第3話 舞い降りた男

 俺達はオオカミの魔物たちから全速力で逃げる。


 だが彼らはさっきの土人形クレイゴーレムより足が速い。着実に距離を縮められている。


「おおおおおっ、追いつかれちゃいますよぉっ!!」


「口より足動かそうぜっ!!」


 叫びつつ、月明かりの下をひたすら走る。


 濃密な草木に視界がさえぎられる中、くぼみを飛び越え、木の根を飛び越え、茂みを飛び越え、速度を落とさず無我夢中で――


 茂みの向こう側の地面が途切れていた。


 そこが崖際だと気づいた時には、すでに空中へと身を投げ出していた。


「なああああああ――――――っ!?」


「アオイさ――――――んっ!!」


 とっさにナナが背後から俺をつかみ、翼を羽ばたかせる。


「た……助かった……って、落ちてるっ!! まだ落ちてるっ!!」


「お、重いんですよ……っ!!」


 さすがにふたり分の体重は支えきれないらしい。左右にふらつきながら落下していく。


「あ……いやでも、落ちる速度はゆっくりになってる! 頼むナナ、このまま地面に下りてくれ!」


「が……がってん承知です!」


 頭上を見れば、魔物たちが俺とナナをのぞき込んでいた。結果論ではあるが案外いい逃げ道だったのかもしれない。ナナがいてくれて助かった。


 やがて眼下の木の葉を突き破る。まだ若干怖さのある速度だが、これならなんとか着地できそうだ。


「……っとと!」


 固い岩に足が着く。足場が悪い。すぐそばに出っぱっていた岩へしがみつくようにして体を支える。ナナも岩の反対側に着地。


 ……助かった……のかなこれ?


 周囲を見渡してみる。


 木の葉が近く、地面が遠い。まだ高所にいるって事だ。だいたい家の二階くらいの高さだろうか。


 少し離れた地面には複数の人間が立っている。軽装ぶりから判断するにこの辺りに住んでいる人たちだろう。ああよかった、どうやら人里に出られそうだ。


 少し安心しつつ手前側に視線を移すと――子供みたいに小さな人間がひとり。月光に照らされた肌は緑色。頭には毛髪が生えておらず、よく見ると耳の先もとがっている。


 あれって……ひょっとして魔物なのか?


 というか俺たちが掴まってる岩も、なんとなく人の形をしているっぽい。


「……アナタたち、なにをやってるんですかネ……?」


 下から緑色の人が話しかけてくる。


 遅まきながら、ようやく気づいた。


 俺たちがいる場所は、巨大な岩人形の肩なのだと。


 俺がしがみついている岩は、岩人形の頭部なのだと。


「……アオイさん。これ、ロックゴーレムです」


「……やっぱり魔物なんだよな?」


「正確には制御されている魔物ですね」


「こいつも頭が弱点なのか?」


「そうです」


「そうか」


 互いに顔を見合わせたまま、しばし沈黙。


 ……詳しい状況はよくわからないが……。


「――光杭魔術パイルバンカーッ!!」


 先手必勝っ!! 巧遅拙速っ!! 即断即決ぅっ!!


「ロックゴーレムゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――――ッ!!」


 俺のパイルバンカーがロックゴーレムの頭部に突き刺さり、緑色の人の悲鳴が木々の間にこだまする。


 ぐらり、と足元が揺れる。ロックゴーレムが倒れようとしているのだろう。


「おわ……っ!」


 ほとんど考える間もなく、二階くらいの高さからとっさに飛び下りた。


 なんとか着地はできたものの、姿勢を崩してしまいそのまま倒れ込む。


 倒れた勢いのまま地面を転がり――視界に火花が飛ぶほどの衝撃を頭に受ける。


 たぶん、木かなにかにぶつかったんだろう……と薄々察した辺りで意識が遠の

く。


「アオイさんっ!? アオイさ――――んっ!?」


「い、いい度胸ですねアナタたちっ!! 明日を楽しみにしていなさいっ!! ゴーレムはもう一体あるんですからネッ!!」


 意識が途切れる直前、ナナと緑色の人の声が聞こえた。







           ~~ 村長SIDE ~~


「おやおや村長さん。今日のみつぎものはこれだけですかネ?」


 私たちが持ってきた食料――罠猟で得た肉や畑で取れた作物を一瞥し、ゴブリンは言った。


 この単独行動するおかしなゴブリン――彼らは本来群れで活動する――に村近くの街道を塞がれてから、もう二週間が経った。


 ゴブリンのせいで行商人が村にやってこられず、また貢ぎものと称して村の食料を奪い取られている。その結果、徐々に食料や物資が不足してきている。


 ただでさえ最近は魔王復活の影響で魔物の生息域が広がり、罠猟が難しくなっている。猟場に魔物が現れる危険性が増え、また獲物の活動範囲にも影響を与えてしまっているためだ。このままでは、村の生活が立ち行かなくなってしまう。


「……チッ……」


「おやぁ? そこの男、なにか言いましたか?」


「……気のせいだ」


「言いたい事があるなら言っていいんですよ。コイツ・・・が黙っているかは分かりませんがネ」


「…………」


 ゴブリンが両手で持っている平べったい制御装置をいじると、背後にいるロックゴーレムが悪態をついた村の青年へ顔を向けた。青年は苦々しい顔を浮かべつつ、それ以上はなにも言わなかった。


「なにもないみたいですネ。まあ、ワタシの自慢のロックゴーレムが怖くないのでしたらいつでも口を開いていいですからネ」


(……あいつ、こないだ『森の中の遺跡で拾った』とか言ってなかったか……?)


