第25話 クコの思い出

 我の名はクコ。


 遠い昔、白面はくめんなんちゃらかんちゃらと仰々しい名で呼ばれたこともあったが、特段そんなものに執着はない。


 隣では、我の半身でもある崇のやつが寝床に入り寝息を立てておるが、我はまだ起きているとしよう。


 なぜなら今日は、奴の配下共との戦いで少し眼が冴えてしまった。


 それに、今夜のような満月の日は嫌いではないからの。 


 こんな夜は、奴と初めて出会った日を思い出す。


 ちなみに、奴とは崇の事ではない。奴とは「ゆきの」のことじゃ。


 ゆきのとは、崇の六代前に当たるであろう、我らのような妖怪を退治する女神主じゃ。

 

 数日後、もしかしたら我の最期の日となるかもしれぬ。ならば、今夜は久々に奴との思い出にふけるのも悪くはないじゃろう。


 我は崇の部屋の窓を開け、その淵に寄りかかり、満月を見上げた。


 そう……時は江戸時代末期。


 この時代は、我ら妖怪にとって全盛期であった。多くの妖怪が、人々に厄災をもたらし己の欲で暴れ回っておった。それは、この我も同じじゃった。


 人とは欺き、操り、弄ぶもの――そう考えておった。この思考は、雨が降れば地が濡れる理のように、我の中では常識であった。


 幸い、我には他の妖怪とは比べ物にならぬ程の力を持っておった。そうなれば、この我が多くの人間から大妖怪として名を知られ、恐れられるのは時間の問題であった。


 妖怪の世界では力こそが全て。ならば、大妖怪として世に知れ渡るのは、妖怪にとっては誉じゃった。斯く言うこの我自身もその事実に酔いしれ、自分の感情の赴くまま暴れ回っていたものじゃ。


 しかし、そうなれば人間どもはこの我を放ってはおかない。多くの妖怪退治が、この我の命を狙ってきおった。


 だが、並大抵の者ではこの我に傷一つ付けることは出来なんだ。我にとっては、時間を潰すには丁度いい遊び相手の様なものじゃった。その現実が、この我の気をより大きくしたものじゃった。


 そして、そんな我にとって運命の日が来た――。

 

 満月の夜。雪が降る夜道で、奴「ゆきの」は我の前に現れおった。


 ゆきのの髪は、その日に降っておった雪に同化しそうな白銀色の長髪で、背丈は優雅であった我の大人版より少し低いくらい。恐らく五尺六寸くらいじゃったかの? 今で言うと百七十くらいの大きさであった。


 見た目は、まあ……言いたくはないが、この我の次くらいに美しかった。


 ゆきのは、下まぶたの目尻に紅を付けた少し吊り上がったその目で、我を涼し気に見おった。奴の優雅な立ち振る舞いは、とても大妖怪でこの世を恐怖に陥れておる者を前にした態度ではなかった。


 それが、当時の自信が肥大化した我を少し不快にさせたのを覚えておる。


 ゆきのは、その態度と同じ軽やかな口調で、まるで道を尋ねる様に我に声を掛けおった。


「やあ。あんたが、ここ最近巷を騒がせている白面金毛九尾弧はくめんきんもうきゅうびこかい?」

「そうじゃ。なんじゃ? お前も、ここ最近よく現れる妖怪退治とかいう大して違いの無い玩具の一つか?」

「いやはや。こうも簡単にあの白面金毛九尾弧に会えるとは、今日は運が良いのやら悪いのやら。でも、出会った以上この白面金毛九尾弧を退治しなきゃね。さあ、白面金毛九尾弧! どこからでもかかって……ちょっといい?」

