『美術』




「博物館とは言うけどね、この新国立博物館は美術館的な要素も強いんだ。 煌は覚えていないかもしれないけれど、この街は数年前の大地震で大きな被害を受けた。 それまで、ここに建てられていたのは国立美術館だったんだよ。 それが、老朽化していたこともあって一部倒壊。せっかくだからってことで防災設備を一新して、規模をかな〜り広くしてゴージャスに新設されたのが、今僕らがいる新国立博物館ってわけさ」


「下調べしすぎだろ」


「まあね、もっと褒めて欲しいもんだよ。 こういう場所には、展示物を解説した音声が聞けるレコーダーがレンタルできるとこもあるんだ。 僕はそれを無償で代行してあげてるわけなんだから」




 遥夏がショーケースを指さして、




「仁先生! これなに? 石で出来た竹?」


「遥夏、これは瓦だよ。ほら、屋根に並べられてるやつさ」


「あぁー! 瓦かぁ! なんか昔っぽい形だねこれ。なんか、お城の屋根っぽい」


「ただの瓦じゃあないんだ。 朝鮮から流入してきた適水瓦っていうものだね。 この丸い竹みたいな部分は、丸瓦。 これを間に挟むことで、雨が降っても屋根に負荷をかけさせないように水を流すことができる技術さ。 古人はすごいよ、こんなものを機械なしで量産してしまうんだから! それにこの瓦は――――」



 仁よ、解説に夢中になってて気づいていないだろうが、遥夏は飽きて次の展示室に走ってったぞ。



「なぁ煌、この甲冑でチャンバラやったら、リアルで楽しんじゃねえかな。いくらくらいすんだ?」


「きっと重くてそれどころじゃないと思うぞ」


「のぉっ! 確かにな……、刀の重さも考えるとけっこーきちいか……? まあどうにかなんだろ、今度やってみねえ?」


「刀も本物使う気かよ! やんねーよ、つかそんな軽い遊び感覚で揃えられる装備じゃねえよ!」




 だめだ、帰りてえ。なんでこいつらこんな元気なんだよ。こっちは頭痛の寝不足で辛いってのに。




「うぉっ!? まさかあっちは恐竜か!?」


「かっつん!! 行くしかないよかっつん!!」


「試乗コーナーとかあるといいなぁ!?」


「頼むから静かにしてくれ」


「煌ももっとテンションあげてこー! ロゼッタストーンだよ!? 死者の書だよ!? オーパーツの宝石箱なんだよー!?」


「そンな貴重なもんあるわけねえだろ!!」




 まあまあいいじゃないか、と仁が肩を叩く。




「色々ズレてるけど、二人の知識欲は素晴らしい。 とうといものだよ。 最近じゃ、偉人の名前や変革の事象が教科書から順々と消えつつある。 そんな状況だからこそ、こうして少しでも多くのものに触れて、新たな学びへのきっかけになれば、それだけで博物館は少なからず役目を果たしているわけだからね」


「まあ確かに、博物館のど真ん中で部活のトレーニングを披露されたり、シート広げて即席のティーパーティーに誘われるくらいなら、今の方がいいかもな」



 マジでやりかねないからなあいつら。 三ヶ月ほどの付き合いでも、大体の行動パターンや思考回路はわかる。



「ははは、まあ、警備員さんの目は痛いけどねえ」


「ああ。 さっきからビシバシ伝わってるよ。 無言の圧力ってやつをな」



 あいつらが騒ぎ立てるもんだから、二つ目の展示室から完全マークされちまってる。めちゃめちゃイカツイ警備員のオジサンが無線機を片手に、まばたきすらせずこっちを睨んできてるの怖すぎるだろ。



