『誰もが転がる石』



「『文鳥・夢十夜(1908)』、『審判(1925)』、『オフシーズン(1981)』。 汝等は儚く、不条理に、そして惨たらしく死にくのだ。 妾の他に仮面は存在する必要などない。 星を正しく導く妨げに成りうるからの!」




 ロビンソンは両手指からの流血を床に垂らしながら、槍斧ハルバード鉈刀ククリの二刀持ちでカフカと交戦していた。

 辺りには小説の世界から召喚され、次々と『爆弾作りベータテスト』で細切れにされた化け物たちの残骸。

 骨も内蔵も一緒くたの、血の空間で彼女は戦い続けていた。




「よう足掻くものよ。 では、こんなのはどうじゃ? 第九の召喚、『メイズ・ランナー(2009)』……」




 開かれた本から現れたのは、八本足の機械生物。

 蟻地獄のような牙付きの口穴を広げてこちらを威嚇する。


 しかし、威嚇するだけだった。

 灰色の粘液を纏った蜘蛛かさそりに似たそれは、仰々しい見た目に反して節足を狭苦せせこましく動かし、飛びついてくる気配はない。




「『メイズ・ランナー(2009)』。 読書は人並み程しかしないけれどね、そいつはたまたま昔に、造形の勉強にと映画版を見たことがある。 確か作中ではグリーヴァと呼ばれるクリーチャーだったか。 フン、『夢物語ラブクラフト』がお前の言う通り、作品から抜粋された存在を忠実に実現させる能力だと言うのなら……、その効力は膂力りょりょくや機能だけじゃあなく、だ。 グリーヴァは作中で夜行性、昼間は静かに迷宮の中に隠れ住む生物として描かれていた。 ならば当然、昼間の現実世界に召喚されたその魔物は動けない」


「ふうむ、確かにこれは失敗だったのう」


「2は酷い出来で観るに堪えなかったがねッ!」




 機械生物を無視してカフカに接近するロビンソンだったが、その行く手を触手たちが阻む。




「妾を相手取って……、仲間から孤立して満身創痍。 其の様な状態で敵うと信じて向かってくるとは、なんと無謀な」


「チッ……! こうなってはもう、あれをやるしか……」




 その時、端の本棚の影から幾つかの影が飛び出した。

 人類史が漏れなくまとめられていそうな極厚の本が次々と触手に衝突していく。




「小賢しい曲芸師め、引っ飛べ!」




 カフカの奥から複眼の生えた触手が現れ手前の本棚に突き刺さると、色の反転が始まる。




「『旧支配者オールドワン』が絶する。

 其の『位置』を拒絶する」




 反転色の本棚が床から離れ、キャンディの隠れている奥の棚へ一直線で飛んでいく。


 しかしキャンディはそれが届くよりも先に棚から飛び出し、その危機を回避した。

 本棚が大きな音を立てて大衝突する中、その影を緑の仮面が高速で移動する。




「『×4.0クアドラプル』……」




 その手に握られていたのはDVDディスク。

 権能による加速の乗ったディスクが、一瞬の残像を描く回転カッターとなって触手へ放たれる。

 ディスクは見事に複眼の触手を輪切りにし、そのまま近くの触手を切断していった。


 キャンディは地を這う触手を軽いステップで避け、近くの机を踏み台に本棚の上に登る。




「視聴覚室にあった映像資料、多分データ化してバックアップ取ってあるでしょ。 数枚ダメにしてもだいじょーぶだいじょーぶっ」




 そして権能の加速を応用して近くの壁と柱の出っ張りを八艘飛はっそくとびし、空中高く飛び出した。

 身をひるがえした遠心力を利用し、打ち下ろすようにディスクを次々射出する。


 回転するカッターがカフカの頭上から降り注ぐ。

 触手が何本も切り落とされ、翼にも穴があく。




「愚か者め、空中では蹴る床はあるまい。 妾の腕を避けることは、叶いはしない!」




 四、五本の触手が身を寄せあって捻り合わせ、ドリル状の大きなミミズと成って空中のキャンディへと突進する。




「墜ちなさい、羽虫の曲芸師!」


「……『そして誰もいなくなったグリッチ・ノイジー・モーションブラー』は僕の触れた物を加速させる才能ギフト。 もっと細かく言うなら、エネルギーのベクトルを倍増させる能力。 だから、応用して使えばこーゆーことも出来る」




