『キル・デス』




 全てが灰色の、広大な空間。

 大量の太いパイプが血管みたいに壁に伸び、薄暗い天井まで続いている。

 靴の軽い音ですら反響して、それはシスター服の女が仮設された玉座の前に立ったところで止まった。




「……EXE様、報告いたします。 計画通り、『特例』を異世界送り致しました。 結果、魔王を倒すことなく権能を使い、脱出を果たしました。 最終試験としては不充分かと思われますが、いかが致しましょう?」


如何いかなる難局であれ、その攻略法は一つのみであるとは限らない。 想定外であれど、彼は合格に値する。 『特例』の権能を徹底的に解析せよ。 そしてあらゆる手段を用いてでも、『少数派ルサンチマン』の一員とするのだ」


「はい、承知致しました。 ……それと、プレイヤー3ですが、まだ最初の街にいるようです。 全く、何をしているのでしょうか……。肉体は冷凍室で保管しているので腐敗はしませんが、先が思いやられますね。 計画に間に合うのでしょうか?」


「必ず戻り、転生を果たす。 彼の世間への怨恨がそうさせる。 今は魔王を征伐するためのであろう。 一度ひとたびそれが始まれば細胞分裂が如く、指数関数的に効力は拡大する。 。 魔族を介し、魔王に届くのは一瞬だ」




 マリアの背後に突如として鉄の扉が出現し、中から全身を真っ赤な血で染めた拘束着の男が飛び出てくる。

 不気味なピエロメイクの口角を上げて、軽快にスキップする。




「お掃除かんりょー。 今日の分も終わったよん」




 その後ろから出てきたのは、鼻から顎を覆い隠す半透明な囚人マスクを着けた男。裸足のまま、縞模様の囚人服を着込んでいる。




「……帰国。 任務完遂、無問題」


「はははははは、便利だねーコイツの権能。 どこでもワープなんて、そりゃあ僕らに捕まんないわけだよ」


「当然」




 血だらけの手で囚人服の背中をバンバンと叩くピエロを見て、マリアが問いかける。




「EXE様、こちらの道化は……?」


「我々、『少数派ルサンチマン』の新たな仲間。 常軌を逸した純粋悪、仮面道化のピュシス。 元特務課捜査員、ロゴスのだ」


「……もしや、彼を例の計画に使われるおつもりで?」


「そうだ」


「彼から、ほとばしる邪悪な意志を感じます。 の様な怪物を使えば、どれだけ無関係な人々が亡くなられるか……! 私は私が愉悦を感じられるに足る数の人間しか導いておりません。 私の必要な数だけ、元より希死念慮や死相の強い者しか目をつけておりません。 しかし、彼はきっと違います。 彼は、手の届くものなら何でも殺めてしまいかねない危うさを抱えております。 それに元『特務課』とは……、どうか、お考え直しを……」


「それでよいのだ。 次のページに必要な駒は、黒曜石の如き鋭刃。 グリップすら平たく研がれ、近づく全てを傷つけんとする狂気の道具でなければならない。 ピュシスは、世界を掻き混ぜる一因となる。 他の何者より、計画に最適である」


「ははははははっ、そーゆうことさシスターちゃん? おー、よく見たら美人さんだ。 EXE様の配下じゃなければ犯して殺してたなあ、ははは。 うーんそれじゃ、またねーぃ!」




 そう言い残し、囚人姿の二人組はコンクリート施設の奥へ向かっていった。

 コンクリートと静寂が支配する空間で、マリアンヌはEXEに近づき一枚のSDカードを手渡す。




「『特例』を撮影したものです。 呼び出し場所を隠し撮りしたものなので権能までは映っておりませんが、何か調査の足しになれば」




 それを受け渡したマリアンヌの手は引っ込まず、そのまま玉座の後ろに回ってEXEの肩をなまめかしく撫で始めた。




「ご命令いただいた計画を遂行したのです……、褒美を頂けませんでしょうか。 多くは求めません。 そう、簡単なことです……」




 シスターの顔に、青銅の仮面が現れる。

 眼が、煌めく。

 それが示す事実はひとつ。


 『実像崇拝ラブ・シミュレーション』の発動。接触した相手を魅了し、自身への愛心を与える異能の執行。




「貴方様のお役に、もっと立ちたいのです。 貴方様の、もっと近くに私を置いてください。 この胸の高鳴りを、沈めて……♡」


「マリアンヌ。 慈愛の仮面、その有権者。 愛の権能の効力は、我には及ばぬ。 愛を知らぬ者を、愛で縛り付けることは叶わん」


「……効かない、どうしてです? なぜ、私の権能が効かないのですか。 愛を知らぬとは、どういう――――、」


「『心』が、無いからな」




 EXEが黒いコートのチャックを下ろし、己の胸元を晒す。


 引き締まった肉体の、その中心に。

 ドス黒い大穴がぽっかりと空いていた。




「我が『鍵』の権能の代償は、『心』の欠落。 他者に権能を与えれば、穴は拡がる。 感情も、感覚も、『心』に含有されるべき一切が欠落していく。 いずれはこの穴が肉体の全てを飲み込み、存在ごと、消えて無くなる。 故に、愛の権能など無意味なのだ。 我には愛など宿す、その器がないのだよ」


「そんな…………」


「汝の野心には、仮面を与えた時点で察していた。 全ては、脚本シナリオ通りに進めなければならない。 故に、汝は生かされていたのだ。 マリアンヌよ、汝は『最後の晩餐』でキリストの隣に鎮座する、マグダラのマリアにはなれない。 精々、名も無き娼婦止まりのくだらん存在だ。 以降のページに、汝の必要な段落シーンは無い。 『代筆者』に最も近い存在たる、この我を手駒にせんとする穢れた慈愛。 既に出番やくめを果たしたその命と共に、消え去るがいい。 盤上から、退出せよ」





