第7話 妖怪を超えるもの
また一段と静けさが増した夜に、悟り蜘蛛は餌となる天川を担いで必死に走っていた。
入り組んだ道では、家の屋根から屋根へ飛び移ったりして、奴の目的地であろう場所に最短距離で向かっている。その速度は、普通の人間には到底追いつけない速さだろう。いや、たとえ犬や馬でもそれは無理だろう。
しかし、今の僕にはそれが出来る。
奴は僕を撒けたと思ったのか、僕の家の近所にある『火の木公園』で立ち止まった。
この火の木公園の敷地は広く、秋になればその名の通りにまるで火に包まれている様な景色を見せる紅葉の木が、周りを円状に囲っている。公園の中心には噴水があり、その周りにはジャングルジムやブランコ、砂場などの子供の遊び場がある。
この場は、平日はベビーカーを引いた母親が子供の散歩や、ママ友たちでの井戸端会議に使う。休日には家族での遊び場や、カップルでのデートスポットとしても使われ、この街の皆から親しまれている。
本来なら、こんな憩いの場を血生臭い戦いの為に使いたくはない。だが、僕はここで全てを終わらせることにした。
「はあっ、はあっ、はあっ。ここまで来ればもういいだろう。早くこの小娘を食って、消耗した力を取り戻さなければ」
「悪いがそれは止めてもらおう。その子はうちの学校の姫なんだ。彼女がいなくなれば悲しむ人が多い」
悟り蜘蛛とは逆に息一つ切らしていない僕は、奴の前に飛び下りた。
「なっ! き、貴様! 本当に何者なんだ!?」
「まあ、何て言えばいいか僕にも分からないが、お前の言うとおり、普通の人間ではないと自分でも思うよ」
そう言いながら僕は、左手の二本指を横に振る。
すると、天川を巻いていた糸がハサミで切られたようにちぎれた。
地面に落ちそうになった天川に対して、僕は左手で上に扇ぐ様な動作をする。
それと同時に天川の下から風が吹き、その身が僕の方に向かって飛んできた。
僕は天川を、あまり衝撃を与えないように受け止める。
「うぐぐっ」
なるべく痛くないように受け止めたはずだが、今ので天川が意識を取り戻した。
「ほ……星月君?」
「よお、天川。今日は自分を取り戻すにはいい夜だな」
「……星月君。一体これはどうなっているの?」
「まあ、色々と説明はしたいんだが、今はちょっと忙しいんだ」
結果的に、お姫様抱っこの形になった天川を、そっと地面に降ろす。
意識が正常に戻った天川は、悟り蜘蛛の方に視線を移す。
「きっ、きゃあ!」
おぞましい異形をした妖怪を目にした天川は、恐怖の声を上げる。
次に天川は、僕と奴を困惑した表情で交互に見た。
「そこから動かないで。そこにいれば安全だと約束するよ。クコ! ……おい、クコ! なに寝落ちしてるんだよ! ほら、その子を頼んだよ」
「えっ、誰と話してるの?」
「なんというか、守り神的なものだ」
さて、まだまだ肌寒い夜だ。こんな中、薄着の少女を長時間放置しとくわけにもいかない。……そろそろ終わりにしよう。
「ええい! もう貴様が何者などどうでもいい! 貴様を殺し、その小娘ともども食い散らしてくれる!」
激高した奴は、上半身を漆黒色に変色させた。
そうすると、奴の体はごつごつとした筋肉質なものになり、口からは先程より鋭利なものになった牙が飛び出し、額には新たな複数の赤い目が現れた。
どうやら、これが奴の真の姿らしい。ますますそれっぽいなりだ。
奴は口角を吊り上げ、指から糸を垂らす。
その糸はさっきとは別で、まるで血の様な黒い色をしている。
「くくくっ、この糸を今までと一緒と思うな」
「……毒か」
奴は顔をしかめる。
「くっ! 相変わらず、神経を逆なでする奴だ!」
奴がその指からいくつもの糸を、僕に向けて放った。
どうやら、スピードも先程より数段上がったみたいだ。
それでも、僕はそれを避ける。
糸は地面や木々に触れると、まるで何かを焼いたような音を発し、黒い煙がたちこめる。
「貴様はどうやら外身は頑丈らしい。だが、この糸は猛毒だ。激痛と共に中から腐らせる。少しでも触れれば貴様は終わりだ!」
奴は僕の足場を無くすように、地面一杯に糸を張り巡らした。
「さあ、どうする? ちょこまか動き回っても、貴様の逃げ場はどんどん無くなっていくぞ!」
さらに奴は、様々な所に糸を張り巡らす。
地面に、木々に、ジャングルジム、ブランコ、砂場、公園の真ん中にある噴水までも。
「はっはっはっ! どうだ! これでもう何処に居ようとも、貴様は満足に動けまい! 何処に居ようとも! ……どこに……居よう……とも」
奴は、姿を現さなくなった僕を見つける為に周りを見回す。
しかし、奴は依然として僕の居所を把握できない。
「くそ! 何処に隠れた! 臆病者が、わしに恐れをなしたか? なら、そこの食材を置いてとっとと消え去れ! そうすれば、今までの愚行を許してやらんでもないぞ!」
強気に出てはいるが、深層では僕に対して恐怖しているのか奴が停戦を提案する。
当然僕はそれに応えるつもりはない。天川やこれまでいくつもの人を苦しめたであろう奴を逃がしてやるつもりはない。
「別に、隠れてはいないよ」
そんなに離れてはいない所から僕の声を耳にした奴は、その姿を捉える為に慌てる様に増えた視線を動かした。
そして――とうとう奴は僕の居場所を捉えた。
「きっ、貴様……何故そんな所にいられる? 何故、貴様は宙に浮いている?」
奴は左片足で宙の上に立っている僕に、あっけにとられた表情で見つめた。
「さっき、お前は僕の事を本当に人間かと聞いたな? 僕の願望を言えば人間だと言いたい。でも、お前も体感したように僕は普通じゃない」
僕は自分の眼に指をさす。
「まず、この眼は色んなものが見える。敵からの攻撃だけでなく、お前らがどんな存在なのか、どんな能力を持っているのか」
次に耳に指をさす。
「次にこの耳。この耳は特定した相手が何処で何をしているのかがよく分かる。お前が何処に行こうが隠れようが、もう僕からは逃げれない」
次は左足だ。
「そして、今お前が見ているこの左足は、見ての通り何処にでも足場に出来る。これがあればどんな所でも行ける」
その次は右足だ。
「この右足は、一言で言えば雷光だ。どんな速い相手でも、この右足さえあれば簡単に追いつけるし、追い越せる」
次に僕は自分の左手を上げた。
「この左手は、すでにお前も味わっているが、火、水、氷、土、風、雷を操る。この能力で大概のお前ら妖怪を倒せる」
最後に僕は右手を上げた。
「そしてこの右腕は、これからお前は味わう事になる」
上にあげていた右手を、僕はある事をする為に横に伸ばした。
伸ばした右腕は、何かの闇の中に入り込んでいる。
そして、その闇から僕は何かを引き出した。
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