『ヘヴィ・レイン』




「さあ声をあげろ、破壊に命を掴まれた苦痛の喘ぎを! テメェの穢れた過去ごと葬ってやるよ、ガブリイル・グロリアス・アナ・イコン・ナターシャ・ラブレス・スノーホワイトッ!!」


「あ、……ぁ゛!」




 マリアの目に映るキラの姿はまさに悪魔だった。

 父親と同じ顔をした仮面で、喉を絞め上げる。


 視界が暗くなるその直前。

 悪魔の背後に、半透明な人影が寄り立っていることに気が付く。


 白い鎧を着込み、刃こぼれした剣を携え、その顔に逆十字の傷跡を刻んだ女。

 その顔は、キラが異世界で出会ったアーシア・ヴィクトーリアに似ているが別人であった。


 謎の女剣士が、嫌味っぽく口を開く。





「――――信じるから、裏切られるのさ。

 最初から何も信じていなければ、

 裏切られることなんてないんだよ。

 アンタは私と同じ過ちをしたんだねえ?」





 マリアにはどうしてか、その女が誰なのかが分かった。


 聖女はマリアを嘲笑あざわらって、





「忌避すべき存在は既に身内にいるものさ。

 信仰の始まりより、ずっと前からね。

 ってことは、

 真の信仰とは疑うことだったってワケだね。

 ここでお前の旅は終わりだよ、慰み者のマリア」





 そして、ぐぎりと。

 何かが折れる音がして、視界が黒に落ちた。





「……チッ、最後まで声も上げずにイキやがって」




 キラは力の抜けたマリアの腕を掴んで、飽きた玩具かぬいぐるみみたいに引きずる。




「『実像崇拝ラブシミュレーション』は他人に愛を発芽させる権能。 発芽した後の愛を操作する能力じゃねェ。 だからテメェの仮面を割った後でも、オレの中にはまだぼんやりとテメェを愛していた感情が残ってやがる。 ……だからよォ、マリア。 まだオレと遊ぼうぜ? ラウンド2と洒落シャレ込もうじゃねえかよ!」




 そのまま、マリアごと空間に開いた『窓』へ向かう。

 礼拝堂の景色が覗く、現実の帰り道へ。




「死んだ奴が『窓』をくぐると、命を取り戻して転生できる。 確かそうだったよなァ? じゃあ愛し合う二人で帰ろうぜ、元の世界によォ。 そんでもっかい殺してやる。 今度こそ悲鳴をあげさせてやんよ、屠殺される子豚みてえになァ? ハハハハハ!」




 光が、悪魔を飲み込む。


 一瞬の無重力と共に、懐かしい空気を感じる。




 現実に、帰還する。






――――――――――――――――――――






「――――ァ?」




 床に着地する。

 自分の身体が無傷に完治していることに気が付く。ビリビリだった制服も元通りで、アーシアから借りていた黒いケープも見当たらない。

 オレは『窓』を越える直前の姿に戻っていた。


 異世界に行く前と違うことと言えば、ひとつ。

 !?




「ぐ、あぁあああ゛あ゛あァああ゛!!」




 視界の端で、同じく元のシスター姿に戻ったマリアがゆらりと立ち上がるのが見える。




「ま、て……! マリアァあ!! まだ終わりじゃねえぞ、オレからぁあ!! 逃げんっ、なァよ!!」




 フラフラと揺れる身体を会衆席にぶつけながら、マリアは礼拝堂の扉を開き、雷雨の中へ逃げ出していく。




「おい、マリアぁ! マリアアアアッ!」




 追う余裕もなく、その場で頭をおさえて転げ廻る。ボタボタと落ちる黒い涙が、床を汚す。


 そのまま十数分ほど嘆き続けて、やっと痛みが和らぎ立ち上がれるようになった。

 目の裏側から、剣山が生えてきたみたいにジンジンチクチク、断続的な痛みが止まらない。


 そんな状況でも、キラにはどうしてもいち早く確認しなければならないことがあった。




「……り、さ。 理紗……、どこだ……」




 『窓』を通して、先に現実へ帰したはずの理紗の姿が見当たらない。

 礼拝堂の中を壁を頼りに歩き回るも発見できず。


 もしや、と制服ズボンのポケットに入っている携帯電話を確認すると、複数の通知が積もっていた。

 仁からの不在着信が十数件、LINNEメッセージも同じくらい。そして最新の一件に……、理紗からの連絡が届いていた。






 "お兄ちゃん、心配させてごめんなさい。

  仁さんと『いつもの場所』で待っています"






