『正義と極悪』




「グハァッッッッ!!」




 ファイティングポーズをとったばかりのディオがいきなり吐血し、鎧を伝った血液が床を朱色に汚していく。




「お前っ!」


「良いのだッ!! 情けは、無用だ。 この肉体が限界に近付いていようとも、我が君に求めるものはただひとつッ! 全身全霊、全てを以て、この我と対峙することのみッ!!」


「……オレには、出来ねえよ」




 一度は反射的に握った拳を、脱力させる。




「お前が自己中そんなんだからオレも好きに言わせてもらうけどな! オレはお前の夢とか、願いとか、そんなの知らねえんだよ! どうでもいいんだ! 競争心に燃えるのは勝手だけどよ、オレに戦うつもりがねえ限りは、お前の求める合意の上での決闘は成り立たねえ。 強引にもぎ取った勝利なんかじゃ、英雄やヒーローなんてのにはなれねえんじゃねえか? 競争相手が戦う気はねえって言ってんだぜ。 同じ演目にあがってねえ奴を指さして、自分はアイツより上手く演技できてたぞ! つっても、そりゃあ誰も取り合ってくれねえだろ」


「つまり、我とは共演NGと言うことかッ!? なぜだッ、なぜ我と拳を交えてくれぬのだッッ! 我には、君しかいないというのにッ! うおおおおおおおおおおおッッ!! どうしてえぇええええッッッッ!!!!」


「おい泣くな!? その滝みてえな量の涙どっから出てきてんだよアンタ!?」


「ウオオオオオン我と戦ってくれッ! 本気を出してッ!! 死力を尽くしてッッ!! そうでなければならないのだ、それしか、我が唯一のヒーローになる美しい方法はないのだぁあぁ!!」




 主役の座を望む豪傑、ディオ。

 その中身は、腐りかけの肉体に閉じ込められた子供っぽい精神に支配されている。


 体育館の時で、コイツの異常性は充分によく分かっていたはずだった。はずだったの、だが……。




「嫌だッッ!! 決闘してくれないなんて、認めることは出来ないぞッ!」


「な、なんなんだコイツ……」




 重い地団駄を踏むディオの後方で、壁に積もった瓦礫の山が崩れた。




「……なんとッ! 我の必殺キックを受けても尚、まだ動けるのかッッ!!」


「…………ハハハハっ、ハ」




 不気味な笑い声。

 

 瓦礫が次々に細切れに引きちぎれ、崩れ去る。

 そして、中から血だらけの道化師が立ち上がる。





「ハッ、ハハハハハハハハはははッ!!

 やあぁあぁあっと分かったよお。

 どうしてEXE様が、僕をお前とぶつけたのか!」




 顔の赤がメイクかも流血かも分からない、ボロボロのまま二刀のナイフを握り立っているピュシスの姿は、明らかに敗北寸前といった雰囲気で。

 ましてや、こっちにはディオがいる。二対一をひっくり返す気力など残っていないだろうに。


 それでも、ピュシスは高笑う。

 絵に描いた気狂いのように、映画で見たクラウンのように。




「神無月煌ぁあ! お前は、僕と似てるんだよ。 今のお前は、仮面が裏返る前のロゴスにそっくりさぁ!」




 血液に濡れた手が金髪をかきあげると、額に隠されていた第三の眼の存在が露わになる。




「お前もすぐにおかしくなるよぉきっと。 狂って、狂って、狂い果てて、正気の裏の裏の、そのまた裏の裏、その裏に辿り着く。 もう戻れなくなる。 だって、自然ピュシスでいる方が最高に人生楽しいんだもんねぇ!!」




 少し落ち着きだしていた頭痛に、また波が来る。




「くっ、そ…………!」


「似てるのは行く末だけじゃないよ。 お前と、僕の能力もさ!! お前の、触れたものを破壊する権能。 僕の、ダメージを倍加させる権能! 両方とも、結果は同じなんだ! !!」




 瓦礫の下敷きになっていたピュシスが、コンクリートを崩して出てこれたその理由がそこにあった。

 ナイフの先で表面を少し擦っただけで、権能によりダメージは何倍にも、何十倍にも膨れ上がる。瓦礫はシュレッダーにかけられたみたいに何重にもダメージを受けて砕け、崩れ去る。


