『砕き崩し壊して』
「うげー、キツー……」
「九死に一生、といったところか。 ……あの触手が権能とはね。 しかも勘違いでなければ奴は『
「マージでやばかったかもー……、動けないからもーちょっと休ませてー……」
指からの出血を止めて、座り込む二人のもとに向かうロビンソン。
床に転がった潜水ヘルメットの破片が、辺り一帯の黒インクをゆっくりと吸い上げているのを目撃する。
「……煌、よくやった。 さっき私は君の能力のことを最強クラスの防衛タイプだと言ったけれどね、あれには一部誤りがあった。 あの博物館で私の仮面を破壊した時もそうだったが、その権能には有無を言わさぬ一撃必殺の効力がある。 勿論、相手の仮面に直接触れなければならないという難度の高い条件こそあるが、その威力は
「……………………」
「だから謝っておく。 自衛に徹しろなどと言ったことを。 君がああして動いていなければ私は……、もっと血を流さなければならなかったろう。 だから――――。 おい、聞いているか?」
「…………く」
気を失った少女を床に寝かせたまま、神無月煌はゆらりと立ち上がる。
振り返ったその顔は――――、
「……煌? どうした、その目は……」
眼窩を覆う黒いアザ。
異形の怪物から浴びたインクとはどうやら違う。
紅く煌めく眼が、黒い皮膚の下で血管が胎動している様子を照らして見せる。
「くくかははははははははははははッ!」
両手を広げて笑う煌の姿に動揺する。
勝利の雄叫びや安堵から溢れた笑みってタイプのそれではなく……、全てを失った人間が最後に馬鹿騒ぎするみたいな、破綻した失笑。
ロビンソンが目の前にしているのは、監視対象であり、クラスメイトであり、今の今まで共闘していた神無月煌。
その事実に間違いはないというのに、彼女は既に
「君は……、本当に煌か……!?」
「キラ……。 はははッ、キラ! 知るかよ、オレの本当の名前なんてなァ」
「名前のことを言っているんじゃあない! 中身のことを聞いているんだ。 君は……、本当に私の知っている煌なのか……?」
「あァ、イエスだぜロビンソン。 別にカフカの第二人格とかみたいなワケでもねえ。 今のオレは正真正銘……、お前の知ってるキラだよ」
「……違う。 煌であって煌では……、ない。 声も顔も姿形も煌だが、それでも君ではないと言える。 そのオーラが違いすぎる……。 だって今の君には……! おぞましく暗い引力を感じる……!」
『仮面の引力』。
権能を操る者が、その執行時に放出する無線電波のようなエネルギー。同じ仮面持ちにのみ第六感的に感じ取ることの可能なオーラに近い何か。
仮面を持たずして権能を操っていた煌がこれまでに放っていた『引力』は限りなく微弱で、一瞬の身震いや虫の知らせに似た勘違いに近い感覚へ変換されるほどの幼い波動だと、ロビンソンは記憶していた。
しかし、今の彼は全くといって記憶と違っていた。
宇宙の果てでも覗いているみたいに底なしで、冷たい金属の液体でも飲まされてるみたいに全身が重苦しくなる、そんな、瘴気。
「……『仮面の引力』はその者の性格や思想、存在意義を表わすものとなっている。 故に能力と同様、そのオーラは人それぞれだ。 私みたいに
「知るかよ……、ンな事。 オレは今、最高に気分が良いんだ。 胸が
「悪いけどね、今の君の様子が体調良いとは到底思えない。 結核患者が
「気にすんな、下ろす必要はねェよ」
警戒度MAXのロビンソンが反応出来ない程の、予備動作ゼロの急な進歩。
切り上げるような手のひらが
「ハッ、脆い脆いぜ脆すぎる! オレに向けんならもっと壊し
「……『
血の残骸を集めて作ったのは、二つの巨大なクロスボウ。
それを両手に、バックステップで距離を置く。
「へえ、
「……そこの怪物女の権能に洗脳でもされたのか? それとも……、煌の皮を被った他の何者か」
「おいおい酷ェなオレのこと忘れちまったのかァ? オレはオレだよ、神無月煌! お前の友達のな!」
一切の敵意を隠さず床を蹴ったキラに向けて、弩弓の引き金にロビンソンの指がかかる。
「……一体、何がどうしてどんな事情でそうなったのかは分からないが……、すまないが動けなくなって貰おうか。 なに、脚が穴だらけになっても私の権能で戻してやるよ、しばらく痛むだけさ」
怪物との戦いで、ロビンソンはかなり消耗していた。
今更、おかしくなったキラに対して手段を選ぶようなことは出来なかったのだ。
両手の弓矢が、同時に発射される。
それは一直線にキラへと向かっていき――――、
そして、直撃と共に砕けた。
その欠片は形状を失い、血飛沫となってキラの両手で払い除けられる。
「……破壊の権能、厄介な!」
権能の血流操作により瞬時に次弾の血の矢が装填される。
が、キラの進行はそれよりもずっと速い。
その片手が弩弓へと伸び、接触したその瞬間。
光る亀裂が作品に走り、
「くっ……!
