『黒き悲願の代償』



 寂れた廃教会。


 割れたステンドグラスの色明かりを浴びる、

 カラフルな二つの人影。



 一人は膝をついて、

 まるで神に許しを乞うみたいに

 両手指を組んで頭を下げている。


 もう一人は祈り人の前に立ち、

 懺悔を聴く神父の様な口振りで、





「持たざる者よ。

 汝の願いを叶え、反逆の口火を与えん」





 黒いフルフェイスの仮面の奥で、

 男の眼が紅く煌めく。


 そしてロングコートの内側から、

 一丁の長い拳銃を取り出した。





「『福音エクストラコイン』――――」





 男が指を引くと火打石を備えたハンマーが落ちて、爆音と共に銃口が発火した。

 しかし意外なことに、そこから放たれたのは弾丸ではなく銀貨コインだった。


 銀貨コインは正面で祈り込む男の胸を貫通し、床タイルを割って着弾した。

 祈り人は硝煙を抱いて、フルフェイスの足元に前のめりで倒れこむ。


 胸の穴から流れ出した血液がじわりじわりと血溜まりを広げていく。

 フルフェイスが手を伸ばし、遺体に触れようとしたその時。教会の入口から男の声が飛び込んできた。




「動くな! 不審な動きを見せれば撃つ!」




 コンパクトな拳銃を向けて入ってきたのは、青目の軽装警官。




「特務課です。 銃を捨てて仮面を外しなさい、EXE!」


「――――ロゴス」


「……どうして、私のコードネームを」




 EXEはロゴスの質問に答えず、フリントロック銃を持つ手で左の手袋を外す。

 するとそこに隠されていたのは、まるで灰のように白くなった手指だった。




「聞こえなかったのですか、銃を捨てなさい! 捨てろっ!」


「怯える必要などない」




 男はその白い手をぐっと握り込み、親指でシャンパンのコルクを飛ばすようにしてパチン、と何かを空へ飛ばした。

 光り物は高くまで飛んで、重力にのっとって同じ手の中に落下した。


 開かれた手のひらの中には、一枚のまっさらな銀貨コイン




「いつ私が手品を見せろと言いましたか! こちらが撃てないとでも!?」


「撃てぬとも。 其の様な筋書きシナリオであるからな」


「……貴方を拘束する。 数々のテロ活動、暴動、殺人に窃盗、罪状は数えきれません。 組織犯罪集団『少数派ルサンチマン』指導者として――――、」


「願いを叶えたくはないか、ロゴスよ」




 EXEは銀貨コインを見せつけるようにこちらへ向けて、確かにそう言った。




「その目に映ったであろう。 此処ここに横たわる男は、我が『鍵』により解放された。 願いを叶えたのだ」


「何を馬鹿なことを。 ただの処刑ではありませんか!」


「通常、『福音エクストラコイン』を受肉した者に訪れる変化は死亡ではない。 それは解放である。 解放とは、死の正反対に位置する覚醒である。 可能性の誕生、第二の人生劇の開幕、または夢の終わり、理想実現の始まりである。 この男の願いは。 常に他者と交流しなければならない生活に疲弊し、何者にも声をかけられぬ、指をさされぬ、自由存在への昇華を望んでいた」


「それで撃ったのですか、死こそ究極の安寧だなどとカルト地味た適当を並べて!」


「否。 彼が求めていたのは死ではなく、煩わしいものとの交流、関与なき人生であった。 故に、だ」




 ロゴスがその言葉の意味を理解するより先に、不思議なことが起きた。

 胸を撃たれて倒れていた男が、その肘を床に突いて立ち上がろうとしていたのだ。


 しかも、先程まで広がっていたはずの血溜まりもいつの間にか消えている。まるで銃撃の事実がなかったみたいに、男の身体にあいていた穴すらも無くなっていた。


 ゆらり、と立ち上がる男の顔には……、まるで海外のハロウィンやホラー映画で使われるような幽霊のマスクが張り付いていた。




「『鍵』の恩恵により、彼は亡霊となった。 社会の猥雑をすり抜け、如何なるものにも妨げられぬ透明人間。 生きながらにして死に、社会、集団、雑踏の中で独りになる力を獲得したのだ」