 破壊の権能と同じなのだ。

 権能の効果対象となったものが辿る末路、その結果は。




「しっかしねえ! たった今ぁ、僕とお前じゃあ明確なが生まれたよ! 全てはEXE様のお言葉の通りだった。 あの意味が分かった! 体感した!! ! 権能は負の念を贄として拡張されていく! 権能行使可能対象域の拡大。 全ては解釈次第! 想像力、発想力、自信の増大! 利己的思考エゴ!! ああぁあそうかそういうことだったんだねえ!! まだ僕の権能は本力じゃなかったんだぁあ!!」


「……何を、言ってんだ?」




 ダメージを与えたら、それを倍加させる権能。

 言い換えれば、とも言える。




「はははははは!! 僕が殺した奴らの死に際の話を聞かせてやるよ。 どいつもこいつも、不幸せから程遠いって顔して暮らしてやがってさ!! チェーンソーで腹を裂いたら泣き喚くんだよ! 痛み気絶する奴もいたなあ! 傑作だったのは赤いワンピースの女児。 しばらく何が起きたのか分からないって風にお腹を押さえては手についた血を見て、何これって呟いてたよ!! ははははははっ! 折角だから権能で一思いに胴体を切り離してやった!! 鈍感だったのかな? 少し床を這ってから、やっと悶え始めたんだよお。 何言ってるか分かんなかったけどずうっと何か言おうと口パクパクさせちゃって。 でー、最後は全部吐いて死んだ。 はは!!」


「テメェ、どうしてそんな話を……!」


「うるっせえんだよばーか! 薄っぺらい正義感だけで英雄気取りの偽善者どもがさあ!! 青臭い青臭い!! 会話する気にもなんないから消えてくれないかなあ!?」


「はぁ……?」




 被害者の死に様の話をしたと思えば、次は急に罵倒される。

 明らかに情緒が不安定な道化師の行動に理解が及ばず、二人は立ち尽くしていた。


 次の一言で、状況が一変するまでは。





「……はははははは!! どう? こんだけ感情ジェットコースターしたら、?」




 どうして、その可能性を考慮できなかったのだろう。

 オレが以前、自分自身の『時間感覚』なんて形のないものを破壊できたように、ピュシスの傷をつける対象だって何も実体のあるものだけに限りはしないのだ。


 いや、ピュシスの発言から察するに、きっと本人もそんなことが可能だとは思っていなかったのだろう。発想すらしなかったはずだ。

 負の念が権能を拡張する。その言葉の真意とは、強い想いに胸が煮えたり、実質的な窮地に立たされることで起こるコペルニクス的転回。発想の新境地に達することを指すのかもしれない。


 ピュシスの『墓荒らしクラッシュレポート』が、両の紅眼を煌めかせる。




「その傷ついた『心』を、その傷を! 何百倍にも拡大して殺しちゃうんだよぉお!!」




 反射的に右腕を伸ばす。

 しかしながら、今度限りは銃弾や瓦礫が飛んできているワケではない。実体がない。故に、接触したものを破壊する権能では接触ができない。

 破壊が、役に立たない……!




「グアァアハッッッ!!!!」




 露出した心臓の覗く胸部プレートを押さえたまま、ディオが倒れ込む。

 派手な出血や四肢の欠損こそないが、その様子を見れば壮絶な苦痛が彼の胸の内に襲いかかっていることは明白だ。




「『心』とはぁあ! 全ての人間種が生まれながらに等しく持ち合わせ、その存在の中核となる、別名を魂や精神とも呼ばれる生命維持器官を指す総称。 非科学的、オカルティックであるが故に、誰もそれを正しく理解することの叶わない、生命と同様に人の肉体の中に秘められし神のみぞ知る不定形領域! 僕たち人間が『心』について分かることと言えば、それは形もないのに強度という尺度を持ち、時に傷つき、そして『心』が死ねば所有者の人間も死ぬということだけ!! さあ、悪化しろ!! 『心』の傷が致命傷となって廃人になってしまえばいいのさぁ!!」




