『叛徒』







「そんなこと、ありえないだろ」


「どうしてありえないと言えるんだい。 確かに出来すぎた話だよ、安いB級映画の脚本シナリオみたいな話さ。 テロリストが警備員にふんして事件現場に潜入してるなんて。 ろくに活字を読んだことがない中学生が小説投稿サイトに投稿した、推理小説もどきみたいにつまらない。 でも、それで一応の辻褄つじつまが合う。既に目の前で異常は起きてる。 いつもじゃありえない話だって、今だけは例外と考えた方がいいと思う」


「…………なら、じゃあ、警察に通報しよう。 あいつら、まだオレ達の存在にまだ気づいてない。 今なら……」



 仁はあまり良い案とは思えない、といった顔で、



「それは、もっと状況を分析してからにしよう。 本当にあいつらはテロリストなのか、目的はなんなのか、何もわからないんだから」


「ここで勝人が拘束されてんのを黙って見てろって言うのかよ! あいつのことだ、後先考えず暴れだすかもしれねえ。 なのに、何もせずここでテロだのなんだのって推理してろってのかよ!?」


「煌君、もっと声抑えて」



 まずい、どうやら自分が思っているよりずっと、オレはこの状況に混乱してるらしい。



「ねえ煌君、? 僕は、勝人と遥夏のために言ってるんだ。 不用意な行動は更なる状況悪化を招く。 今は拳を握りしめて、情報収集すべきだ」



 その真っ直ぐな目としっかりとした声音に、途端にして頭を冷やされた。



「まずは状況整理しよう、警備員は何人見える?」



 布の隙間から、音をたてないよう最大限に体を動かして人数を数える。



「見えているだけで七人。パーテーションで遮られて見えないけどまだいるはず」


「今日、何故か沢山の警備員を見たことにも合点がいったよ」


「……なあ、実はテロなんかじゃないんじゃねえか? 客の誰かが不審な動きをしたから制圧したけど、他に仲間がいる可能性を考えて念の為に周囲にいた一般客も、みたいな」


「まって煌君、誰か来た」



 その言葉で部屋を再び覗くと、前の部屋から足首まで届く黒いロングコートに身を包んだ、妙な二人組が歩いてきた。


 片方は純銀の茨のような装飾が施された、極黒のフルフェイスを被る人物。

 もう一方は、コートの上から黒い羽が生えた蛇皮のようなものを背負っており、紳士帽とからすのような形の仮面で顔を隠している。


 そこへ、斜め倒しになったパーテーションの裏からあの包帯男が現れ、仮面の二人組に近づいていく。




「早いうちに彼らを連れて行ってくれ。 私はショーをやりにここへ来たんじゃあない。 ギャラリーはいらないよ。 私は私のために来たのだからね」




 ここからでは口もとが見えづらいので誰が喋っているのかはわからないが、今の声には聞き覚えがある。 きっと、あの包帯男だ。


 フルフェイスが、ゆっくりと頷く。




「…………偽飾ぎしょく倨傲きょごうの世界。己が生起せいきせし表現欲を反逆の筆に変え、大願を叶えるといい」




 片手を低く挙げると、それを合図に警備員の一人が無線機に声をかけ始める。




「Aチーム、旧館二階を制圧した。 の移動を始める」




 無線を切ってすぐ、彼らは一般客を強引に引っ張り立たせ、次々と奥の展示室へ移動させ始めた。

 その中に、抵抗する勝人の姿もある。




「くそ、勝人が連れてかれちまう」


「今止めに入っても何も出来ない。僕らも捕まるのがオチだ。 ここは我慢するしかない。 遥夏もまだ隠れているみたいだけど、これじゃ時間の問題だ。 彼らが慎重なら、まだこの部屋に残った者がいないか確認して回るはず。 そうなったら…………、あとは運頼みだ」


「…………っ」




 なんでだ?

 どうして急にこんなことになった?