「……まさか。 貴方の権能、『福音エクストラコイン』の能力は……、……! その銀貨コイン銃で撃った者を強制で権能所持者にする権能……!?」


「――――解放に至るには条件が有る。 その者が歪んだ感情、欲求を持つほどの強い願いを持たねば、銀貨はただ肉を貫く弾薬たまぐすりと成り果てる。 しかし、資格のある者が受肉すれば痛恨の念と共に仮面の獲得へと至るのだ。 そうだろう、ゴーストフェイスよ」




 亡霊のマスクからズルズルと黒いオブラートのような布が伸びてきて、男の全身を包み込み始める。

 一瞬で真っ黒なころもを帯び、本人もそれを不思議そうに身体中をペタペタと触って確認している。




「……『少数派ルサンチマン』がどうやって構成員を増やしているかよく分かりました。 幽霊マスクの男! 貴方も動かないでください、権能を使う素振りでも見せればすぐに――――、」


「おお、おお!! EXE様ぁ!! これだ、これです、これを求めてました! この力さえあれば私は、誰にも干渉されずに生きられるう!!」




 泣いて喜ぶ幽霊の眼が、紅く煌めく。

 それは権能の効力が発揮される時の証拠であった。




「……警告はしました」




 ロゴスの構えた防音器サプレッサー付き拳銃から、静かな弾丸が放たれた。

 丸い弾頭が黒衣くろもの胸部に吸い込まれる。


 それは、確実に直撃した。

 しかし、出血は起きなかった。

 弾丸が貫通した直後、男の背から吹き出たのは血液ではなく、暗雲のような黒霧だった。




「なに……!?」




 ロゴスの第二射、第三射が続く。その二発ともが幽霊マスクの胴体を貫き、穴から黒い霧を吐き出させた。

 男は銃撃を受けて怯むどころか、痛がる様子すら全く見せない。




「これが、これが僕の権能! 新しい身体! あは、あはは!! すごい、すごいやあ……!」


「ゴーストフェイス。 その亡霊の如き仮面に含有されし権能は、『404データエラー』」




 黒い霧の吹き出た穴に壊れたブラウン管テレビのようなノイズが複数走り、次の瞬間には欠損が塞がっていた。




「……身体を霧状にして物理損傷を無効にする権能ですか。 全身が霧になれば誰にも視認されず、認識されることはない。 そこの男のという願い……、それを権能の効力で叶えたというのですか……?」


「再び問おう。 ロゴスよ、汝も願いを叶えたくはないか?」




 EXEは見せつけていた銀貨コインを銃の薬室チェンバーに挿入し、火打石のハンマーを上げた。

 それはフリントロック式の銃において大切な工程をほとんど飛ばしてしまってはいるが、紛れもない装填行為リロードだ。


 それを見たロゴスは――――、拳銃を発射するでも、装填を止めるよう警告するでもなく、ゆっくりと構えを下ろして涙ぐんだ。

 そして呟いたのだ。




「……私の、夢を叶えることが出来る、唯一の、希望の力……!」




 次の瞬間には、ロゴスは拳銃を床に捨てて膝立ちになっていた。

 彼は待ち望んでいたのだ。こんな展開を。

 




「……EXE。 『少数派ルサンチマン』の指導者。 扇動者……。 どれも違います、貴方を、貴方様を言い示す言葉には随分と足りない! 神だ、神様と呼ぶに相応しい!」


「我は神ではない。 救世主メシア、でもない。 一介の土塊つちくれ、無数に転がる石ころの、そのひとつである」




 銀貨コイン銃がロゴスへと向けられる。




「我は示すために権能を振るう。 全ての人間が、一介の土塊つちくれが、無数に転がる石ころのひとつが、例え如何いかに矮小な存在でも、強く願えば世界を変えることが可能であることを知らせる為に」