 ディオは遂に声も上げられなくなって、ホッチキスでとめた口端から流血をさせながら動かなくなった。



 しかし。

 どうしてか。


 オレには、何の影響もない。

 『心』が、痛まない。





「……どうして、効かない? そこのディオに効いて、神無月に効かないわけない、はずなのに……!!」




 理由は分からないが、ピュシスが狼狽うろたえている今がチャンスだ。

 不意を打つように床を蹴って、ディオを過ぎ、道化師に向かって一直線に走り込む。


 ここまで防戦一方になっていたのは、オレに攻勢に出る余裕がなかったからだ。ピュシスの不気味なメイクと派手な武器たちにビビって、拳の距離まで接近できなかった。

 だが今になって、奴の権能効果が判明し、両手にはナイフが一本ずつ。見たところ、他に拳銃などの脅威になりそうな危険物を隠し持ってはいない。


 なら、これはチャンスだ。

 この拳で直接ぶん殴る。




「……そうか、神無月煌……! 。 まさか、主人公として運命を仕組まれているお前には、人間各個に形成されるはずの『心』が――――」


「知るか……!」




 ピュシスの突き出した二刀を両手で掻き分けるみたいに破壊し、そのまま頭突きをお見舞いする。

 道化の仰け反った上体に、構えた右腕が打ち下ろすように突き刺さる。




「がッ……!」




 仰向けに倒れ込むピュシスの横腹を蹴り、更なる追い討ちをかけようとしたところで脚を掴まれたので、体重をかけた膝で肩を押さえつけ、そのまま首に手をかける。




「権能を解除しろ! お前の負けだ、ピュシス!」


「……ぁ、ああぁあ!!」




 押さえつけたピュシスが身体を震わせて大暴れする。

 その様子はオレに抗っているというよりは……、重篤な患者が痙攣を起こしたような様子に見えてしまって、思わず押さえつける力を緩めてしまった。




「ああ゙あっあっ!!」




 ピュシスに膝を折り込む余裕を与えてしまい、懐を蹴られて剥がされる。

 再び距離をつめようとしたが――――、




「あぁああぁああああぁあ!! 主よ、お許しください……! 僕は、ぼっ、僕はぁ自然的ピュシスに、己の衝動に従って、おおお恐ろしいことをしてしまい、ました。 あああぁあ、ぁぁ、なんてことをぉ……!!」




 そこには涙を流し、頭を抱えてうずくまる男の姿があった。

 ほんの少し前まで強い邪気を放っていたのが嘘だったみたいに、今やその背中は哀愁が漂い、裁きを待つ罪人のように無防備に震えている。




「あああああぁっ! 僕はっ、こんな破滅的な生き方をする奴らを蔑み続けていたというのに!! どうして、どうして……、魔が差して……! ああ、お許しください……。 この罪を……、僕を……!」


「お前……、急に何が…………」




 こちらの問いを遮り、断末魔に近い叫び声を上げ続けるピュシスが掴んだのは、床に寝そべる折れたナイフだった。

 そのまま右手を振り下ろし、自らの左手の甲に突き刺す。


 途端、叫びが止む。

 そしてゆらりと立ち上がり、何か悟ったみたいな顔で天を仰ぎ始めた。


 まるで逆様あべこべだった。

 血を流して痛みに叫ぶべき時に逆に冷静になり。震えて静かになるであろう時に騒ぎ立てる。

 ピュシスの中で正気と狂気の人格争いが起きていた。




「……ハハ。 サプラーイズ! ビックリしたなら大成功。 今のが、僕の権能の代償だよん。 使。 困りもんだねえ」




 普通を生きていた正気ロゴスにとって、あらゆる欲求衝動は狂気ピュシスだった。

 しかし自然ピュシスに身を任せ、悦に入り、好き勝手に振るい続けた結果。代償によって遂に主人格が裏返り、理性ロゴスは深層心理に沈んでしまった。

 自然ピュシスが主人格となったことで、立ち位置も入れ替わる。自然ピュシスが正気の位置に台頭し、理性ロゴスが狂気の座に括り付けられたのだ。

 狂い果て、利己的に、自由を求めて生きる者にとって、社会の歯車が如き理性的生活というものはそれこそが狂気の沙汰であり、理解不能な異常行動にあたる。


 正気と狂気の反転。

 その結果、彼はピュシスの身にて狂気に乗っ取られ、本来は正気の位置にいたはずのロゴスが表出するという逆転現象が起きていた。




「……お前も、じきにこうなる。 こうなって、何もかも可笑おかしくなる。 可笑おかしくなって、狂い抜いて、お前の周りにゃだーれもいなくなっちゃう。 そーいう運命なんだよ、僕たちはさぁ!!」


