第4話 一戦を終えた翌朝

 ――俺の耳にチュンチュン、とスズメの鳴き声が届いた。


 ぼんやりとまぶたを開くと、まず電灯のない天井が視界に飛び込んできた。


 ……あれ? ここどこだっけ?


 どうやらベッドの上らしい。身を起こしつつ、首を巡らす。窓から差す光が木の床と白い漆喰の壁を柔らかく照らす部屋の風景。簡素な木製家具がいくつか見えるばかりで、家電がひとつも見当たらない。


 ……ああそうだった。俺、異世界に転生したんだった。


 そういや昨日ロックゴーレムを倒した後に頭を打ったんだっけ。その時に気を失った俺を、あの場にいた人間たちが安全な場所へと運んでくれたんだろう。


「……あ、アオイさん。目が覚めましたか」


 扉が開きピンク髪の少女が部屋に入ってくる。肩くらいの長さの軽くウェーブのかかった髪。清楚な雰囲気の白いワンピース姿。手にはパンの入ったバスケット。


 天使少女のナナだ。


 だけど背中に生えていた翼が見当たらない。今のナナは普通の少女となんら変わらない見た目をしていた。


 疑問には思ったが、取りあえずまずは現状把握をしておこう。


「ナナ。俺はどれくらい寝てた?」


「ざっと数時間ってところですかね。翌日の朝ですよ」


「ここはもしかして、昨日あの場にいた人たちの村なのか?」


「はい。ここは村長さんの自宅です」


「……取りあえずは落ち着ける場所に出られたって事か……」


 ふー、っと大きく息を吐き出す。なにしろ昨日は車に轢かれて死んで、女神ヴェイラに天界へ呼び出され、彼女にクソザコ呼ばわりされて、転生直後に魔物に襲われて……といろいろとありすぎたからな。


 ……あ~……俺、向こうじゃ死んでるんだよなぁ……。


「……アオイさん? どこか痛いのですか?」


 ナナが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。表情に出ていたらしい。


「ああ、いやいや大丈夫。ただその、元の世界じゃ俺死んでるんだよな~、って思っただけ」


「……ああ……」


 同情するような声色でナナがつぶやく。


「さぞやお辛い事でしょう。家族やお友達とお別れする機会さえなかったのですから……」


「別にそんな暗い顔しなくて大丈夫だよ。俺、友達いないから」


「……それはそれで辛い話ですね……」


 さっきと別の意味で同情するような声色であった。べ、別に気にしてなんかないもんっ。


「それでもご家族の事は気にかかるでしょう。私でよろしければいつでも相談に乗りますよ」


「ああ、ありがとう……って言っても、正直家族の事もあんま気にかからないんだよなぁ。母さんは数年前に死んじゃってるし、親父とは仲悪いし」


「……そうですか」


 おおかた親父も、俺が事故死した事などまるで気にかけていないのだろう。


 なにしろ彼は『仕事』を理由に病気で入院中の母さんの見舞いに一度も来なかったし、母さんの容態を気にかける事すらしなかった。


 母さんが亡くなった時も、『金の無駄』と素っ気なく言い放ち葬儀を取り行わなかった。


 それ以来俺は親父とろくに口を聞かなくなったが、親父の方はまるで気にかける様子もなかった――まあ、そういう親だったのである。


 ぶっちゃけ、俺は元の世界に対する未練があまりない。


 細かい事を言えば買ったゲームを一度くらいプレイしておきたかったとか、好きな漫画の続きはどうなるんだとか、ソシャゲのガチャ石を全部使い切っておくんだった……とかの気がかりはある。


 だけどそれらは別に深刻な問題という訳ではないし、何よりも人間関係が薄かったためしがらみも少ない。元の世界に戻りたいと思う気持ちはほとんど湧いてこないのである。


 ナナは心配そうな顔をしていたが、やがて話題を切り替えるように軽くうなずいた。


「とにかく、なにかお悩みがあればいつでも聞きますからね。それよりお腹空いてませんか? 村長さんからパンをいただいてますよ。私も朝食にしようと思っていたんです」


 ナナはバスケットをベッドの隅に置き、机の上の金属の水差しを手に取ってコップに水をそそぐ。


 そう言えば結構腹が空いているな。


「ああ、ありがとう」


 俺はさっそくパンをひとついただく。モチモチとした生地を噛むと、小麦の風味が口いっぱいにふんわり広がる。バターやジャムなしでも十分にうまい。


「……もくもくもくもくもくもく……」


 ナナも実にうまそうにパンをかじっている。一口ひとくちは少量だが、かじる速度は早い。ハムスターかこいつは。


「そう言えば、やっぱり天使も食事がいるのか?」


「はい。基本的には人間と同じですよ」


「ふうん」


「天界では食事の量が少なくても大丈夫なんですけどね。地上ではそれなりの量を食べないと活動できないんですよ。まあ、それだけおいしいものがたくさん食べられるって意味ではいい事ですけど」


