第35話 洞窟へ

 翌日、俺たち討伐隊一行は野営地の片づけを済ませたのち、目的地への移動を再開した。


「――あそこが魔物の潜んでる洞窟ね」


 そして正午すぎ、死のクリムゾンたちが拠点としている洞窟へと到着した。


 切り立った崖の壁面に、左右へ大きく広がった洞窟入り口が開いている。まるで巨人が崖を強引に持ち上げ、地面から引き剥がそうとした跡のようであった。


「んじゃみんなー、さっそく突っ込むわよー!」


 でもって我らが討伐隊指揮者・女神ヴェイラ様は、敵陣を前に一切の思考を差し挟む事なく初手で無策の突撃命令を全軍に下していた。


 即座にひとりの神殿騎士が反論する。


「お待ちください。まずは斥候を放ち、内部の様子を――」


「小細工なんていらないわ。真っ正面から突入、真っ正面から殲滅。それが一番手っ取り早いわ」


「しかし……」


「あたしを一体誰だと思ってるのよ。火の女神ヴェイラの力、ザコザコな魔物どもにたっぷり見せつけてやるわ」


 そう言いながらヴェイラは輿こしの上で立ち上がり、洞窟へ不敵な笑みを向けた。


「それでこそ幼女様ですっ!!」


「幼女様あるところ我らありっ!! どこまでもお供いたしますぞっ!!」


「さあ、まずは景気づけに我らを罵ってくださいっ!! さげすむような目をしていただければなお最高ですっ!!」


「あと戦う前にちょっと精神修行しときたいんで私を踏んでくださいっ!!」


「黙りなさいカスども」


「「「「元気出たぁ―――――――っ!!」」」」


 望み通りヴェイラから蔑むような目で罵られた有志の方々は、とても元気になっていた。


 残念な事に、そこには約一名の身内も混ざっていた。


「……あれ、どうしよう……?」


「……もう私たちで止められる空気じゃありませんね……」


 俺の問いにナナはそう答えた。まあ、そうでしょうね……。


『『『…………』』』


 浮かれている人たちがいる一方で、彼らの様子へ冷ややかな視線を向ける人たちもいた。当然、その中には昨日のケンカの当事者である冒険者も含まれている。


 昨日のギスギスした空気がまだ尾を引いている。これでは連携にも悪影響を及ぼしかねない。果たしてこんな状態で大丈夫なのやら……。


「……いやあ、なかなか硬い靴裏だったわ。これで気合も入るってもんよ」


「おかえりクロエ。頭に土ついてるぞ」


 俺の懸念など知ってか知らずか、満足そうな顔で約一名の身内が戻ってきた。


「……でも、ヴェイラ様は大丈夫なのかしら」


 金髪に乗った黒土を払い落としながら、クロエはトーンの落ちた声でつぶやい

た。


「これからかなりの数の魔物と戦う事になるはずだけど、天界の人たちって慣れないと地上で疲れやすくなるのよね? 私が辛い思いをするのは本望だからいいけど……女神様はどうなのかしら」


「だよな。……生命力も回復できるんだし、いざって時はヒールで体力回復できないのか?」


 俺が尋ねると、ナナは首を振る。


「いえ。生命力と体力とは似ているようで微妙に違う概念でして。私のヒールでは体力の回復はできません」


「そうなのか……」


 だったらヴェイラ本人に自重してもらいたいところだが……あいつの性格じゃ正面から言っても意固地になるだけだろう。


「だったら取りあえず俺たちでヴェイラの様子を見ておこう。で、疲れたころを見計らって『後方でどっしり構えているのも指揮者の勤めだ』とかなんとか適当な理由つけて下がらせる。落としどころとしてはこんなもんだろう」


「ですね」


 四人全員がうなずいたところで、ヴェイラの声が飛んできた。


「よーし! んじゃあそろそろ行くわよー!」


 輿から下りたヴェイラが洞窟へ向かってずんずんと進んでいく。さすがに敵地では自分の足で歩くつもりらしい。


 もういっそ輿に乗ったままでいてくれ……と思いつつも俺はなにも言わず、進撃するヴェイラの後を追っていった。





 洞窟の暗闇を、松明の炎や魔力を利用した照明器具などで照らしながら進んでいく。


 内部は数十人からなる討伐隊が余裕で行動できるほどに広く、足元も比較的なだらかであった。


 その上ところどころ人の手が入った形跡――地面に案内らしき矢印の掘られた石版が埋められていたり、壁にかがり火用らしき鉄製のカゴがかかっていたりしている。


 冒険者ギルドいわくこの洞窟は崖の反対側へと抜けており、大昔の人々は天然の隧道トンネルとして使っていたそうだ。結果、多少なりとも整備の手が入っているらしい。


 より安全な場所に街道が通されている現在では放置されており、それゆえ死のクリムゾンが拠点として目をつけたのだろう……との事である。


 今回の俺たちは洞窟の反対側へと抜ける予定はない。ギルド調査部の報告によると、トンネル部分の途中にある脇道を入った先に大きく開けた空間があり、死のクリムゾンはそこに潜んでいるらしい。