(言ってた。なに自分が造った風な態度取ってんだよあのぼっちゴブリン)


(シッ。聞かれるぞ)


 私の背後で村の者たちのヒソヒソ声が聞こえる。


 だが、本気であのゴブリンに逆らおうとする者はいない。


 ゴブリンだけならまだしも、あんな岩の巨人に太刀打ちなどできないからだ。


 街道を塞がれているため、領主や冒険者ギルドへ助けを呼びに向かう事もできない。さすがに行商人を通じて異変は伝わっていると思われるが、それでもいつ対処に動いてくれるかは分からない。


 いずれにせよ、私たちにできる事などなにもない。おとなしくゴブリンに食料を渡すしかなかった。


「しけてますネ。まさか出し渋っているのではありませんか?」


「勘弁してください。わたくしどもも生活が苦しく……それが限界でして……」


「……村長のお爺さん、ワタシに口ごたえするつもりですかネ?」


 ロックゴーレムが私に向かって一歩踏み出してきた。見上げるほどの巨体に迫られるだけで、肝が潰れるような恐怖感を覚える。


「いっ、いえっ!! 決してそういうつもりではっ!!」


「本当ですかネ?」


「ご……ご勘弁を……っ!! どうかご勘弁を……っ!!」


「ふふん、分かっているならそれでいいです」


 必死に頭を下げる私の姿に満足したのか、ゴブリンは勝ち誇ったかのように口角を上げ大仰にうなずいてみせる。


 さながら、この場の支配者が誰であるのか皆に知らしめるかのような振る舞いである。ロックゴーレムという力を傘に圧政を強いる暴君の如きである。


「まあ、これが力というものですネ。弱者の群れなど、圧倒的な力の前にまったくの無力というものです。いずれ、ワタシを爪弾きものにしたあの群れにも思い知らせてやりますよ……」


 そう言って、ゴブリンは耳障りな甲高い笑い声を響かせる。


 胸の奥から、屈辱が泥のように湧いてくる。


 悔しさと情けなさとに打ちのめされる心地だった。


 それでも――それでもじっと耐えるよりほかない。


 あのロックゴーレムを倒せる者など、この場にはいないのだから。


 この状況を打開できる者など、誰もいないのだから……。


「今回はこれで勘弁しておいてあげましょう。どうせアナタたちではワタシに逆らえないのですからネ。それでは――」


「――ああああ――――――っ!!」


「アオイさ――――――んっ!!」


 その時だった。私たちの頭上から、男女の声が聞こえてきた。


 なんだ、と声の方向を見ると――


 純白の翼を生やした女性と、彼女に抱えられた男性が空から舞い降りてきた。


 さながら森に降り注ぐ月明かりの階梯かいていを一段、また一段下るようにゆっくりと、ふたりはロックゴーレムの肩に降り立つ。


「……アナタたち、なにをやってるんですかネ……?」


 ゴブリンが怪訝そうにつぶやく。


 しかし彼らはゴブリンの疑問に答えようとはしない。肩に止まったまま、互いになにやら話をしている。


 いったい彼らは――


「――パイルバンカーッ!!」


 唐突に、男の叫び声が森に響く。


 瞬間、男の手のひらから魔術の輝きが放たれた。遠目ではあったが、私にはその光がロックゴーレムの頭部を貫いているように見えた。


 にわかには信じられない光景であった。


 まさか……まさか、あの魔術がロックゴーレムに痛打を与えたのであろうか。


 あの岩の巨人を倒せる者が私たちの目の前に現れたというのであろうか。


「ロックゴーレムゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――――ッ!!」


 呆然と見守る私たちの耳にゴブリンの甲高い声が届く。悲痛なその叫びこそが、ロックゴーレムが討ち取られた事実を雄弁に物語っていた。


 なんという事であろうか。


 私たちを散々苦しめ続けてきた暴虐の象徴に、今まさに天誅が下ったのだ。


 信じられない。これは夢ではないだろうか。


 ……そう言えば私が幼いころ、祖父から聞かされた事がある。


 偉大なる神々の一柱、太陽の女神『ソレイユ』は光の杭を放つ魔術を得意としていたという。


 太古の時代、世界を滅ぼさんとする邪神に対しソレイユ様はかの魔術で果敢に立ち向かい、最終的には相討ちとなったという。


 太陽神ソレイユ様が得意としたその魔術の名は、確か『パイルバンカー』。


 あの男が叫んだ魔術名もそれと同じだ。


 という事は、彼は天界となんらかの関係があるのではないか。いや、私がそう思うのだからそうに違いない。


 まさか、まさか彼らは――


 静かに興奮する私を尻目に、男がロックゴーレムの肩から飛び降りる。


 だが着地した瞬間に姿勢を崩し、そのまま地面を転がって木の幹にぶつかった。 どうやらよほど消耗していたと見える。


 ……そう言えば、祖父はこうも言っていた。


 私たちが住む地上と神々の住む天界とでは、空気や魔力の性質が微妙に異なっていると。


 そのため天界の暮らしに慣れた者が地上へ下りてきた場合、最初は思うように体を動かせなかったり魔術をうまく扱えなかったりする事があるらしい。


 もし彼が天界から来た者だと考えれば消耗しているのも辻褄が合う。疑う余地がまったくない。


「アオイさんっ!? アオイさ――――んっ!?」


「い、いい度胸ですねアナタたちっ!! 明日を楽しみにしていなさいっ!! ゴーレムはもう一体あるんですからネッ!!」


 泡を食ったように逃げ去っていくゴブリンの後ろ姿に、その場に取り残されたロックゴーレムの死骸。慌てて男を介抱する、翼の生えた女。


 目の前の光景を眺める私の胸には、ひとつの確信が膨れ上がっていた。心の雲が晴れ、黄金色に輝く神々しい光が差し込むようであった。


 もはや間違いない。


 彼らはこの村を救うために天界が遣わした救世主なのだ。



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