第四十八話 戦闘 黒狼②三人称

疲弊した様子はなく、全身の黒さ故身体についた傷が見えず、まるで無傷かの様に振る舞う黒い狼は、やはり少年のことを睨みつけていた。


しかし、地に伏し動けなくなっている少年に対し攻撃を行う素振りがない。敵はこれ以上ないほどの隙を晒しており、好機であるはずなのだが、黒い狼は睨みつけるだけで、その場から動こうとしなかった。


やがて、膝を震わせながら少年がようやく立ち上がると、狼はまた吠えだした。


「Gahooooooooo !」


黒い狼がかがみ、体勢低くする。何かの予備動作だろうかと少年が考えたその時、狼の体から黒いもやが放たれた。体を震わせ、まるで濡れた体から水を飛ばすように、そのモヤを身体から飛ばしていく。それは止まること無く、黒い狼の上に溜まっていく。やがてそれが狼を覆い尽くさんばかりの量になると、噴出が止まる。


ふわふわと、もやが地面に近づいていく。


そしてそれが地面につくと、勢いよく渦を巻き始めた。そこに風は吹いてはいないが、かなりの勢いで回転する。数十秒ほど回転すると、もやが綺麗に霧散した。


中から現れたのは、黒い狼と瓜二つのもう一匹の狼。


ただ、黒い狼とは違い、所々が霞み形が維持できていない不完全な狼であった。


「マジでか、二対一は聞いてないって。」


少年が焦りの色を見せる。


「Gahooooooooo !」


二匹の狼が少年を睨む。


「───────!」


突如、不完全な狼の音の無い遠吠えが響いた。背後からは赤色に揺らめく玉が現れる。その数は増え続け、ものの数秒で少年の視界を埋め尽くすほどの数になる。流石に対処しきれないと判断し、少年は逃げに入ろうとするが、


「Gahooooooooo !」


黒い狼が行く手を阻む。


少年の体に食らい付こうと全身を使い跳ぶ狼。少年は喰らうまいと跳び前転まがいなことをして回避する。


「地面カッテー!」


首に若干のダメージを追いながら危機を脱した少年だが、その脳裏からは完全に不完全な狼の事が消えていた。


「────────!」


ここぞとばかりに不完全な狼から炎の玉が連続で放たれる。少年は炎の空気抵抗の音でギリギリ攻撃を察知し直感でそれを回避するが、炎の玉は地面に叩き付けられると火花を散らし、そのうちの一つが少年の服に付き燃えそうになる。


「あちちっ」


少年は慌てて服を叩き消化を試みる。だが、その隙を黒い狼が見逃すはずもなく、間髪いれずに攻撃を仕掛ける。少年も負けじと攻撃を見切り回避を試みる。縦、横、薙ぎ、斜め、突き、あらゆる攻撃に対応していく少年。


だが、ボロは見えてくるもので、時間が経つほど、少年の服に裂けた部分が見えるようになっていた。戦闘は、少年が不利のまま進んでいく。


それでも少年は諦めず避け続ける。


「─────────!」


すると、また不完全な狼の遠吠えが始まる。

今度は辺りから水滴が集まり水の玉が形成されていく。


「おいおい。」


少年は今まで見せなかった焦りの感情を抱く。火の魔法とは違いはっきりとその攻撃手段を予測できない。当たったところで濡れるだけである。だが、少年の無いような勘が脳内で警鐘を鳴らしていた。


そして、不完全な狼から水の玉が放たれる。完全とは言えないが、透明で視認性の悪いそれが少年の元へ近づいていく。少年も視界に捉えきれず避けるまでに若干の時間がかかった。


なんとか捌ききっていたが、ついに少年が水の玉の一つに当たる。


「うぇ」


少年はびしょ濡れになるが、ダメージが全く無いのに驚きを隠せずにいる。体を濡らされベッタリとくっつく感触に顔をしかめる少年。水が染み込んだことで体も重くなり動きにくくなってしまった。


周囲を駆け何度も爪で攻撃を仕掛ける黒い狼がまた突進してくる。少年はそれを捉え避けようとする。が、


「なっ」


膝から一瞬力が抜け体勢を崩してしまう。何が起こったか分からないまま、少年は無理やり体を捻って避ける。


「づっ」


少年は背中に傷を負うが、軽傷で済ませることが出来た。だが怪我は怪我。背中の灼けるような痛みに少年は顔をしかめた。


そんなことなどお構いなしに二匹の狼の連携は続く。


黒い狼は飛びかかるのをやめ、今度は自身の持つ力のほとんどを脚力に変え、外周をぐるぐると駆け回り、少年が大きな隙を見せるのを待ち始めた。


不完全な狼は途切れることなく炎の弾幕を降らし、少年を身体的、精神的に追い詰めていく。


目まぐるしい攻撃を避けるため地を這うように体を動かし、何とか炎の弾幕を避け、少年は態勢を整える。ゆっくりとしか動かない体とは反対に、その眼だけは、黒い狼の姿をとらえようとせわしなく動いていた。