 EXEが指を弾くと同時に、背後から忍び寄ったピュシスの歪な刃物がマリアンヌを襲った。

 首を切られたが、幸い出血は少ない。


 シスター服を首元から赤く染めながら、傷口を押さえてその場に倒れ込み、顕現アナザーを発動させる。子宮から取り出したマスケット銃で、悪魔みたいに笑う拘束着の男へ向けて発射する、が。


 弾丸はピュシスの持つハンターナイフで弾かれ、火花と共に吹き飛んでしまった。




「ダメダ〜メ。 EXE様に取り入ろうとする淫乱売女にはー、キツーイお仕置きを〜?」


「この程度の、傷っ!」


「軽傷だって言いたいのかな? なーんも分かってなーい。 そのはもう、改竄かいざんされちゃってるのになぁ?」




 ピュシスの青目が、紅く煌めいたその直後。

 マリアンヌの首から血が吹き出た。

 皮一枚切られた程度の傷だったはずが、赤ワインの大樽の栓を抜いたみたいにドボドボと血が流れる。




「これが僕の権能、『墓荒らしクラッシュレポート』! 直接傷付けたものを悪化させる能力。 刃がかすっただけで死傷に発展させられる。 もう君、死んじゃったよ?」


「ぐぅっ……!」


「その喉じゃあ、もう愛は囁けないね? 苦しいね? 切ないね?? 痛い? ねぇ痛い?? 死にそ? 分かる? 死が近づいてるの。 辛い? ははは、折角だし、僕もひとつ引用しようかな?」




 手に持っていたナイフを落とし、背中に背負っていた長方形の黒い箱に両手をかける。

 ピュシスが蓋で守られていた赤いボタンを押すと、いくつかのパーツのロックが解除されて外装が崩れ落ちる。


 中から出てきたのは、真っ赤なチェーンソー。

 しかも、二台。ピュシスはそれを両手で二刀流持ちにして、




「エゼキエル書、25章17節。 心正しき者の歩む道は、心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる〜。 んー、あとは忘れちゃった。 まーいーや、それじゃー……、」


「……っぁ、『最悪の奇跡ラブシミュレーション・セカンドライフ』……!」




 マリアの顕現アナザー、異世界送りの『窓』開き。

 反撃のためと思われた権能のマスケット銃は、ピュシスに向けてではなく、マリアの横たわる床下へ向けられ、そのまま放たれた。


 コンクリートの床に落とし穴の様な『窓』が開き、マリアは血を吐きながら落下していった。




「あ〜、逃げられちゃった。 どーするEXE様あ? 異世界の女神の力を使われたら、致命傷レベルの傷でも簡単に治せちゃうんじゃない? 追ってこよっか?」


「案ずるな。 『窓』の向こう、狭間の谷には既に彼がいる。 我々を追跡し、突き止め、息の根を止めに来ている。 後始末は彼に任せよう」


「あー……、堅物の『2nd』サンか。 『特務課』にいた頃は一番苦手だったなあ〜。 僕が言うのもなんだけど、裏表ありそーで怖いんだよね、あの人」




 『窓』が塞がり、異世界への道が絶たれる。





「我々は、脚本シナリオを進めよう」






――――――――――――――――――――






 現実と異世界、その狭間の空間。

 マリアの開いた『窓』でしか訪れることができないはずの広間に、見知らぬ他人が侵入していた。




「あ、なたは……?」


「……仮面。 お前、権能犯だな?」




 高身長でがっしりとした身体に、薄く桃色がかったシャツの男。無精髭を生やして、疲れたサラリーマンのような風貌でマリアに接近する。




「お前は『少数派ルサンチマン』か?」


「どうやって、ここ、に……!」


「まぁいいかー、今日の目的は捕獲じゃないし……」




 男は頬を掻いた大きな手で顎を掴み、そのまま顔の汚れを拭き取るみたいに逆撫でる。

 すると、その顔に白い仮面が出現した。


 それは、三ツ目の般若面。

 黄金の牙を生やし、その口膣には黒暗が潜んでいる。




「仮面っ……、貴方は、何者……!?」


「……公安特殊犯罪対策任務課『 P.R.V.L.M.パラベラム』。 捜査本部長、『2nd』の有様真司アザマシンジだよ。 ……君はまだ権能犯リストには載っていないね? 後で追記しておくよ、削除済みデリーテッドの記述とセットで」




 有様の右手が中指と薬指の間で割れ、そこから血液と共に日本刀の刃が飛び出した。





「悪く思わないでねー。これも、仕事なんで」


「……マリア福音書、独自捏造!」




 マリアがそのまま反撃の『引用』を口にするより早く、有様の抜刀術の構えから放たれた一閃が女体の胴を裂いた。

 鮮血と共に、マリアが崩れる。





「……武蔵一刀むさしいっとう流、『達磨落だるまおとし』」




 ズルル、という肉を引く音と共に日本刀が腕の中へ引き戻される。

 口をぱくぱくさせて倒れるマリアの隣で、有様が女神の仮面を拾い上げると、それは一瞬で焦げついて砂となり、散っていった。




「……やっぱり、死んだ奴の残した仮面は炭化して消えていく。 『特務課』で押収した仮面のほとんどは形が残ったまま保存されている……。 事件に関わった大多数の『少数派ルサンチマン』は、まだ生存している……」




 手に残った炭を捜査用の小袋に流し入れ、マリアの遺体に触れる。




「……うええ。 仏の前で言うことじゃあないけど、ずっと直視できるものじゃあないねえー、こりゃ。 やっぱ向いてねえなあ、この仕事……」





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