「オレ達の周りだけなのかわかんねえけど、警備員多すぎじゃねえか? こんなにいるなら、物を見に来たのか人を見に来たのかわかんねえ」


「煌君に言われて気づいたよ。 確かに多すぎる。 よほど管理人は税金を使っておかなきゃ困る事情があるのか、万が一にも触れられたくない展示品があるのか……、それか、うちの高校が信頼されてないんだろうね。 以前、美術館だった頃に校外学習に来た先輩達がなんかやらかしてたりとか」


「ああ、橋からご当地マスコット落としたてきな?」


「そうそう、そういうの。 まあ、杞憂だと思うけどね」






 いくつかの展示品をスルーして先に進んだ二人を追うと、施設の接続通路に座り込んでいた。



「煌、遅~い! 待ってたんだよお!」

「おい仁!こういうのは団体行動だろ! 博物館には俺達以外の客も来てんだ! その人達に迷惑をかけないためにも、固まって動くのは常識だろ!!」



 こいつら、よくもその口で、そんな台詞セリフを言えるもんだ…………!



「ごめんごめん、僕らも次からは気をつけるよ、さあ行こうか。 ここから先は旧館だね」


「旧館ってー?」


「さっき、国立博物館が新設された経緯は話したろ? 元あった美術館は、一部を残してリニューアルされたんだ。 この接続路の先は、その生き残り。 大地震の倒壊を逃れた旧館なのさ。 さすがに老朽化対策の補強工事とかで一部の作り替えは行われたみたいだけどね、雰囲気や間取りはほぼ元のままらしいよ」



 へえ、仁のやつすげえ物好き――――じゃなかった、すげえ物知りなんだな。 わかってはいたが、まさか、これ程とは。


 今までも仁のデータバンクが披露されるのを見たことがあったが、今日のは格別だ、満漢全席の大盤振る舞いだ。



にもかくにも、足を踏み入れてみようじゃあないか」



 連絡通路の壁には、美術館だった頃のものであろう、いくつかの新聞の切り抜きが宣伝ポスターと一緒に貼られていて、進みながら館の歴史を知れる仕組みになっている。

 美術館の設立提案の企画書から、最近取り上げられた記事のコピーまで、あらゆるものが一覧できるようだ。


 通路を越えると、展示室を紹介した旧館の地図が大きく待ち受けていた。



「グルっと回ろうぜ。 俺は絵のことなんて全然わかんねえからどっから見ても同じだ」


「じゃー順路どおりにいこっ」






 絵、絵、謎、像、謎、絵、壺、謎、旗。








 いくつもの部屋を越えて、スロープを進み、いくつもの部屋を越えて、急な段差の回転階段を登り、またいくつもの部屋を越えて、やっとフロアの奥にある展示室に着いた。

 狭くて入り組んだ通路ばかりで、本館の倍は歩かされた気がした。おかげで足はボンレスハムだ。



「さすがに少し足にキたね、きっと災害時に倒壊したせいで、美術品を展示するブースが減ってしまったんだろう。何度もパーテーションで曲がり道を作って道を狭くすることで、一つの部屋の展示数を強引に増量させてたみたいだ」


「仁、陸上部のエースのお前が足にキたっていうくらいなんだから、オレが今どれだけ苦しんでるかわかるだろ? 頼むから学生鞄バッグ、一つくらい持ってくれ……」


「煌君は運動しなさすぎさ。勝人や遥夏を見習いなよ、みんな毎日のように運動してる。 それに、遥夏の提案した荷物持ちジャンケンに、君だって了承したはずだよ」


「オレは断ったのに、遥夏が何度も何度も迫ってくるから仕方なくやったんだ」


「煌君は女の子に迫られると弱いよね、妹さんといるところを見ると、よく思うよ。 だけどルールとはいえ、確かに一番体力のない煌君に全ての荷物を持たせ続けるというのも良心が痛むからね、ほら、半分渡しなよ」