 こいつらが本当に無差別テロなんてのをしてるグループだったとして――――、どうして巻き込むんだ。




「ふざけんな……」


「……煌君」





 どうして――――

 

 どうして




 オレなんかはどうなったっていいんだ。

 記憶も、名前も、居場所もない。 全部失ってるんだから、今更、なくなっちまうものなんてない。



 でも、仁達は違う。

 記憶も、名前も、居場所もある。

 目指すもの、願うもの、望むものがある。

 輝かしい青春と、未来がある。

 オレみたいな空っぽでも受け入れてくれてくれるような、良いやつらなんだ。


 そんな彼らが「運が悪かった」なんて言葉で、

 危険に晒されるなんて理不尽すぎる。





「仁、聞いてくれ」


「……何する気だい」


「オレがおとりになる。 さっき、あの包帯男と話した。 少しは取りあってくれるはずだ」




 そんなバカなこと言うなよ、と今にも言いそうな仁の顔を無視して、




「お前は、オレがあいつらの視線を奪ってる間に遥夏を連れて一つ前の展示室に戻れ。 そこに非常口があるらしい。 逃げてすぐに通報してくれ」


「落ち着いてよ。 ドラマやアニメみたいに上手く事が運ぶなんて思わないでくれ!」


「やべえこと言ってんのは分かってる。 一か八かの博打ばくちで、状況が悪化する可能性があるのだってわかってる。……でも、。 選べる選択肢が、救える可能性が消えちまう前に、やれることをやりたい」


「……そんな、そんなこと、駄目だ、危険すぎる。 どうしてそんなに捨て身になってしまったんだ。 煌君が傷つくかもしれないのに、僕らだけ逃げるなんて出来ないし、それに――――」


「オレなんかはいいんだよ」




 ああ、くそ。

 こうなったら言ってやる。




「オレなんかは、いいんだ。 名前も居場所も、全部どっかいっちまった。 もう失うもんなんて何もねえ。 怖くねえんだ。 だから、オレがおとりになるだけでお前らが助かるかもしれねえなら、それに賭けたい」




 仮面の二人組が残りの警備員を連れて奥の部屋へ向かい、残った包帯の男は一人で展示室を探索し始めた。 どうやら予感していた通り、残っている一般客がいないか確認しているようだ。




「まずい、あいつが来る。 チャンスは今しかねえ」


「馬鹿な、馬鹿なこというな。 滅茶苦茶だ。 確かに、このままここにいてもうまくいく保証はない。 でも、煌君のいうことはもっと駄目だ! 少なくとも君は、やつらの注意を引くために姿を晒すことになる」


「……悪ぃな、仁。 遥夏は頼んだ」




 待ってくれ、と手を伸ばした仁が届くより先に、布から体を出した。


 オレだって、こいつらがテロリストじゃないことを祈ってる。 実はこれが警備員による演習で、全部オレと仁の被害妄想だったら良い。


 中学生が投稿した下手な小説が、どうしてか有名な映像会社に気に入られて、アニメ化を飛んで映画化が進んで、そのゲリラ撮影のふざけた脚本シナリオに巻き込まれてるだけなら、もっと良い。あとで笑い話になるからな。


