第38話 理解

 死のクリムゾンが自身のゼリー体を触手状に伸ばしてくる。


 それも一本や二本ではない。十本以上の触手先端が、まるでつるから一斉に放たれた矢のようにあたしたちの元へと飛んでくる。


「……っ!! 炎刃魔術ヒートエッジッ!!」


 あたしは反射的に発動する魔術を切り替える。ゴウッ! と激しい音を立て、手のひらから炎の刃が伸びる。


 炎の刃を振るい、鋭く向かってくる触手状ゼリーを次々とさばいていく。


 その間にも全周囲からスライムたちが押し寄せる。討伐隊員たちはそれぞれに得物を操り防戦に徹する。あたしも触手が飛んでこない隙にザコどもを切りつけて数を減らす。


 だが、スライムたちは数を頼みに次々と攻め寄せてくる。かろうじて防ぎきってはいるが、このままではいずれ追い込まれるだろう。


「……この……ぅう……っ!!」


「幼女様っ!!」


 なおもヒートエッジを振るおうとしたが、唐突に視界がかすむ。頭がふらつき、そのまま姿勢を崩して膝に土をつける。


 体が重い。意識がぼうっとする。汗が止まらない。


 もはや意地の張りようがない。


 明らかに、慣れない地上での影響が出ているのだ。


 まさかここまで重いとは思わなかった。新人天使たちはこんな辛さを味わっていただなんて。


「ぐあぁっ!!」


 守勢にほころびが出たところを狙われ、ひとりの神殿騎士が触手攻撃をまともに食らう。金属鎧の上から激しく打ち据えられ、悲鳴を上げてひっくり返る。倒れた拍子に持っていた松明が放物線を描き、カツンと音を立て地面へと転がった。


「大丈夫かっ!?」


「……ぐ……」


 味方が声をかけて容態の確認をする。神殿騎士の口から苦しげな声が漏れる。


 どうやら死んではいないようだが、これ以上の戦闘は厳しいだろう。あたしたちはさらに苦しい状況へ追い込まれてしまった。


 こんなはずじゃなかった。


 この広間に入る前は、死のクリムゾンにあたしの力を存分に見せつけたすえに完勝する想像を思い浮かべていたのに。


 口々に称賛を浴びせてくる討伐隊員たちを前に『浮かれるのはちょっと早いんじゃない? あなたたちはまだ火の女神ヴェイラ伝説の一ページ目を開いたに過ぎないのよ?』……と完璧に計算され尽くした名言を残す予定だったのに。


 現状はまるで違う。


 うろたえる神殿騎士、攻勢を緩めない死のクリムゾン、そして疲労困憊でふらつくあたし。


 完全にこちらが劣勢だ。このままでは冗談抜きで全滅もあり得る。


「おうおう、ずいぶんとキツそうやのう。ここいらで命乞いでもしてみるか?」


「うる……さい……っ!!」


 あたしは死のクリムゾンを睨みつけ、前方に両手のひらを突き出す。


 魔術の発動準備。


 頭が割れるように痛む。一瞬、意識が遠のきそうになる。だがありったけの精神力を動員して踏みとどまり、魔力の制御を行う。


 もう長期戦には耐えられそうにない。ならば最後の力を振り絞り、大技で一気に勝負を決めるしかない。


 魔力を両手のひらに集中。前方の空間に莫大な魔力が荒れ狂う。


「幼女様、なにをっ!?」


「"煉獄火炎魔術デヴァステイト・インフェルノ"を使うわ……っ!!」


 額に脂汗を流しながらあたしは答えた。


 デヴァステイト・インフェルノは火炎系の中でもっとも威力の高い魔術である。今の状態では思うように魔力を集められないが、それでも一軒家くらいなら跡形もなくふっ飛ばせる程度の威力にはなるはずだ。


「お待ちくださいっ!! いくらここが広いとはいえ洞窟内でそんな大魔術を使うだなんてっ!! 最悪崩落の危険性が――」


「黙って、なさい……っ!!」


 そんなの知らない。後回しだ。死のクリムゾンを倒してから考えればいい。


 これで決めて――ッ!!