「ああ、助かるぜ」



 左肩が重圧から解放された。

 仁は一癖も二癖もある奴だが、根は優しい。だからこんなオレともつるんでくれている。それとも、何か理由でもあるのだろうか。



「……なあ仁、前から思ってたんだけどよ」


「もしかして、煌君も気になった? さすがに多すぎるよね」


「えっ?」



 仁の目線を追うと、無線機で会話している警備員の背にぶつかった。その奥にも別の警備員が二人で立っている。



「相当重要な展示でもあるんじゃないか?」


「僕もそう思ってたんだけど、それにしてはおかしい。 広範囲に配置しすぎてる。 どうしても守りたい展示品があるなら、そこに立たせればいいはずなのに。 あそこの二人なんて、連絡通路への廊下を警備してるし、絶対に無駄だろ?」


「まあ、確かにな」


「細かいことが気になる性分なんだ。 ……恐らくだけど、これは多分、テロ対策の警戒強化だ」


「テロ……? 最近報道されてるやつか?」



 仁は頷いて、



「あくまで推論さ。 第一、無差別テロとはいえ、ここが狙われるとは限らないし、いつ襲われるかもわからない。 それなのに、多額の人件費を払って警戒をするかって言われると、この推理は破綻してしまう。 義賊みたいに予告状でも送られてきてるなら話は別だろうけどね」


「考えすぎだろ」


「何を言ってるんだい、考えすぎで困ることはないよ。 何も考えないよりずっと有意義で生産的な生き方さ」



 だとしてもお前のは一級品だ、と言ってやりたかったが、せっかくたかぶっているから、盛り下げると可哀想だと思って口を開くのをやめた。



「仁せんせ〜、これなに~?」


「遥夏、それはドイツで岩絵具を使用して描いたと言われてるものでね――――」



 仁はウインクを残してから、遥夏のもとへ小走りで向かっていった。




「…………絵、か」




 右手を向くと、壁に縦長の絵画が随分と大事そうに豪華な額縁で飾られている。黄と淡い紫を基調とした、抽象的なアートのようだ。

 それはよく見ると人間の右手のように見えるし、タコの頭をした麒麟きりんのようにも見える。




「……美術ってのはわかんねえな」


「君も、そう思うかい」




 急に現れた声に驚いて後ろを振り向くと、フードを目深に被った人物が立っていた。



「驚かしちまったね、すまなかった」



 声からして男のようだが、奇抜なデザインのロングパーカーのせいで体型はわからない。片手には警備員の着ていた青のジャケットを丸めているのを見るに、どうやら仕事終わりの警備員みたいだ。



「アートが好き?」


「えっ、アート……? 特に、と言うか、いやまあ、嫌いじゃあないけど……」


「そうか、じゃあこの絵を見て、何を思った?」




 何を思ったって聞かれてもな……。

 本心を言ってしまえば「何も感じなかった」ってところだが、そこまで直接的には答えずらい。



「……なんか、こう、ピカソの絵もそうですけど、気難しく考えさせてこようとするなあっていうか、そんなかんじですね」


「いいよ、言葉を選ばなくて。 本当に思った通りに教えてよ」


「…………正直、よくわからなくて。どうしてこの絵が賞賛されるのかわからない。 何も感じられないです」



 男の顔を伺うと小さく頷いていたのがわかった。



「そうだね、そうだよね。 ふむ、そう感じるよね」


「そんなに深く考え込まないでくださいよ、オレは美術に関しちゃ、ズブの素人ですし、思ったことを適当に言っただけですから。 ……それとも、そんなにオレの意見に耳を貸すということは、これを描かれた本人さんだったりしますか? もしそうだったら、オレ、酷いことを……」


「いやまさか! を描くわけないだろ」



 こんな絵…………?

 今、こんな絵って言ったのか?