 図書館クラスに広い空間に、金のかかった学校設備の数々。

 当然、この空間を照らす照明設備にもそれなりの物が使われている。


 キャンディの伸ばした指が触れたのは、吊り下げられたLEDシャンデリアだった。




「地球の引力、重力度だって立派なベクトルだよ。 シャンデリアにかかる重力度を『×100』ひゃくばいにするとどうなるか……。 あー、ごめん。 君は文系っぽいし、こーゆーのは苦手かな?」




 直後、天井に繋がれていた複数本の安全用フックが引きちぎれた。

 そして、まるで砲弾でも発射されたみたいに急速で落下したのだ。


 シャンデリアは轟音と共に触手の塊を砕いた。

 破片の雨が、カフカから生える異形の全てに突き刺さる。

 脇で縮こまっていた機械生物の頭上にも金具の数々が高速落下し、奇妙な呻き声と共に惨たらしい傷を受けていく。



 シャンデリアの雨はカフカには直撃しなかった。

 第二人格とて、本体が傷つけば死に直結してしまうのだろう。辺りに伸ばしていた触手をフルに使って肉の傘をさし、脅威から守ったのだ。




「……曲芸師!! この妾に苦痛を与えるとは、万死に値する愚行と教えてくれる!」


「よっ……、と。 やっぱり『拒絶』出来なかったねー。 キラの推理通り、その触手が『拒絶』するにはちょっぴりだけ時間が必要なんだ? さっきの本棚の色が侵食されるみたいに反転してくそのインターバルこそ、『拒絶』が行き渡るまでの猶予時間なんだ。 だから一瞬だけの接触じゃ『拒絶』は出来ない。 今のシャンデリアも、僕の投げたボールもディスクも」


「澄まし顔よのう。 その程度の気付きで……、妾を打ち倒せると思うな! 汝は妾の召喚した第九の生物、グリーヴァを殺したな? これは血のミイラ女に使う予定だったがのう、発動の条件を満たしたのは汝だ。 奮闘の報酬を与えてやろう!!」





 輪切りになった触手の断面を読書台に、カフカが本を開く。

 黒い霧があらゆるページの隙間から噴出し、天井へと上がっていく。





「『夢物語ラブクラフト』、

 『そして誰もいなくなった(1939)』」



「あー……、こりゃ不味マズいかも」





 天井に蔓延した黒煙の中から、突如として荒縄が降下しキャンディの首を括った。

 そのまま、足が床から離れる。


 キャンディの身体が、ゆっくりと吊り上げられていく。




「妾が召喚してきた九体の下僕たちはこの作品の為のもの。 第九の生物を殺した者、生き残りの第十の生物に絞首の未来を与える。 そう、グリーヴァを殺した! 『そして誰もいなくなった(1939)』の唄を追い、死の未来を受け入れ給え……!」




 キャンディは首から黒縄を外すために指をかけられないか試みるが、それは叶わず。

 頚椎けいついに声も出せない程の圧力がかかる。


 加速の権能を使って抗おうにも……、これでは使いようがない。

 下手に身動きを取れば首の圧迫で骨折なんかも有り得る。そうなれば、もう希望はない。




「キャンディ!」


否否イアイア、ミイラ女。 当然、救助には行かせはしない。 こうしている間にも妾の触手は再生し、より堅固な鱗を獲得しているのだ。 先にこの腕々うでうでを相手してもらおう」


