第34話 小川での一幕

          ~~ 女神ヴェイラSIDE ~~


「――ああもうっ!!」


 苛立ちにまかせて上着を脱ぎ捨てながら、あたしは言った。


 あたしの眼前にはさらさらと流れる小川。周囲には木々や茂みなどで周囲からの視界が遮られている。見張りもナナと仲間をふたり――確かクロエとユーディットだっけ? そいつらをつけているので安心して体を洗える。 


 服をすべて脱ぎ去り、余計な凹凸を省いたあたしの完璧な裸体を星夜の下に晒

す。この洗練された芸術のような美しい肢体、我ながら惚れぼれする。ノゾキを試みる不届き者が現れてもまったくおかしくはない。警戒するのも当然であった。


 ここへ来る途中に持ってきた鍋に水を入れ、あたしの炎でお湯を沸かす。水を追加しつつ適温に調整し、まずは全身にぶっかける。


 温かな感覚がシミひとつない皮膚へじんわりと染み入る。うん、まあまあ気持ちいい。きちんとした浴槽に肩まで浸かるのには劣るけど。


『風呂桶くらい持ってきなさいよ』とは言ったものの、『どうしても無理』との事である。あたしもショボテントの件で半ばあきらめていたので、辛うじて譲歩じょうほできた。


 まあ譲歩はできても完全に納得できる訳でもない。さっきの討伐隊員同士の口論も含め、イライラが少しづつ増してきた。


「……ったく、なんなのよあいつらはっ!! せっかくあたしが仲裁してやったってのに、てんで好き勝手な事ばっか言ってっ!! おとなしく『ごめんなさい』もできないのかしらっ!!」


 腹に溜まった怒りを吐き出すように叫ぶ。だが同時に、吐き出した分の隙間を埋めるようにどうしようもない虚しさが湧き出してきた。


 あたしにだって分かってる。


 あれで円満に解決している訳がない。


 あの場は今ごろ、険悪な空気が漂っているに違いない。ケンカをうまく治められなかったあたしを見下す声がささやかれているに違いない。体を洗いに来たのも、半分くらいはあそこから逃げるための名目だ。


 こんなはずじゃなかったのに。


 もっとこう、あたしのあり余る才覚によって紡ぎ出される巧みな弁舌によって恒久的な平和がもたらされるはずだったのに。


 実際には、両者とも『ああ言えばこう言う』ってな調子で一切譲る気のない応酬を繰り返すばかりで、まるで埒が明かなかった。


 どうすればいいのか分からず頭がぐちゃぐちゃになったあたしは、結局怒鳴って無理やり話を切り上げさせた。


 天使が相手ならそれでいい。だって天使は神の言う事を聞くのが仕事なんだし。あたしに小うるさい事をあれこれ言ってくるのはナナだけだから間違いない。


 しかしあの場の人間たちは違う。


 あの時周囲から向けられていた、まるで値踏みするかのような視線に気づいていないほどあたしは鈍感じゃない。


 怒鳴った瞬間に冒険者の男が向けた怒りの視線、神殿騎士の男が向けた哀願の視線に気づいていないほどあたしは鈍感じゃない。


 もっとうまくやれるはずだったのに。


 人のあいだを取り持つのがこんなにも難しいとは思わなかった。


 あたしの地上での活躍に、さっそくケチがついた――


「――ええいっ!!」


 あたしは首を振って嫌な感情を追い出し、両手で頬を叩いて気持ちを切り替える。


 いやいや! 弱気は禁物だ!