「一緒にすんじゃねえ!」


「ああッッ!! ヒーローをお前のような小悪党と同一視するんじゃあないッッ!!」




 瀕死の状態で転がっていたはずのディオがすっきりした顔立ちで起き上がり、気が付かない内に横に立っていた。




「お前っ……! 大丈夫なのかよ!?」


「なあにッ! さっき倒れていたのは演技さッッ!!」


「演技!? オレにはハッキリ血ぃ流してぶっ倒れたように見えたけどな……」


「無論、ノーダメージではなかったとも。 我にも『心』はあるのでなッ! しかしッ、ッ!! 小細工では、我は倒せんのだよッッ!!」


「脳筋すぎる……」




 ヘラヘラと笑うディオが気に入らなかったのか、ピュシスは苛立ちを隠すことなく力任せに折れたナイフをこちらに投げ捨ててきた。




「なーにベチャクチャ喋っちゃってんのさ!! あーもう決めた。 どんな手を使ってでもお前ら二人ともぶっころおす!!」




 武器を失ったピュシスの次の攻撃は、なんと捨て身の飛びかかりだった。

 瀕死にしてはあまりに危険だが、合理的な選択でもあった。

 かすり傷ひとつで致命傷レベルのダメージを与えられる彼にとっては、人体のあらゆる部位が一撃必殺の武器となりうる。爪の切り裂き、歯の噛みつき、一挙一動が無慈悲な殺戮兵器に匹敵する大火力を有しており、それは一方的で抑制は叶わない。


 詰まるところ、触れられたら死ぬ。

 肌を撫でられ皮膚表層がめくれ、垢が出たというだけでも駄目かもしれない。それがピュシスにとって列記としたダメージと捉えられれば死傷に繋がる。


 ピュシスの権能は、殺人に特化しすぎている。




「不味いなッ! なんて不味いのだッ!!」


「ハグしてよ、僕とハグしてよぉおっ!!」




 道化師の抱擁を受け入れることは、死神の握る鎌を枕代わりにして眠るようなものだ。

 言わずもがな、死を意味する。

 オレもディオも当然ながらそんなことは理解しているため、飛び込んできたピュシスを余裕を持って回避することができた。


 が、ピュシスの決死の突撃の、真の理由はその次アクションにあった。




「ここらでひとつ、はいかがかなぁ!?」




 左右に分かれたオレ達に、ピュシスは白い石つぶのようなものを投げつけた。

 コツリと胸板に当たるそれの正体は、人の奥歯。




「離れるのだヒーローッ! 歯はぞーーッッ!!」

 



