」
「ごめん、じゃあ謝る」
「じゃあってなによ、そんなにパンが大事なわけ?」
じろりと睨むと、カイは両手をひらりと持ち上げて、降参すると仕草で訴えた。
それでも私が手を止めたままでいると、指を動かしてカウンターに積まれたパンを指し示す。
私は諦めてパンを袋に詰め始めた。
「王子に選ばれるなんて、万が一にも思っていなかったけれど」
「そうだよねえ」
そこは嘘でも否定していい。いくらお得意様といっても失礼すぎる。まず一袋めのパンを詰め終わると、次の袋を用意しながら私はもう一度カイを睨んだ。
この国の王子殿下のお妃選考、その一次選考に私はなんとうっかり通ってしまった。
我が家は貧乏ながら、いちおう家柄だけは貴族という括りだ。それなりの名家だったらしいけれど、今は見る影もない。どのくらい貧乏かというと、令嬢の私がパン屋に働きに出るくらいだ。
私としては、小さい頃から貧乏だったし、余ったパンは貰えるしでパン屋で働くのがとても好きだ。
でも子供の頃に貴族らしく暮らしていたお父さんは、貴族への拘りが捨てられないのかもしれない。
そんなお父さんの期待は、王子殿下のお妃選考だった。貧乏だろうと貴族令嬢、そんな夢みたいな合言葉を唱えながら、お父さんは娘である私を推した。
その一次選考で、なんと選ばれたのだ。
お父さんはすっかりその気だし、お母さんは頬を染めてはしゃぐし、通知が来た日はそりゃあ大騒ぎだった。
当人の私はというと、いつもの通りパン屋の勤めに行った。
届いた文書は王家の印が押されていた間違いなく本物だった。私もそれをひっくり返したりして何度も確かめたけれど、どうしても実感もなにも湧かない。
王子殿下といっても、身分しか分からない男の人だし。
「なんかね、王子殿下のお妃の選考に通ったのよ」
「はい?」
店番をしながら常連客のカイに話した時も、まるで他人事のようだった。
むしろカイのほうが目玉が落ちそうなくらい目を見開いていた。
焦って手を入れた金髪は、そこだけぐしゃぐしゃになり、私としてはそっちのが気になった。
私はカウンターに肘をつくと、ついカイに向かって愚痴を溢す。
「でもさあ、全っ然興味ないのよね」
「興味……ない?」
いやいや王子殿下でしょう? なんてカイに言われたけれど、興味がないのだから仕方ない。
「ああ、でも」
「でも?」
カイは首を傾げて尋ね返した。兵士として王宮に勤めているカイは、王子殿下に会ったこともあるのだろうか。
貧乏で社交界にも無縁の私は、王子の顔も知らない。王家の色と呼ばれる金の髪に緑の瞳で、精悍な顔立ちだという噂は聞くけれど、そんなこと言ったらカイだって似たような色だし。
私が知らないのだから、当然王子だって私の顔は知らないで選んでいるのだ。
「それにしたって、誰が選んでいるのかは知らないけど、ちゃんと確かめて選んでいるの? って聞きたいわ。候補を選ぶことはとても大事なことよ」
「ぶふっ」
まさかの私の駄目出しに、カウンターの向こうに立つカイが吹き出した。胸を押さえて体を折り曲げている。やっぱりカイも王子殿下に同情するのかもしれない。
「父さんなんて、明らかに身分とお金目的よ? 選考ってそういう人を振るうためでしょう」
「そう、だよね、確かに」
「王子殿下がかわいそう」
カイは頬を引きつらせていた。
つまり、そんなことを平然と言うくらい、私は王子の妃にも興味がない。そもそも私は貴族ではあるが令嬢らしい教育は受けていないのだ。ドレスだって持っていないし、ダンスやそれらしい趣味の素養もない。
パンは焼けるけれど、そんなのお妃として役に立つわけない。
私がそんな調子だからか、最初は驚いていたカイも、今では一緒に面白がってくれている。
いつ王宮の使者が来てもいいように、狭い居間なのに応接室と呼ぶようにって言われた。そんな話だって笑い話として聞いてくれた。
一次選考に通ったから、次は王子殿下と会える。そんなわけもなく。次の選考で私は落とされた。
我が家のお妃選考騒ぎはこうして終わった。
あとはこうして笑い話にしつつ、パンに囲まれて穏やかに過ごしている。
私はやはり、お妃や社交界よりパンを焼いているほうが好きだ。シンプルなものも美味しいし、カリッとした塩パンや、ジャムや具材を挟んだパンもいい。
「カイ、おまけは試作のパンでいいかな」
「やった! 食べるからそっちの袋に入れてよ」
カイは途端に笑顔になった。どれだけパンが好きなのかと思うが、美味しく感じると心も幸せになるらしい。
試作は花を甘く煮て練り込んである。綺麗な色は、お祭りや贈りものにもおすすめだ。
「食べたら味についても教えてね」
「わかっているよ」
今日の注文は具材を挟んだパンが多めだ。もしかしたら任務で出かけるのかもしれない。
カイやお客さんについてはあまり聞かないようにはしているが、気にはなる。
「外に出るの?」
「これから南へ行くんだ」
「南って山ばっかり、国境までなーんにもないでしょう」
「だからさ、山道の視察」
王都を出て南側は、岩や山が広がっている。そのため王都は北側が主要だし、そちらのほうが砦や兵も多い。カイが普段のんびり過ごしているのも、南側の担当だからだ。要するに集落も小さく南は田舎だ。それでも水源や、山を越えた国境も重要ではある。
「山道や上流の堰をさ、見ておきたくて」
「へえ、熱心だこと」
山から流れ込んでいる水は大事だ。いい水があるから美味しいパンだって作れる。
そう考えるとカイにはしっかり仕事をして貰わなければならない。
「おまけでもう一個入れてあげよう」
「やった! ありがとうエミリア」
私が作らせてもらった試作は売り物とは別にしてある。個人的に持って帰るつもりだった包みからパンを出して、カイの袋へと足す。
「沢山になっちゃったけど持てる?」
「南の門までだから平気さ」
カイはひょいと包みを持ち上げた。確かに落とすといったこともなさそうだ。支払われたお金を確かめて、お釣りはポケットに押し込んであげる。
「ありがとう、じゃあ行ってくる」
「はーい、また来てくださいね」
笑顔でひらりと手を振ると、私は店のドアを開く。カイは袋を抱えたままするりと店から出ると、南門へ向かって歩いて行った。
カイが行ってしまったとはいえ、まだ店の営業時間は残っている。とはいえさすがにこの時間になると、お客さんもそこまで来ない。
机や棚を拭いて、残っているパンを整理して。私は仕事を順に思い浮かべながら店に戻る。水に浸した布巾を用意してカウンターに近づくと、そこになにか置かれているのが目に入った。
「なにかな?」
青色に染められた袋は、見覚えがあった。さっき支払いの時に見たカイの財布だ。それから財布と一緒に置いてある小袋には王都の印が付いていた。それは身分と所属を表す記章が入っている物だ。兵士がいつも腰か首から下げているはずなのに、どうしてこれをカイは外したのか。
「これ、ないと絶対困るじゃない!」
王宮なら取りに来られるけれど、王都の外に出るならば、身分証は絶対に必要だ。カイったらこんな時に間が抜けている。
私は付けていたエプロンを外すと、すぐに戻ると書き置きを残した。休憩中の看板をドアに掛け、店の鍵を閉める。さっと行ってすぐに戻ってこよう。
そう考えてカイの財布と小袋を握りしめ、私は王都の南門に向かって走り出した。
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