第37話 ヴェイラ 対 死のクリムゾン

          ~~ 女神ヴェイラSIDE ~~


「――ここね」


 あたしと討伐隊員たちは、死のクリムゾンが潜んでいると報告のあった広間へ到着した。


「……って、誰もいないんだけど……」


 だが広間はがらんと静まり返っていた。少なくとも照明の範囲内には死のクリムゾンはおろか、ザコスライムの気配すらない。警戒しながら広間の(おそらく)中央付近まで侵入してみるが、動くものはせいぜい地べたを這うキモい小虫くらいしか見当たらない。


 かなり広い空間みたいだし、明かりの届かない奥に潜んでいるのだろうか。


 それともとっくに別の場所へ移動してしまったのだろうか。最悪この洞窟を捨てて別の場所へと拠点を移したって可能性もある。


「まずは広間を探しましょう。ゴキブリみたく隙間に潜んでるかも知れないし、隅々まできっちり調べなさい」


「はい。……あの、幼女様。息が上がっておられるようですが……」


 ひとりの神殿騎士が言った。


 確かに少しばかり疲労を感じる。しかし普段であれば、今日くらいの運動量――ちょっと洞窟を歩いて軽く魔術を使った程度で息が上がる事などあり得ない。


 それに魔術の調子も微妙におかしい。使用そのものに差し支えは出ていないが、体内で魔力がうまく流れてくれない感覚がある。


 一体なぜ――



『天界の者が慣れない地上の環境に置かれると、疲れやすくなったり体や魔術を思うように扱えなくなったりするのです』



 ふと、昨夜ナナから聞かされた言葉がよぎる。


 ひょっとしてその影響が出ているのだろうか? 女神であるこのあたしに?


 確かにそう考えれば辻褄は合うが……いやいやいや、そんなはずはない。


 だってあたし、普段は『地上には慣れなくて』うんぬん言ってる天使を叱る立場だし。そのあたしが同じ言い訳をするだなんてあまりにみっともなさすぎる。意地でも認める訳にはいかない。


 たぶん昨日からショボい食事しか取れず、風呂は体にお湯を流すだけで我慢し、ショボいテントに寝泊まりさせられたのが原因だろう……うん、そうに違いない。やはりしっかりとした生活は重要だ。戻ったら改善するよう神殿側に言いつけておかなければ。


「……幼女様? お辛いようでしたら、少しお休みになられた方が……」


「平気よ。ええ、まったく問題ないわ」


 あたしはそう言いつつ魔術発動のため意識を集中。


 火炎魔術ブレイズを複数同時に手のひらから放つ。こぶし大の火球をそれぞれ別個に操り、暗闇に包まれた広間を巡らせる。


 いた。火球で照らされた壁際に複数のスライムが張りついて――


 瞬間、背後から空気を裂くような鋭い音。


「ッ!!」


 攻撃の気配を感じたあたしはとっさに回避。直後、あたしが立っていた場所を赤いムチらしきものが叩きつけられる。


「敵よっ!!」


 そう叫び、あたしは攻撃が飛んできた方へ火球を飛ばす。ちょうどあたしたちが通ってきた通路の方向だ。


 炎が暗闇の中から敵の姿を浮かび上がらせる。


 レッドスライムだ。それも並のスライムなど比較にならない体積を持った巨大な個体だった。


「――ほう。行ける思ったんやが……よう避けたなあ」


 レッドスライムの方向から声が響いた。直感的にその巨大スライムの声だと察した。


「……あんたが死のクリムゾンって奴ね」


「そうや。火の女神ヴェイラ」


「あら、さすがあたしね。こんな穴っころに引きこもってる陰気スライム風情にすら名を知られているだなんて」


「おう、よぉ~く知っとるわ。お前がオレらんところへカチコミに来た連中のかしらである事も。ワガママ放題言い散らかした挙げ句、部下どもを放っぽり出して少人数でここに来た事も」


 そう語る死のクリムゾンのそばで、紫色のスライムが跳ねた。おそらくあの『パープルスライム』がこちらを偵察していたのだろう。あいつはスライム系の中でも比較的知能が高い種類である。


「ちょうどええ機会やと思ってなあ、ここで待ち伏せとったわ。反対方向に気を向けた時を狙ったんやが……なるほどなあ。やるやんけ」


「ふん。まあクソザコが偉大なる女神様と戦おうってんなら、そんなこすっ辛い手に頼るしかないわよね」


「そうやな」


「なによ、意外と素直じゃない」


「腐っても女神やからな。油断できんわ」


 そう語る死のクリムゾンの声音からは卑屈も緊張もうかがえない。どうにも面白くない。もっとあたしの存在に恐れおののいたっていいじゃないの。


 そう思いつつ炎を操り、あたしたちの周囲に配置。案の定と言うべきか、すっかりスライムたちに取り囲まれている。


 ほんの一瞬の静寂の後、


「――おうお前ら、やっちまえっ!!」


 死のクリムゾンが叫ぶと同時に、周囲のスライムたちが中心にいるあたしたちへ一斉に群がってきた。


「幼女様っ!!」


「まかせときなさいっ!!」


 慌てず騒がず意識を集中。複数の炎を維持したまま、新たな魔術の発動準備。


 完了。


「――火炎放射魔術フレイムスロワーッ!!」


 前へ突き出した手のひらから炎が吐き出され、暗闇が一気に暴かれる。


「あんたら動くんじゃないわよっ!!」


 叫びつつ、あたしは他の隊員たちの周囲をぐるりと一回転。全周囲のスライムたちをまとめて焼いていく。各種スライムゼリーがジュッと音を立てて蒸発し、薬品を思わせる嫌な匂いが煙とともに立ち昇る。


「むうぅ……っ!!」


 時計回りに一周した後、炎をそのまま死のクリムゾンへと浴びせる。


 さすがに巨体なだけあって全身くまなく炎で包み込む事はできない。


 今のままであれば。


「くたばんなさいっ!!」


 体内の魔力を、手のひらへ向けてさらにそそぎ込む。


 放射された炎がひときわ激しく猛り狂った。ただのヘビが大蛇へと成長したような膨張。大きく開かれたあぎとがうなり声を上げ、死のクリムゾンを丸飲みにした。


「……ぅう……っ!!」


 同時に、あたしの全身にどすんと重い疲労感がのしかかってきた。


 魔術の多重発動に、魔力追加による威力増強。


 確かに難易度の高い技術であるが、それでも普段ならばこれほどの負担にはならない。やはり地上に慣れないため……いやいや、ショボテントの影響か。


「……はあっ……はあっ……」


 さすがにこらえきれずヒザに手をつき、大きく肩で息を切らせる。


 だが焦げた煙の向こう側で、死のクリムゾンの体積が半分ほどに減っていた。赤いゼリーの真ん中で、人の頭くらいの核が上下に揺れていた。


「……さすがは女神。想像以上の力やな」


「……ずいぶんみっともない姿になっちゃったわね。あとひと押しで――」


「これはオレも本気出さななぁっ!!」


 空気が震えるような声とともに、死のクリムゾンの体が膨れ上がった。


 いや、ゼリー体が増殖しているのだ。


 炎で蒸発した分がみるみる内に補われていく。あたしが息と体内魔力の乱れを整えるより早く、死のクリムゾンの体が完全に元通りになった。


「さあ今度はこっちの番やぁっ!!」


 本格的な殺気を込めた声で、死のクリムゾンは叫んだ。



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