第25話 ユーディットという女

「――つまり、ナナは天界から地上に下りてきた天使だった……と」


「そういう事です。黙っていてすみませんでした」


 戦闘終了後、ユーディットに事情を説明し終えたナナはぺこりと頭を下げた(なおナナのすぐそばでは、ヒールをかけられたクロエが地べたに座り込み「あふぅ……」と恍惚の表情を浮かべていた)。


 もっとも、だいたいの察しはついていたのだろう。ユーディットはさして驚かない。むしろ頭の中では『なぜ天使が地上に?』という次なる疑問の段階へと移っている様子だった。


「……ふ~ん……。なんの用事で下りてきたの?」


「まあその、大した用事じゃありませんから……」


「天界って基本的に『地上へは不干渉』って立場だったはずでしょ? 啓示にせよ雑用にせよ普通は神殿へ向かうだろうし、わざわざ冒険者として活動するなんて不自然な状況よね。しかも、なぜか人間のアオイと一緒に行動してるし」


「て、天界にもいろいろと事情があるんですよ……」


「天使の羽って、むしって商人に持って行ったらお値段いくらで売れるのかしら」


「売れません」


 どさくさ紛れの不埒ふらちな発言に対してのみ、ナナはきっぱり言い切った。


 そんなふたりの様子を俺は倒木に腰かけつつ眺めていた。さっきの光杭魔術パイルバンカーで魔力を使いきって疲労を感じているせいもある。ユーディットの言葉に対し、深いため息とともにつぶやいた。


「……ったく。天使の羽を売ろうだなんてよくそんな事考えつくよな……」


「他人事みたいに言ってますが、アオイさんもリニアの町へ入る時に似たような事言ってましたからね?」


 お、俺のはブレインストーミングで出ただけだもん。


 ……それより、これ以上ナナが天使だって事実を掘り下げられるのはマズイ。


 余計なトラブルを引き寄せてしまいかねないし、ひいては俺が転生者って事までバレる可能性もある。むしろ、詮索しないでくれるクロエが珍しいかも知れない。


「……ま、まあ、無事にコマタンゴも手に入ったからな。ついでにマタンゴたちの死体も売れば、いい感じの収入になるんじゃないか」


 話題を切り替えるように言った。


「そーよね! これであたしのふところも潤うってなもんよー!」


 俺が想像していた以上にユーディットの脳内が切り替わってくれた。いまごろ、"ナナが天使"って情報は記憶のすみっこへと押し込まれている事だろう。


 まあ、彼女がコマタンゴを欲しがったのはとある女の子を金銭的に助けるため

だ。


 それを考えれば、彼女の喜ぶ姿も微笑ましく映る。少々お金にだらしない面があるのも確かだが、ユーディットが決して欲望に溺れるだけの人物ではないのだと今でははっきり理解していた。