「おらぁっ!!」


 死のクリムゾンが複数本の触手を鋭く振るってきた。


「ぐぁ……っ!!」


「幼女様ぁっ!!」


 あたしは回避しようとしたが間に合わなかった。胴体に触手を次々と喰らって吹き飛ばされ、固い地面の上を転がされた。手のひらに集中していた魔力が弾みで大気中へ放出され、そのまま霧散していった。


「……馬鹿やのう。そんな隙だらけの魔術を敵の目ン前で使うたぁアホ丸出しやなお前」


 嘲笑の混ざった声で死のクリムゾンは言った。


 うるさい――と言い返そうとしたが、できなかった。代わりに喉から出てきたのは言葉とも声とも言えないかすれた音だった。


「しっかしまあ、今ので死んどらんとは。思ったより頑丈やな」


 そう言って死のクリムゾンは、倒れたあたしに向かって数本の触手をゆっくりと伸ばしてくる。あたしは立ち上がろうとするが、体にまるで力が入らない。顔を上げるのがやっとだった。


「くそっ、幼女様に触れるなっ!!」


「ふんっ!!」


「が……っ!!」


 ひとりの討伐隊員が死のクリムゾンを止めようとするが、触手の軽い一振りだけで簡単にふっ飛ばされる。苦しげにうめく彼を捨て置き、触手状ゼリーがあたしに巻きつく。


 そのまま、あたしの体は空中へと持ち上げられてしまった。


「幼女様ぁっ!! お前たち、早く幼女様をお助け――」


「おう動くな人間どもぉっ!!」


 あたしに駆け寄ろうとした討伐隊員の足元へ、死のクリムゾンは空いた触手ゼリーの一撃を鋭く打ち据える。隊員はビクッと体を硬直させ、足を止める。


「いいか人間ども。もしこの女神サマを助けようと動いたら、まずそいつをじっくり痛ぶりながら殺すさかい。それでええなら助けにこいや」


 そう言って死のクリムゾンは討伐隊員たちの前にあたしを突き出す。すぐ助けに駆け寄れる距離だ。


「……な……なに、を……」


「ほんのお試しや。オマエの信頼がどんなもんかこれで分かる。……おう、どうした。動かんのか?」


 死のクリムゾンの言葉に、討伐隊員は誰も動こうとしなかった。


「どっちみち女神コイツもオマエらも逃すつもりはないんやぞ。順番の問題や。せやったら、愛しの女神サマを少しでも長生きさせたろうって気概を見せてもいいんやないか? 自分は苦しみながら死ぬ事になるがのう」


『『『…………』』』


 魔物からなおも言葉を重ねられるが、やはりその場の誰もが動かない。


 脅しにすくんでいる様子だ。不安そうな目で状況を見つめるだけだった。


「……やったら、こうしたらどうや?」


「うあぁ……っ!?」


 一本の触手が、あたしのお尻を強くひっぱたく。あたしの喉から苦痛の声が漏れる。


「駄目な女神はオレがお仕置きしたる。……おうおう、いいんかオマエら。女神サマが苦しんどるぞ。もし助けに来る奴がおったら、その度胸に免じてこいつは苦しめずに殺しちゃる」


「あぁ……っ!! うぁ……っ!!」


「どうや? 女神サマの苦しみを代わりに受けようっちゅう奴はおらんのか?」


「あああ……っ!!」


 痛い。お尻がジンジンする。


 誰か、誰か助けて。


 ふと、ひとりの隊員――この場にいるゆいいつの冒険者と視線が合った。


 とたんに彼は目を背けた。まるで『他の奴を頼ってくれ』とでも言いたげな素振りだった。


 ごく自然に出たであろう動作――それが、あたしの胸に最後までしがみついていた自尊心を木っ端微塵に打ち砕いた。


 それがあたしに対する本音なの。


 あたしをあんなに崇めていたのは一体なんだったの。


「……まあ、こんなもんやな」


 誰も動かないと確信したのか、死のクリムゾンはせせら笑うように言った。


「女神ヴェイラ。オマエはしょせんその程度の信頼しか得られんかったっちゅう事や。おおかたこいつらは『うわべの雰囲気だけで騒いどったが、コイツのために身を張ろうとは思わん』……とでも考えとるんやろう」


「うぅ……っ!!」


「そらそうや。女神である事を鼻にかけて偉そうにふんぞり返ってばかり。成功は自分の実力で失敗は無視、挙げ句このザマや。……こんなのにどこまでもついていこうっちゅう頭の軽い奴がおるかいな」


「うぁぁ……っ!!」


「ま、神は死んでも"地上で活動するための肉体"がなくなるだけで、その存在まで消えるっちゅう事はないんやろ? せいぜい天界に引きこもって反省しとけや。それを地上で活かせる機会は永遠にないけどな」


