『海』
煌めく水平線。
揺れる水面。
穴ぼこの砂浜。
この海に遊びに来たのは、遥夏の提案だ。
「煌〜! こっち来て〜、水つめたいよー!」
白ビキニで豊満な肉体を締め付けたダイナマイトが、膝まで水に浸かるところで手を振って飛び跳ねている。
辺りの一般客の目を一身に集める、見慣れた遥夏の見慣れない姿に、目が泳ぐ。近寄り難い。
立ち止まるオレの隣に仁がやって来て、
「……遥夏って、結構……、結構、結構だよね」
「仁、そこで言うのを止めたのは偉い。 お前にしては良い判断だ」
「……前から思ってたことあるんだけどさ、ひとつだけ聞いてくれない?」
「……なんだよ」
「水着ってさ、見てる側からしたらほぼ下着と大差ないのに、なんで女子って水着になった途端に恥じらいがなくなるんだろう。 この疑問はただの性的好奇心ではないよ? これはきっと、現代女性の心理を探査するに重要なヒントになるはずなんだ。 僕達は今、人類学の最前線に立っているんだよ。 布面積は羞恥心に比例するのか否か…………」
「頼むから黙ってくれ、仁」
後ろには砂に刺したパラソルの日陰で、腹にサラシのような包帯を巻いた勝人が横になっていた。
「勝人、本当に引っ張りだしてきて良かったのかよ」
「あくまで本人の希望だよ。 それに、お医者さんもビックリするほどの速さで傷も治ってるみたいで、退院も目の前なんだってさ。 もう散歩の許可も出てるらしいし、海に入ったりしない限りは大丈夫じゃないかな」
そこへ、辺りの視線を集める奴がもう一人やってきた。
全身包帯の年中ハロウィン女。薄手のラッシュガードで身を隠しても露見してしまうほどの病的な細身を持つ女子高生、野崎海舟。
「煌、仁君。 焼きそば食べるかい? たこ焼きやデカいフランクフルトなんかもあるよ」
「いや……、後で食べるよ」
「かき氷はどうだ? 練乳抹茶味、こいつは素晴らしいぞ。 最高の親和性を味わいたくはないのか?」
「だからお前どんだけ食うつもりなんだよ!? さっきもハンバーガーか何か食ってたろ? よくそんな食ってんのにその体型維持できるな!?」
「食べても食べても太らない体質でね。 というか、じろじろ見ないでくれ。 私にだって羞恥心くらいある」
野崎にも女子らしいところがあるらしい。
体型を見られることを恥じて、ジッパーを上げてさっさと離れる。
焼きそばを持って、勝人のパラソルに休みに行ったようだ。
「こうしてみると、すごい
「ああ……、オレも最近、訳わかんなくなってきたとこだよ。 野崎は敵なのか味方なのか……、普通に友達として関わっていいもんなのか……」
「野崎さんあの様子だし、脅迫されてる限りは仲良い友達を続けておいた方が、こっちの精神衛生上もいいと思うな。 僕も君に習うことにするよ」
「習うっつーか、何もしてないだけだよ。 受け身で付き合ってるだけだ。 ……なあ、オレ、相談出来て良かったよ。 このプレッシャーを受けてんのがオレだけじゃねえって思っただけで、スゲー軽くなった。 ありがとうな、仁」
白眼鏡の位置を指先で調節した仁は、少し照れた表情のあとに急に目を曇らせて、
「……煌、そういうところだよ」
「えっ? 何か言ったか?」
「何でもないさ。 さあ! ダイナマイトボディー
「おい、欲望全部ダダ漏れてんぞ! 隠せ馬鹿野郎っ!!」
ひりひりとした肌焼けを感じながら、オレ達は海を楽しんだ。水かけに、堤防からの飛び込み、砂場でのフリスビー遊び。勝人と野崎は二人で海の家を堪能した。
夕日が水平線に溶け込み出した頃、一人に一つ、各々が拾ってきたお気に入りの貝殻を片手に、茜色に染まる空っぽの電車に乗った。
遥夏も仁も勝人も、遊び疲れてオレの肩に頭を寄せて眠ってしまった。
野崎だけは対面の座席に座って、起きたまま身を揺らしている。
「……お前、遥夏に引っ張られて海入れられそうになってたろ、大丈夫だったのかよ? その……、傷とかさ」
