第3話 盗み聞きじゃない


 店から南門まで歩けない距離じゃない。走ればカイに追いつくと思っていたけれど、結局私はそのまま南門に辿り着いてしまった。

 南門には、数人の兵士がいて馬車もあった。どの人も忙しそうだけれど、誰かに声を掛けてカイのことを聞きたい。忘れものは財布と記章だから、誰かに預けるわけにもいかないし。


「カイはどこにいるんだろう?」


 見回してもカイの姿は見当たらない。尋ねようにも、出発前からかみんな忙しそうで声が掛けられない。

 ひょっとしたら馬車の中に誰かいるかも。私はそう思って、馬車の幌をそっと持ち上げて覗いた。


「失礼しまーす。カイいますかー?」


 中へ向かって声を掛けてみるが、馬車の中には誰もいない。置かれている荷は、山間部の集落に届ける物資などだ。踵を上げて覗いていると、奥の方に見覚えのあるパンの袋が見えた。


「あ、さっきカイが買ったパン」


 ここに置いてあるということは、すでにカイも南門に到着しているということだ。だったらどこかにいるはず。

 それにしても、せっかく買ったパンは焼きたてもあったのに随分雑に置いてある。


「置きかたがひどいよ。お邪魔しまーす」


 きょろきょろと周囲を見回すと、私は馬車の中に上がった。袋の置きかたを直す時間くらいあるだろう。それからカイを見つけてお説教だ。

 転がっているパンを拾っていると、馬車の外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「そんなことわかっている!」

「ですが、殿下にはもう少し自重して頂かないと」


 苛々としたカイの声と、別の落ち着いた声だ。二人は足音をさせて近付いてくると、どうやら馬車の脇、幌の向こう側に立って話を始めた。

 勝手に話を聞くのは悪いと思ったけれど、思わず息を潜めてしまう。


「いち兵士、などという説明で騙せるのは、呑気なパン屋の娘くらいです」

「……騙しているつもりはない」

「ですが、殿下はわかっておられない。ですから私は何度も申し上げているのです、カイル殿下」


 パン屋の娘って私のことよね? 私の話をしているの?

 カイル殿下なんて呼ばれる人は、この国では一人しかいない。私が一次選考で落ちた王子殿下のお名前がカイル殿下だ。お妃に興味がなかった私だって、名前くらいは存じている。


「小言ならあとで聞く」

「どうかご自分の立場を知り、自覚をお持ちください」

「もういいだろうっ」


 続く小言から逃れようとしている声は、確かにカイの声だ。そしてカイル殿下と呼ばれているのもそのカイに間違いない。

 どういうこと? カイがカイル王子ってこと? でもカイはそんなこと言っていなかった。妃の一次選考に通過した時だって驚いてはいたが、一緒に他人事のように話をした。

 でも確かに、私はカイル王子に会ったことがない。

 お祭りや式典などに参列されていても、見に行ったことはなく、遠目ですら拝見したことがなかった。

 カイがカイル王子だと言われても、それに納得する理由はないけれど、違うと否定する理由も持っていない。

 訳がわからず、私は馬車の中で座り込んだまま膝を抱えた。

 頭が混乱してうまく考えられない。だましているつもりはない、とカイは言っていた。

 私はカイのことを、いつも来てくれるお得意様くらいにしか思っていなかった。殿下本人の前で、王子殿下に興味がないなんて、私はなんと酷いことを言ったのだろう。

 カイに謝らなきゃ、そう思うのに私はショックで膝を抱えたまま動けなかった。


 隠していたカイ、つまりカイル王子だって悪い。開き直ってそんな風に考え始められたのは、馬車の幌のすき間から吹き込んできた風が心地良かったからかもしれない。


「え?」


 もしかしなくてもこの馬車もう走っている!

 馬車が走り出してもぼーっとしていたなんて、間抜けにも程がある。そのくらいショックだったとも言えるけれど、そういえば出発の笛が微かに聞こえたような気もする。

 膝を抱えて落ち込み真っ最中だった私は、笛の音と状況が結びつかなかったのか。


「どど、どうしよう」


 幌を持ち上げて外を見ると、景色は既に見慣れた王都の街並みではない。岩肌と僅かな緑だけが見える。先程お店で聞いた通り、南門から出て山間目指して走っているようだ。

 さすが王子殿下の馬車、荷馬車といっても揺れが少なくて乗りやすい。

 なんて考えている場合じゃない! 早く停めてもらって帰らないと。店だって休憩中の札を下げたままだ。

 私は一回座り直して考えることにした。まさか王子の知り合いのパン屋ですとも言えないけれど、カイしか知り合いはいない。

 カイル王子と呼ばなければならないのに、私の中ではまだカイはカイだ。


「だいたいなによ。残念だったね、エミリア、とか言っちゃって」


 私はムカムカしながらパンをかじり始めた。カイが買ったパンだけど、おまけは私のパンから出した。つまり私が食べてもいいパンだとしよう。


「つまり、私だって興味なかったけれど、カイだって興味ないのよ」


 だったらおあいこだ。大体、私を一次選考に通したことはカイも知らなかったけれど、その後は私から聞いたカイが落としたのかもしれない。そういうことだってあり得る。

 パンを食べていたら、気持ちもかなり落ち着いてきた。

 カイはお得意様で友達のような存在であって、王子だから付き合うとか妃とかそういう気持ちは今だってわかない。


「そんなのないわ! ないない絶対ない!」


 ちょっと考えて私はプルプルと首を振った。別にカイがかっこ良くないわけじゃない。女子の目線から見たら、おそらくカイはかっこいい。王子という身分を抜きにしても、店の前で女の子に挨拶されているのを見たこともある。王子殿下だということは、すんなり認められる。


「お店に来たらどうしよう」


 そもそも視察の馬車に乗り込んでしまった今の状況を心配しなければならない。

 なのに私は、それも考えずひたすらパンをかじりながら、今後のカイル王子への態度と王子との交友について真剣に考えていた。乗り心地の良い馬車の中は、考えごとをするのにうってつけだった。

 馬車はどんどん山間を進んでいく。馬のいななきは微かに聞こえてくるが止まる気配はない。

 つまり私は、今どこを走っているのかもわからずにいる。そして見つかった時にどう説明しようとか、王都にはいつ戻れるのかとか、そんなことはすっかり考え忘れていた。


 ガタンッ! 突然大きな音がして、馬車がぐらりと大きく揺れた。


「きゃっ!」


 馬のいななきが幌の外で聞こえる。目的地に着いてしまったのだろうか。やっとそんなことを考えて幌のすき間から外を覗く。

 でも着いたにしては、なんだか様子がおかしい。そんなことも考えつつそっと覗くと、兵士か騎士の怒鳴り声が聞こえた。


「なんだお前達は!」

「我々は王都の騎士だと、くっ!」


 声が遮られ、金属の打ち合う音が聞こえ始めた。ひょっとしなくとも外で争いが起きている。

 状況がわからないけれど、ここで誰かに見つかるのはまずい。そんな予感がしたので、私は慌てて幌から手を離した。

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