「天界と地上とじゃ、なにか違いがあるのか?」


「はい」


 ナナがうなずく。


「天界の暮らしに慣れた天使にとって、地上は疲れやすかったり魔術がうまく扱えなかったりと色々不都合が生じる事があります。私は何度かお仕事で地上へ下りた事がありますから慣れてますけど」


 そうなのか。俺が昨日(って言っていいのか微妙に悩むな)天界にいた時は特に違いとか分からなかったけど、まあ短時間じゃそんなもんかもしれない。


「それとナナ。さっきから気になってたんだけど、翼はどうした?」


 俺はナナの背中を指さす。


「ああ、それでしたら引っ込めてます。翼を出したままだと天使だってすぐバレちゃいますから。ですがこの通り――」


 ナナの背中から『バサッ』と翼が現れた。


 なるほど、翼の出し入れは自由自在に行えるのか。服の上からでも普通に出せる辺り、天界の不思議パワーがからんでいるんだろう。


「秘密ってほどじゃありませんが、地上で活動する天使は基本自分の正体を言いふらさないようにするものなのです。単純に目立ちますし、『もしや、神から地上への啓示があるのでは?』と身構えさせちゃうかも知れませんからね。……まあ、ここの村人さん達には知られちゃいましたけど……」


 ナナはなぜかそっと目を逸らし、気まずそうに口ごもる。


 いったいどうしたんだろう――


「――おお、お目覚めになられましたか救世主・・・様!!」


 その時、ひとりのお爺さんが部屋に入ってきた。


 ……って、『救世主様』?


 誰が?


「救世主様、どこか痛いところはございませんか? お体になにか違和感はありませんか? 空気は合いますか? なにか不都合があればなんでもお申しつけくだされ」


 お爺さんはやたら細やかに俺の体調を心配してくる。他はまだしも、なんで空気の心配までするんだろう。


「あ、はい。ありがとうございます。大丈夫です。……え? 『救世主様』って俺の事? なんで?」


 途中でナナに尋ねる。


「……私にもイマイチよく分かりません。……あの、村長さん?」


 ああ、お爺さんがここの村長さんか。


「はい、聖天使・・・様」


「いえ、私ただの下っ端天使ですけど」


「またまたご謙遜を。救世主様とともに地上へ下りてきたあなた様が、ただの天使であるはずがないでしょう。さぞや名のある聖天使様に違いありません」


「……え? 聖天使ってなに?」


「分かりません。そもそもそんな階級ありませんし……」


 ……どゆこと?


 俺が首をひねっていると、村長さんは姿勢を正して深々と頭を下げた。


「救世主様、昨晩は村の危機を救っていただきありがとうございます。村人一同を代表し、謝辞を述べさせていただきます」


「あ~……いえその、どうも、はい……」


 歯切れ悪く答える。


 つまり昨日俺がロックゴーレムを倒したのを感謝していて、それで俺を救世主様と呼んでいる……と。


 いちおうは理解できたけど、いくらなんでも大げさすぎやしないか。


 いや、確かに俺は魔王を倒すためにこの世界へやってきた訳ではあるけど……そんな事、村長さんには知るよしもないだろう。


 俺たちは戸惑うものの村長さんはまるで構う様子はない。その瞳は確信の輝きに溢れている。むしろちょっと溢れすぎなんじゃないかなー、ってくらいギラッギラに輝いていた。


 ああ、この人たぶん思い込みの激しいタイプだ……と思った俺の耳に、外から喧騒が届いた。


「なんだ?」


「……なにやら村の方々が集まって話をしてますね」


 ナナが窓の外をのぞきながら言う。それを聞いた村長さんはやれやれ、とばかりに大きなため息をついた。


「まったく。あやつらめ、まだ納得できんらしいな。……救世主様、お体は大丈夫でしょうか?」


「まあ、はい」


「でしたら、彼らを理解わからせてやってはいただけませんでしょうか。あなた様の偉大さを……ね」


 ニタァ……と妖しい笑みを浮かべながら、村長は言った。


 ……うん。


 ……ここ、落ち着けるような場所じゃないな。



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