「クッ、このままでは……!」




 進路を阻む、再生しゆく触手。

 もしも触れれば『拒絶』が始まってしまう。

 だが細心の注意を払いながら戦っていれば時間がない。


 足掻いている内にキャンディの仮面がポロリと落ち、その苦しみに満ちた表情があらわになる。




「足掻こうとも足掻こうとも、どう仕様もなかろうて。 己の無力を呪って死に往け、曲芸師……」


「いや、最高の働きだったぜキャンディ……!」




 全員の目がキャンディに集まっていたことで、オレ一人でも簡単に裏を取れた。

 しかもシャンデリアの一撃のおかげで触手の防衛網も薄く、一瞬で背後まで忍び寄ることに成功する。



 先程の作戦会議でキャンディは――――、





   "――――面白い作戦だね。

    でもひとつだけ反対だな。

    ヒーローはおとり向きじゃない。

    才能ギフトで逃げ回れるし、

    僕の方がずっと向いてるよ"



   "でもお前には……、

    カフカの仮面を叩くために

    隙を作ってもらう大役がある。

    おとりと同時に出来るのか?"



   "ヒーローが正面から突っ込むより、

    ずっと成功率高いでしょ。

    エゴいのはナイスだけどさ、

    あくまで勝つためっての、

    忘れないで欲しいなー?"




 ……結果、キャンディは役割をやり遂げた。

 おとりと、カフカを取り巻く触手防御への穴開あなあけ。


 ここまで完璧にこなされたら、オレが失敗するワケにはいかねえだろ!




神無月お気に入り……! いつの間に妾の背後にっ」


「喰らえ……ッ!」




 大きく振りかぶったのは、自衛用と渡された血のサバイバルナイフ。


 そのままカフカのうなじを覆う、仮面からはみ出るタコの後頭部みたいな異形の部位に。

 触手と同じ皮膚を張った、膨張する肉の部分に刃を突き刺した。



 生々しい感触が手首を伝った。

 黒いインクがイカスミみたいに吹き出てきて、頭からそれを浴びた。




「……ふふふ。 不意を突いた刃物の一撃、通常の生物であれば致命的クリティカル。 しかしのう、妾は『クトゥルフの呼び声(1928)』を実現し、『旧支配者オールドワン』に相応する生命力と器官を獲得しておる。 人の子の刃ひとつで殺せるわけがなかろう! だが勇気は認めようぞ、汝の最悪に致命的ファンブルな勇気だけはのう!」




 カフカは振り向くことすらせず、触手の一本を操りオレの横腹にぶつけて吹き飛ばした。

 タイルに散ったインクを拭くボロ雑巾みたいに、あばら骨で床を滑って摩擦し、制服が汚れていく。




「汝は、妾の召喚した『旧支配者オールドワン』の肉体ではなく、星栞花撫香の肉体そのものに刃物を突き刺すべきであった。 心臓でも刺せば支配者殺しも叶ったであろうに。 当然、汝の友好するこの娘カフカも死んでしまうがのう。 そこまでの覚悟がなかったことが汝の敗因じゃ、千載一遇の機会を損失した愚か者め……」


「……愚か者はお前だ、怪物が! ベチャクチャ喋ってるヒマあったら、テメェの敗因に気付くべきだったな……!」


「フフ、今更何を……」


「やっちまえ、ロビンソンッ!!」




 言われずとも、という様子で両手から作品を落とし、ロビンソンはカフカに向けて包帯に包まれた手のひらを広げた。



 先程、ロビンソンが弩弓で放った

 あれは射出後に本棚に突き刺さった血の矢を操作し、360度に向けて針を伸ばす雲丹ウニのような形状へと変化させることで必ず命中させるって攻撃だった。


 あんな芸当が、血の矢以外でも出来るなら。

 ロビンソンの血液を操る権能が、ある程度の遠距離でも精密に動作させることの可能な能力だったとしたら。




「フン、やるじゃないか煌……。 私の力と思考パターンを理解している君だからこそ思いつく計略だ……!」





 ロビンソンの眼が、紅く煌めく。


 刺さっていたナイフが液状に溶解し、


 蛸頭たこあたまの傷の内側へ侵入していく。


 そして、しばらくの硬直の後……、




 





