第10話 宿の一夜

 村を後にした俺達は、のんびりと街道を進んだ。


 やがて森を抜け、平原へと出る。最初は踏み固めた土の街道も、やがて石畳のしっかりした造りに変わっていく。


 夕方ごろ、街道沿いにある宿場村に到着。この日はここで一泊する事にした。


 資金として転生時に女神ヴェイラから一枚の小さな金板を渡されているけど、それはギルド登録の手数料として取っておく事に決めている。村長さんから渡されたお金も大金とまでは行かない。


 今後の事を考え、節約を心がけなければならない。


 夕食は酒場でパンとスープと水をいただく。ここの酒場の基本メニューらしい。料金を上乗せすればそれらにチーズやソーセージなどが追加される……という仕組みとの事だが、当然我慢。それでもパンは柔らかでスープにも具材がしっかり入っているなど、十分満足のいく食事を楽しめた。


 ついでに酒場の従業員などに『街道を封鎖していた魔物が倒された』事を伝えておく。これはあそこの村人達から頼まれていた事だ。情報が広まれば、途絶えていた行商人の往来も復活する事だろう。


 そして、宿は安部屋をナナと同室で取る事にした。


 具体的には狭い空間にベッドがふたつ並べて置かれただけの部屋である。


 寝具だけで部屋の六~七割は占めているような狭さだ。ベッド同士も隣接と言っていいほど近く、カニ歩きでやっと通れる程度の間隔しか開いていない。


 ここで、女子とふたりきりで一夜を過ごす。


 ……いや、なんも起こらないだろうけど。なんかする度胸もないヘタレだけど。


 しかしこれまでの人生を彼女ゼロで過ごしてきた俺には、それだけでハードル高めな状況である。かといって、村長さん宅に泊めてもらった時のようにそれぞれ個室だなんて贅沢はできるはずもないし。わざわざ野宿を選ぶほど切羽詰まっている訳でもないし。


 ……うん。なんもない、なんもない。


「……ふぃ~。さっぱりしました~」


 ナナが宿の風呂場から戻ってきた(こっちの世界にも風呂文化はあるそうだ)。石床の部屋にお湯を張った大タルをいくつか置いただけの簡素なものだったが、一日の疲れを洗い落とすには十分だった。


 しっとりと湿り、ほのかに紅潮した彼女の柔肌を壁のランプがゆらゆらと照らし出している。ベッドにぽすん、と座った時の風に乗って洗髪剤の香りが俺の鼻腔に届く。


 …………なんもないなんもないなんもないなんもないなんもない……っ!!


「……じゃ、じゃあ、改めて状況を整理しておこうか」


「アオイさん、どうしてそんなに目が泳いでるんですか?」


「目だけでも冷水浴びときたい気分だからかな」


「?」


 まったく理解できないというように、ナナは青い瞳をしばたたかせていた。


「とにかく状況整理だ。……俺達はリニアで冒険者となる。そこで実力をつけつついずれ行われる魔王討伐隊の募集を待つ。それに参加して魔王を倒し、俺のパイルバンカーがクソザコじゃないってヴェイラに理解わからせる。間違いないな?」


「はい。最後のだけ私的な理由ですけど」


 仕方ないじゃん。ある意味これが一番の動機なんだから。……いや、まじめに魔王倒す気はあるからね?


「それでだ。尋ねておきたいんだけど、そもそも"魔王"ってどんな存在なんだ?」


 そりゃあ、魔物の中でも偉くて強い奴ってところまではだいたいイメージできるけど。


「そうですね。……端的に言ってしまえば、この世界にかけられた『呪い』です」


「呪い?」


「ええ。取りあえず、要点を絞ってものすごーく簡単に説明します」


 ナナは靴を脱いでベッドの上にぺたんと座り、それから口を開く。


「はるか大昔にこの世界は『邪神カロテロス』の侵攻を受け滅亡の危機に瀕しました。魔物も、邪神の影響を受けてその時代に誕生した存在です。


 神々は人間達と協力し、邪神や魔物達の軍勢と激しい戦いを繰り広げました。この戦いは最終的に、太陽神ソレイユ様がその身を犠牲に邪神カロテロスを討ち取る事によって終結しました。


 こうして世界は救われましたが、当時のすべての神々はその戦いによって肉体を失い、地上を去りました。


 後に残されたものは魔物達と、邪神が死に際にかけた『呪い』です。その呪いのせいで、邪神の意志を継いだ魔物達の王――すなわち『魔王』が数百年周期でこの世界のどこかに現れるようになってしまったのです」


