第四十七話 戦闘 黒狼①三人称

黒い狼は2、3メートル程の高さから地面に叩きつけられたが、猫のように受け身をとると、まるで何も起こっていなかったかのように素早く立ち上がり少年を睨む。


荒い息と共に口からは唾液が幾滴も垂れるているが、口を閉じるということもせず完全に少年との戦闘に集中する。


互いの距離がそこまで空いていないために、間合いの詰め方を掴みきれず、互いに攻めあぐねていた。


静かに、ただ時間だけが流れていく。


周囲の狼は戦いの行く末を固唾を呑んで見守る。


黒い狼からは今にも殺さんとする肌を刺すような殺気が放たれている。


これほどまで正気を失っているのであれば、周りの狼を無差別に攻撃をしても何ら不思議ではないのだが、何故か黒い狼はそのようなことをしなかった。


少年は若干の疑問を抱き首を傾げたが、すぐに頭を切り替える。


黒い狼の爪が地面を削る音と少年が足を擦る音とが重なる。互いが次の行動を警戒し動かないままでいる。


極限まで高まった緊張感が伝わったのか、ある一匹の狼の頭から汗が流れ、美しい白い毛並みを伝い、一滴の汗が地面に落ちた。


「Graaaaaaaaaa!」

「フッ」


同時に両者は動き出す。


黒い狼は己の爪で獲物の首を仕留めんとするが、少年は狼の飛びかかる速度よりも速く土俵を駆ける。


狼の目の前からまた少年が消えた。黒い狼は即座に周りを確認するも、前後左右のどこにもおらず捕らえられない。


戸惑いを見せる狼だが、急襲を恐れたのか乱雑に腕を振り回し始めた。傍から見れば暴れているとしか見えない行動だが、その目と耳だけは未だ獲物を追う。そして、人間より遥かに優れたその耳が、狼の認識より速く音を捉えた。


狼は己の本能に従いその場から跳ぶように移動すると、僅差で何かが落ちる。勢いが強かったのかその場から土煙が上がる。


「ゴッホ、ゴッホ、ゴホ。今ので行けると思ったんだけどなぁ......。」


煙が霧散すると、そこには黒髪の少年が立っていた。


更に互いの姿が掻き消え、また姿が見えた時には、鉤爪と剣に力を乗せ拮抗する二人の姿が。互いに更に力を込め、弾き、また拮抗する。


激しく金属がぶつかる音と、ぶつかる度に散る火花だけが取り残され、既に牙狼達はその戦いを目で追えなくなっていた。


たかが試験、そう思っていた彼らからすれば衝撃的な戦いだろう。


周りの狼は、この戦いの異常さに息を飲む。瞬きすらも忘れ、人間と狼の戦いに魅入っていた。中には少年の行動に冷や汗を流すものもいる。


自分だったら避けられていたのだろうかと想像したのだろう。


だが、決して目を背けない。命の危機となる存在を目の前にしていても、決して逸らしはしなかった。見世物では無いはずなのに、姿は見えないはずなのに、微かに匂う鉄臭さと音に、牙狼の本能が疼いていたから。


黒い狼は焦りからは感じない。刻々と時間が過ぎる程、その殺意を高めていく。瞬きすらしないその瞳はしっかりと少年の姿を映し、少年もまた、狼から目を逸らさないように立ち回る。


「Grrrrrrrrrrr、grrr 」


唸る狼の身体からは禍々しい何かを噴出していた。少年もそれに気付き、先程よりも距離を取る。

互いに間合いを取りながら横に移動する。


周りをキョロキョロと見回し、ゆったりとした動きで数歩ほど小さく歩を進め―


「Gahooooooooo」


いきなり飛び出す黒い狼。


少年も予想外の行動に体が一瞬硬直する。


待ってましたと言わんばかりに、狼は瞬時に距離を詰めた。先程の攻防では見せなかった脚力を使い、攻める。


「マジかよ!?」


少年はすぐに冷静さを取り戻し体を捻ることでそれを回避しようとするが、一瞬の硬直は致命的であった。


「グアァァァァァァァァァ!」


黒い狼が少年の腕に噛みついた。白く鋭い歯が腕の肉に食い込み、瞬く間に赤黒く染まっていく。白の毛並みも既に血に染まり、口周りは粘着質ま物が塗りたくられ、グロテスクなものへと変わっていた。だが、狼は血を流す程度の一噛みで満足しない。噛む力はより強くなっていき、腕に穴を開けるどころか骨までも折ろうとしていた。