「なっ……! こっ、これは。 これは何だ、妾の身に、何が起きたと言うのだっ!?」


だ。 !」




 その拒絶は、カフカの仮面が持つ顕現アナザーによる『拒絶』ではない。

 生物的な意味での拒絶反応。本来は臓器移植などの際に起きうるアナフィラキシー反応が起きた。

 いや、起きたというと自動的や運命的に感じられる。だから正しくは……、



 ナイフはロビンソンの血で構成されていた。

 それを全ての触手や翼が生えている中心点、仮面に最も近い位置に突き刺すことで準備は完了していた。


 後は、ロビンソンが血の矢を雲丹ウニにした時と同様に、形状変化と血流操作をすれば……、ナイフから溶けた血液は『旧支配者オールドワン』の中心点から触手の血管を通り、黒インクに紛れて全体へと行き渡る。

 そして……、血を暴れさせて内側から破裂させたのだ。




「今だロビンソンッ、キャンディを!」




 粉々になった触手の欠片を越えて、片手で創った槍斧ハルバードを振るって黒い荒縄を断ち切る。

 すぐさまキャンディは落下して、喉に手を当ててむせ返っていた。




「刃物一丁で、妾が何故ここまで……!」


「『爆弾作りベータテスト』……。 『旧支配者オールドワン』とはいえ生物。 血液型の不一致による健康への影響、輸血時の急性の副作用からは逃れられない。 再生能力の高い触手は、それだけ血管から運ばれてきた栄養素などの吸収も早いはず……。 私の権能による血の形状変化は、質量保存の法則をかなり無視した挙動で行われる。 たったナイフ一本分の少量だとしても、高圧の血管内を循環し急性の拒絶反応を起こし、更に暴れ回って内臓器官をズタズタにするには……、この私にとって充分な量だった」




 あの一瞬で……、オレがナイフを突き刺したあの時に、ロビンソンがよく反応してくれた。


 彼女がオレの狙いに気づいてくれなければ、ここまでのチャンスは訪れなかった!




「赦せん……! 赦しはしない……!! 妾の邪魔をするなああああぁあああぁあああああッッ!」




 カフカの細い腕が床に落ちていたインクまみれの一冊を拾い上げて、




「『夢物語ラブクラフト』……!

 真実と幻覚の狭間で狂って永眠せよ!

 『ドグラ・マグ――――」


「させねえよ」




 触手の護衛がないカフカに再び接近するのは容易だった。

 走り寄って、読んでいた本を叩き落とすようにしてする。小説世界の召喚詠唱を打ち止める。


 インクにまみれた本はりになって、カフカの手から落ちた。





「この……っ、人の子如きが!! 妾の支配無しでは一億総白痴の未来は間逃れぬ。 この妾の邪魔をすることは、人類の未来から希望を奪う行為と理解しての狼藉か!」


「分かってねえのはテメェの方だ、勝手に人類の行く末に絶望して、勝手に人類の行き先を決めてんじゃねえ!」


「何を! 既に世界は腐り始めておる。 汝もあの投票会で実感したであろう! 現代の人間はいとも簡単に権利を放棄する。 放棄している認識すら無きままに! どうせ己一人の投票では結果は変えられない、影響などないと開き直って、その場しのぎで生きる成り行き主義者DOOMER! 選択を恐れ、責任を恐れ、無力感を恐れ! そうして遂には己すら不信し、インターネットに傾倒し! 自らに都合の良い真実だけを見聞きし、この世の真実を知ったつもりで満足感に浸る、微弱な断続的ドーパミンの中毒者共!! 一億総活躍の人類躍進・発展を再開させるには、悪しき無気力を淘汰し! 文明を根源から漂白しなければならんというのに! この大義が分からぬか!!」




 こいつの話の全部が全部、理解出来ねえってワケじゃねえ。

 声なき大衆……、オレだってあの投票で、無気力な奴らの多さには驚いた。オレの必死は、どこかの誰かの聞き流しコンテンツに過ぎないことに残念すら感じた。


 だが……、それでもコイツの考えに共感だけは出来ねえ。

 話し合えば分かり合えることを、黙って独りでに諦めて全部壊してやり直すなんて。しかも基準は手前てめえで、舵取りもワンマンなんて。




「そんなんだからお前は狂っちまってるんだ。 隣に分かり合える、相談出来る、頼り合える仲間がいて……、進路修正の提案を貰えるから正しく前に進めるんだよ! ハナからテメェが折れる気のねえ頑固張りの思想が、誰かに共感して貰えるワケねえだろうが!」



「ちっ、話にならんのう!

