『利己的ナ感情ヲ』




「『夢物語ラブクラフト』、『モルグ街の殺人(1841)』」




 すると、血濡れの剃刀かみそりを握った手足の長いオランウータンが。




「『夢物語ラブクラフト』、『ロード・ロス(2005)』」




 すると、炎に燃える眼をギョロギョロと回し這いずる巨頭の胎児が。




「『夢物語ラブクラフト』、『ザ・シャイニング(1977)』」




 すると、なんとか人型を保つ全身の腐敗した老婆が。


 カフカが権能を唱え、本を開く度に禍々しい存在が召喚され、それは『夢物語ラブクラフト』の従者となってオレ達に襲いかかった。




「名作ネタバレのオンパレードだな。 キャンディ、触手をやれ!」


「もうやってる。 新しいボールくれー」




 凝固した血のボールを受け取ったキャンディが、両手に持ったそれを次々に放つ。

 周囲の触手の動きを先読みし、跳弾を利用して連撃していく。




「これキリないよー、穴あけても再生してるっぽいし。 てか、なんか硬くなってきてる?」




 ここまで戦ってもカフカに疲労はない。

 それどころか与えた傷もダメージも、まるで攻撃がなかったみたいに治癒している。




「遅い気付きじゃのう、曲芸師。

 『夢物語ラブクラフト』、『クトゥルフの呼び声(1928)』。

 妾の仮面から生える触手や翼は、

 『旧支配者オールドワン』に相当しておる。

 人の身で匹敵することなど不可能よ」




 『夢物語ラブクラフト』。

 本の内容を抜粋し、怪物を召喚したり、自らの力とする実現の権能。


 あのロビンソンとキャンディが二人がかりでここまで苦戦するなんて……!




「本体への攻撃は触手と翼に全部守られちゃうし。 もー、お手上げ」


「危険だけど、捨て身で接近するしかないね。 キャンディ、君の仮面なら奴の背面に回り込めるだろう」


「それはいーけどさ、問題はヒーローだよ」




 薄々、気付いていた。

 ロビンソンとキャンディはオレを挟んで守るようにして戦っている。


 その為に、本来は血の作品を振り回して破壊力を発揮するロビンソンと、加速を利用して縦横無尽に立ち回るはずのキャンディが、得意に戦うことが出来なくなってしまっている。


 オレの存在が、足を引っ張っている。

 実際、オレがこの場にいても出来ることはほとんどない。敵が攻撃してきた方向を大声で伝え、二人に対応してもらっている中、ロビンソンから貰ったナイフを片手にビクビク怯えることしか出来ないとは。




「クソ……!」


「煌っ、上だ!!」




 ロビンソンの忠告で上を向くと、高く掲げられた触手が勢いよく落下しているのが分かった。


 すぐさま床を蹴って左へ避ける。

 振り落とされた触手は床タイルにめり込むほどの高威力で、いくつかの破片が横腹に飛んでくるほどだった。




「あっ……ぶねぇ……!」




 直撃を回避できたのは良かったが、立て続けに別の問題が発生する。

 落下してきた触手を線引きに、ロビンソンと隔離されてしまったのだ。




「煌ッ、キャンディから離れるな! 私はいいから自分の心配をしろ、自衛しなければ死んでしまうぞ!」




 更に四本もの触手が壁になるように伸びてきて、ロビンソンを孤立させる。


 ここはあいつを信じて、自分のことに専念するしかねえ……!




