第30話 地上に降りた女神

「……は?」


 唐突に出てきた名前に理解が追いつかず、思わず間抜けな声をもらした。


「ですので、今回の討伐隊指揮者は女神ヴェイラです。数百年ほど前に誕生した、比較的新しい神ですね」


 そんな俺へ念を押すように、リセさんはもう一度繰り返した。


 もはや聞き間違いという事はあり得ない。彼女は確かにヴェイラの名を口にしたのだ。


 いや待て。


 俺がナナから聞いた限り、天界には色々と規則があり地上への干渉には大きな制限がかかっているはずだ。地上に啓示がある際も天使を遣わせ手順を守ったうえで行われるのだと言っていた。


 にも関わらず、なぜ女神自らが軽々しく地上へ降りてきているんだ。そもそも、天界から地上へは好きな場所へ自由自在に降りられる訳ではないんじゃなかったのか。驚愕と疑問がないぜとなり、二の句が継げなかった。


「そっ……それは本当ですかっ!?」


 そんな俺以上に驚いていたのがナナだった。ギルドロビー中に響くほどの声を上げ、リセへと詰め寄った。


「本当にヴェイラ様が討伐隊指揮者にっ!? 間違いないんですかっ!?」


「ナナ、落ち着け」


 いささか興奮気味な彼女の肩を引く。ナナは「あ……」と声をもらし、慌ててリセさんから距離を取る。


「……すみません。つい……」


「いえ。お気になさらず」


 リセさんは言った。


「驚かれるのも無理はありません。神が地上へ降り、人間に直接的な干渉を行うだなんて。尋常な事態ではありません」


 リセさんの言葉にクロエとユーディットも「ええ」「そうよね」と同意する。


 それがこの世界における神への認識だ。だが、その認識に反する行為をヴェイラは今まさに行っている。


「アオイさん……」


「ああ……」


 俺はゆっくりとうなずき、クロエとユーディットを見る。


「……ふたりとも。俺たちはこのクエストを受けようと思う。嫌なら無理強いはしない。俺とナナだけでも参加するつもりだ。……どうする?」


 そう尋ねると、真っ先にユーディットが難色を示した。


「……え? いや、死のクリムゾンって魔王軍の幹部なんでしょ? あたしたちにはちょっと荷が重くない?」


「私たちはユーディットに出会う前、その死のクリムゾンと戦った事があるのよ」


 クロエが言った。


「マジで?」


「ええ。因縁ってほどじゃないけど、私も動向は気になっていたところよ。それに――」


 そう言ってナナの方を向く。


「ナナが気にしてるって事はそういう話・・・・・でしょうし。いいわ、私も付き合う。今度こそあいつと決着つけてやるわ」


「クロエさん……ありがとうございます」


 ナナは深々と頭を下げた。


「ユーディット。お前はどうする?」


「ええ~……。確かにさっきクエストに混ぜろとは言ったけど……さすがにヤバそうな相手だし……。ごめん、今回はちょっと……」


「そうか」


 まあしかたない。ヴェイラにも死のクリムゾンにも縁がない彼女にとって、わざわざ身の丈に合いそうにないクエストへ参加する理由がないのだろう。


「聞いての通りです。リセさん、俺とナナとクロエの三人はこのクエストに参加します」


「了解しました。危険度の高いクエストですのでお気をつけくださいね。重要度も高い分、報酬も高額ではありますが――」



「――あなたたち、水くさいじゃないのっ!! このあたしを置いて行こうだなんてそうは行かないわよっ!!」



「「「…………」」」


 最高に頼もしい笑顔で、ユーディットは力強く親指を立てた。


「……いや、嫌なら別に……」


「危険は覚悟の上よ。あたしだって本当は怖い。けど、みんなを見捨てる事なんて絶対にできない。だって――」


 両手をそっと胸の前に置き、彼女は言葉を紡いだ。


「だってあたしたち――仲間でしょ?」


「初めて知ったよ。こうも胸に響かない友情がこの世に存在していただなんて」


