第3話 天川乙姫という完璧美少女

 僕の通う高校は、火海三高校かかいさんこうこうという名の、この街の中央にある何処にでもあるような学校だ。

 そこで僕は、今年で2年生になった。

 

 自分のクラスである校舎二階の四組の教室に入ると、既にそこには登校してきた学生が、各々のグループで雑談をしていた。 

 僕は数人のクラスメイトに挨拶をすると、自分の席についた。


「よお、崇。昨日のお笑い特番見たか? 笑えたよなー」


 少しお洒落したスポーツ刈りの男子生徒が、メロンパンを頬張りながらこっちに振り返った。

 こいつは、僕の前の席にいる寺田哲てらだてつだ。


 一年の時から同じクラスで、一応この学校で一番話す男子生徒である。ちなみに苗字に寺とついてあるが、全くそっち系の繋がりはない。

 哲の話ではお父さんは公務員らしく、お母さんと一学年下の妹の四人家族だ。


 性格は良く言えば真っ直ぐ、悪く言えば単純。女の子にもてたく色々雑誌を読んで研究したり、スポーツが好きでラグビー部に所属していたりと、ごく普通の健全な男子だ。


「おはよう、哲。悪いけど、昨日は忙しくて見てないや」

「なんだよー。最近忙しいばかりで、まったく俺の話題に付いて来れないじゃんか。まあ、そもそも崇はそういう話題は疎い方だけど、最近特に酷いぞ。何してんだよ?」


「いや、家の仕事とか色々手伝わないといけないから」

「そうかー。やっぱり自営業となると、そういうことも大変なんだなー」

 哲は呆けた顔で、僕の適当な言い訳を受け入れた。


「全く。もう見慣れたが、相変わらずこの小童はあほ面しとるの」

 僕の頭の上で、くつろぎながらクコが悪態をつく。


「こら、失礼だろ」

「えっ? 何かいけなかったか?」

 僕のいきなりの独り言に、哲は少し焦った顔をする。


「いっ、いや。何でもない。こっちの話だ」

 

 この様に、クコの姿は他の人には見えない。見せようと思えば見せられるらしいが、そうなると色々と面倒なので姿は消してもらっている。


「でもよー。実際そういうことも敏感になっていかないと、女子にモテないぜ。せっかくこの学校は美人揃いって、周りの学校に羨ましがられている恵まれた環境なのによ」


 実感はないが、実際に哲の言う通り、この学校の女子のレベルの高さは有名だ。

 しかし、今の僕には胸をときめかせる青春を、満喫している暇はない。


 さっきまで呆けた顔をした哲は、さらに腑抜けた顔をして大きな溜息を吐いた。


「それにしても、最近多くないか?」

「何が?」

「何がって、姫様に決まってるだろ。この時間になっても来てないってことは、今日も休みだろ? はぁーあ。姫様の笑顔が、俺の一日の活力だったのに」


 哲が言う姫様とは、このクラスの学級委員長である天川乙姫あまかわつばきの事を指す。

 ちなみに姫様という呼び方は、別に哲だけがしているわけではない。学校の皆からそう呼ばれている。


 何故そう呼ばれているかというと、まず見た目だ。

 その見た目は、艶のあるロングの黒髪で姫カット。肌は澄んだように色白く、だからといってひ弱な感じも無く健康的で美少女。


 次は内面だ。ちやほやされる程の外見で少しは傲慢になりそうな性格は、男女関係なく平等に接し大らか。だからといって八方美人ではなく、自分の中に芯があり、嫌味なくはっきりと物事を言う。そのうえ文武両道ときたもんだ。


 乙姫という名前もあり、この学校では姫様とあだ名をつけられ、男子女子共に憧れの的になるのは必然ともいえるだろう。


 しかし、そんな天川は最近体調を崩す事が多く、学校を欠席気味だった。

 普段は、誰よりも早く登校していた彼女がこの時間でも着てないという事は、哲の言う通り今日も欠席なのだろう。


 哲だけではなく、クラスの中心的人物がいないせいでどことなく暗い雰囲気のクラスメイトと共に、いつもと変わらない一日が始まり、代わり映えしない授業を僕は受けた。

 