 安堵に脚を折りたくなるところを、必死に耐えて仁に電話を返す。




「…………仁、」


「やっと出た! 何をしていたのさ、理紗ちゃん心配してたぞ!?」


「理紗、今そこにいるか?」


「お兄ちゃん!!」




 安全を確認し合う、感動の会話。その皮切りとなるはずだった妹の声で、通話は途切れる。

 原因は携帯電話のバッテリー不足。真っ黒画面に乾電池のイラストが点滅する。




「くそ……」




 理紗と仁は、『いつもの場所』にいる。

 これ以上は心配をかけるワケにはいかない。すぐにでも向かわなければ……。


 礼拝堂を出て、雨風に殴られながらも校門へ向かう。

 外は既に夕方を過ぎて薄暗かったが、小門はまだ施錠されていなかったので助かった。



 身体が重い。

 壁に手をつけながら坂を降り、街中に出る。


 アスファルトを黒く濡らす雷雨は止みそうにない。それどころか、より一層と勢いをましているようにも感じられる。

 傘もささず雨曝しのまま街のスクランブル交差点に差し掛かり、青信号で渡り始めたその時。

 街頭が、ノイズ音と共に白く照らされた。


 行き交う人々が、次々と傘を傾けてビルの上層部に注目する。その視線の先で、いつもは広告なんかを映している街頭テレビジョンが砂嵐を吐いていた。




「真――――を――えよう」




 砂嵐が、周囲に感染していく。

 あらゆるデジタル看板が。

 あらゆる電波モニターが。

 街中のあらゆる液晶が、

 伝播したホワイトノイズに染められていく。


 立ち止まる人。

 何だ何だと騒ぎ出す人。

 携帯電話のカメラを向ける人。

 人々が、その異常に釘付けになる。

 




「真実を――――、教えよう」





 そして全ての砂嵐が一斉に、

 





現世うつしよに生きる、報われぬ者達よ。

 モノクロームの日常に辟易しながらも、

 社会や世間体とかせ

 『心』を縛られし無気力の群衆よ。

 真実を、教えよう」





 VHSビデオみたいな画質で街中をジャックする仮面の男は手を広げて、





「この世界には権能と呼称された、奇妙な力が存在している。 物理現象を無視し、異常を引き起こす虚構の如き力。 それは時代によって、立場によって、信仰によって、あらゆる名で呼ばれてきた。 異能、超能力、超常現象、奇跡、運命の悪戯、悪魔との契約、神の意思……。 権能を正しく扱えば、この世界は更に発展し、その絶大な効力は人類の安寧へと繋がるだろう。 しかし、何故この権能の存在が世間に知れ渡っていないのか。 その理由は……、政府による隠蔽にある」





 それはまるで、教科書みたいなオカルト陰謀論だった。

 しかし物珍しさからか、人々はEXEから目を離さない。


 それどころか、期待に胸を躍らせた横顔すら見受けられる。つまらない日常を掻き乱す、救世主でも現れたみたいな興奮の表情を。





「其の昔、国の公表の出来ない情報活動を専門とした陸自の秘密諜報機関が存在していた。 消去されしその秘匿名は、『634機関』。 オペレーションによっては『MIST』 とも、『情報特別勤務班』とも、『V1Ⅴ4N』とも呼称されていた。 この『634機関』こそが、権能の存在を隠し、研究していた集団であった。 そして現在、既に解体された『634機関』の遺産を引き継ぎ、軍事利用せんと画策する別の機関がある。 内閣府直属、公安特殊犯罪対策任務課『 P.R.V.L.M.パラベラム』。 彼等は軍隊だ。 しかも、権能を運用し、他国との軍事技術競走に打ち勝つだけでは飽き足らず、国内に向けた非人道的な計画を進めている。 である」





 何を、言っている……?

