第16話 うむ! 

 今日の授業が全て終わり、クラスメイトが帰り支度や、部活への準備など各々し始めた時に、最後の授業をしていた担任の大槻先生が口を開いた。


「おーい。ちょっとすまんが、誰かこのプリント運ぶの手伝ってくれんか?」


 こういう小用は、たいていクラス委員の天川が請け負う。


 クラスメイトも大槻先生もその事を理解しているが、名指しして頼むと一人に押し付けている様な形になるので、先生は一応「誰か」という言葉を入れて聞くのだ。


 そして、いつも通り、予定調和、必然的に天川が手を姿勢よくピンと挙げた。


 しかし、ここからいつもとは違う、予想外、例外的な事が起きた。


「先生。申し訳ないのですが、私はその頼みは聞けません」


 天川の言葉に、クラスメイトの皆はざわつき始めた。何故なら、皆は天川が先生の、いや誰かの頼み事を断る姿を見たことが、今まで一度も無かったからだ。


「あ、あ、天川。どうした? 先生が何か悪い事でもしたか?」


 先生までもが、あたふたとしてこの焦りようだ。

 天川はその問いに顔を横に振る。


「先生。私は別に何かに不満があるわけでも、先生に怒っているわけでもありません。ただ……」

「どうした? 遠慮なく先生に言ってみろ?」


 大槻先生が、まるで壊れ物を扱う様に問う。


「先生。私、最近初めて彼氏が出来ました。それが、彼です!」


 迷いのない、偽りのだらけの指を、天川は僕に向けて突き出した。

これは、良くない流れだ。


「ですから、私はこの短い青春の中で、彼との時間を大切にしたいんです。だから、これからは今までみたいにお手伝いが出来なくなります。すみません!」


 天川は仰々しく頭を下げた。


 何だ? この茶番は。こんな事で皆は騙されないだろう。


 そう思い、周りの反応を僕は見る。


 男子生徒たちはいつも通り殺気の視線を向けている。しかし、女子生徒たちは違った。


「そうね! いつも姫ちゃんに頼りきりじゃいけないわ!」

「そうよ! そうよ! これからは私たちも協力しなくちゃ! 先生、そのプリント私が運びます!」

「私も手伝うわ!」

「私も!」

「私も!」


 何故か、女子生徒たちのテンションが上がっている。


「姫ちゃん。星月君と幸せにね!」


 女子たちの声援に、天川が目を潤ませながら幸せそうに口を開いた。


「ありがとう、みんな。私、幸せになるね!」。


 だから、何だ? この出来の悪いドラマの最終回みたいなシーンは。


 だが、先生は違うだろう。こんな不純な動機で、クラスの仕事を放り投げる事は許されない。

 

 そう思い、僕は次に先生に視線を向ける。


 大槻先生は、さっきとは違い鋭い目つきで真っ直ぐに天川を見ている。


 さすがは勤続三十年のベテラン教師だ。


 周りの流れに流されずに、駄目なものは駄目だと言おう。


 いつもは物静かな大槻先生が、ゆっくりと口を開いた。


「うむ。……ならばよし!」


 ならばよし! じゃねーよ。駄目だ……このクラスは病んでいる。


 僕はめまいがしそうな中、唯一の理解者である哲に視線を向けた。


「これは夢だ。あの崇が、俺を見捨てて彼女持ちになるはずがない。これは夢だ。あの崇が、俺を見捨てて彼女持ちになるはずがない。これは夢……」


 うむ。一番病んでいる奴は放っておこう。


 そう自分のクラスに呆れている僕の隣に天川が来て、僕の腕を組み無理矢理教室の出口まで連れ出した。


「みんな、先生。ありがとう! 私たち、行きます!」


 行きますって、ただ帰るだけだよね?


 周りのものすごい圧に、僕はなされるがまま天川に引きずられ帰路に就いた。

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