『侵入と会敵』
「お兄ちゃん、晩ご飯つくってくれてありがとうございます」
「いいんだよ。 熱、もう大丈夫か?」
「微妙、です……」
マリアンヌの一件から、理紗は熱を出していた。
異世界でのことは憶えていないと言うし……、権能を持っていない人が仮面の能力の影響を受けると、体調や記憶の混濁という症状が身体に現れるのかもしれない。
「お兄ちゃんはあの日のこと、何か憶えているんですか? 警察には言わないようにとか、仁さんが助けてくれたことは誰にも話すなとか……。 何か知っているんですよね……?」
「……いや、実はオレもあんま分からないんだ。 何が起きたかサッパリで……。 でも、世間は今こんな感じだろ? 危険に繋がりそうなことから、少しでも理紗を遠ざけてやりたかったんだ。 警察から事情聴取とかなったら面倒だしさ、今一番良いのは、この家でじっと待つことだ。 理紗の両親も明日には帰ってくるって言ってるし。 下手なことはしないほうがいいって意味だったんだよ」
「……そうですよね。 ありがとう、お兄ちゃん。 それにしても、なんか不運といいうか、神さまからの皮肉を感じちゃいます。 引きこもりだった私が外に出るようになったら、急にこんなことになっちゃって。 今度は外に出ないようにしなきゃなんて……」
「……そうだな」
運命のイタズラにしては皮肉すぎる話だ。
今晩の食卓はそんな話ばかりで、あまり明るい雰囲気とは言えなかった。
食事に、洗濯に、風呂に、就寝。
普段通りの生活ルーティンとは裏腹に、曇り続きの心模様。
それでも、何もかも普通っぽく振る舞わなくちゃならない。それだけが、理紗をこれ以上の危険に巻き込まない最善の行動だからだ。
「……お兄ちゃん、今日は一緒に寝ても、いいですか?」
「今日こそは、だろ? いつも隙あらば布団に入ってこようとするのに、遂に許可を取ることを覚えたか」
「……私を不安にさせないように、いつも通りで居ようとしてくれているんですよね。 お兄ちゃんは、本当に優しいお兄ちゃんです。 だから私も我慢して、いつも通り自分の部屋で寝ることにします」
それでも、希望はある。
部屋に戻る理紗の横顔は、引きこもりだった頃の現実を諦めていた時の目とは違う、確かな
不幸中の幸いか、マリアの異世界転生が引きこもりを脱するきっかけになったのだと思う。
理紗はあちらの世界で『夢幻』なんて呼ばれて、オレよりも長い間拘束されていた。きっと長い眠りの中で、夢と戦い続けていたのだろう。
記憶は消えていたとしても、窮地を越えたことで強い心を獲得したのだ。
怖かったって気持ちはトラウマみたいに頭に残って消えないかもしれないけど……、きっとその強さは、理紗の心が一生忘れることのない
「……おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ。 おやすみ、理紗」
挨拶をして閉じた扉に、思わず額をつける。
手元のスマホには23時の表示。
「……オレだけ待ってるなんて、やっぱ出来ねえよ」
理紗を巻き込んだ奴らだ。
もし直接
薄手の半袖パーカーを着て、目深に帽子を被って。他に何を持っていけばいいか分からず、スマホにイヤホンを挿して家を飛び出した。
―――――――――――――――――――――
窓。
お兄ちゃんが開いてくれた、希望の窓。
すぐに寝付くことが出来ず、カーテンを少しだけ開けて夜風に当たっていると、小さく門の開く音が聞こえてきた。
「お兄ちゃん……」
バッグのひとつも背負わず夜道に歩いていく兄の姿を見つけて、ぎゅっと胸が締め付けられる。
「お兄ちゃんは、何を背負ってるの……?」
三つめの街灯を越えたところで、背中は暗がりへ消えていった。
お兄ちゃんには、きっと秘密がある。