「イッ、やめろぉぉぉ!!」


少年が咄嗟に狼の顔に向けて殴ろうとするが、狼はいとも簡単にそれを避けた。


「っづぅ。」


少年の瞳から涙がこぼれる。噛まれた腕からは血が滴っていた。腕に生暖かい何かが流れるのを感じ、血が出ていると理解したのだろうか、少年の顔色が少し悪くなった。


幸いにも利き手ではなかったため、火傷を無視すれば十分戦闘を続けることは出来るが、攻撃の手を止めるのには充分すぎる攻撃だった。


二チャリ


苦痛に歪む少年の表情を見てか、憎悪一色だった表情に愉悦とあう別の感情が滲む。口周りの固まりだした血も相まってより狂気的になったその笑みは、少年の生理的嫌悪感を引き起こすには十分なものてまあった。


「ご、豪災!止めてくれ.....」


流石に事の重大さを理解したのか、回復もしていないのに、息も絶え絶えになりながら元協力者であった狼が割り込んできたが、


ギロリ


「ヒッ!?」


眼球のみ器用に動かし黒い狼の殺気をモロに浴びてしまったため、その狼は腰を抜かしてしまったようだ。地面に液体が広がるのが見える。


少年は何とも言えない、呆れ、哀れみの目をその狼に向けていた。


「Graaaaaaaaaa!」


突如黒い狼が叫んだ。

少年は動き出せない狼が襲われるのではないかと考え駆けようとするが、黒い狼はその狼を無視し真っ直ぐ己の元へと突っ込んできた。


普通に受けたらひとたまりもない突撃に対し、少年は爪を警戒し防御の体勢を取りながら逆に突っ込んでいくことで対処を試みる。

だが、


「Gahooooooooo !」


なにもない空間から突如として光の筋が放たれ、それは枝分かれをしながら少年の方に伸びていく。


「おま、嘘だろっ!?」


少年はすぐさまブレーキを掛けて横に飛び退く。


すると、真横でバリバリ、という紙を引き裂くような音と光が通りすぎていった。


「雷使ってくるってアリかよ!?」


黒い狼はいきなり雷魔法を使ったのだ。風より速い雷撃を少年が避けれたのは奇跡としか言いようがない。


「!?ど、どこだ?」


だが、一瞬のうちに少年は狼を見失ってしまった。必死に辺りを見回して姿を探そうとする。


だが、確認することは出来なかい。


突如少年は既視感を感じ、その場から転がるようにして逃げた。


バゴォ


側で何かが破ぜ砕ける音が聞こえ、首を軋ませながら横を見ると、そこには黒い狼が爪で地面にヒビを入れていたのが分かった。


顔を真っ青にする。


そんなもの喰らったらひとたまりもない、もし喰らっていたら、と嫌な想像をしてしまった。


間髪入れずに狼は地面を叩きつけ、埋まった手を強引に振り抜くことで礫を飛ばす。


魔法とは打って変わった物理攻撃に、少年は避けるという手段を取るが、冴えた頭と目が黒い弾を捉えた。


「あぶねぇぇ!」


礫よりも速いそれはジュウジュウ音をたて礫を溶かしながら少年のもとへと飛んでいく。


避ければ溶け、避けなければ礫が叩きつけられる。この究極の二択に対して少年が選んだ選択は、


「ぐぅっ、」


瞬時に屈み、足のバネを利用し高く跳ぶ。


およそ2メートル程の高さを稼ぎ、礫と弾の嵐を抜けた。強い衝撃音が鳴るが、魔法により強化された少年の体は落下の衝撃ごときで傷つくようなことはなかった。


更に黒い狼は切り込む。


動物の出せる限界までの柔軟性と脚力を駆使した走りは、黒い軌跡を残すほど速く、体全体をバネのように縮め跳躍し、空中から少年を仕留めようとする。


トドメの一撃。


だが、大きく跳躍しているのもあって隙があり、先の攻撃よりも回避するための安全圏隙間が多くあった。


少年は迷わずその隙間に転がり回避する。更には隙だらけの攻撃後の硬直を狙い己の一撃を叩き込む。


その時、狼と目が合った。


本来ならば無防備なその背中がこちらを向いているはずなのに、黒い狼は既に体をこちらに向けていた。



そう少年が理解した瞬間、衝撃と浮遊感が体を襲う。


闘技場の壁付近まで飛ばされ、重力により叩きつけられた身体が悲鳴を上げた。


「ぐぅ」


痛みに顔を歪ませ、しかしその身体に力が入ることはない。衝撃による身体の硬直、麻痺ともいえるそれが、少年の体の動作を縛る。


満身創痍の少年だが、相手は待つはずもなく、黒い狼の猛攻は続く。


依然、黒い狼は健在である。

 

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