 オレの感想を聞いてずっと考え込んでいるようだから、もしかすると作者本人かとも思っていたのに、まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。



「よく見ろ、これはカンバスの上から塗料を叩きつけただけだ。 なんの情緒も込められてはいない。 きっと画材を机から落としてしまったんだ。 そうじゃなきゃ、こんな勿体ないことはできない。 それで、ゴミとして捨てるはずだったのに、間違えて搬送用のトラックに乗せられてしまって、たまたまここに送られ、なんらかの手違いで、偶然ここに展示されてるに違いない。 きっとそうだ。 必ずそうだ。 絶対そうだ!」



 男がそう言って急にフードを下ろすと、包帯で巻きつくされた頭が現れた。 頭部の全てが包帯で隠れていて、目が合っているのか合っていないのかすらわからない。


 すげえ、不気味だ。




「……驚かしちまったね、すまなかった。 君は言葉は選べど、本心を隠しはしなかった。 ちゃんと話してくれてありがとう。 今日のところは帰った方がいい。 未来に希望を抱く人間がこんな掃き溜めにいちゃいけない。 次の展示室に行かず、順路に逆らって一つ前の部屋に戻るんだ。 そこに非常口がある。 そこから帰るといい。 じゃあ、ね」




 男はそう言い残し、肩や腕を壁やパーテーションにぶつけながらゆらゆらと次の部屋へと進んでいった。




「なんだったんだ、あの人……」




 にしても、あのハロウィン頭にはビビった。声も耳元でささやかれていたみたいに気味が悪かった。また次の展示室で絡まれたらダルいし、言われた通りに帰るとしよう。それに、オレは元から美術鑑賞する気なんて更々無かっ――――


 ……次の展示室?

 仁達はどうした?




「くそ、仕方ねえ、さすがに一言伝えてから――」




 直後だった。


 奥の部屋から発せられた複数の怒号と、甲高い悲鳴がフロアを乱反射した。周囲に立っていた警備員が一斉に音源へ走り込む。


 事態の理解が追いつかず、脚が固まった。




 嫌な予感がする。

 酷く、嫌な予感がする。




「座れっ、座れ!」


「動くなよ、床に伏せろ! 」




 恐る恐る次の展示室に移動すると、美術館には似つかわしくない音の数々が耳に飛び込んでくる。

不安になって、斜め倒しになったパーテーションの隙間から様子を見ると、そこには予想だにしない光景が広がっていた。


 。老人や女性といった一般客も強引に伏せさせられている。

 何が起きたのかはわからないが、異常事態であることは間違いがない。




「煌君、こっちだ。 こっち!」




 乱暴な音に掻き消されそうな小さな声が背後から呼びつけた。振り向くと、壺なのか樽なのかわからない美術品が飾られている台の下から、白い布の下に隠れて手招きする仁を見つけた。

 言われた通りに、素早く台の下に入り込むと、仁は「音をたてないで」と小声で忠告してきた。




「仁、何が起きた。 どうしたんだあれ」


「わからない。 急に警備員同士が殴り合い始めて、周りの警備員も加勢していった。 それに驚いてたら、一般客にも手を出し始めたんだ」


「どうして警備員がそんなことを?」


「だから、わからないんだよ。 彼ら、一般客にも容赦なく警棒を振るうんだ。 それで逃げようとしたら、次の部屋からも警棒持ったやつらが走ってきて……、とりあえずここに隠れた」



 わけがわからない。

 急にどうしたって言うんだ?

 今まで特におかしなことなんて――――、


 いや、あった。

 あいつだ、包帯の男だ。

 あいつが何かしたんだ。



「遥夏はすぐ近くの台の下にいるけど、勝人はどこにいるのかわからない。 いきなりのことだったから、自分のことに必死で周りのことはあまり見ていられな」



 という仁の言葉を布越しに遮って、



「痛っってえよ、何すんだ!! 痛えって!」


「今の声は……」



 頬を冷たいタイルにつけて隙間を覗くと、警棒で押さえつけられている勝人の姿が見えた。



「まずい、勝人が捕まってる」


「…………警備員だ」


「なんだって?」


「テロの対策で警備員が多いと思っていたけど、もし、逆だったとしたら?」


「だから仁、何が言いたいんだ?」



「もし、?」







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