第5話 球速

「今日、西島伊吹って子に会った」


 夕方、私は母に告げた。


「誰?」

「サクラヤマ・ファイターズのメンバー」

「…………ああ! あの関西弁の?」


 思い出したらしい。


「そうその子」

「その子が何?」

「校門で待ち伏せされた。で、私がピッチャーをするのを認められないってさ」

「あらあら大変ね」

 他人事のように母は言う。


「辞退した方がいい?」

「駄目に決まってるでしょ。もう決まったことなんだから」

「でも次の練習日に勝負だって」

「ええ!?」


 そして母はスマホを操作し始めた。


 しばらく誰かとやり取りをする。


「あらら、本当に勝負になったらしいわね」

「まじで?」

「これは気合い入れないとね」


  ◯


 次のラボでの練習に母がついて来た。


「ミノ君、予定変更よ。来週の土曜までこの子を使えるようにしないと!」

「話はウチのかみさんから聞きました。勝負をするんですってね」

 ミノさんは苦笑気味に言う。


「ええ。で、うちの子はどう?」

「キャッチャーミットまで球が届くようになりましたけど……」

「けど?」

「球速がね」

 とミノさんは肩を竦める。


 私自身も球速が遅いのは分かっていた。


「どれくらいなの?」

「測ってないので。50くらいでしょうか」

「それってこの子の歳で速いほう?」

「小6で速い子は120は出せます」

「でもそれって早めの第二次性徴期を迎えた将来見込みのある男子児童でしょ?」

「ええ」

「女の子は?」

「ううん。女子児童の平均球速は知らないので。……普通の子だと80くらいで……しょうかね」

「駄目かー」


 母があらあらと頬に手を当てる。


「まあ、今までは練習用のボールでの球速ですから。まずはきちんと測ってみないと」


 ミノさんは私に球を渡します。


 それはいつもとは違うゴムボールだった。


 網目がある? いや、違う。網目状に膨らんでいる?

 それに何か凸凹してる。

 これが軟球なのか。


 握ってみると意外と硬い。


「握り方は知ってるかな?」

「握り方?」

「……やっぱり知らないか」

「ストレートの握り方は人差し指と中指、薬指の3本で上から押さえて、網目に当たるようにね。それで親指で下からボール支えるんだよ」


 その握り方は矢のついたボールと同じ握り方だったので問題はありませんでした。


「こうですか?」

「そうそう。……あっ、待って。玲君、指長い……いや、大きいよね。2本指でやってみて」

「2本指?」

「上は人差し指と中指だけで」

「こんな感じで?」

「うんうん。2本指でもいけるね。それで投げてみて」


 そしてミノさんはホームベースに向かいます。


「いいよー。投げてみてー」

「いきまーす」


 私は声を出し、そしておもいっきり球を投げた。


 しかし、初めての握り方なので上手く飛びませんでした。ミノさんのだいぶ前に落ちてバウンドします。


「まあ、最初だからね。仕方ないよ。さ、もう一回」


 ミノさんはボールを拾い、投げ返してきました。


「え!?」


 私はグローブを掲げましが、ボールを避けました。ボールは私の後ろに落ち、転がります。


「ちょっと何やってんのよ! 受け取りなさいよ」

 母が注意します。でも、


「キャッチなんて出来なーい」

「ええ!?」


 私は球を拾い、そしてもう一度ミノさんへ向け、ボールを投げます。


 バン!


 今度ははきちんとミノさんが構えるキャッチャーミットへと届きました。


「何キロー?」


 母が大声を出して離れたところに座るミノさんに聞く。


「65!」


 ミノさん何か黒い髭剃りのような計測器を見つつ答える。


 投げる前に50と言っていたから、それよりも15も速いということだ。


 私としては喜ばしいが、母は違った。


「ん〜65か。せめて80は欲しかった」

「もう一回投げてみましょう」


 私はまたしても投げ返されたボールを避けて、落ちたボール取りに行きます。


 そしてボールをミノさんに向け、投げます。


「59!」

「下がってるじゃないの!?」

「そう言われてもー」


 それ以降、何度も投げても1回目の65キロを超えることはありませんでした。


「う〜ん。最速65キロで、平均は58ですかね」


 球速テストの後、ミノさんが告げる。


「どうにか速くならない?」

 母が困ったように聞く。


「そう速く投げられたら誰も苦労しませんよ。まあ頑張ったら70を超えられるかもしれませんね。……でもその前に」

「その前に?」

「キャッチボールの練習もしないといけませんね」


 私が一球も返球をキャッチしなかったからだろう。ミノさんが呆れたように言います。まさかキャッチボールが出来ないとは思ってもなかったのでしょう。


「それは私もホントびっくりよ。まさかキャッチボールしたことないなんて」

「当たり前でしょ。体育でキャッチボールなんてないもん」


 私は馬鹿にする母に抗議する。


 ボール球技は基本ドッチボール。

 ドッチボールだって逃げたりけるのが普通だし。キャッチなんて出来ない。


 バッティング経験だって学校ではなく、バッティングセンターで触れ知った程度だし。


「それじゃあ、次からはキャッチボールの練習を組もうか。投げることに慣れたら球速も少しは上がると思うしね」


  ◯


「まずは僕は下投げでゆっくり投げるから」

「はい」


 ミノさんは下投げでボールをゆっくりと投げる。


「わっわ!」


 私は右手と左手のグローブでキャッチしました。


「ダメダメ。グローブでキャッチ」

「は、はい」


 でも、このグローブキャッチが難しく、グローブの中にボールが入っても、グローブからボールがぽとりと落ちます。


「グローブで挟む」


 ミノさんはグローブを開閉させる。


「分かりました」


 それから何回かのキャッチボールで下投げからのボールをキャッチできるようになりました。


「次は上投げでいくよ」


 ミノさんは下投げから上投げに変えてボールをゆっくりと投げます。


「ひゃ、ひゃあ!」

「目を瞑らない!」

「はいぃ」

「少しずつ速く投げるよ」

「えっ! 待って下さい。速くなんて」

「大丈夫。そんなに速くないから」

 とミノさんは言っていたけど結構速かった。


 その日はずっとキャッチボールの練習をした。

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