「勿論、大丈夫じゃない。 連れてかれる前に振り払って傘の下に逃げたよ。 海水が包帯下にしみたら大変だからね」
「だよな。 濡れるの駄目だろうと思って、お前の分の貝殻もオレが適当に拾ってきちまったけど、本当にそいつで良かったか?」
「貝殻なんてどれだっていい。 仁君が
そう言いながらも野崎は、手に持った白貝越しに窓外の赤を美しそうに眺めて、
「……だけど折角拾ってきてもらった物だ。 すぐに捨ててしまうというのは心無い。 どこかのタイミングで再び持ち寄ろうなんて話になった時に、今頃ゴミ処理場か埋立地の一部になってるよなんて流石に言えないからね。 君との良好な"友達"関係にも支障をきたす可能性もある。 ここは面倒だが、しばらくは保存しておくとするよ」
「……くっ、くく……」
「何だい、その耐え笑いは」
「いや……。 お前って、そうしてりゃあ普通の女子高生みたいだなって思ってさ。 いつもぶっきらぼうだから、なんか可笑しくて」
「勘違いしないでくれ。 貝殻の保存は致し方ないからであって、君たちの青臭い感傷に触発されたからなんかでは、決してない」
「はいはい……」
なんだその返答は! と噛み付く野崎だったが、オレが適当に相槌を打ってあしらうと、負けたみたいな顔でそっぽを向いた。
夕日が野崎の顔を半分だけ照らす。
「……この殻は画材にするよ。 胡粉って知っているか? 日本特有の、海の絵の具だ。 貝殻を数年かけて干して、風化させて、砕いて粉末にするのさ。 これ一枚じゃ全く量が足りないだろうから、他のものと混ぜることになるけど、これなら充分に白く発色してくれそうだ」
「貝殻を絵の具にするのか、すげえな」
「私なんかが友情の証のようにいつまでも持っているよりは、ずっと良い使い方だ。 私は本来……、君たちのグループに入るべきではない存在だからね。 補欠や補充要員みたいな私には、この一枚は似つかわしくない」
野崎はすっかり『いつもの場所』のメンバー入りをして、かなり馴染んでいたものだと思ったが、本人はそうは思っていなかったようだ。
いや……、普通は思えるわけがないか。
彼女は、オレを監視するためにこのグループを利用しているだけだ。そこに、彼女なりの罪悪感や疎外感を感じているのだろう。
オレも似た想いをしているから分かる。
自分はこの立場に居るべきではない、なんていう想いを。
しばらく電車に揺られていると、遥夏が目を覚ました。
大きな欠伸と共に肩に身を寄せて、
「……海、楽しかったね」
「ああ。 日差しは苦手だから最初は嫌だったけどさ、来てよかったよ。 遥夏が提案してくれたおかげだな」
「ふふ……、良かった。 煌、最近ずっと溜め込んでたみたいだったから……」
「遥夏……、ありがとな」
「んーん。 でもね、煌の妹ちゃん連れてきてくれなかったのは、ちょっと不満かも」
……ん? オレの妹?
もしかして遥夏、理紗を海に連れてきて欲しかったのか?
「最近、脱・引きこもり成功したんでしょー? だから連れてきてくれるかなって思ってたのに」
「いやいやいや、連れてこねえよ。 引きこもり脱したっつっても、まだほぼ不登校だし。 遥夏たちのことはたまに話してるから、オレのクラスメイトってことは知ってるだろうけど、それくらいだ。 わざわざ人見知りを耐えてまで来てくれるとは思えねえ」
「えええーーーー……、残念。 妹ちゃんと会うの、楽しみにしてたんだけどなあ。 そのために煌には、仲良い人だったら誰でも呼んできていいよって伝えといたのに!」
「わかんねーよ直接言えよ!」
「もう、次は呼んでよね。 来年こそは!」
窓枠に型取られた夕日の中、船を漕ぐ。
手の中の貝殻が、赤く染まる。
夏はまだ、始まったばかりだ。
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