 あの男は、こんな大規模なことをして何を狙っている?





「『 P.R.V.L.M.パラベラム』の情報統制計画が進めば、SFで観た反理想郷ディストピアが訪れることとなる。 国民から自由が剥奪され、生活の全てが管理される世界。 我々はそれを赦さない。 権能は、退屈な日常を塗り替える鍵だ。 繰り返しの毎日に変化を与え、絶望に伏す持たざる者らへ僅かなりの力をもたらす。 人生逆転の光、蜘蛛の糸である! 我々は、『少数派ルサンチマン』。 政府による権能の独占を認めぬ、国境なき異能の軍勢。 権能を拡散し、誰しもが本当の意味で可能性を握る世界が訪れるまで、我々は戦い続ける!」





 交差点が赤信号になっても、EXEはのたまい続けた。

 車のクラクションが鳴っても退かない歩行者達の中を掻き分けて、煌は進む。



 『いつもの場所』へ。

 今はとにかく……、妹と親友のもとへ。





 頭痛で割れそうな頭を抱えて、よろけながら、テロリストの街宣を背に、黒く照らつく街を歩む。


 やがて辿り着いた、廃線になった線路跡。

 びしょ濡れの身体を気力で引っ張り、石屑バラストを踏みしめて、あの場所へ向かう。


 放棄されたコンテナ群の、その内のひとつ。

 思い出の秘密基地へ。

 『いつもの場所』へ。




「お兄ちゃんっ!!」




 そこに着いた途端、泣きじゃくる理紗が胸に飛び込んで来た。




「お兄ちゃん、ごめんなさい……! わたし、お兄ちゃんにたくさん心配させた……、ごめんね……!」


「理紗……、良かった」


「わたし、お兄ちゃんに何が起きてるのか分からなくて、とっても……、怖くて……っ!」


「いいんだよ、理紗。 一緒に、家に帰ろう……」




 色んな感情の混じった顔をした仁が、オレ達の横に立った。




「……煌、何があったのか聞かせてくれるんだろうね? 理紗ちゃんはほとんど記憶にないって言うばっかりで……」


「……例の、あの時の奴らが関係してるんだ」


「……そうか。 じゃあ明日でも明後日でもいい。 必ず、話してくれよ?」




 仁からしたら今すぐにだって事情の説明をされたいだろうに、理紗をこれ以上不安にさせないよう会話を区切ってくれたようだった。




「仁……、急に一方的に呼びつけて、ワケも分かんねえことに巻き込んだってのに……、本当にありがとう」


「自ら望んだことさ、ってね。 まさかこんな直近の出来事になるとは思ってもみなかったけど。 とりあえず、二人とも今夜は休むべきだ」


「ああ……、今はとにかく、リサを家に帰してやりてえ。 明日、また連絡する。 迷惑かけてすまなかった、ありがとうな」




 仁の優しさに世話になったオレ達は、借りた一本の傘の下で身を寄せ合い、現実での再開に喜びを感じながら帰宅した。

 理紗をおんぶで二階まで連れていき、部屋をあけて、大きな望遠鏡を横切り、ベットに眠らせた。

 泣き疲れたのか、理紗はすぐに眠ってしまった。しかしその寝顔は、異世界で見た『夢幻』の深い眠りとは違い、優しく、安心したみたいな可愛らしい表情だった。




「……権能」




 異世界転生、ドラゴン、剣、魔法、王国……。

 あれらが全て、放課後の数時間で起きた事だってことを今更ながら飲み込み始める。


 全ては、権能の効力。

 マリアの仮面の異能が、それを引き起こした。



 仮面の界隈が、遂にオレの妹にまで手を出したという事実に胸が痛む。

 それが指し示すことは、もう何処にも安全な所なんてないということだった。


 オレが近くにいるだけで、周りの人間が次々危険に晒されることになる。理紗だけじゃない、『いつもの場所』の皆も、日継高校のクラスメイト達も、神無月の両親も……。





 涙の跡を残して眠る理紗のベッドの横で、

 オレはただ、拳を握って立ち尽くしていた。


 窓の外では異常気象が吹き荒れている。

 雨風に、フラッシュ。遅れて雷鳴。



 雨は、まだ、止まない。









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