『マインド・チェンジ』




 飛行機の窓から見た外の景色は、ほとんどずっと海だった。

 修学旅行の終わりだというのに、周りはまだまだこれからと言わんばかりに元気だった。沖縄土産の菓子を回したりして盛り上がっている中……、オレはスマホに届いた一通のメッセージに頭が一杯になっていた。




  "リサちゃん、昨日今日と学校行ったんだってよ!帰ってきたら褒めてあげなよ?"




 あの引きこもりだったリサが学校に……?

 しかもオレも居ないのに、一人で?

 想像できないな、そんなの。


 だがメッセージを送ってきた送信元は仁だ。あの夏から理紗リサは学校には行かなくても『いつもの場所』には顔を出していたし、そこで本人から聞いたのだとすると……、情報は確かだろう。……それでも信じ難いが。


 下手に確認のメッセージを送るのもおかしいと思い、帰宅してから本人に確認することにした。






―――――――――――――――――――――






「ただいmっ!?」


「むぎゅぁー!! おかえりおかえりおかえりおかえりおかえりおかえりおかえりおかえりお兄ちゃんんんんんん!!」


「飛びつくなぁっ! 荷物多くて重いんだから!」




 と、いつも通りの熱愛お出迎え。

 荷物まで運んでくれて、食事まで用意してあった。

 そこまで腹は減っていなかったが、折角せっかく用意してくれたのを冷ましてはいけないと思い、すぐに晩飯にすることにした。




「美味いな、肉じゃが。 練習したのか?」


「はいそうですよ、オムライス以外も上手く作れるようにならないとと思いまして昨日練習したんです」


「ってことは、食材も自分で買ってきた? それとも宅配サービスでも使ったのか?」


「自分で買ってきたんです! そうだっ、私、実は昨日と今日、学校に行ったんです」


「……それ、ホントなのか。 すげえな、急にどんな心情の変化だよ? あんなに外出を嫌がって、学校にだけはって言ってたのに」




 うーん何ででしょう、と首をかしげる。

 どうやら明確なきっかけってのがあったワケではないらしい。




「特に思い当たる節はないんです。 ……強いて言うなら、お兄ちゃんがいなくて寂しかった、のでしょうか。 お兄ちゃんが帰ってくる前に、少しでも強くなりたかった、みたいな……」


「……そうか。 偉いぞ、理紗」


「えへへ。 あのね、頑張って登校して、お友達も出来たんですよ! なんか最近、急に元気でてきたんだよね。 なんでもやれる活力が湧いてくるっていうか! 全部上手くいくって、そんな気がするんです。 実際、全部上手くいってるし、神様っているんだなあって思ったな。 感謝感謝ですよー。 でも、流石に疲れたから土日はしっかり休みます。 あ、リハビリの外出は続けるし、月曜になったらまたちゃんと学校頑張るよ」




 すごいな、オレのいない間に理紗の中で革命が起きたらしい。

 ここまでスッパリと切り替えられると、オレがアアだコオだとお節介ばかりしていた苦労は何だったんだという気持ちにもならなくもないが、まずは嬉しい限りだ。


 人によると思うが、理紗の場合、気持ちの変異は外から刺激を受けるより自分の内から変えようとする力の方が強く働きやすかったのだろう。




「あのね……、お兄ちゃん。 ありがとう、ね。私のこと見捨てないでくれて……」


「そんなの、当たり前だろ。 オレはここの居候だし、神無月の血も流れてない。 でも、お前のことは本物の妹みたいに思ってる。 なんかあったら絶対助ける。 見捨てない。 家族だから。 それが、オレを見つけてくれたお前への……、オレなりのお礼なんだ」





 修学旅行でクラスメイトとの仲も深まり、理紗も快調。なんだかんだで、上手くいってる。上手く、やっている。順調だと。



 この時はまだ、そう、思っていた。






―――――――――――――――――――――






 土日を挟んで、月曜。

 妹と二人で、初めて一緒に新しい学校に登校した。


 駅前のロータリーをで信号待ちをしていると、晴天に鳩がピヨピヨと低速飛行しているのを見て、理紗が微笑んだ。




「そういえばお兄ちゃん、知らないうちに生徒会長になるための選挙?してたんですよね? 先週クラスメイトから聞きましたよ」


「……厳密には違うんだが、まあな」


「ふふ、お兄ちゃんが生徒会って、すこし意外でした。 でも落選しちゃったんですよね? 私に言ってくれたら、台本読みの練習とか付き合ったのに!」




 ……言えるわけねえよ。オレと理紗の退学を跳ね除けるために生徒会長とバチバチしてたなんて。

 きっと話してたらもっと心配かけて、責任感を与えることになって……、妹が登校するようになるのはもっと遅くなっていたはずだ。


 電子マネーにチャージをしてから電車に乗ると、いつもより車内は混んでおらず、いつもだったら欠伸あくびをしながら眠い目をこすって軽い頭痛に悩まされるだけの十分間が待っているはずだったのだが……、今日は違った。


