第33話 対立

 日が暮れる少し前、討伐隊一行は本日の移動を終えて野営の準備を始めた。


 小川近くの平坦な場所を選んで設営を行う。付近にはちょっとした林もあったため、きつけ用の小枝も調達しやすい。


 支援部隊が中心となって設営を進めていく。


 風よけになるよう馬車を壁状に並べて止める。


 用意していた木杭などで簡易的な"馬立て"――馬を繋いでおくための場所を作る。


 焚き火を行う場所に石を円形に並べてかまどを作り、周囲にちょっとした溝を掘って草に燃え移らないようにする……などを、手際よく行っていた。


 俺たち冒険者も歩哨ほしょうに立って周辺に魔物や盗賊が潜んでいないか調べつつ、魔物を遠ざけるための魔術道具を野宿場所を囲むように設置していく。


『結界石』と呼ばれる青い楕円形の石で、魔力を通すと一定時間魔物が嫌がる特殊な波動を放出する道具だ。使い捨て式である、動かすと波動が乱れて効果が大きく落ちる、などの特徴があるため基本的には野宿でのみ使用される……との事だ。


 全員で協力して準備を進めていく中、ゆいいつなにもしていないのがヴェイラであった。


 なにもしないだけならまだしも、彼女の場合あちこちをウロウロしながら目についた人物へ手当たり次第に「ほら、しっかりがんばんなさいよ!」だのと声をかけて回っている。


 本人としては激励のつもりなのかもしれないが、はっきり言って邪魔である。社員との信頼関係と馴れ馴れしい態度とを取り違えた社長みたいな行動であった。


「ねえ。これはなにかしら?」


 歩き回っていたヴェイラは、野営地にひとつだけ張られた白い天幕テントを指しながら手近な人物に尋ねた。


「はい。女神様の寝所です」


「……ショボ」


 神殿騎士が答えると、彼女は不満そうに眉をひそめた。


 ショボいとは言うが、むしろしっかりした作りのテントである。風雨も虫の侵入も防げるし、大きさも五~六人は余裕で横になれるほどだ。


 これを独り占めできるのだからむしろ贅沢ですらあるのだが、ヴェイラは気に入らない様子で続けた。


「あんたたち。まさか女神をこんな粗末な場所で寝かせようってつもりなの?」


「そうはおっしゃりますが、これが限度です。他の者は布団と防雨具を兼ねた布を一枚与えられるだけですよ」


「そりゃあんたらはそれでいいでしょ。だけどあたしは女神なのよ、め・が・み。もっと神にふさわしいテント用意しときなさいよ」


「しかし、これ以上大きなテントを運ぶには馬車の荷台に空きがありません。馬車で運んでいるのはテントだけではないのですよ。水や食料、薬品などの物資も必要ですし、病人などが出た場合に備えて空きも確保しておかなければなりません」


「んなもん馬車増やせばいいだけじゃないの」


「そうしますと御者と馬が増える事になりますから、水と食料もその分追加しなければなりません。しかも準備日数が足りなかったため、討伐隊は現状馬車専門の護衛を用意できておりません。討伐部隊が護衛を兼任している状態です。


 この状態でさらに馬車という護衛対象を増やしてしまえば、魔物などに襲われた際の危険度も増します。しかし護衛を増やせばその分さらに食料と水が増え――」


「うっさいうっさい。あたしはそんな回りくどい事を聞きたい訳じゃないの。もっとあたしにふさわしい豪華なテントを用意しなさいって言ってんの」


「しかし……」


「ヴェイラ、無茶言うのもいい加減にしとけ」


 さすがに見かねて俺はふたりの間に割って入った。


「お……おい、貴様っ!! 女神様に向かってその口の聞き方は――」


「すみません騎士さん。話は後で聞きます」


「いいから。あんたは引っ込んでなさい」


 いきり立つ神殿騎士を、俺とヴェイラは手で制した。


「……なに? あんたにゃ関係ないでしょ」


「大ありだ。お前、そろそろここにいる全員に迷惑かけまくってるって自覚を持

て。だいたい、今夜は野宿するって事前に聞かなかったのか」


「それくらい知ってたわよ。あたしが言いたいのは、こいつらはあたしに野宿させようってのに、こんな粗末なテントしか用意しなかったって事よ」


「その感覚が大間違いだってんだよ。普通の感覚じゃ、お前のためだけに専用のテントを用意してるってだけで特別待遇なんだぞ」


 そもそも俺だって野宿は初めてだ。いきなり布一枚だけ渡され外で寝かせられるのは正直戸惑うところもある。


 だが文句を言うつもりはない。この世界で冒険者としてやっていくために、こういう事は早めに慣れておかなければならない。むしろ初の野宿を経験者と一緒に行えるのはありがたいと思っているくらいだ。


 一方のこいつはブーブー文句ばかりたれている。討伐隊を率いる指揮者であると言うのに責任感も皆無。


 こんな認識の奴が"魔王を倒す"? "神としての格を上げる"?