 その肉体に直接教えてくれるッ!

 『旧支配者オールドワン』が絶する。

 其の『存在』を――――、」



「そうやって嫌だ嫌だって拒絶ばっかしてっから狂った願いを持っちまうんだ! いつまでも自分の世界に閉じこもって悩み込んでねえで、ちったァ外の世界にッ、現実に目ェ向けやがれッ!!」





 オレの破壊が、カフカの反撃よりも先に潜水ヘルメットの仮面に触れる。


 ただし、それは握り拳ではない。

 勢いを殺しきった、開いた手のひらで。





     そして、破壊が起きた。





 ヘルメットに亀裂が入り、兜が割られたみたいに砕けて落ちた。


 オレの手は、カフカの頭の上に優しく乗っかっていた。





「……もう終わりだ、カフカ。 その独り善がりな願いも、お前の孤独な妄想も。 ……もしお前が良ければ、オレの友達になってくれ。 これからは、ただの図書委員と常連じゃねえ、本の貸出でしか会話がねえ知り合いなんかじゃねえ。 もっと気軽に話せる……、想いを、意見を、感想を交換し合えるになろう」


「…………神無月、さん」





 どうやらカフカは仮面を失い、

 元の人格に戻ったようだった。





「……わたし、好き嫌いが、多くて。 嫌いなものは、本当に……、すっごく嫌いで。 嫌なことは、我慢できなくて……。 でも、それを誰かに話したら、地雷踏んじゃうのが、嫌で……。 石を投げるから水面に波紋が出来ちゃうなら……、意思いしを手に持ってること自体を見せない方が、その……、波紋は、起きないから……。 ずっと、それが、怖くて……」


「ああ」


「一人でいれば……、誰も……、傷つけないし、私も傷つかない、から。 いつの間にか、自分の中に、喋り相手を、作って……。 自分の心の中の水面にだけ、石を投げ続けて……。 でも、いつの間にか……、心の底にたくさん、意思いしが溜まって……」


「ああ」


「だから一人でもやるしかなかった。 意思いしは積もり積もって、意志イシになった……。 私なりの正義のために動かないと……、もう、心はいっぱいで……。 耐えられなくて……」


「いいんだ。 いいんだよ、カフカ。 ここまで良く一人で頑張ってきたよお前。 ……これからは、オレが受け止めてやる。 どんな想いでも、オレに投げてこい。 お前の重荷、半分背負ってやる。 波紋を恐れるな。 摩擦があるから、意思を持つ人間はカドが取れて踏み寄っていけるんだ。 ……確かに自分のこと話すのには勇気がいる。 それでも覚悟決めてぶつかってこい……! これでもう、全部終わりにするんだ。 、カフカ!」


全部、終わりALL DONEに……」





 カフカが膝から崩れ落ちる。

 それを両腕で抱きかかえて受け止める。


 亀裂の入った大きなメガネの不吉さに反して、その表情はどこか柔らかい。

 まるで……、肩の荷が降りたって顔だ。





「やっべ、オレも……。 意識、が…………」




 視界が朦朧とする。

 カフカを支える腕の力が、抜けていく。


 まさか……、権能の代償、なのか……?




「……くっそ。 なんだよ、これ……」





 すると、ポツリポツリと。


 カフカの頬に黒い水滴が落ちる。

 触手が破裂した時に受けたインクの返り血が髪にでも滴って落ちているのかと思ったが――――、




「……涙? オレ、なんで泣いて――――、」





 黒い涙。


 眼球が、熱い。


 目に手をやると、高熱が伝わってくる。


 その手のひらに塗り付いた、温かい黒。








    急速に沸騰する、愉悦の情欲。


      湧き出る破壊の衝動。








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