「それってつまり、たとえ魔王を倒しても数百年後にはまた生き返るって事なの

か?」


「正確にはまったく別の存在が魔王として君臨するのです。『魔王復活』と呼んではいますが、生き返る訳ではありません」


「じゃあ魔物の方は?」


「そちらも消し去る事はできませんね。完全にこの世界の生態系の一部に組み込まれちゃっていますから」


 つまりこの世界、どうしたって魔物の脅威とは無関係でいられないって事か。


 その上、生まれた時代や場所が悪ければ魔王とマッチングしてしまうと。


 うん、大変だわこっちの世界。


「続けます。……魔王の力は魔物達に影響を与えます。その活動を活発化させるだけでなく、普段はバラバラに動く彼らを配下とし、意のままに動かす事もできるのです。


 今回、復活した魔王は『リントラ』という名で呼ばれています。


 今はまだ復活したばかりで、その影響力はこの国だけに留まっています。しかしいずれその力は世界中に影響を与えるようになるでしょう。世界中の魔物が大軍勢となり、人々へと襲いかかるかも知れません。


 そうなる前に入念に準備を整え、討伐してしまおう……というのが現状です」


「他国はどうしてるんだ? 魔王って、要は全世界規模の脅威って事だろ? ここの国――テティス王国だけの問題じゃないはずだ」


「もちろん、他国へも協力を打診しているはずです。……ですが反応はにぶいようですね。対応を協議している最中だったり、様子見をしていたり。『あわよくば、テティス王国だけに対処を押しつけられれば』と考えている国もいるのかも知れません。


 一方で、テティス王国内でも『他国に借りを作りたくない』と考えている方もいるみたいでして……まあともかく、今のところ積極的に動いているのはテティス王国だけだと考えてください」


 うわー、せいじのせかいってふくざつー。


「……なるほどな。ありがとう、だいたい分かったよ」


 まとめると、『邪神カロテロス』って悪い奴の呪いのせいで魔王が現れるようになった。


 で、魔王は他の魔物を活発化させたり、魔物達を統率して集団で襲わせたりできる超やっかいな存在である。


 だから、目覚めたばかりで本気を出せていない今の内に倒してしまおう――と、つまりこういう事か。


「アオイさん」


 薄暗い明かりの中で、ナナがにわかに姿勢を正す。


「現在の天界は様々な規則によって地上への干渉を大きく制限しております。転生者とは、天界が地上に対して行える数少ない援軍であり、一種の特例です。


 突き詰めて考えれば、あなたは我々天界の者達やこの世界の都合に巻き込まれたという事です。にもかかわらず協力をしていただいた事、改めて感謝します」


 そう言ってナナはていねいに頭を下げた。


「い、いやいや。俺も説明を受け、納得して転生したんだし。それに最大の理由はヴェイラに目にもの見せてやるって私的な理由であって、そんな大仰な事情を考えながら決めた訳じゃないし……」


「それでも構いません。それと、改めてヴェイラ様があなたに取った無礼な態度を謝罪します」


「それも謝らなくていいから。そもそもナナが悪い訳じゃないんだし」


 あのクソ女神、自分の尻ぬぐいを部下にやらせてどうすんだ。


 生意気で相手をおちょくってるような態度といい、どうも精神が幼稚なんじゃないか。


「そう言っていただけると気も楽になります。この天使ナナ、今後とも可能な限り全力でアオイさんの力になります。いたらないところもあるかも知れませんがよろしくお願いいたします」


「ああ。こちらこそ頼りにさせてもらうよ」


「はい!」


 やる気ある返事と共に、ナナは俺の顔にずいっと顔を寄せてくる。


 風呂上がりの火照った頬とつややかな桜色の髪がすぐ目の前にある。まったく無防備な笑顔。緩めた襟元から覗く鎖骨。ふっと鼻をくすぐる石鹸と洗髪剤の香り。


 ………………。


「アオイさんっ!? なんで急に壁の方へ向き直りつつ自分の頬を両平手で叩き始めてるんですかっ!?」


「とにかくそうしなきゃならない気分だからっ!!」|


 煩悶はんもんとした感情を念入りに叩き潰した後、ナナから腫れた頬にヒールをかけてもらった。


 だいぶ染みたが、おかげでなんもなく一夜を過ごせた。






 翌日もリニアを目指し、引き続き街道を歩いた。


 そして、村を出発してから三日目。


「……見えてきましたよ」


 ナナが街道の先を指さす。


 遠方に、草原を横断するように建てられた石造りの壁が見えた。


「あれがリニアの外壁か」


「はい。この調子ならだいたい昼前には到着するはずです」


 ナナの言葉にうなずきを返す。


 ここから本格的に魔王討伐への第一歩を踏み出す事になる。


 取りあえず、待ってろよヴェイラッ!!


 絶対にあんたを理解わからせてやるからなっ!!



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