「あの人なら大丈夫でしょ、なんかミイラみたいだし。 死んでも蘇りそう」


「ンなワケあるか! キャンディ、触手の届かない図書館の奥まで遠回りしてロビンソンに合流しよう。 お前ら二人でも苦戦する相手だ、バラバラのままじゃキツいぞ」


「そりゃーそーしたいよ? でもそれ、あいつが許してくれるとは思えなくない?」


「オレのことはいい、自分で自分の身は守る! だから何とかして突破口を拓いてきてくれ」


「いやいやー、流石に一人はキツイでしょヒーロー」




 床をヘビみたいに這ってきた触手が、獲物を見定めるみたいに首を起こす。


 キャンディの言うことは、本当にその通りだ。

 オレ一人じゃあ防戦一方は確実。破壊の権能が上手く使えたとしても、そのうち不意を突かれて殺されかけるのがオチだ。




「……ヒーロー、後ろのやつやれる? ボール足りなくてそっちまで守りきれない」


「ああ。 真正面から一本くらいなら、オレでも……!」




 その受け答えを聞ききる前に、キャンディは走り出していってしまった。

 あいつも結構ギリギリってことか……。




「来いよ、ウネウネ!」




 蛸足たこあしは一定の距離を保ってこちらの様子を伺っている。


 勝負はきっと、飛びついてきたその瞬間に決する。

 接触の瞬間にオレの破壊かカフカの拒絶、そのどちらかが起きる。

 ロビンソンやキャンディのような遠距離中距離でバトルが出来ない以上、もし判断が遅れれば……、即死だって有り得る。




「……ここぞって時に反応しないとかやめてくれよ? 頼むぜ、権能とやら……!」




 槍を突き出すように、腹に向かって触手が飛び込んでくる。

 サッカーのPKシュートを当てずっぽうで受け止めるゴールキーパーのような動きで横へ飛び込み、その突き刺しを避けた。

 後ろで触手の体当たりを受けた本棚が並べられていた本を豪快に散らかしたのを確認して、棚の横に取り付けられた円ハンドルを掴み、一気に回す。


 オレはそれが、集密書架とも呼ばれる手動の移動型のラックであることを知っていた。

 使ったことこそなかったが、ハンドルを回すことでラックを可動させられる仕組みも理解していた。

 そしてそれが、間に人が挟まれば大事故にも繋がりかねない、危険な設備だということも。



 ハンドルの回転に合わせて、床の溝に沿って本棚が急速に可動する。

 このままハンドルをぶん回して触手をぶっ潰してやる、というところで、ガコンという音と共に急に棚が固まった。

 自動のストッパーが起動し、それ以上の回転が抑制されたのだ。


 原因は明白。触手がぶつかった衝撃で、書架の耐震機能が作動したのだ。

 流石は金のかかった日継高の図書室だ。災害時の安全対策もバッチリ。




「くっそおおっ!」




 こうなったらもう、一か八かしかない。

 触って、ぶっ壊す。それが出来るのは触手の動きが止まってる今しかねえ!




「壊れてくれよ、頼むぜ……!」




 殴るようにして、拳骨で蛸足たこあしの黒い皮膚に触れる。柔軟で粘着性のあるその肉が、ぶつ切りサイズに砕けるところをイメージしながら。




 確かな破裂感が走った。




 光る亀裂が触手の表面に広まり、そして、砕けた。


 カフカの『拒絶』を許さぬ、一方的な破壊。

 触手の欠片が黒いインクを散らして辺りに転がる。




「……出来た。 今度こそ、使いこなしたぞ……!」




 成功体験もつかの間。

 急な不整脈と立ちくらみに、その場で膝をつく。


 吐き気はない。

 代わりに、唾液の過剰分泌と高揚感を感じる。


 これは……、何なんだ?

 まさかこれが……、オレのなのか……?




「だいじょぶー? 死んでなーい?」


「……生きてるよ、キャンディ。 ここにいる」




 担当していた触手を退けて合流しにきたようだ。

 その証拠に、白い制服がインクでごちゃごちゃに汚れてしまっている。




「なんか死にそーになってる?」


「……大丈夫だ。 それよりロビンソンをっ」


「いやいや、ヒーローは今のうち逃げなよー。 触手追っかけてきてない今しか、こっから逃げるタイミングないよ?」


「……オレは、お荷物かよ」




 自分の不甲斐なさに悲しくなる。

 オレが出来るのは精々、動きの止まってる触手一本を必死に殴り壊すことくらいだ。


 弱え、弱すぎる。

 こんなんじゃあ誰も救えやしねえ。

 当然、自分自身すらも……!