 その忠告で青ざめ、反射的に空を舞う白歯を掴み取り、そのまま破壊で握り潰すことに成功する。

 しかし、破壊の権能を持たないディオはそうはいかない。


 一見は無害に思えた奥歯だったが、そこにピュシスの権能が発動した途端に爆裂し、ディオに向かって無数の破片攻撃が突き刺さった。

 先程、ディオの鎧がダメージの倍加を受けて弾け飛んだように、ピュシスの権能を受けた対象物は急な被ダメージに耐えることができずに傷を中心に弾けてしまう。

 ましてや、その対象が歯のような小さなものであればあるほど、爆裂は破片手榴弾のように鋭利な欠片を拡散し、回避不可能なダメージを与える範囲攻撃となりうる。




「ぐッ! だが、しきッッ!!」


「僕が殺した奴らから集めたコレクションの味はどうかなぁ? でもそれで満足はしないでね? 歯片攻撃オードブルのお次はメインディッシュをどうぞっ!」




 ダメージを受けた歯の爆裂。

 その破片を全身に受けたディオ。

 二次的とはいえ、




「人体爆発マジックをお見せいたしましょう!」




 コミックみたいにBOOM!! とはいかないものの、ディオの全身の鎧が一斉に弾けた。

 既に鎧を失っていた部位は肉体で歯片攻撃を受けたため、肉が抉られ内側から血液が飛び出してしまう。




「ディオっ!!」


「なッ、なんと……ッ!!」




 ダメージの倍加、爆裂の連鎖。

 似ていると言われていた煌の権能との大きな違いはそこにあった。


 直接触れたものしか破壊できない煌に対して、ピュシスは傷付けたとされるものであれば二次的であっても権能の発動可能対象として認められてしまう。

 そのため、事前に傷付けられた奥歯を投げてからダメージ倍加で爆裂させ、更にその破片を受けた対象の傷を倍加させることも可能となる。


 まるでゲームのコンボ技のようだが、それこそが権能の真骨頂。能力の応用、正当な異能の利用方法であると、これまでの戦いで幾度となく見せられてきた手業であった。




「はははははは!! すっごいねえ、まだ壊れないんだ! 弁慶べんけいみたいで殺し甲斐がいがあっていいねぇ!!」




 ディオは倒れない。

 しかし、その身は既にボロボロだ。

 老化の進む肉体を強引に動かしていたと思われる機械の鎧も大方が砕け落ち、延命措置で命を繋ぎ止められている老人が如く身を揺らしている。


 そこに、再びピュシスの特攻。

 両手を伸ばして飛び込む道化を前にしても、ディオには既に回避をする余裕はない。




「…………くッ! 活動限界、か……」


「聞けっ、ディオ! !!」




 ディオの『悲劇の誕生ロールプレイング』は、対象に敗役を与え、その役に合わせた力を一時的に与える権能だ。

 その力で、このオレ、神無月煌を演じさせる。




「オレを追っかけてここまで来たんだろ!? ライバルって認めて、オレの動向を追って、ヒーローになるためにここまで来たんだろ!? なら演じられるハズだお前なら!! どんな攻撃でも避けて、ヤバい攻撃は壊して退ける、そんなオレを!」


「……フン! 面白い、この我に挑戦状とはッ!!」




 ディオの黄金仮面の眼が煌めく。

 その直後、瀕死で重苦しく引きっていた体躯に生気が戻り、飛び込むピュシスを半身で避けて背中に回し蹴りの反撃を決め込んだ。

 ピュシスはそのまま前転。顔から着地してゴロゴロと床を堪能することになる。




「……『悲劇の誕生ロールプレイング』ッ!

 この我に、神無月煌という敗役を宿したッッ!!

 役柄は

 その身が朽ちて落ちるまで、

 死力を尽くし凡百の攻撃を回避するッ!」




 オレの戦闘スタイルはピュシスの真逆、完全な防御特化だ。

 相手の持っている凶器を壊して無力化しようにも直接この手で触れなければならないし、何より人を殺す覚悟や理由のないオレには相手をぶん殴るくらいしか攻撃の手段がない。


 故に、仮面持ちとのバトルはいつも後手に回り続ける。耐えて、耐えて、隠れて逃げて。そしてまた耐えて、隙を見つけて殴り抜けるか、仲間に代わりに攻撃してもらう。これしか道はない。

 ディオの時も、カフカの時だってそうだった。

 だからオレの役を演じるということは即ち、を行なうということ。




「うおおッッ!! 身体が軽いッ、月面に立っているみたいで嬉しい楽しい最高だぞッ!!」


「ンなこと言ってる場合じゃねえだろ! さっさと避けろ!」




 そこからのディオの動きといえば、まるで水を得た魚のようだった。

 数々の重症も、黒鉄の重装も、その行動を縛るものなんて何もないみたいに飛び回り、ピュシスの特攻を回避していく。




「デカい図体ずうたいでちょこまかと……!」




 血だらけの衣装から取り出された白歯が投げられるも、今度は爆裂の起きる前にボレーシュートで彼方まで蹴っ飛ばした。




「残念だがッ! 我はサッカーも得意でなッ!」


「きっもちわるいなぁ盛り上がりやがってっ! あぁああぁもうイライラするう!! 何なんだよお前らはさぁ!!」


「フム! その科白セリフには、神無月煌に成りきって返答してやろうッ!! !!」




 その返答に、まだ装甲の残っていた左肘の突が乗っかり、ピュシスの顔面をクリティカルにとらえた。




「終わりだッ、シリアルキラー! 我が正義の一撃に沈めいッ!」




 そのまま身体の回転を活かし、遠心力を乗っけた大振りの鋼鉄パンチをピュシスの胴にぶっ刺して、ジェット機みたいな速度で吹っ飛ばす。

 

 ピュシスは何度も床をバウンドし、血を吐く独楽こまとなりながら出っ張りで跳ね、高台の壁面に設置されていたシャッターに着弾。だがそこで勢いは止まらず、シャッターを裂いて奥の区画へと突き抜けた。




「サヨナラホームランだなッ!! ……ん? これではサッカーかベースボールか分からんではないかッ!! まあどちらであろうとも変わりはないがなッ! 正義は必ず、悪に勝つ!! ハァーッハッハッハッハッハッハッ!!」