「なんじゃ?」


「あんたの名前、長くてめんどくさい。今度から略してシロって呼んでいい?」


 これが、ゆきのとの初めての会話じゃった。


「おい! 飼い犬の様な名を勝手につけるな!」

「えっ。じゃあ、何ならいいのさ? わがままな奴だねえ」

「自分の都合で、勝手に我の名を改名するお前の方が、どう見てもわがままじゃろ!」

「へえ、あんたみたいな大妖怪は、自分の名にそこまで誇りを持っているんだね」

「別に、この名はお前ら人間どもが勝手に名付けたものだ。なんの愛着も無いわ。ただ、お前に付けられた名で呼ばれるのも嫌なだけじゃ」

「ほら、わがままじゃん」

「ふん! もうどうでもよいわ。好きに呼べ。どのみち、お前と会うのも今日が最初で最後じゃろう」

「そう? あたしは、そうはなりたくはないけど」

「もう後悔しても遅いわ!」


 そう言って、我はゆきのに向かって飛びかかった。どうせ、奴も他の有象無象と同じで、我の暇つぶしの玩具に過ぎぬと思って……。


 しかし、結果から言うと、我はゆきのに負けた。いや、正しく言うと、ほぼ負けまで追い詰められたとでも言うべきか。


 奴は我の幻術を全て見破った。そのうえ、可笑しな犬の様な相棒と共に、奴ら神主が使う妖怪相手に有効な技を使い、我を身動きのとれぬ状態にしおった。その時、我は初めて焦り、初めて死というものを覚悟した。


 弱った我に対して、奴が最後の技を繰り出そうとした時――。


「あれまあ。時間が来てしまった」


 そう言い、ゆきのは戦いの顔を緩め、最初に会った時みたいな飄々としたものに変化させおった。


「なんじゃ? いきなり止まりおって。とどめを刺さぬのか?」

「いや、だって頼まれた時間が過ぎたからね。これ以上はただ働きさ。あたしはさ、そんなのはご免だよ」

「貴様! この我を舐めてるのか!?」

「別に、舐めちゃあいないよ。ただ、あたしは忙しい身なんだ」

「何? 我より強い妖怪を相手にでもしているのか?」

「妖怪を相手にはしていないが、ある意味あんたより手強いかもね」


 その時、我はこの大妖怪より手強い相手とはどんな強大な力の持ち主か少し頭を悩ませた。しかし、その存在は我の予想しなかった者だった。


「最近、あたし子を産んだのさ。まあ、旦那はよく子守をしてくれて助かるんだけど、やっぱり自分で産んだ子はこの手で育てたいって欲もあってね。でも、子育てってのは大変だねえ。あんたら妖怪を相手にしてる方が、幾分気が楽ってもんさ」


 この時、我はゆきのの言っている意味が分からなんだ。この我より、人間の赤子の方が手強い意味など理解出来なんだ。


「まあ、そう言う事で、あたしは忙しいから帰るよ。あんたも悪さばかりしてたら退治しちゃうからね。大人しくしてるんだよ」


 そう言い、ゆきのは我に背を向けて、雪降る夜道に消えていった。


 後に知ったのだが、ゆきのは妖怪退治の長い歴史の中で、歴代最強と謳われた女神主じゃったらしい。しかも戦法は独特で、傍らに妖怪を使役させながら戦うといった、他では見られないものじゃった。


 何故こんな戦い方が出来るかと言うと、奴の正体は片親が妖怪の「半妖」じゃったのだ。


 この事実を知った我は、それでもお構いなしに奴に戦いを挑んだ。あの時は我が油断していたからやられたと、その気になれば我の方が強いと。


 しかし、何度挑もうと我は奴には勝てなんだ。そして、毎回奴は途中で「子育て」と言って帰って行った。


 今思えば、我は雪辱を果たそうとかそういった感情で挑んでたわけではなかったんじゃろう。ただ、ゆきのと戦う事が楽しかっただけなのかもしれん。


 何故なら、ゆきのと出会って以降、我は他の妖怪退治とは戦わず、他の人間を襲ったりもせんようになった。


 あの強敵の前に、他の事など興味が無くなったんじゃろう。

 

 そんなある日、いつものように我はゆきのの前に戦いを挑むべく現れた。しかし、その日はいつもと様子の違うゆきのがそこにはおった。


「やあ、シロ。あんたも懲りない奴だね」

「ふん。今日こそはそのすまし顔を、泣き顔に変えてやるわ」


「……悪けど、今日だけはよしてはくれないかい?」

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