 考えが甘すぎる。


 俺が心中で吐き捨てた言葉を察しているのかいないのか、ヴェイラは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「つまり取るに足らないクソザコであるあんたは、分不相応にも女神であるあたしにこう言いたい訳なのね? 『我慢しろ』って」


「そうだ。なんなら今ここではっきり言っといてやる。『我慢しろ』」


 俺は一言一句を強調するように言った。


 ヴェイラの緑色の瞳に怒りが充填されていくのが分かった。だが同時に瞳がちらり、と横へ向けられるのも見えた。


 つられて俺も視線を左右へと向ける。


 討伐隊の面々が作業の手を止め、俺たちふたりに視線を集中させていた。


 いつの間にか、場が重苦しい空気に支配されていた。さしものヴェイラも異様な雰囲気を感じ取ったらしく、怒りが引っ込んでいく。


「……ふん。ま、あたしは寛大だから無礼な態度も許してあげるわ。ほらあんたたち、さっさと作業を続けなさい」


 そう言い残し、ヴェイラはさっさとその場を離れていった。


「……あの男。ヴェイラ様になんと不敬な態度を……」


「ああ。みんなの幼女様だと言うのに馴れ馴れしい奴だ」


「気に入らん……」


 俺への批判的な意見がささやかれる中、ヴェイラの対応をしていた神殿騎士が近づいてきた。


「……君。女神様にあの口の聞き方は関心しないぞ」


「はい。すみませんでした」


「……だけど助かったよ。ありがとう」


 騎士さんが礼を言うと、他の討伐隊員からも同意の声が上がる。


「そうだ。あんた、よくぞ言ってくれた」


「あの女神、見た目だけじゃなく中身もまるきり子供じゃないの。あれをうやまってる連中の気が知れないわ」


「ま、まあまあ。ここで僕らが争っても意味がないよ。……でも、さすがにさっきの態度はちょっと……」


 俺への感謝が、最終的にはヴェイラへの批判へと繋がっている。不満が溜め込まれている証拠だ。


 大事にならなければいいけど……。


 周囲に頭を下げながら、俺は漠然とした不安を覚えていた。






 だが、その日の夜。


「――なんだとっ!! 貴様、もう一度言ってみろっ!!」


「上等だっ!! いい加減お前ら幼女様、幼女様って騒ぐの鬱陶うっとうしいって言ったんだよっ!!」


 揺れるたき火の明かりの中で、昼間にヴェイラの輿こしを運んでいた神殿騎士とヴェイラを批判的に見ていた冒険者とが怒鳴り声を上げた。


「貴様ぁぁっ!! そのような暴言、二度も言うとは覚悟できているのだろうなぁぁっ!!」


「ああんっ!? 今ここでやんのかっ!? ええコラァッ!!」


 今にも取っ組み合いになりそうなふたりを、他の討伐隊員がそれぞれ羽交い締めにして止めている。そんな光景を、俺たち四人は少し離れた場所から眺めていた。


 口論のきっかけはささいな事だ。


 神殿騎士が内輪ノリを引きずったまま『幼女様サイコ~』とつぶやきながら歩いていたのに対し、冒険者が舌打ちをした。神殿騎士がそれに突っかかり、冒険者がぞんざいな言葉で応じ、人が集まってくる中でだんだんと互いにヒートアップしていき――


 現在の険悪な有様である。


 直接の当事者こそこのふたりであるが、周囲ではヴェイラを崇める側とヴェイラを苦々しく思っている側とでにらみ合いになっている。


 ヴェイラへの不満を溜め込んでいた彼らにとって、能天気な信者の態度がかんさわったのだろう。今や野営地は、ピリピリとした空気に支配されていた。


「……なによ、さっきからうるさいわねぇ……」


 騒ぎを聞きつけたのか、テントから出てきたヴェイラがのんびり歩きながらやってきた。


「幼女様……いえヴェイラ様、お聞きください。こやつは我らのヴェイラ様に対する深い敬愛の念を侮辱したのです。ここはあなたのお言葉で直接戒めてやってください」


「なるほどね。……あんた、こいつに謝んなさいな。あたしへの敬愛を侮辱した事は特別に許してやるからさ」


 ヴェイラがそう言うと、冒険者は怒りを無理やり押し込めたような攻撃的な笑みを浮かべた。


「なあ、女神ヴェイラ様。神様ってのはもっと公平に物事を見るべきなんじゃないですかね。そいつは周囲の迷惑も考えず、おちゃらけた発言をたれ流しながら歩いていたんですよ? その事、どうやら俺だけでなく他の奴らも不満に思っているご様子です。どう考えても咎めるべきはそいつでしょう」


「それもそうか。……ねえあんた。みんなが迷惑してるらしいから、おちゃらけたノリであたしを敬愛するのは控えなさいな。……あたし的にもちょっとキモいし」


 ヴェイラがそう言うと、神殿騎士は冒険者へ当てこするように媚びた笑みを浮かべた。


「……ヴェイラ様。我らは今日一日、あなた様へ忠実に仕えてきたではありませんか。それこそ我らのあなた様に対する忠誠心の証。今ここで我らの献身に神の恩寵おんちょうをもって報いてくだされば幸いにございます」