 ユーディットが口にする"仲間"という単語からは、残念ながら隠しようがないほどに金の匂いが立ち昇っていた。


「……いやまあ、いいけどさ」


「やたっ!! 報酬ガッポリ稼ぐわよ――っ!!」


 友情の仮面放り投げるの早えなオイ。


「はあ……こいつは。……そういう訳ですのでリセさん。俺たち四人はそのクエストに参加します」


「了解しました」


 リセさんは改めてうなずいた。






 クエスト受注手続きを終えた俺たちは、すぐさまリニア・ソレイユ神殿へと向かった。


「……さっきは人前だから尋ねなかったけど」


 道中、ユーディットが口を開いた。


「ひょっとして今回の件、ナナに――天使であるあなたになにか関係があるの?」


「ええ」


 ナナは答えた。


「女神ヴェイラ様は私の上司です。私はとある件でヴェイラ様の命令を受け、地上へ降りたのです。……なぜヴェイラ様ご本人が地上に……」


「ここで考えても分からないな。あいつに直接問いただすしかない」


「……? アオイのその言い方、まるでヴェイラ様と面識があるみたいじゃない

の」


 ユーディットから指摘される。こいつ、けっこう鋭いところあるよな。


「それに関しては祇園精舎ぎおんしょうじゃのポロロッカがカッティングパイでレームダックして」


「すんませんでした。マジすんませんでした」


 俺の適当語りにユーディットは速攻で音を上げた。体がちょっと小刻みに震えていた。


 すまない。だけど深入りする君が悪いんだ。


 そうこうしている内に、小高い丘の上に建つ白亜の立派な建物が視界に映った。あれがリニア・ソレイユ神殿だ。名前の通り、太陽神ソレイユが祀られている神殿である。


 そのまま歩を進め、何十段もある階段を駆け上がっていく。だんだんと神殿入り口前に人だかりができているのが見えてきた。


 異様な雰囲気だ。まさか――


「――まあこのあたしにまかせなさい!! 神であるあたしが、憎き魔王リントラをぶっ倒してきてやるわ!! まず手始めに、死のクリムゾンとかいうザコをけちょんけちょんにしてやるわ!!」


 悪い予感が的中した。


 階段を登りきった先に、壇上に立ち、大勢の人々の前で勇ましい演説をするひとりの少女がいた。


 子供並みの低い背丈に、燃える炎のような赤い短髪。お腹と太ももを大きく晒した黒い服。


 見間違いようもない。


 俺をこの世界へ転生させた張本人、女神ヴェイラの姿があった。


「ヴェイラ様……」


 軽く息を切らせながら、ナナが呆然と立ちつくす。彼女の揺れる青い瞳が、壇上で拳を振り上げるヴェイラへ『なぜ?』と問いかけていた。


 ――不意に、ヴェイラの視線が俺たちへと向けられた。


「……あ、ナナじゃなーいっ!! あんたも来たのねーっ!!」


「っ!?」


 やにわにヴェイラは大衆の前でひときわ大きな声を張り上げた。ナナの小さな両肩がビクッ! とすぼめられ、同時に人々の視線が一斉に彼女へと注がれる。


 あいつなに考えてやがるんだっ!!


 こんな大勢の前で声をかけるだなんて、下手したらナナが天使だってバレるかも知れないんだぞっ!?


 確かに絶対秘密という訳ではないが、ナナは当面のあいだ地上で冒険者として活動していくのだ。"正体は天使"であると不必要に広めるのは望ましくない。なんの目的で天使が地上にいるのか不審がられるし、最悪彼女の身に危険が及ぶ可能性だってある。


「あのっ!! ヴェイラっ!!」


 これはまずい――そう思った俺は、反射的にヴェイラへ叫んだ。


「後でお話がしたいので、お時間いただけないでしょうかっ!!」


 壇上のヴェイラは俺をじっと眺める。遠目だが、見下したような笑みを浮かべているのがなんとなく分かった。


「……みんなー!! ちょーっとばかり用事ができたから、今日はここら辺りで解散ねー!!」


 ヴェイラは楽しげな調子で叫んだ。



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