 あたしが地上に降りた本来の目的はケンカの仲裁じゃない。まずは死のクリムゾンを、そしてゆくゆくは魔王リントラをぶっ飛ばす事だ。


 ようは最終的な目的さえ達成できればいいのである。そうすれば、途中のうまくいかなかった部分なんて全部帳消しにできるはずだ。


 こんなつまらない事をいつまでも引きずっていたってしかたない。まずは明日、死のクリムゾンを倒す事に集中しよう。


 そう思いつつ改めてお湯を体にかける。温かい液体が、あたしのなだらかな胸をよどみなくすべり落ちていく。


 うんやはりあたしの体はすばらしい。一切の無駄がない。


 討伐隊の一部面々はあたしを『幼女様』なんて呼んでいるが、人間の未成熟個体とあたしの完成された形態とを混同するなんて心外だ。あまりにも見る目がなさすぎる。


 あとキモいし。しかも罵倒したら喜ぶし。


 彼らなりに敬愛の念を示しているみたいなので多少は大目に見てあげるけど……あれはあたしが思っているような崇められ方とだいぶ違う。


「ヴェイラ様、いかがいたしましたか?」


 あたしのそばにやってきたナナが尋ねてきた。


 ちなみに、野営地設営の合間にナナから聞いた話によるとクロエとユーディットは『ナナが天使である事』までは知っているそうだ(アオイが転生者である事はナイショにしているとの事)。なのでナナとの天界トークを聞かれても問題ない。


 そもそも、天使だと知られてなにがそんなに困るんだか。正体を隠すのってただ面倒なだけじゃない? ……ま、黙っておいてあげるけどさ。


「へーきよ、へーき。ちょっとムカついてた気分をすっきりさせただけ」


「それもありますが、お体の方はどうですか? ほら、普段より疲れやすいという事はありませんか?」


「あー、確かに。長いこと輿こしに乗ってたせいか、なーんか妙に疲れてるのよね。あれって案外楽な乗りものじゃないのねー」


「やはりそうですか……」


 あたしが答えると、ナナは真剣そうな目を向けてきた。


「いいですかヴェイラ様。地上の環境は天界とは違います。天界の者が慣れない地上の環境に置かれると、疲れやすくなったり体や魔術を思うように扱えなくなったりするのです」


「ああ、そう言えばそうだっけ」


 確かにしばしば聞く話である。


 新人の天使たちが『地上での仕事って、慣れないとキツいんだよねー』と愚痴を言い合っているところを見た事がある。天界の規則で、初めて地上に降りた新人天使には翌日に休みを与える事が定められてもいる。


「けどそんなもん、しょせんは天使が仕事の失敗をごまかすために使う定番の言い訳じゃない。実際にはそんなに大した事じゃないんでしょ?」


「いいえ。個人差こそありますが影響は必ず出るはずです」


「そりゃ下っ端のザコ天使の話でしょ。神であるあたしがそんな情けない理由でどうこうなる訳ないって。確かにちょっと疲れてるけど、そんな動けないってほどキツいもんでもないし」


輿こしに乗っていたためにその程度で済んでいるのです。もしヴェイラ様がみなと同じように徒歩で移動していた場合、途中で動けないほどに疲弊し馬車の荷台に寝かせられていたかも知れません」


「なによ。あたしをもやしっ子扱いしてくれちゃって」


「すみません。ですが、慣れないうちはそれほどの負担となるのです。ましてや明日は魔物との戦闘が控えております。今日とは比べものにならないほど運動量が増えるはずです。最悪、戦闘中に動けなくなってしまう可能性も――」


「はいはい。ご忠告どーも」


 あたしは適当に聞き流し、温かいお湯で顔を洗った。


 おおかた、脅し半分で大げさに言っているだけだろう。ナナはあたしに天界へ帰ってほしいみたいだし、『手柄を立てられては困る』と考えてそんな事を言っているのだろう。


 その手には乗らない。絶対に手柄を立ててやる。


 結果を出してしまえば、ナナもそれ以上は文句を言えなくなるはずだ。


 そのためにも明日、死のクリムゾンとか言う奴を相手に完全な勝利を納めてやろう。


「ま、せいぜい見てなさい。魔王軍のザコザコ幹部なんて、あたしがギッタギタにしてやるから」


 そう言いつつ、あたしは頭からお湯をかぶった。



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