第42話 独り相撲

 二日後の朝、僕が目を開けた時、そこには僕を見下ろす様にクコがいた。


 いつから僕が起きると、そこに誰かの顔があるようになったのだろう。


「お前。幽霊みたいに、本当に枕元に立つなよ」

「何を言っておる。目覚めの一番に、この世で一番美しいものを視界に入れる幸せを、お主は感謝すべきじゃ」

「いつからこの世界は、ちんちくりんを美しいと言い換えるようになったんだ?」


 僕が目を覚まして、クコの顔の次に見たものは、ちんちくりんの足の裏だった。

 

 顔を洗い、朝食を食べ、僕は久しぶりに家の外に出た。そして、僕とクコはあの洞窟に向かった。


 道中、クコは歩くのが面倒くさいのか、疲れているのか、いつものように子狐の姿になって僕の首に巻き付いて眠っていた。


 ここはいつも肌寒い。


 時期によっては、心地いい涼しさと思われるかもしれないが、ここは肝が冷えるというような、とてもじゃないがこんな所には長居したくないと感じる場所だ。


 僕は七つあるうちの一つの祠の前に来た。これは、以前に大嶽丸が閉じ込められていた祠だ。


 他の祠の隣に置いてあるロウソクには火が付いてあるが、大嶽丸の祠の横にあるロウソクだけは火が消えている。それが、もうこの世には奴が存在しない事を示していた。


 僕はその祠の前で、自分の右手を開いたり握ったりして感触を試す。奴を倒した後で、消え去った偽の腕に代わり、本物の腕をクコに取り付けてもらったのだ。


 今まで、私生活で困らないように本物に似せてもらっていたが、違和感みたいなものはあった。やっぱり、親から貰った本当の右腕はしっくりきて、安心感もある。


 でも、それと同時に不安感も出た。なぜなら、これで今まで使えていた大嶽丸の力を使えなくなったからだ。


 僕は、自分の本当の体を取り戻す為と、この世に厄災をもたらす妖怪を倒す為に戦っている。しかし、目標を達成する度にどんどん力を失い、強大な力を持つ敵を倒す事が難しくなっていってしまう。


 そんな、進めば進むほど険しくなる道に、本音を言えば僕は恐怖心がある。


 しかも残る祠は六つ……気が遠くなる数だ。


 だが、それを途中で投げ出す事は出来ない。いや、許されない。だから、僕は達成感など感じる暇もなく、次への一歩を踏み出すのだ。


 そんな喜びの無い心境で、僕はその場を後にした。


 帰り道、空を見上げると、以前までは梅雨の雨曇りが覆っていたものが綺麗に消え、久しぶりに顔を出した太陽が燦然と輝いていた。


 いつもの確認を終わらせた僕は、巫女姿に戻ったクコと並んで歩きながら帰路に就く。


 しばらく二人とも寝込んでいたので、クコとは久しぶりの二人だけの時間だ。だけど、僕は何故か彼女に何を話しかけたらいいのか分からない。


 いつもは、こんな気まずい気持ちにはならないが、今回はクコに大きな負担をかけた。そのことから僕は、彼女に対してちょっとした負い目があった。


 しかし、いつまでもこんな感じではいられない。僕はちょっとした覚悟を決めて、この静寂を終わらせることにした。


「クコ」

「なんじゃ?」

「何というか……その、悪かったな」

「何がじゃ?」

「色々だよ」

「ふん。何をいまさら言っておるのじゃ? 気持ち悪い」

「なんだよ。人が謝ってるってのに」

「だから、お主は何に対して謝っておるのじゃ?」

「いや、だから、僕の力じゃ大嶽丸に勝てなくて、お前に沢山負担をかけてしまった事とか」

「だから、何でそれが、お主が謝らなくてはいけない事なんじゃ?」

「だって、今こうなっているのは僕の責任じゃないか」


 自責の念に満ちた僕の言葉を聞いて、クコは呆れた様に溜息を吐く。


「はあ。お主は話を聞かん奴じゃの。以前も言ったように、お主があの時に来なくとも同じような結末になっておった。これは、我の責任でもあるんじゃ。という事は、この戦いは我の戦いでもあるんじゃ。なら、我の戦いで、我が身を削るのは至極当然のことじゃ。お主は、なに独り相撲をしておるのじゃ?」


「独り相撲?」


「そうじゃ。大嶽丸との戦いに勝てたのは、我の力だけではない。お主のその体があったから、力を出し切れたんじゃ。そういう意味では、我がお主に負担を掛けたと言う事も出来る」

「そういうものなのかな?」

「いつから、お主一人で戦わなくてはいけない縛りが出来たんじゃ? 我らはお互いに依存しあっていて、傷つくときはお互いに傷つくだけじゃ。そして今回はただ、二人で力を合わせて勝利を掴んだ。それでいいじゃろ」


 そうか。僕はいつから一人で戦ってた気になってたのだろう。僕はいつから一人で勝てると思い込んでいたのだろう。


 これは彼女の言う通り、まさに独り相撲だ。


『自分の周りの偉大さに気が付かないで己を見誤ったり、感謝を忘れたり、それこそ傲慢な大人になるなよって話だ』


 以前の父さんの言葉を僕は思い出す。だとすれば、彼女に対する謝罪は逆に失礼だ。


 そう思った僕は、彼女に違う言葉を送った。


「ありがとう」


 僕の感謝の言葉を聞いたクコは少し笑い、まるで幼子を見る様に優しい目で僕を見た。実際、彼女の生きてきた年月を考えれば、僕は赤ちゃんみたいなものなのだろう。

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