「……う……まあそれもそうね。……ねえ、あんた――」


「女神様。つまり俺は神に見放されるという事ですかね。俺はこれまでの人生、神に恥じるような行いなどなにもしていないのですが。にも関わらず、あなたはたった一日の献身だけでえこひいきをするのですか。俺はたったそれだけの差で道理を曲げられ叱責を受けなければならないのですか」


「……そ……そうよね。……じゃ、じゃあここはお互い様って事で――」


「ヴェイラ様。私は神殿騎士となってこれまで、神々への祈りを欠かした事は一度もありません。その者とは積み重ねた祈りの量が違います。ゆえに私があなた様から特別な恩恵をたまわったとしてもそれは不公平とは言いますまい」


「おやおや。俺にはまるで、あんたは自らが得をするためだけにこれまで祈ってきたと言っている風に聞こえますなぁ。信心をかたった、実に薄っぺらく浅ましい行為ではありませんか。このような者を放置しては天界の沽券こけんに関わるとは思いませんか女神様?」


「困った時にだけ神に祈れば都合よく恩恵にあずかれる、などと言う虫のいい考えを持った浅学なやからにはそう聞こえるのかも知れませんな。……ともかく、隊の規律を守るためにもぜひ女神様には公平な裁きをお願いいたします」


「そこに関しては同感ですな。賢く偉大な女神様であれば、こいつを罰する事こそが公平さを示すゆいいつの手段であると分かっておられるでしょうからな」


「いやいや。こやつを罰する事こそが――」


「いや。どう考えてもこいつが悪い――」


「……え……いや、えっと……えっと……」


 神殿騎士と冒険者との間で、ヴェイラは完全なる板挟み状態になっていた。


 ……これ、どんな結論を出しても遺恨が残るんじゃないか。


 いったいどうするつもりなんだ……と思いながら俺はヴェイラを見守る。だが彼女は言葉に詰まりつつ、あたふたとした様子で両者へ交互に首を向けるばかりだった。


「……う……うるさいうるさい、うるさぁ――いっ!!」


 そして最後はヤケクソになって叫んだ。まるで癇癪かんしゃくを起こした子供のように、両手をブンブン振り回しながら大声でわめき散らした。


「あ、明日は死のクリムゾンとの戦いがあるんだからねっ!! こんな無駄な事で体力を浪費してるヒマなんてないのっ!! はい話はここで終わりっ!! 解散解散っ!! ――ほら、そこにいる女冒険者たちっ!! あたし川で体洗いたいからあんたらちょっと見張りとしてついて来なさいっ!!」


 俺の近くに立っていたナナ、クロエ、ユーディットへ向けてそう言い、ヴェイラは逃げるように小川のある方へと歩いていった。


「……チッ」


「……ふん」


 神殿騎士と冒険者は一度だけ険悪な目つきでにらみ合い、それぞれ別々の方向へと立ち去っていった。それに合わせ、口論を眺めていた討伐隊員たちもめいめいに散っていく。


 残された重苦しい空気の中で、たき火のパチパチとした音がいやに大きく響いていた。


 両者の納得を無視して強引に打ち切らせる――ケンカの仲裁としてはおそらく最悪の一手である。


 ナナが天使だと疑われないよう"適当に選んだ"風を装って呼び出した辺り、多少の気遣いはできるようになってはいるが……根本的な思慮のなさはまるで改善されていない。


「……私、ヴェイラ様のところへ行ってきますね」


 ナナがぽつりとつぶやいた。


「ああ。……あいつ、この雰囲気どうしてくれるんだ……」


「申し訳ありませんでした。後で私から注意しておきます。……こういう事があるからこそ、神々は地上への安易な干渉を禁じたのですよ。人々の営みに神が立ち入れば不公平が生じますから」


「ああ、なるほど……」


 今回の場合、本人のやり方次第では円満に収める事もできたかも知れない。


 だが、互いに妥協できない道理がある場合――例えば競技や政治、戦争などに神様が介入した場合、負けた側はそりゃあ絶望するしかないだろう。自分たちの道理が神様によって否定される事になるのだから。引き分けや和睦でさえ納得できないという者も必ずいる。


「だから、この世界の神様は『余計な介入をしない』という選択を取ったのか。人間社会の公平さのために」


「はい。人間たちにとっての正解は人間たちに委ねるべきだとソレイユ様はおっしゃっておりました。もちろん介入しないという選択ですら不公平を生じるだろうともおっしゃっておりましたが、それでも――」


「――ねえーっ!! 見張り役ー、早く来なさ――いっ!!」


 俺たちが話しているところに、ヴェイラから催促の声が飛んでくる。


「あ、はーい! 今行きまーす! ……それでは、私はこれで」


 そう言って、ナナ達は小川の方へと走っていった。


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