 そんなこと有り得ないとわかっていながら、こうしておとり役を買って出るのは、仁たちを助けたいという想いと、もうひとつ――――。

 自分にとって、きっかけになる気がするからだ。 記憶を取り戻すため、今日、この日を、毎日に堕落してしまっている自分を変えるための起点に出来ると思ったからだ。


 最後は自分勝手か……、本当すまねえな、仁。

 でもこうでもしなきゃ、オレはオレを変えられない。



 狭いところに二人でいたからか、部屋の温度がやけに冷たく感じる。強く握りこんだ拳を開いて、制服で手汗を拭う。


 部屋を半周まわって包帯男へ近づいていくと、気配を察知したのか、男はゆっくりとこちらを向いた。




「君は、さっきの。 帰った方がいいって言ったよね? 三度目はないよ、今から戻りなよ」


「ここで、何があったんですか?」


「……また驚かせちまったね、すまなかった。 実は、テロ対策の演習なんだよ。 ほら、最近物騒だろ?」




 男がそう言った時は少し安堵した。が、演習にしては違和感がある。いや、ありすぎる。




「なるほど、びっくりしました。急に叫び声が聞こえたので。 それを知ってるということは、ここの警備員さんですか?」


「ああ、そうだよ」




 視界の端で、包帯男の目を盗んだ仁がパーテーションを遮蔽に移動しているのが見える。 頼んだことを遂行してくれているみたいだ。


 本当に……、あいつ、良い奴だな。

 オレの勝手な頼みを聞いてくれたんだ。 オレも、自分の役目を遂行しなければ。 仁が遥夏を連れて部屋を出ていくまで、どうにか注意を引き続けてやる。




「……ここの絵って、すごいですよね。 美術館の頃からあるって聞きました。 この前の地震から生き残ったとか。 とても貴重だと思いませんか?」




 仁の受け売りだが、とりあえず話題を続けるのには充分だ。あいつのおしゃべりを嫌々でも聞いておいたのが功を奏した――――、


 と思ったが、




「…………それ、本心?」




 数秒の沈黙。

 音で察知されまいと、仁の足が止まる。




「……えっと、本心っていうか、その」


「君はが貴重と感じるのか?」




 ああ、そうだった。包帯男はさっきもそんなことを言っていた。 彼は、ここに飾られたアートに否定的だったんだ。




「いや、あの、貴重っていうと誤解されますよね。 なんていうか言葉みつかんないな、ははは……」




 くそ、うまくのがれらんねえ。

 なにか、なにかないのか。


 崖淵で掴めそうな飛び出した岩のような、ギリギリの取っ掛りは、何かないのか。


 なにか話題が――――、




「…………その片手のって、警備員の制服ですか?」


「ああ。 私は仕事終わりでね」


「へえ、




 待て、オレ。

 何を口走ろうとしてる。

 これを言っちゃダメだ。

 嫌な予感がする。

 その制服に触れちゃだめだ。


 




「…………っ」




 ダメだ、もう、言葉が出てこねえ。

 矢継ぎ早に喋ろうとすればするほど、言葉選びに困っちまう。




「…………」


「……学生君、君は……」




 ああ、くそ。

 こうなったら、一か八かだ。

 仁が移動できる隙を作るには、もう捨て身になるしかねえ。




「――――ッ!」




 思い立ってすぐ、オレは包帯男の制服を奪うように飛びついた。


 もしも想像通りなら、その制服はただ仕事終わりだから持っているわけじゃない。

 



 不意打ちのタックルは成功だった。オレは包帯男とその場に倒れ込み、彼の手から離れたジャケットは、空を舞って壁にぶつかり、そのまま重力に習ってタイルに落ちた。

 




「っ、退けよ!!」




 倒れ込んだ時に下になっていた包帯男に、腹を蹴られ跳ねけられてしまった。

 飛びついた時、病的なまでの身体の細さに驚いたが、オレを蹴りけるくらいの脚力はあったらしい。



「親切にしてやったお返しが暴力これか?」


「やっぱりだ」




 悪い予感は的中だった。


 ジャケットに包まれていた黒い拳銃が、惜しみない顔でタイルの上に転がっている。




「あんたら、なんなんだ。 これ本物かよ? はぐらかしはナシにしてくれ」


「……私達は、『少数派ルサンチマン』」


「『少数派ルサンチマン』? テロリストの組織の名前か?」


「なんだ、わかって近づいてきたのかよ。くく、それにしても、私たちが叛徒テロリスト呼ばわりされるとはねえ。まあ実際、世間的に見たら間違っていないんだろうけど」




 勢いよく飛びついたせいか、男の顔に巻かれた包帯が緩み、赤黒い肌が垣間かいま見え、首元から血が包帯ににじみ出してしまっている。

 どうやらあの包帯は顔を隠してるわけじゃなく、本来の使い方通り、怪我した部分を覆っているようだ。




「……なあ、君の学校には美術の教科カリキュラムはあるか?」




 こいつ、急に何を――――?

 しかし好都合だ。 話を引き伸ばせば仁の時間を稼げる。 拳銃はオレの背後にあるから強硬手段きょうこうしゅだんも取ることはできない。 今は話を合わせてやる。




「ああ、あるよ。 それがどうした」


「どう思った?」




 どう思った?

 どう思ったって、どういう意味だ?



「授業受けてみて、だよ。 最近の美術科の教科書は、様々な時代の幅広い作品を取り扱っている。 それらを見聞きして、どう思った。面白そうだとか、つまらなそうだとか、そういうのだ。 どう思った?」


「…………」


「言葉を選ばず、本当に思ったことを教えてよ」


「……特に何も思わなかった」




 それを聞いた包帯男は、急に不快な笑いをこぼしながら、ぐにゃりと立ち上がった。






「く、くく、く。 くか、くく。 く」




 そして、同情するような声で、







 と言ったんだ。






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