第2話 狐幼女クコと共に学び舎へ

 まだ寒さも残る五月の朝。僕は母親が作る味噌汁のいい匂いにつられ、目を覚ました。

 自分の母親を褒めるのもなんだが、母さんの料理は美味しい。

 このまま寝過ごして、学校に遅れない為に朝食を食いっぱぐれるのは嫌なので、まだ寝ていたい体に気合を入れて、僕は体を起こした。

 居間に行くと、そこには既に起床してちゃぶ台の前で座りながら新聞を読んでいる甚平に身を包んだ父さんがいた。


「おはよう」

「うむ、おはよう。しゅう昨日は夜更かししたみたいだが、何してたんだ?」

「別に、ただ本が丁度面白いところだったから、寝るタイミングを逸らしちゃっただけだよ」

 

 それを聞くと、父さんは少しつまんなさげに溜息を吐いた。


「なんだ、思春期真っただ中のお前が、親に隠れてエロ本読んでたんじゃないのか」

「あんた、少しは自分の職業を考えて物事を発言しろよ」

「そうよ、あなた。朝から変なこと言わないでちょうだい」 

 台所から、おぼんに朝食を乗せた母さんが出てきた。

「崇君にはそんな物、まだ十年早いわ」

 

 朝からこんな話題を振る父親もどうかと思うが、今年で十七歳になる僕を、まだ幼い子供の様に扱う母親もどうかと思う。

 というか十年って……その年まで無垢でいろとでも言うのか?

 

 ともあれ、僕は白ご飯に味噌汁、そして焼き魚といった『ザ・日本の朝食』を平らげ、登校の準備をする為に自室に向かった。

 

 制服に着替え、部屋にある姿見で寝癖などのチェックを済ませ、鞄を持った僕の視線に、机の上に置いてある昨夜に読みふけっていた『日本妖怪記』という古びた一冊の本が入って来た。


「今日も、帰ったら読まなくちゃな」

 

 別に、僕にはオカルトなどの趣味はない。

 だが、今の僕はクラスで流行っている漫画や、クラスの女子にモテる為のファッション雑誌より、この本を読まなくちゃいけない。

 

 いつもと同じ八時丁度に、僕は家を出た。

 僕の家は、他の家庭とは少し違う。

 玄関を出ると、そこから続く石畳の道を歩いて行く。


 途中には、藤の木が咲かす綺麗な藤の花が、その道を艶やかなものに色付けてくれる。

 藤の花特有の甘い優しい匂いを嗅ぎながらしばらく歩くと、その先にあるのは百八もある下に続く階段だ。

 自然豊かだがインフラの整った住民にとっては生活しやすいこの街を、一望できる階段を下りる前には、大きな赤い鳥居ある。

 

 そう。僕の家は、この街の高台にある祟収神社すいしゅうじんじゃと呼ばれる神社だ。

 

 ここは昔からある神社で、僕の父親で確か十二代目だった気がする。

 自分では実感はないが、歴史ある由緒正しい神社としてこの街の人に親しまれている。

 

 多分、僕もそのうちここを継ぐのだろう。

 しかし、そんな事はまだ遠い未来だし、今は自分の将来の就職先を考えている暇が僕には無いのだ。

 

 朝の澄んだ空気の中、個人的に好きな眺めを見つつ、僕はこの長い階段を下りる。一応、バリアフリーの為に車で来られる道もあるが、僕は毎朝この階段を下りていた。

 

 両側を木々に囲まれた階段の途中で、僕は周りに人はいないが口を開く。


「クコ、クコ。おーい、クコちゃん。起きてるだろ? 返事しろよ」

 

 すると、僕に呼ばれたクコは姿を現した。

 その姿は白銀の綺麗な長い髪を生やし、その頭部からは二つの可愛らしいピンと立った耳をぴょこぴょこさせた、巫女姿の狐少女だ。

 その少女は僕に肩車された様に乗っかり、僕の頭に顎を置いて金色の目を細め眠たげにしている。


「何じゃ? 我はまだ眠いのじゃ」


 この少女の名はクコ。

 実際は、この名は彼女の本当の名ではない。

 正式名称は、それを口にすると毎回噛みそうな長ったらしいものだった。

 だから、僕が呼びやすい名を付けたのである。


「嘘を付け。お前、さっき僕の味噌汁の中にあった油揚げ全部食ってただろ? 魚も半分食ってたし」


 僕の指摘を受けると、クコは頬を膨らませ頭をポカポカ叩いてきた。


「うるさい! 我とお主は一心同体じゃ。お主の物は我の物じゃ!」

「分かった、分かった。でもお前は偏食過ぎるんだよ。自分の好きな物しか食わないじゃないか。たまには野菜とかも食べないとダメだろ。あと、一気に食べるな。いきなり僕のおかずが減ってたら、母さんたちが不思議がるだろ」


「あっ、そうじゃ! 知っておるか? なぜ油揚げを乗せたうどんが、きつねうどんと言われるかというと、単に油揚げがきつね色というだけの単純な説があるんじゃよ。我としては、もっとこう狐の武勇伝とかがあればいいと思ったんじゃが」

「ビックリするくらい、話の逸らし方が下手だな」

「うっ、うるさい! それより、お主ちゃんとは出来ておるのか?」

「はあっ、まあいいか。一応関連書籍は読み漁っているけど、どれも眉唾物だな……。まあ、それでもやり続けるしかないんだけど」

「そうじゃ、そうじゃ。若いもんは苦労をしろ」


 その姿で、そのセリフを言われると違和感があるが、実際その少女はそれを言う権利がある。

 こう見えてこの子? この方? この婆さん? は僕の何十倍もの年月を生きてきた。


「これ!」


 クコは可愛い握り拳で、僕の頭を小突いた。


「いてっ! 何するんだよ?」

「今、我の事を愚弄した呼び方をしたな」

 

 このように、クコは僕の思っている事をある程度当ててくる。

 だから僕は、表面だけの態度を取っても馬鹿らしいので、この子に対しては結構思ったままの態度を取ってしまう事もままある。

 そういう意味ではもしかしたら、この子は僕の親よりも身近な存在かもしれない。


「まあ、とりあえず今は学校に行こう。学生の本文は勉学だからな。それに……気になる事もあるし」

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