「その前にミドリタケの採取もすませなきゃな」


「そうでした。すっかり忘れてましたよ」


 そう言ってナナは、戦闘中しまっていたカゴを天使ポケットから再び取り出し

た。律儀にも『キノコの胞子をこぼしながら歩いて山に返す』を忠実に実践している。


「それではみなさん。少し休憩してからぱぱっと集めちゃいましょう」


「……なに言ってるのよ。動くならヒールの余韻が残ってる今でしょ。ここから追い込みかけてこそでしょ」


「お前はまず頭を休めろ。な?」


 頬を染めながら言うクロエに、俺は優しく諭してあげた。





 その後、ミドリタケの採取を終えた俺たちは無事にリニアへと帰還。ギルドへの報告も完了させた。


「――思ってた以上の金額になったわね~……」


 重さを確かめるように硬貨入り皮袋を乗せた手を上下させつつ、クロエがつぶやいた。


「今度は使いすぎないよう気をつけなきゃダメですね」


「数え間違えにもな」


 俺がからかうようにつけ足すとナナは「アオイさーん!」と唇を尖らせ、それからすぐに顔をほころばせた。


「金……うへへへぇ……」


 一方のユーディットは自分の取り分が詰まった皮袋に頬ずりしつつ、半開きの口から笑い声をもらしていた。


 申し訳ないがちょっと……いや、だいぶキモい。


「……まあ、その様子なら足りるみたいだな」


「ん?」


「ほら、とある女の子のために使うって言ってただろ?」


「ああ、その事ね」


 ユーディットの顔に、誰かを愛おしむような柔らかい表情がふっと浮かんだ。


「もちろんよ。これならきっとあの子も喜んでくれるわ」


 それから彼女は、にわかに居住まいを正した。


「ありがとうみんな。おかげで十分な額のお金が手に入ったわ」


「気にするなよ」


「それでもありがとう。アオイたちのおかげで、あの子の手助けができるわ」


 赤みを帯びた太陽を背に、彼女は優しい微笑みを浮かべた。


 あくまでも他人のために動こうとする献身的な姿は、逆光の陰影の中でなお力強い輝きを放つようだった。


「ねえ、ユーディットさん」


 ナナが切り出した。


「もしよろしければ、私もその女の子に会わせていただけませんか?」


「……会ってくれるの?」


「ええ。アオイさんにクロエさん、おふたりはどうですか?」


「もちろんだ。せっかくだし、挨拶くらいしておきたいな」


「私もぜひ会いたいわ」


 ナナに尋ねられ、俺たちは快くそう答えた。


「みんな……本当にありがとう。きっとあの子も喜んでくれるわ……」


 ユーディットは感激した様子で胸に両手を置く。目尻に涙さえにじませていた。


「大げさだなぁ。これくらいお安いご用だよ」


「そうかしら。……ふふっ。ありがとう」


 夕焼け色に染まりつつある町に、神殿の鐘塔しょうとうから澄んだ鐘の音が響き渡った。


 時刻を知らせる鐘だ。落ち着いた音色にユーディットが空を見上げる。


「……もうこんな時間なのね。ちょうどいいわ。それじゃあみんな、今から案内するわね」


 そう言ってユーディットはゆっくりと歩き始める。俺たちもその後に続く。


 四人分の細長い影の間を、涼やかな風が吹き抜けていった。




















「――にゃんにゃかにゃんにゃかにゃ~ん☆ 芸能一座『虹演戯にじえんぎ萌芽ほうが組所属の"ミミにゃん"だにゃ~ん!! みんな~~!! 今日はミミにゃんの路上ライブに来てくれてありがと~~!! ……猫にタマネギは~?」


厳禁げんきーん!!』


「げんきーん!!」


「「「…………」」」


 夕刻の広場一角。


 猫耳カチューシャをつけたフリフリへそ出しルック女性の呼びかけに、集まった数十人ほどの人々は揃って元気な声を上げた。


 大半を若い男性が占める中、ユーディットも彼らに負けない声量を出しつつ拳を天高く振り上げていた。


「……なあユーディット」


「なに?」


 俺が言うと、ユーディットはダルダルに緩みきった顔をこちらへ向けてきた。


「……あの人だれ?」


「ミミにゃん」


「いやそう言う事じゃなくってだな……」


「……あの。ひょっとして、ユーディットさんが言っていた『手助けしてあげたい女の子』って……」


「ミミにゃん。……ミミにゃーん!!」


 ユーディットは猫耳女性の名を叫び、右手の皮袋を投げた。


 魔物との戦闘で必死に稼いだ報酬がきれいな放物線を描き、ミミにゃん氏の足元にある箱へと収まった。


「お! そこのおねーさん、おひねりありがとー!」


「ミミにゃーん! 咲華しょうか組まで突っ走れー!」


「……しょうか……なに?」


「ああ」


 俺がつぶやくとユーディットは即座に食いつき、目を輝かせながら活き活きと説明を始めた。


「芸能一座虹演戯にじえんぎは主力の『咲華組』と駆け出しの『萌芽ほうが組』との二組に分かれてて。あたしが推してるミミにゃんは萌芽組の一員。趣味は手芸、おっちょこちょいだけど明るくてがんばり屋さんな女の子なの」


「「「…………」」」


「咲華組になると大舞台でのライブを行えるようになるから、それを目指して萌芽組のみんなは日々歌や踊りを磨いているの。で、時々こうして路上ライブを行って売り出しを行うのよ」


「「「…………」」」


「ここで推しの子を応援して、おひねりで支援するのがファンのあり方ってなもんよ。昨日はうっかり飲みすぎちゃって、ミミにゃんへのおひねりが用意できないと焦っちゃったけど……いやあ、アオイたちのおかげでなんとかなったわ~」


「「「…………」」」


「――よーし、それじゃあいっくよー! 一曲目は『キミの羊水を飲みたい☆』、はりきって歌うにゃーん!」


「「「…………」」」


 無言で立ち尽くす俺たちをよそにミミにゃんはノリノリで歌い始めた。


 歌と踊りは普通に上手かった。







「――ああ~、最高だったわ~」


「「「…………」」」


 小一時間ほどの路上ライブが終わるころには、町の空気へ少しずつ夜の気配が編み込まれようとしていた。


「見た? ミミにゃんの笑顔。これだから推しへのおひねりって止めらんないのよね~。『このあたしが彼女を支えてる!』って感じがクセになるのよ。本っ当、酒と推し活はあたしの生きがいだって実感するわ~」


「「「…………」」」


「あ、それでさ。今後の安定した酒代とおひねり代のためにも、やっぱパーティー組んでやって行きたい訳よ。ほら、あたしって仲間の支援でこそ輝くタイプじゃない?」


「「「…………」」」


「どうかしら? このあたしをアオイたちパーティーに加える気はない? 今日の戦いでも結構息が合ってたし、いいんじゃないかしら?」


 そう言って、ユーディットは笑顔で右手を差し出してくる。


 俺たち三人は互いに目配せをし、うなずき合う。


 確認し合うまでもない。俺たちの答えはすでに決まっている。


 俺はユーディットの紫色の瞳をまっすぐに見つめ、満面の笑顔を返した。




「――おととい来やがれこのクソ馬鹿野郎」




 藍色の空に、ちらりと一番星が灯った。



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