「どうか、どうか私の願いを叶えてください。 私は今日まで真面目に前だけを向いて生きて来ました。 青春を勉学に費やし、汚職もせず、真摯に正義に取り組み、人道的に生きて……、自分を殺し続けて生活をしてきたのです。 私の願いはひとつ、発散です。 この心に、理性という表面張力で抑え込まれた欲求。 欲望の解放! タガを外すきっかけを私にお与えください!!」





 ロゴスの人生はつまらないものだった。

 同じ時間に起き、同じ電車に乗り、同じ学校、同じ職場に向かい、同じ作業をして、同じ家に帰る。

 それが現代の人間のあるべき姿だと理解して、納得しきっていた。


 しかし、その反動で欲求は積まれる。

 法外な行動、利己的な欲望解放行為に惹かれる想いが募る。

 真面目に生き続けるだけでは到底発散することの出来ない、黒い欲求不満。その解消のため、唇を噛み続ける毎日。


 いつか核戦争が勃発して世紀末にでもなってくれれば……、そんな虚構的ファンタジーなきっかけのひとつでもあれば……、この欲求を解消するに値する発火があれば……。

 ロゴスはせきを切る。必ずそうして見せる。いつか必ずそうすると決めて、耐え忍んできたのだ。





「貴方様こそ、私の待ち望んでいただ! ダムを決壊させんと押し寄せる濁流だ!! どうか、どうか私にも貴方の『福音』を……!」


「――――良かろう。 ロゴス、装面せよ」




 ロゴスは言われた通りにした。

 下を向いて眼鏡を外すと、次に顔を上げた時にはVRヘッドセットのようなボックスが顔の半分を覆っていた。

 それこそが、ロゴスの所持する『墓荒らしキルログレポート』の仮面だった。




「仮面を得た経緯を記憶しているか」


「……はい。 権能捜査官ナンバーズみな、特務課で権能開発を経験し、仮面を獲得しております。 私も例に漏れず、権能開発によって仮面の獲得を――――、」


れは偽りの記憶だ。 汝の理性が真実の記憶に蓋をしている。 正しくは――――、しかし、忘却していたことも仕様があるまい。 仮面を操るのは汝ではなく、汝の裏側の人格であるからな」


「私の、裏の人格……?」


理性ロゴスに縛られぬ人格、本性ピュシス。 汝の持つ仮面の、真の姿である」




 EXEはロゴスの隣に立って、銃口をVRヘッドセットに当てる。その指が、引き金に乗る。




「持たざる者よ。

 汝の願いを叶え、反逆の口火を与えん。

 『福音エクストラコイン』」




 火薬も詰めていないのに、火打石が下りて発火した。

 ロゴスの仮面、バッテリーパックみたいに飛び出た黒いブロック部分が強烈に弾け飛んだ。




「う、がああぁあああぁあああああああ!!」




 銀貨コイン銃はロゴス本人に直撃こそしていないものの、目の前数センチのところで炸裂が起きたのだから、当然ながら痛みはあった。

 一瞬とはいえ、爆熱が眼球を焼いた痛みは強烈なものだった。




おもてを上げよ、汝の仮面は反転した。 表側ロゴス裏側ピュシスを認知し、表裏は一体と成った。 『墓荒らしキルログレポート』は本来の能力を解錠し、真の仮面へと変異した」




 痛みに嘆く男に、EXEは手を差し伸べる。




「ピュシスよ、切掛きっかけは与えた。 最早もはや、汝を縛るものは何も無い。 規則ルールも、論理モラルも、一切は汝の玩具と成り果てる。 変質した権能をたずさえ、己を解放せよ」




 うめくピュシスの眼が、紅く煌めく。

 ヘッドセットの外れた顔面の皮膚にヒビが入り、生気を失っていくみたいに白色化していく。




「は……、わたし、はっ…………」




 念願成就の魅力に勝るものなど、この世にはほとんど存在しない。

 してや、持たざる者にとってのそれは救済と呼ぶに相応しい。

 夢の実現は、彼ら『少数派ルサンチマン』にとってこれまでの生活、積み重ねてきた全てを打ち捨てるに値するものなのだ。



 その日、彼は人間ニンゲンを辞めてヒトとなった。





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