しかも、私を巻き込まないように一人で抱え込んでいる秘密が。
―――――――――――――――――――――
23時30分に、駅裏のシャッター通り。潰れたパチスロ屋の換金所横で集合、だったか。
時間感覚が壊れてるもんだから、遅刻対策に音楽を聴いて歩いた。
オレの組んだ遅刻防止用プレイリストには、尺が凡そ四分ほどの曲だけを列ねてある。
つまりプレイリストを再生して歩けば、曲が終わる度に四分経過を示すアラート代わりになる。あとは再生終了した曲の数を憶えておけば毎回スマホで時計確認せずとも歩きながら現在時刻を把握できるって寸法だ。
白いイヤホンを揺らして目的地へ。
六曲目の終わり頃に、入り組んだ細道に男女の影が
「……おいおい、来るなって言ったハズだけどな?」
「本気で来て欲しくなかったら、オレの前で約束の時間と場所を話すべきじゃなかったな。 オレがどういう性格なのか分かってるだろ」
「……はあ。 まあ、いいだろう。 仕方ない。 けどな、忠告しておくぜ? 俺たちの足は引っ張るな。 それと、自分の命は自分で守れよ?」
「ああ、そのつもりだ」
集合場所には既にほとんど全員が集まっていた。
23時36分、一足遅れて御山弟が到着。
全員の集合が確認できたところで、オレ達はジョンの先導のもと出発した。
思えば、こんな
それに、ジョン・ドゥとシュレーディンガーはまだしも、オカ研メンバーの私服はほとんど見たことがなかったもんだから、なんだか新鮮に感じる。
「……意外だ、みんなちゃんと夏っぽい服持ってんだな。 仮面持ちってのは季節感がないもんだと思ってたよ」
「ははは、俺は冷え症だから仕方ねーんだけど、確かに仮面持ちはファッション終わってる奴多いな。 EXEもラヴェンダーも夏とか関係なくずっとコート着てるし」
「暑くねーのかな、あれ」
「暑いだろそりゃあ。 でもカッコイイからなあコートって」
「カッコイイってだけで、あんなの着るか? 今は落ち着いたけど、夏休み中なんて異常気象も重なって温度エグかったぞ?」
「まー、『
にしても、暑さ対策の方はどうなってんだよそれ。
最近じゃあ現場作業員とか用に、服にファンの穴が空いてて電動で涼風に換気してくれるジャケットとかもあるっていうし、上手いことやってんのかな……?
「補導されそうになったら急いで逃げろよ。 MPが枯渇してるのに即死魔法を使ってくる魔物とエンカウントした時みたいにな。 ただでさえ警察は厳重警備体制だ、いつ
「……おい、名無しの。 アジトはここから近いのか?」
「もしかして俺のこと呼んだ? 名無しの、ってなに? ジョンって呼べよジョンって! カインでも良いぞ」
「嫌だ。 気安いのは好きじゃない」
「かぁーっ! 頑固だねえ。 ……EXEの根城はもうすぐそこだよ、焦んな」
「すぐそこ? それはおかしいね、ここは裏側とは言え日継駅の周辺だよ? 少し道を間違えれば、この時間帯でも人の
「なーんか疑ってない? 絵描きちゃん。 信用しろってばあ、俺が近いって言ったのは地図で見た時のX軸Y軸の話。 一般人じゃ近寄れない理由ってのはZ軸の部分にあんだよ」
そう言っているうちに到着したのは、落書きだらけの怪しげな扉。
ジョンは盗賊が持ってそうな鍵束を使って解錠し、すぐ背後にいた野崎に向かって「どうぞ」と手を向ける。
「……紳士的なことだ。
「冗談だって。 ちゃんと後ろついてこいよ?」
中はかなり暗く、奥の方へ点々と続いている誘導灯を頼りに進んでいく。
暗闇の行き止まりには鉄の檻みたいなエレベーターが待ち構えていたが、ジョンは少しも注目することなく側壁の防火シャッターみたいな扉を押して非常階段を発見し、薄暗闇を降りていく。
「随分とここを知っているみたいだな、名無しの」