「まてディオっ、あいつまだ……!」




 裂けたシャッターの向こうで真っ赤な道化師が立ち上がった。




「我ほどではないが、なんと頑丈な男だ! あの細い身体のどこにそれほどの体力が宿っているのか、はなはだ疑問だなッ!?」




 それではトドメを、と言わんばかりに歩き出したディオの肩をおさえる。




「……もう、充分だ」


「何を言い出すかと思えばッ!! あの道化をこのまま放っておけと言うのか!」


「ああ、そうだ! アイツはもう虫の息だ、なんも出来ねえよ」


「お優しいヒーローだッ! しかし、その頼みは聴けないぞッ!! 悪は滅びねばならない。 我は、主役が情けをかけたことで生き延びた悪党が後々出てきて前より飛び抜けて強くなっている展開が大嫌いでねッッ!!」


「お前らはもう感覚が狂っちまってるんだろうが、命ってのはそんな軽々しく奪っていいもんじゃねえだろ。 あいつは、お前の拳じゃあなくて法に裁かれるべきだ」


「かァーッ!! 無理無理無理だーッ!! 無理なものは無理なのだーッ!! ここで潰しておかねば、本当の意味で成敗したとは言えんのだァ!!」


「……お前はまだ、オレを演じてるはずだろ?」




 ディオはまだ、黄金の仮面を装着している。

 権能を解除してはいない。




「なら最後まで演じきってくれよ。 普通と異常の二極の狭間で、どっちつかずに生きる灰色のオレを! 自分が許せねえと思ったもんに素直に立ち向かっちまうオレの弱さを! どれだけ相手が邪悪でも、どうしても命を奪うことが出来ねえオレの強さを! 演じて見せろよ、ディオ……!」


「……ほう」




 ディオは頷きはしなかったが、まるで舞台監督に演技が派手すぎるとダメ出しされた若手みたいな横顔で、静かになった。


 さて、問題はピュシスの方だ。

 ズタボロになってもまだ立ち上がるアイツを、どう対処するべきなのか。




「……はははははは、はは! はははは!!」




 不気味な笑い声が地下神殿中に響き渡っている。

 が、それは思いもよらない理由で打ち止まった。





「はははははははははッ――――、」





 溢れる流血で足下に血溜まりが形成され、その上で不安定な体勢のまま大袈裟に笑い続けたもんだから、フラついた勢いでツルリと足が滑り、




「ハ…………ッ」




 そのまま仮設されていた落下防止用の手すりを背中で折って、背中から向こう側へ落ちていった。




「ピュシスッ!?」




 初めは逃げられたと思っていたが、違った。

 オレ達は追いかけているつもりでシャッターよ穴を抜け、トンネルみたいな接続路を通じて横のフロアに移り、歯抜けになった手すりの窪みから下を覗いた。


 その先は灰色の大穴。

 深いサイロのような巨大貯水槽が口を開いていた。

 設備を見る限り、ここは本来、流れ込んできた水を一時的に溜め込んでおくための施設なのだろう。

 しかしながら現状は、その肝心の水が貯まっていなかった。




「……ヒーロー。 何故ゆえ、我が才能ギフトが『悲劇の誕生ロールプレイング』という名を冠しているのか分かったかな?」





 深い貯水槽の底に落下したピュシスは、水面ではなくコンクリートの床に叩きつけられていた。

 幼児が初めて挑戦した折り鶴みたいに、下半身がグチャグチャに潰れて血の池を広げている。





「悪には、悲劇的な最後が訪れるものだからだッ! 我はその悲劇を生み出す存在。 そして今、




 わざわざ下まで降りていって死を確認する必要性を微塵も感じられないほどの凄惨な姿。

 その顔はもう、笑ってはいなかった。




「……いいかッ、ヒーローの君よ! この界隈では、狭間に残り続けることなど出来んのだ。 日常か、非日常か。 正常か、異常か。 正義か、悪かッ! 学生として生きるか、仮面持ちとして死ぬかッッ!! 故に覚悟せねばならんのだよ、ッッ!!」


「それで人を殺せっていうのか!?」


「ああそうだともッ! 無論、あの道化のように無差別に命を奪えと言っている訳ではないとも。 己の進む道、決断した未来への障害物となる存在がいるのなら、それを除外することがになる」