 彼らは拠点の場所を特定したばかりでなく、実際に少人数で洞窟内部へ潜入し偵察も行ってくれている。おかげで俺たちは信頼の置ける情報を元に行動ができるのである。


 調査部に感謝しつつ、俺たちは地図を頼りに内部を進んでいく。


 魔王軍幹部が拠点としているだけに、当然の事ながら守りも固い。討伐隊一行は目的の脇道付近で待ち伏せていた色とりどりのスライムたちに襲われ、そのまま戦闘となる。


 だが神殿騎士たちも冒険者たちも十分な戦闘能力を持っている。慌てず騒がず各々が剣や槍を振るい、弓矢や魔術を放ち、スライムたちを相手に一歩も引けを取らずに奮戦する。


「ああ~~っ!! やっぱ生命力吸われる感覚はたまんないわねぇっ!!」


「なんかこの剣士、禍々しい雰囲気の剣を振り回しながら悦に浸ってるんだけどっ!?」



「喰らいなさいっ!! 『くしゃみが出る符』!!」


『くしょんっ』


「す……すげえっ!! スライムもくしゃみ出るのかっ!! 生きていく上でなんの役にも立たねえ知識だっ!!」


 ……約二名の身内が悪い意味で目立っていたけど。


「――火炎放射魔術フレイムスロワー!」


 そんな中、もっとも数多くの魔物を倒していたのがヴェイラであった。


 ヴェイラの右手のひらから放射された炎が複数の魔物たちを飲み込む。スライムのゼリー体が瞬間的に蒸発し、中枢部である核があっという間に炭化した。


 彼女はそのまま剣を振るうように手を左、そして右へと動かす。一〇メートルはある灼熱の刃が多数のスライムたちをなぎ払い、ことごとくを焼き尽くしていく。


 後に残ったのは核の燃えカスに黒く焼け焦げた地面、そしてむせ返るような猛火のなごりだけであった。


「……ざっとこんなもんよ。このざぁ~こ」


 扇状に広がる焦げ跡を前にヴェイラは得意げに胸を張る。全身から放出される自信で、彼女の小柄な体躯が膨張して見える錯覚さえ覚える。


 さすがは火の女神。強大な魔力の持ち主だ。


 これなら死のクリムゾンも楽勝で倒せるし、その成果を他の神々にもたやすく認めさせられるだろう――おおかた、そんな楽天的な想像に浸っているのだろう。


 だが、彼女は重要な事に気づいていない。


「おい。あまり調子に乗るな」


「……なによアオイ。あんたの下らないイチャモンなんて聞きたくないわよ」


「お前、気づいてなかったのか? 今の攻撃で危うく味方を巻き込みかけたんだ

ぞ」


 さっきの火炎放射みたいな魔術を右側へ振り抜いた際、ひとりの冒険者が巻き添えを食いかけていた。幸いにも素早く退避したため無事だったが、一歩間違えれば大惨事に発展していたかも知れない。


 ところがヴェイラは反省するどころか不満そうに口を尖らせていた。


「あんた、あたしが気づいてないとでも思ってたの? 当たらないように寸前で止めたじゃないの」


「当たらなきゃいいってもんじゃない。炎が近づいてくるだけでも怖いし熱いし危ないんだ。それに『当たらないよう』ってのはお前の手前勝手な計算だろうが。もしその冒険者が想定外の動きをしたらどうするんだ」