「だーからジョンかカインって呼べってば。 俺は下調べはしっかりする派でね。 ボス戦が待ってるって分かったら非効率でも一つ前の村に戻って回復とアイテム整えて、いざ! だ。 さっきの入口の鍵だって、手に入れるの苦労したんだぜ?」
「では聞くが、ここはどこだ。 この階段の先は地下鉄道か?」
「いいや違う。 この先にあるのは日継地下雨水貯槽っつー施設だ。 この前、大雨が降ったろ? ああいう異常気象の影響で川が氾濫したり地下水が地上に溢れ出しちまわないよう、デカい街の下には雨水を貯めてゆっくり処理に回す機能を持った地下空間が広がってんだ。 EXEは完成直前で工事が滞ってたここをアジトにしてるらしい。 国の管轄下にある施設をジャックするなんて、さっすがテロリストの
ビルの四、五階ほどにあたる長い階段を降りて、施錠された鉄の扉を開ける。
その先はコンクリートのトンネル。誘導灯と白い照明によって辛うじて明るさは確保できているものの、あらゆる場所が埃っぽく、不快感のある湿っぽい空気が漂っている。
「どーした諸君、不安になってきたか? 口数少ねーな」
「んーん。 帰りはあの長い階段登るんだって考えたら面倒くさいなーってだけー……」
「ははは、秀次郎は面倒くさがりだなー。 行きはEXE達にバレねえようにしなきゃだから階段使ってるが、帰りはエレベーターでもいいんじゃねえ?」
オレには御山弟みたいに帰りの心配をする余裕はなかった。
もう、十数分も暗闇の中にいる。そしてこの先には、EXEの率いる仮面持ちの幹部たちがいる。目の前の不安が大きすぎて、帰り道のことなんて考える余裕はない。
コンクリートの管の中を歩いているその途中で、道の
「どうして、こんなところに泥が?」
「なんでって、さっき言ったろ。 ここは雨水貯槽施設だ、中には濁流みたいに汚い水が流れてくることだってあるだろ」
「……では、あれも泥か?」
野崎が目を向けるトンネルの先に見えたのは、歪な人型のシルエット。
カラカラカラ、と車輪の転がる音と共に暗闇の裏から姿を現したそれの正体は、機械仕掛けのボロい人形だった。
玩具にしては大きな全長に、ダクトテープで腕ごとグルグル巻きにされたライフル。バネごと目玉の飛び出した玩具の兵隊が20メートルほど先で停止する。
「言い忘れてたが、この地下は圏外だ。 四方を囲むコンクリートの壁が厚すぎて地上まで仮面の『引力』が届かない。 つまり、好きに
「『
ジョン・ドゥの説明は必要なかった。
野崎はここに、始めからロビンソンとして来ていた。
彼女の前に奇怪な存在が現れれば、反射で叩き切るなんてことは分かりきったことだったのだ。
一瞬で鉄仮面を呼び出して爪で擦り、その出血で
人形は上半身が勢い良く吹き飛んでトンネルの壁面に当たって落ちる。
「
「警備員サン! ですネ!」
「警備員っつーか、門番っつーか、人払いっつーか。 まあどっちにしろ俺達の邪魔をしてることは間違いねえな」
トンネルの奥から、点々と続く証明に照らされて複数体の人形がやってくる。
ライフルを括りつけられたクルミ割り人形、手首から先が包丁のウェンディングドレス新婦人形、六本足を生やした機関車、クロスボウを背負った乳児のロボット。
不気味な影を迎撃するべく、オカ研メンバーは一斉に仮面を呼び出す。
「シンボルエンカウント! さぁ、やっておしまい!」
「ってジョン! お前は戦かわねえのかよ!」
「無理無理〜、痛いの無理〜! それに俺は切り札みてーなモンだしー、こんな所で体力浪費すると後々が大変じゃん〜」
「ああそうかよ、なんなんだこいつ……!」
諦めて右の手首をぎゅっと握り、
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