だが、動物の持つ力すべてを走ることに使っている黒い狼の姿をただの人間がとらえることなどできず、そして姿を追うことに注力して体が動かなくなった致命的な隙を晒した少年に黒い狼の突進が当たる。


狼の頭、その奥にある硬い骨が少年の胴の柔らかい部分に突き刺さる。突然の衝撃に受け身など取れるわけもなく、ゴキリという音が鳴りそうなほどまでに体をくの字に曲げた少年の体は地面を転がり、突撃された際の力がなくなって力なく止まった。


体全体のむち打ちの痛みなどを感じる暇なく、全身から嫌な汗が噴き出す。お狼の頭が当たった部分を両手で押さえ、蹲った。


黒い狼はこのさらなる好機を逃さんと、すぐさま立ち上がり少年の元にかけようとしたが、直後、突然その歩を止め、体を震わせ始めた。睨みつけていた目に力がなくなり、そして踵を返し駆け出し不完全な狼の元へと戻る。


少年は痛みをこらえ何とか頭だけを羽後策と、黒い狼が疲弊している姿を見た。息は最初の頃よりも荒く、肩で呼吸している。体の汗も尋常ではなく、滝のような、という形容詞がついてもおかしくないほど体から地面に滴り落ちていた。動き続けたことにより火照った体からは水蒸気が上がっている。


なんと、狼側にも限界が来たのだ。


無理もないだろう。ここまで約6分程、黒い狼は己の出せる最高のスピードを維持したまま走り、跳び、攻撃してはまた走る、これを繰り返していたのだ。傍から見ればたった六分と思うかもしれないが、世界のアスリートが音を上げる程長時間全力以上のパフォーマンスを持続していたのだ。人間でないとはいえ、同じ動物であることから、今の黒い狼の現状は至極当然のものでだった。逆に肩で息をする程度で済んでいる方が異常なのだ。


黒い狼は不完全な狼の前に行くと、支えを失ったかのように崩れ落ちる。やはり疲れは溜まっていたようで、体の大きな起伏から全身で呼吸しているのがうかがえる。


その時、砂煙が舞った。


黒髪の少年はこの数少ない好機を逃さぬよう、体の痛みを無視して全力で駆け出した。


「──────、───────!」


しかし、不完全な狼が音も無く吠え始めたため、その勢いが止まる。直後、その狼の周りから小さな緑色の光の粒が出現し始めた。暖かさを覚えるその光の粒は黒い狼へと吸い込まれるように消えていき、次の瞬間黒い狼が何事もなかったかのように立ち上がった。今まで流していた汗の跡は無く、呼吸も普通の速さに戻っていく。


少年の顔が、否、その場にいた狼全員が顔を青ざめた。あれほどまで耐え、そして反撃の瞬間も見えたはずなのに、すぐに回復した。


これを絶望と言わず何と言う。


周りの狼達はこの非常事態にようやく動き出す。激戦に魅了されていたが、少年の命の危機を感じ取ったため、現実へ意識を戻した夢から目覚めたのだ。いくら試合であろうともこれは介入しなければならないと判断したのだろう...だが、


「Graaaaaaaaaaaaaaaaa!」


黒い狼の殺気と叫びにより生じたもう風雅、狼達の行動を止めた。黒い狼はまた少年がいる方向に目を向けると、また睨み付けた。


後ろの不完全な狼が動き出す。


「──────!」


狼の背後にまた魔法が展開される。今度は地面から石の粒が集まり一つの石の塊、岩が形成された。その一つ一つが少年の頭一個分に相当するのだから笑えない。


それに気を取られ、少年は黒い狼を見失った。


すぐさま周りを確認すると、今度は黒い狼の姿をしっかりとらえた。また外周を走っているようだ。行動パターンは変わらないが、少年には疲労が溜まっているため、最初の頃より避けることが難しいことを嫌でも理解していた。


礫が今までとはまた違う速度で打ち付けられる。


一発でも当たれば重傷は不可避だ。唐突に始まった二対一は今なお猛威を振るう。


「さぁて、どうするかな。」


少年は息が上がり始めていた。方から息をするその姿は誰が見ても限界だとわかる。体は外の空気が寒く感じるほど暑くなっていた。時間がたっても未だに戦況は不利。


少年はそれでも、この戦いを諦めない。


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