 そう言いながら、死のクリムゾンは新たな触手状ゼリーをあたしの眼前へと伸ばしてきた。


 気配で分かった。おそらく首を絞めてトドメを刺す気だ。


 もはや抵抗する気力など残されていなかった。


 ――あたしはなんて間抜けだったんだろう。


 苦い敗北感に打ちのめされる。


 昨夜の口論は思うように収められなくて。


 安易な発想で馬車を置いて先行した結果、ついてきた隊員たちを危機に陥れて。


 舐めきっていた"地上の影響"に心身ともに追い詰められて。


 これではただの道化だ。


 もっとナナやアオイの言う事を聞いていればよかった。ふたりの言う事が正しかった。


 だけどもう遅い。もう打開の手立てはない。


 しかし――


 視線を動かし、周囲にいる討伐隊員を見回す。


 こうなったらせめて。せめてケジメだけはつける。


 神として、ここにいる人間たちだけはなんとか助けてみせる。


 そのためにあたしにできる事は。


 なかば捨て鉢な気分で顔を上げ、首元に迫ろうとする触手状ゼリーの先端を見据える。


「ほな、これでしまい――」


「……ん、な……」


「ん?」


 死のクリムゾンが怪訝そうな声を出した。


「なんや? 最後になんか言い残したい事でもあんのか?」


「……こんなほっそい粗末なモノをあたしに向けるなんて千年早いのよ。キモいじゃないの」


 あたしの挑発に、死のクリムゾンは黙り込んだ。


 背中越しに静かな怒りを感じる。それでいい。あたしは背後にいる魔物へ向けて言葉を発し続ける。


「……だいたいさっきからなによ。工夫もなにもない単調な攻め。そんなんで得意げに語るとか。イタい奴ね」


 苦痛に耐え、相手を馬鹿にした声を出す。


 相手を怒らせ、あたしをもっと痛めつけるよう仕向けるために。


「……ああ。ひょっとしてあんた、そんな力づくのやり方がいいとでも思ってたんだ。うわダッサ。馬鹿なの? んな訳ないじゃない。いちおう演技で声出してあげてたんだけどさ。もう正直に言うわね」


 あたしは一拍置いてはっきりと言った。



「あんたの攻めド下手くそ過ぎ。大人のくせに恥ずかしくないの? このざぁこ」



「――こんのクソガキがああぁぁぁあっ!!」


「うぁぁぁぁぁ……っ!!」


 怒鳴り声を上げ、死のクリムゾンはあたしのお尻により強い力で触手を叩きつけた。


「上等じゃあっ!! これがド下手くそな攻めなんかそん体でじっくり味わってみいやぁっ!!」


 断続的に強い苦痛に襲われる。意識が飛びそうなほどだ。


 だが、これでいい。


 これであたしに矛先が向いた。これで少しは時間が稼げる。そのあいだに後続組がここへやってきて、彼らを助け出してくれるかも知れない。


「どうやぁっ!? これでもまだ生意気な口聞けるんかぁっ!! この――」


「――幼女様ぁっ!!」


 新たに触手が叩きつけられようとした瞬間、ひとりの神殿騎士があたしの方へ駆け寄ってきた。


 昨夜、冒険者と口論していた神殿騎士だ。


 彼は両手で構えた剣を渾身の力で振るい、お尻を叩こうとしていた触手を弾き飛ばした。


「あ……んた……っ!!」


「幼女様っ!! 今お助けしますぞっ!!」


 間を置かず別の神殿騎士があたしに駆け寄ってきた。いや、彼だけではない。あたしから目をそらした冒険者も含め、動ける者全員だ。


 神殿騎士のひとりは剣を高々と掲げ、あたしを拘束している触手状ゼリーへ銀色の刃を振り下ろす。一撃では切断できない。もう一度。一本の触手が切断される。彼はさらに剣を振りかぶる。


「――調子乗んなやぁっ!!」


「が……っ!!」


 怒りとともに横なぎに振るわれた触手状ゼリーを胴体に叩きつけられ、神殿騎士は地面を転がされた。


「……ぐ……ぅう……っ!!」


「あんたたちっ!! さっさと逃げなさいっ!!」


 あたしは叫ぶが、誰も逃げようとしなかった。倒れていた隊員たちも、よろめきながら立ち上がりあたしの元へ近づいてきた。


「聞こえなかったのっ!? あんたたちじゃ無理よっ!!」


「……幼女様は我らをかばうため彼奴きゃつにあのような言葉を投げかけたのでしょう。それくらい、我らにも察せられます」


 昨夜の神殿騎士が言った。


「……私は己を恥じております。……白状いたします。私は昨夜、あなた様の恩寵おんちょうを受けられなかった事に失望しておりました。なぜあなたは我らへの忠誠に報いてくださらないのか、そのように思っておりました」


「俺も!!」


 今度は冒険者が口を開いた。


「俺も先ほどあなた様の苦境を前に目を背けました。恐怖もありましたが、それだけではありません。『ここで助けに入ったところでなんになるのか。どうせ状況も打破できず、己が報われる事もないだろう』……そう考えたためです」