「はあ? 炎が迫ってくりゃ遠ざかるのが普通でしょ? わざわざ近づく馬鹿なんている訳ないじゃない。んな事も分からないの?」


「だからそれが手前勝手な計算なんだよ。範囲攻撃する場合は周囲に無駄な危険が及ばないよう気を配れ」


「うっさいうっさい。クソザコ棒のくせに偉そうにしないで」


 話を一方的に切り上げるように、ヴェイラは俺に背を向ける。そのまま取り巻き――輿こしを運んでいた有志たちを引き連れ、大股で脇道の先へと向かっていった。


「おい待て」


 俺たちも後を追うように脇道へと入る。


 トンネル部よりも狭く、足元も悪い通路だった。馬車が通れるくらいの余裕はあるが、これまでのようにスイスイ進んでいけそうにない。


 俺たちが慎重に進んでいくのをよそに、ヴェイラたちはどんどん進んでいく。暗闇の向こうへ遠ざかっていく明かりを追いかけるように討伐隊は歩を早める。


 だが、その速度に馬車が着いてこられない。地面の石でしばしば車輪が止められるためだ。ヴェイラたちとの距離が離れていく。


「待ってください女神様!」


「なに!? モタモタしてたら置いてくわよ!」


「馬車が進むのに石が邪魔になっています! まずはそれを取り除かないと先に進めません!」


 ひとりの冒険者が状況を伝えると、ヴェイラから「はあ!?」と返ってきた。


「まだるっこしいわねー! あたし待ってられないんだけど!?」


「しかし、こんな場所で馬車を立ち往生させるわけにもいきません! 戻って……ぶっ!?」


 冒険者の言葉が途中で止まる。天上から落ちてきた黄色いスライムが顔面に張りついたためだ。


「敵襲!」


 そばにいた神殿騎士が叫びながら剣を抜き、スライムの核を突き刺す。そして冒険者の顔からスライムゼリーを引き剥がした。


「無事ですかっ!?」


「え……ええ!」


「油断するな! まだ来る!」


 ヴェイラ側の神殿騎士が叫ぶ。岩陰や壁の隙間、天井などから次々とスライムたちが姿を現す。


 そのまま多数のスライムたちに通路を塞がれ、俺たちとヴェイラたちは分断されてしまった。


「くそっ!」


「慌てなくてだいじょーぶ! ちょっとあんたら、離れてなさーい!」


 魔物の群れを挟んで反対側にいるヴェイラが、俺たちに向けて叫んだ。


 同時に、彼女の右手が前方に向けられた。


「おい、まさか!?」


「たぶん、そのまさかよ! ――フレイムスロワー!」


 ヴェイラの右手から、炎が吹き出す。


 狭い通路内に魔術の炎が充満する。ヴェイラは手を動かし、天井から壁、地面にいたるまで丹念に焼く。


 通路内を舐め回すような炎を前に、スライムたちに逃げ場はなかった。抵抗する間もなく、瞬時に焼き尽くされていった。


「うわっ!!」


ちっ!! 熱っちっ!!」


 ヴェイラは俺たちのいる方向へ魔術を放ったため、当然俺たちにも高熱が押し寄せてきた。さすがに炎そのものはかなり手前で止められているが、それでも十分に熱い。


「……ふふん。ざっとこんなもんね」


 炎を収め、ヴェイラはひと仕事終えた風に額を手でぬぐう動作をした。こちら側の迷惑などまるで気づいていない様子だった。


「おいこら、この馬鹿女神っ!!」


「な……っ!? 馬鹿とはなによ、この馬鹿アオイっ!!」


「こっちにまで熱が来てるんだよっ!! 大事おおごとにならなかったからいいけど、ちったあ考えて魔術使えっ!!」


「はあっ!? あたしは別に平気だけどっ!?」


「そりゃお前は火の神だからなっ!! ……つーか、ちょっと待てっ!! これ通路しばらく通れないんじゃないのかっ!?」


 ヴェイラの炎で隅から隅までじっくりとあぶられた通路は、いまやすっかり高温を帯びてしまっている。


 風通しはいいので燃焼による酸素不足にこそ陥ってはいないが、こうも熱せられては通る事ができない。


「ちょっとどいて。……うわ、これは熱が下がるまで待つしかないですね……」


「あ、私なら初歩的な冷却の魔術使えるんで。それで冷ましましょう」


 こちら側の神殿騎士の言葉に、ひとりの女性冒険者――杖を持ち黒いローブを身にまとった魔術師である――が手を上げた。


「ああ、それじゃあお願いします。……おーいヴェイラ、聞こえたなー? ちょっとそこで待ってろー」


 俺が声をかけるも、ヴェイラからはすぐに返事がこない。


「……おーい、聞こえなかったのかー?」


「……もう待てないわよ。あたしたち、先に行ってるわねー!」


「はあっ!?」


 対岸のヴェイラから、またぞろとんでもない手前勝手発言が飛んできた。


「いやいやっ!! 待て待て待てっ!! いい加減に歩調合わせるって事を学べこの真性馬鹿っ!!」


「どうせ馬車だってモタついてるんだし、もういっそあたしたちだけで突っ込んだ方が効率がいいわよ!」


「こんなところで部隊を分けるつもりかっ!! いいから待てっ!!」


「大丈夫よ、死のクリムゾンごときあたしひとりで楽勝なんだから! あんたらは後からゆっくり来なさい! ……ほら、グズグズしてたら置いてくわよ!」


「待てヴェイラッ!!」


 俺の叫びなど今度こそ歯牙にかけず、ヴェイラはさっさと奥へ向かって行った。


「ヴェイラ様っ!! 引き返してくださいヴェイラ様っ!!」


「落ち着けナナッ!! 向こうへ渡るのはさすがに無理だっ!! ……そっちの方々っ、俺らはいいんでヴェイラを追ってくださーいっ!!」


 ヴェイラを追おうとするナナを止めつつ、対岸の取り巻きたちへそう伝える。彼らもさすがに戸惑っている様子を見せていたが、俺の言葉にうなずいて彼女の後を追っていった。


 ……あんの猪突猛進女神めっ!!



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