 この日の最後の授業を終えた時、白髪交じりの初老を迎えた担任の大槻おおつき先生が話し掛けてきた。


「おい星月ほしづき。ちょっといいか?」

 星月というのは、僕の苗字である。


「悪いが、ここ最近溜まっていた天川のプリントを届けてくれないか? このクラスで、お前の家が一番近いんだ」

「はい。いいですよ」

 僕は、その依頼を快く引き受けた。


「えー、いいなー。崇、お前姫様の家に行くのかよー」

「家に行くって、病人の所に行くだけだぞ。玄関で、親御さんにプリント渡すだけだ。そんなことより、お前は部活に行かなくていいのか?」

「あっ! いけね! 今日は後輩の指導を、先輩から言いつけられてるんだった。崇、姫様に俺が心配していたって言っとけよ!」

 そう言うと、哲は慌てて所属しているラグビー部に向かった。


「だから、多分会わないって」

「相変わらず、あのあほ面小童は人の話を聞かんの。まあ、ああいう単細胞は別に嫌いではないがの」

 今まで昼寝をしていたクコが起き、欠伸をしながら話し掛けてきた。


 因みに、しばらくクコと一緒にいて分かったことだが、『嫌いじゃない』はこいつにとっては褒め言葉だ。


「だから、人の友達をあほ面、あほ面って連呼するなよ。ああ見えても、結構いい所があるんだ」

「それよりお主、これからおなごの家に行くのじゃろ? まあ、この我には及ばんが、そこそこの美女らしいではないか。お主の様なおなごに免疫のない者が、弱っておるおなごの前に行くのは心配じゃの。頼むから我の前で醜態はさらすでないぞ」

「うるさい、僕は常に自制心のある紳士だ。それに我には及ばないって? 今は、そんなちんちくりんなくせに」

 仕返しと言わんばかりにいたずらな嘲笑をしたら、間髪入れずクコは僕の頭に噛みついた。


 それはそうと、皆は天川の家に行く事を羨むが、僕自身はそれほど嬉しくなかった。

 別に、これは照れ隠しだとか、この年頃のこじらせた男子高校生の強がり、というわけではない。

 


 僕は、皆が憧れる天川が実はだったのだ。


 

 天川は実際に僕の家の近くに住んでいるらしく、初詣などの時に家の神社でお参りしている所を子供の時から見かけることがあったし、時々近所の友達と共に遊ぶ事もあった。

 

 そう、天川と僕は幼馴染だったのだ。

 

 その時は、別に姫様と言われるほど気高い感じはなく、確かに可愛いがごく普通の女子だった気がする。


 しかし、小学四年生の時に引っ越しをして、高校一年になってまたこの街に戻って来た時に、彼女は今言われている姫様と呼ばれる様な完璧美少女となっていたのだ。


 その時僕はただ、この数年間で性格が明るくなり、努力で文武両道をこなせるようになったんだなと感心していただけだった。


 だが、ある日どんな事かは忘れたが、先生から頼みごとをされ、放課後に僕は天川と二人きりで作業をする事になった。


 その時まで僕は、天川とあまり会話をしたことが無かったが、普段の社交的な彼女を見ていたことや、一応幼馴染だったことから、気まずい雰囲気にはならないだろうと安心していた。


 しかし、実際二人きりになり作業が始まると、彼女はいつも皆に見せている笑顔は一かけらも見せず、時々深い溜息を吐くだけで終始無言だった。それはとても姫様と呼ばれる様な素振りではなかった。


 僕はそれを見て、自分だけ他の人みたいに平等に扱われないという怒りの感情は湧かなかった。


 この時に、僕の中に生まれた感情はただの『恐怖』だった。


 何故なら、あまり会話をしたことが無いと言っても、皆がいる教室で会った時はいつもと同じように満点の笑顔で、からだ。


 僕はその時の天川を見て、どれが本当の彼女か分からなくなったのだ。


 いや、天川がこの街に戻って来た時には、既には何処にもいなくなっていたのかもしれない。


 そんな事もあり、僕にとっては不気味な存在になった天川に対して、憧れという感情よりも苦手意識を持ったのだ。

 

 しかし僕は今日、彼女の家に行く事は嫌ではなかった。

 むしろ僕は、先生に頼まれなくても、元々この日に彼女の家に行く気だったのだ。

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