 冒険者の言葉を継ぐように、再び神殿騎士が口を開く。


「結局のところ、我々は内心であなた様からの恩恵を目当てに崇めていたのです。卑しい根性とお笑いください。……しかし目が覚めました。あなた様を犠牲にして助かったところでそれは生き恥と言うもの。ならば力及ばずとも、我らも最後までともに戦います」


「あんたたち……」


「……それに――」


 ふと、神殿騎士の口調が変わった。どこか熱を帯びた調子になった。


「――先ほどの罵倒。元気出ました。我らに向けられた言葉でないにも関わらず、めっちゃ興奮しました。むしろ直接言われた彼奴きゃつが死ぬほど羨ましいです。いえ、それどころか妬ましいまであります」


「……は?」


 あたしが戸惑っていると、冒険者も同意した。


「ほんとそれです。つかなんでぽっと出の魔物風情が労せずご褒美貰えるんだよ。俺らはそこそこ苦労したし悩みもしたってのに。それすげえ納得いかねえ」


 冒険者の言葉に全員が同時に首を動かす。揺らめく炎に切り抜かれた影が一斉にうなずく。


「同士諸君――」


 皆を代表し、神殿騎士が言った。


「――あいつ許せるかっ!? いいや許せねえっ!! 君たちはどうだっ!?」


『『『あいつマジ許せねぇっ!!』』』


「そう言う事ですっ!! 幼女様をお助けすると同時に、あんにゃろういっぺんシバキ上げますっ!! ――てめえら気合い入れて行くぞぉぉっ!!」


『『『おおおおおおおおっ!!』』』


「…………」


 凄まじい気合とともに、隊員たちは魔物たちへと向かっていった。


 ある者はあたしを拘束する触手状ゼリーを切断しようとし、ある者は群がってくるスライムたちを猛烈な勢いで蹴散らしていた。


「……な……なんや……なんやこいつらっ!!」


 死のクリムゾンも戸惑っているらしい。動揺に震えた声を出しつつ、慌てて触手状ゼリーを振るい迎撃する。


 しかし士気の高い隊員たちは多少の攻撃では怯まない。触手の攻撃をある時はかわし、ある時は武器で受け流し、紙一重でしのいでいた。


 ……ナニコレ。


 なんでアレで元気出るの。


 キモい。むしろ怖い。


 今のあたしは地上の人間が理解できなくなっていた。『てか、結局恩恵目当てじゃん』とは思っていても口にできなかった。


「……はあっ!!」


 そうこうしている内に、あたしを拘束していた最後の触手状ゼリーが切断され

た。あたしの体が地面に転がる。ひとりの神殿騎士が駆け寄り、あたしの体に残っているゼリーを取り去る。


「……いい加減鬱陶うっとうしいわぁっ!!」


「ぐおぉっ!!」


 だが彼は、死のクリムゾンの一撃を食らってふっ飛ばされる。他の隊員たちも触手攻撃の前に次々と倒れていく。


 もう動ける者はひとりもいない。限界を超えて踏ん張っていたが、さすがにここまでだ。


「……手こずらせおって。全員まとめてあの世に送ったるわ」


 そう言って死のクリムゾンは、触手よりも太い、まるで腕のようなゼリーを形成した。


「これでオレに神殺しのハクがつくっちゅうもんやっ!! くたばりやぁぁぁぁぁっくしょおぉ――――――いっ!!」


 そして突然、大きく派手なくしゃみをした。


「……なんや? 今オレの体になんか引っついた……っ!?」


 怪訝そうな声を出したその瞬間、死のクリムゾン体内にある黒い核がまるでその場から逃れるように横へ動いた。


 ほぼ同時に巨大な光の杭が死のクリムゾンの赤いゼリー体を突き破り、切っ先があたしたちのいる方へと飛び出した。


 もしあいつが核を動かしていなければあの鋭い突端に貫かれていただろう。


 暗闇に光り輝く、太くてたくましい棒。


 あれは。あの魔術はまさか――


「……光杭魔術パイルバンカー……」


 あたしがつぶやくと同時に、死のクリムゾンは体に杭を突き刺したままその場から退避する。奴がいた背後から――通路から声が聞こえてきた。


「くそっ!! 惜しいっ!!」


「あ~……やっぱあたしの符術より先にパイルバンカーを撃たせた方がよかったかしら……」


「いや。お前の符術の方が射程長いからな。使わなきゃヴェイラたちの救助が間に合わなかったかも知れない」


 聞き覚えのある声だった。


 あたしがクソザコと見下し、馬鹿にしていた男の声。その名は――


「……アオイ……」


「無事か馬鹿女神っ!!」


 転生者・ミズノアオイはそう叫んだ。



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