「無駄だ無駄無駄ムダに決まってンだろォが!!」
キラの素早い腕が、絡まるように形成中の傘の骨組みを掴み、そのまま引き抜くようにして破壊される。
だが問題なのは、もう片手の方。
腰の後ろに構えられた拳による、骨組みを引き抜く動作を利用した軸回転のフックが放たれる。
ロビンソンが設計した即席の血液盾は、当然、役に立ちはしない。
「ぐッ……!?」
ブルン、と身体の向きごと変えられる威力に、数歩
「そんな程度じゃあウォーミングアップにもなんねェぜロビンソンちゃんよォ! オレはさァ、今この力を試したくって仕方がねえんだよ。 この破壊がどこまでやれんのか知りたくて知りたくて堪んねェ。 分かんだろ? もっとデケェ食いモン持ってこいっつってんだ!!」
「くっ……、この…………!!」
「あァそっか。 お前は挑発されるよりも、
そう言って、キラは満面の笑みを浮かべる顔を片手で覆い、そのまま拭い去るようにして撫で下ろした。
するとそこには、無骨で鋼鉄な仮面が出現したのだ。
ロビンソンは当然、その目を疑った。
だってそれはロビンソンの仮面と瓜二つ、いいや、そのものだったからだ。
「馬鹿な……、私の、仮面を……!?」
「…………驚くのはそれだけじゃねえよ。
驚嘆しろ、『
それは、ロビンソンの権能。
仮面に宿る能力の名だった。
しかしキラが指の腹を噛み切ると、それはまるで、元から彼の能力だったみたいに……、さも当然のように、出血が物理法則を無視した。
キラの振るった腕の動きに合わせて、空中に血が設計されていく。
「『
咎人の
それは嫌悪感を催すほどの、歪な黒大剣。
人間を処刑するためだけに作られたギロチンの刃に強引に柄を埋め込んだような破滅的なデザインのそれは、ロビンソンの激昂を引き出すのに充分すぎる醜悪さであった。
「私の……、私の『
「おいおい流石にブチ切れかよ? そうだよなァ……。 くくッ、くはははははッ!! そうだそれだ、その顔が見たかった! 平静を装ってクールぶってるテメェが怒りに任せて表情を破壊する瞬間がなァ!! あァ、最高だぜロビンソン! 何故だどうしてだって聞きてえんだろ!? ハハハッ!驚かせちまってすまねェなァ!?」
2メートルはあろうかという巨大なギロチン大剣を、キラはいとも容易く持ち上げる。
料理人が
「もっとだ、もっと壊れて
―――――――――――――――――――――
「……始まったか」
かつての『
壁中に数字の書き込まれた狂気的なフロアの中心にジョン・ドゥはいた。
その目の前には、椅子に縛られた血濡れの
「なぁラヴェンダー、そろそろ本格的に時間がねえんだよな。 だから頼むぜ、一言オッケーっつってくれりゃあいいんだ。 それだけでお前は解放してやるんだって」
「…………が……、」
「お、何だ何だ? さっきのドリルのせいで耳おかしくなっちまってよ、あんま上手く聞こえなかったわ。 もっかい言ってみろよ」
「……誰、が。 お前なん……かと……」
ハァー、と溜め息を吐くジョン・ドゥに対して、穴だらけの
拷問者はその様子が気に入らなかったらしく、ミリタリーコートに手を突っ込んだままラヴェンダーの胸を前蹴りで蹴り飛ばす。
椅子ごと派手に後ろに倒れる。当然、拘束で受身は取れない。
「……もっかい言うぜラヴェンダー。
俺と友達になろうぜ?」
「答えは……、同じ、だ……」
「おっ堅いねえ。 親にゃ変な人に話しかけられても無視して
「お前の……狙いは分かっている……。 私を、利用して……、私の権能……を……!」
「EXEの奴に聞いてんだもんな、そりゃあ渋るよなー! 気持ちは分かるぜカラスちゃーん。 でもよー、もうてめえに選択肢はねーんだよ、お馬鹿さん」
転がる満身創痍への追い打ちに、黒いブーツの靴底が顔面に押し付けられる。
「友達になろうぜ? ラヴェンダー……!」
拷問男の眼が紅く煌めく。
ラヴェンダーがこれから先にどれだけ叫ぼうとも、その声は誰にも届きはしない。
そのフロアは、既に『箱』となってしまっている。シュレーディンガーの『
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