「なにがだ……! オレはお前らとは違う。 人を殺す覚悟なんてしない、する必要もない!」


「ノーノー! 学生生活と仮面の界隈ッ、その狭間でどっちつかずでいたいというのも立派な願いなのだッ! その我儘を叶えたいのなら、毒の盛られた皿も時には平らげる気概が求められるのだッッ!!」


「知るか……! オレは…………!」


「今はまだい。 だが、いずれは分岐に直面するだろうッ! 立場や生活を守るため、大切な存在を護るため、過去のため、未来のため、命の奪い合いをしなければならない日がきっと来るぞッ! それが仮面に接触した者の宿命だッ!」




 叱咤を続けるディオの膝が折れ、眼の煌めきが消えていく。




「くッ! ……流石に、堪えるな」


「お前……、その身体、ちゃんと治せるんだろうな?」


「フッ……! それは無理だろうなッ! 怪我なら治療すれば傷は塞がるが、老化はどう仕様しようもないッ! ……だが不思議だ。 君を演じているうちは、痛みと疲労が薄れる。 君のように、生気の溢れる生身の人間を演じると、我の傷ついた肉体が君の健常さに引っ張られ、ダメージが軽減されるようだッ! 老化も遅い! しかし……、休憩が必要だなッ! ヒーローには変身の制限時間というお決まりの制約がある。 制作会社のバジェット不足が理由で課せられた呪縛だなッ! 全力で活動が出来るのは短時間というのがお約束だッ!! それにッ、主役がいつまでも舞台上にいては山場の連続で観客も疲れてしまうというもの! ここでしばらく、舞台袖そでで息を整えさせてもらおう」




 ディオの指さした先に、先程通ってきたものとは別の接続通路。入口の壁面にはEのアルファベットが記されている。




「奴らはE区画を巣窟にしている。 この先には、EXEやジョン・ドゥ、他にも幹部となる仮面持ちが待ち受けているはずだッ!」


「……どうして教えてくれるんだよ? お前は元々アイツらの仲間なんだろ?」


「我は、我の願いさえ叶えられればそれで良いのだよ。 EXEにも誰にも恩義など感じてはいないッ! 仮面がなくとも、我は一人でここまでやっていたッ! その自信と確信があるッ!」


「お前って……、スゲーな、なんか……。 本当に一直線っつーか、色んな仮面持ちと会ってきたけど、そん中でもお前は群を抜いて自意識過剰というか……、スゲーよ」


「ハッハッハッ……!! もっと讃え給え、この我を!」


「あんま褒めてねえけどな」




 明るく笑っていたディオの顔が、少し曇る。




「……我は、ヒーローの君と決闘がしたいッ! だが、それはもう後回しでもいい……。 君には我の代わりにやってもらいたい事がある。 そのためにアジトの位置を教えたのだ……」


「……オレに? やってもらいたい事って?」


「……ッ。 我が優秀なる弟を、危険から救ってほしい」


「お前……、御山がここに来てるの知ってたのかよ」


「我は君と決戦し、真のヒーローとなる。 そして……、EXEやジョンに立ち向かう弟を止めるべく此処ここへ来たのだッ! ……が、想定外にやられてしまったからなッ! この身体ではもう間に合わない。 回復を待っている間に、戦いが始まってしまう。 ……だから、君だッ! 我の代わりに、弟が彼らと対峙するのを止めて貰えないだろうかッ!!」




 ディオからお願い事をされるなんて、想像もしなかった。

 何か問題があれば全て自分で解決したがるだろうし、出来てしまう奴だと勝手に思っていたから。




「そんなに強えのか、あいつらは。 ……御山弟が勝てねえくらいに」


。 断言出来るッ!」


「……分かった。 オレにとっても、アイツは大切な友達で、オカ研の部員で、数少ない協力者の一人なんだ。 そんなこと聞いちまったら止めにいくしかなくなっちまうだろ」


「我も必ず後を追う。 手詰まりの気配を感じ取ったなら、我を呼べッ! 満身創痍であろうと駆けつけてみせよう……ッッ!!」




 そうとなれば、行動は早い方がいい。

 オカ研メンバーとはぐれてしまったが、戦闘狂のあいつらなら自ずと集合地点は決まってくる。

 アジトの最奥、E区画。携帯は圏外で連絡は取れないが、お互いで示し合わずとも、きっと集結する場所はそこであると信じて。





「無事でいてくれよ、皆……!」



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