「……悔しーの? ヒーロー」


「あぁ」


「自分がお荷物さんで?」


「ああ」


「自分一人加わったところで足引っ張るだけーって?」


「ああ、そうだよ! やっと権能ってのが使えるようになったけどよ! この程度じゃ何も変わらねえ。 出しゃばってもお前らの邪魔になるだけだ……」


「それ、体裁ていのいい言い訳でしょ。 ホントは怖いんじゃないの?」


「違う! オレは……、怖い? 怖い、か。 そうだな、オレが恐れてんのは……、何も変えられないことだ。 ただボーッと結果を見る羽目はめになることだ。 だから今までも捨て身で突っ込んで……、たまたまここまで来れた。 目の前で不幸のサイコロが振られて出目でめが勝手に決まっちまうのが耐えられなくて……、それなら自分の手で振り直した出目でめで満足したくて……。 でも、あいつはそんなワガママが通じる相手じゃねえって分かった。 カフカの仮面は強すぎる。 ……オレなんかじゃ――――、」




 頬を蹴ったのは、キャンディの左足だった。




「あ、ごめん。 よそーがいに強かった」


「おっまえ、何すんだよ!?」


「あのさー、何いまさら一般人ぶってんの?」




 蹴り飛ばしたキャンディが目の前まで詰め寄って、




「僕たち仮面持ちは、人それぞれ違う能力を持ってる。 ひとつとしてダブってる仮面はない。 僕らは権能を勝手に才能ギフトって呼んでるけど、違うのは呼び方だけで中身は同じ。 そんな仮面持ち全員に、たった一つだけ共通点がある。 それはねー、。 自分の欲望のためなら手段を選ばない、向こう見ずで利己的なエゴエゴしー奴ら。 それが僕たちなの。 君も権能持ってるってことは、同種同族そーゆーこと。 だから今更普通ぶったって遅い。 衝動を隠す必要はない。 。 周りの邪魔になるとか、あいつには敵わないとか、そーゆーの無視で。 黙ってオレの融通すうづーを通せってね。 僕はこれまでそうやってきた。 そして……、僕の周りからは誰もいなくなった。 それでも最高に生きやすい。 君も、そーなりなよ。 素顔エゴを仮面で隠す必要はないよー」




 利己的であることが、仮面持ちの共通点。

 確かに……、その通りだと思う。


 オレが出会ってきた仮面の界隈の奴らは、全員そうだった。

 ロビンソン、ディオ、ラヴェンダー……、どいつもこいつも身勝手で、常に好きにしていた。

 利己的な行動の理由には権能っつー力を持ってるからってのもあるだろうが……、きっとそれだけじゃない。


 社会から弾き出され、追い詰められ、生きる理由の多くを喪失した彼らにとっては、自分勝手に動くことで失うことの方が少ないからだ。

 それどころか……、手にするものの方が多いのだろう。だからテロなんて間違ったことを起こすんだ。



 ……オレがこれまでやってきたことと、何が違う?

 美術館でロビンソンを見つけた時、オレは仁たちを守りたいって勝手な希望のために隠れていた場所から飛び出した。

 オレなんかはどうなっても構わない、それより何も抗わなかったせいで友達が傷ついたりすることの方が許せなくて。


 ……利己エゴ

 オレは、オレが許せないから動いてきた。


 キャンディの言う通りだ。悲しいことに、オレは仮面の奴らと根底の原動力は殆どが同じで、似ているんだ。

 急にビビって保身に走ったって、芯の部分はどうせ変わりはしねえ。


 だからオレにも破壊の力が使えるようになったんだろう。あいつらと……、同類だから。




「……それなら今更、か」


「ま、好きにしなよー。 僕はヒーローが死んじゃってもどーなっても知ったこっちゃナシだし」


「ああ」




 オレは……、お荷物にはならない。

 カフカ攻略にオレも参戦するんだ。


 力不足なら力不足なりに出来る限りをやるんだ!

 反撃のチャンスは、必ずどこかにある。





「ありがとなキャンディ、もう護衛はしなくていい」


「そっか。 じゃあこっからどーしよっか? 本棚の影を乗り継いであのバケモノの裏回って――――、」


。 オレが直接触って、あいつの仮面を!」


「……オッケー。 そーこなくちゃ」


「オレに合わせろ、キャンディ」



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