 手すりに掴まる制服姿の理紗が新鮮で……、オレは目を奪われていた。

 まるで新入生みたいにフレッシュな雰囲気を帯びていて、先週まで引きこもりをしていたとは思えない横顔がそこにあった。


 外側よそ行きの理紗は、こんなにも可憐な女の子だったのか。

 そんな今更の発見に兄として妹のスペックを見抜けなかった不甲斐なさを感じたが、それよりもずっと、脱引きこもりの奇跡の方が嬉しかった。


 理紗はこれから、きっと普通の女の子らしい生活に復帰していく。

 その事実を前にしただけで、感動は絶えなかった。






―――――――――――――――――――――






 妹と学園の校門を過ぎたところで分かれ、クラスに到着。修学旅行前と同じ、他愛ない話が方々から聞こえてくる。




「……おはよう、神無月煌」


「よう、野崎。 どうしたよ暗い顔して、日焼けでもしたか?」


「見ての通り、私の全身包帯日焼け対策は完璧さ。 紫外線に悩まされるようなことはほとんどない。 傷口がむず痒くなるくらいしかね」


「じゃあ修学旅行が終わっちまって寂しいのか? お前にも学生らしい情緒があるんだな」


「そう言う君はやけに気分が良いみたいだが? 妹と登校できたのがそんなに嬉しいのかよ?」


「なっ!? お前、いつの間に知ったんだよ。 理紗が学校来たって」


「私は君の監視役だ。 妹の動向も知れるよう、情報網は広げてある。 君のまでね」




 どうやら野崎も『いつもの場所』のメンバーから理紗のことについて聞いたみたいだ。

 つか、仁たちをオレの監視のための情報源に使うんじゃねえよ……。




「それにしても。 家にこもっていたはずが急に登校するようになったというのは、どういった心情の変化だろうね? しかも君が留守にしている間に、だ。 まあ、あの夏以降『いつもの場所』に顔を出すようになっていたし、外への警戒が時間をかけて雪解けしたのかも知れないけど、それにしても急すぎる気もするが――――、」


「海ちゃーーん! おっはよう! そして煌っちも、おはよーう」




 横槍を入れてきたのは流星。

 日焼けだらけで真っ赤にした顔を差し込んできた。




「見てよこれー、酷くねえ? 日焼けクリーム塗ってたのに! 紫外線って人類の敵だわー。 沖縄はあーんな暑かったのに、こっち帰ってきてすぐくっそ温度下がりまくってちょいさぶって。 秋どこいったんだよ秋! これ異常気象ってやつだろ? オゾン層破壊? 地球温暖化? あーむりむり。 何もかも紫外線のせいじゃねえか! やだやだこの星〜! 衣替えって10月からだろ? 待てねーし明日から冬服着てきちゃおっかなー」


「……勝手にしろ」


「うほーーーー海ちゃあん! その冷たいクールさがたまらない! 太陽みたいな笑顔を絶やさないアリサちゃんも最高だが、月みたいにひっそりとただずむ海ちゃんも魅力的だ……! くっ、捨てがたい……」


「捨てがたいも何も、私はお前に拾われた覚えはない。 回れ右で壁に突っ込んで絶命しろ」




 ……野崎のやつ、今日は機嫌が良くないな。

 寒暖差で体調でも悪いのかもしれない。




「もーすぐ文化祭じゃん? クラスごとに出し物とか必要になるわけじゃん? そろそろさー、団結しなきゃいけないと思わねえ? 俺っちは常にオープン! あとはそっちだけよ? この伸ばした手を引いてくれよおー」


「文化祭の直後はテスト期間だろう。 色恋にうつつを抜かしている暇はないんじゃないか? 特に、お前は」


「たーしーかーに俺っちの成績表は絶望的だ。 良いのは保健体育と現国だけ。 あとは……、からきし駄目。 でもなー、こんなオレでも勉強より大切なことが世の中にはいくつかあるって知ってるワケよ……! 愛だよ、愛……っ!」


「好きに言ってろ……」


「ああ、好きを言わせてもらうぞーっ!」




 相変わらずだな、流星は……。

 てか、修学旅行終わったばっかだってのにすぐに文化祭って、イベント尽くしだな。




「そういやぁ教卓んトコに文化祭でやるクラスの出し物アンケート用紙あったから、二人とも書いとけよな」


「出し物か……、何がたこ焼きとか焼きそばとか、そういうだよな? うーん、どれも面倒そうだな……」


「なにも出店の飲食じゃなくても、室内展示とかでもいいんだぜ? 教室飾り付けとかして輪投げとかストラックアウトとかよ。 去年だとお化け屋敷とかもあったっけか」


「流星は去年、何やったんだ?」


「俺っちのとこは執事喫茶だった……、女子がキッチンで男が接客。 安物の燕尾服えんびふくとか着てさ。 面倒めんどかったなー」




 言われた通りに教卓に積まれていたアンケート用紙を二枚取ってきて野崎にも渡し、上から読んでいく。




「今年度の文化祭は昨今の不安定な治安状況を鑑みて、初日の校内限定公開日、二日目の一般公開日の二日間で開催するものとする……。 去年とかは二日間よりも長かったのか?」


「去年は四日間だったけかな? 二日って短いなー、出し物はメンドイけど授業スキップできるって考えたら楽しいから、長い方が嬉しいんだけどなあ」


「テロに、失踪事件、連続殺人も。 今の日本はまるで無法地帯ゴッサムだ」




 その原因の一端はお前だ、お前に言ってんだぞ。と野崎に目を向けたが、野崎はいつもみたいにしらばっくれるような真似はしなかった。

 その表情は強ばり、怒りを感じているみたいだった。




「……迷惑な話だよ、本当にね」




 ……野崎は自分の所属している『少数派ルサンチマン』や周囲のことについて情報収集を絶やさない。

 そんなあいつが怒ってるってことは、自身の預かり知らぬ所で権能の関わる何かが起きていることを許せないでいる……、その気持ちの強い表れ。


 どうやら上手くいってるってのはオレの身の周りのことだけらしい。

 世の中は、以前よりずっと酷いことになっていってる。


 身近に仮面の界隈がある以上、きっとこの小さな平和もすぐに脅かされることは避けられないだろう。

 なら、今この時間を可能な限り楽しんでおくべきだ。



 ……これで再認識できた。

 『少数派ルサンチマン』は、やはり悪だ。


 あいつらがいなければこんなことを考えずに済んだし、きっと多くの人が巻き込まれて苦しまずに済んだはずなんだ。





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