第十話

 やはり、と言った感じだろうか。兵士たちが束になってもセリーヌには歯が立たないみたいだ。

 アレクシオスの話ではアレクシスの矢に賭けていると言うことなのでまだ希望はあるのかもしれない。……けれどもう警戒されきっているのはアレクシスが一番よく分かっていることで、アレクシスはアレクシオスと共に僕が居る階の下で窓越しに上手く撃ち込めるチャンスを伺うものの、それが訪れる気配は無くアレクシスが無駄な矢を撃つことも無かった。

 つまりアレクシスは攻めあぐねているわけで、そうこうしているうちにも兵士は減っていってしまっている。剣を持ったセリーヌは城の庭でなんの感情の揺れも無いかのように勇敢に迫る兵士を殺していた。


 兵士の亡骸に囲まれて他の兵士もすっかり怖気付いて攻め込まなくなってしまったそんな時、セリーヌの元にひときわ素早い動きで距離を詰めた者がいた。それは二本の術式が込められたダガーを持つアレクセイだった。

 切りかかってくるアレクセイに気付いたセリーヌがダガーを剣で受ける体勢を取る。セリーヌは知らなかったのだろう、アレクセイのダガーにはアレクシオスの術式が込められていることに。

 セリーヌの剣はダガーに切りつけられた瞬間に砕けて煙のように崩壊していった。セリーヌが焦ったのか少しけ反るとアレクセイはその隙を逃さずさらに攻めた。


「どうしたんだセリーヌ! お前はこんな事するやつじゃ無かっただろ!」


 とアレクセイが言いながら攻撃を繰り出す。

 ダガーが危険だと悟ったらしいセリーヌはアレクセイのダガーを鎧の小手で受けるが、しかしアレクセイの巧みで素早い連撃に攻撃の手が止まってしまい、刃と小手がかち合う連続した鋭い音が辺りに響く。


「お前が簡単に人殺すなんて……そんなのパスカルは望んじゃいねぇぞ!」

「うるさい!」


 アレクセイがそう言った瞬間、ここに来てセリーヌが初めて喋った。アレクセイの驚く顔が三階のこちらからも確認できた。

 そしてセリーヌは小手に突っかかったダガーを、腕を上に急速に上げて弾き、ダガーにかかった力に引っ張られて腕が上がったアレクセイに蹴りを放った。鎧に包まれていると思えない華麗な動きで右足の平がアレクセイの腹に当たると、アレクセイはボールのように後ろに吹き飛ばされた。

 するとその瞬間、力強く飛来してきた一本の矢がセリーヌの脇腹に鎧を貫通して突き刺さった。


「ぐっ!」


 アレクシスが隙を見逃さず放った矢はセリーヌに効いている様子だ。セリーヌが苦しそうな声を漏らしてよろめく。


「今だ! 畳み掛けろ!」


 数人の兵士に囲まれて安全な位置に離れているユリスの合図で、怖気付いていた十数人の兵士たちが各々怒号を上げて一斉にセリーヌへと接近する。

 セリーヌは首に刺さった矢に手を伸ばすが迫ってきた兵士たちによって邪魔されていた。攻撃を受けるたびにセリーヌはよろめき、その度に音を立てて鎧の各所がひしゃげていく。

 するとセリーヌの身体から漏れ出た煙が兵士たちの頭上十メートルに停滞し、それらはいくつかのポイントで寄せ集まって形を成して剣となり、切っ先は下方向に向いていた。アレクセイが焦った形相で叫ぶ。


「危ねえ、上だ!」


 気付いた兵士たちが一斉に周りから離れようと試みるが振り落ちる剣の方が一手早かった。頭上からの雨のような剣に命を絶たれた兵士たちが、セリーヌの周囲の地面に倒れ込んだ。


「なんてことしやがんだ、ひでえな」

「化け物か」


 僕の近くで同じ景色を見ている負傷した兵士が呟く。その目は恐怖と軽蔑の視線をセリーヌに送っていた。

 外の兵士たちが恐れを成して固まっている間、邪魔者が居なくなったセリーヌは首に刺さった矢をゆっくりと引き抜くと、起き上がったアレクセイがまたダガーを握ってセリーヌに迫る。

 しかしアレクセイの奮闘も虚しく先程の当たり合いと同じ結果にはならなかった。ダガーの脅威を知ったセリーヌは召喚した剣を片手で握りながら、空いているもう片方の手でダガーをあしらい、アレクセイはセリーヌの技術と力の前に劣勢となってしまう。

 しかしセリーヌはアレクセイを他の兵士のように切り伏せようとはしなかった。あくまで攻撃は拳や脚の打撃のみで、むしろ剣はただ持ってるだけという印象を受ける。十数秒の当たり合いの末にアレクセイがまた腹を蹴られて飛ばされるように地に尻もちをついた。

 痛みで腹を手で抑えるも尚立ち上がろうとするアレクセイにセリーヌがゆっくり近づいて問いかける。


「諦めてくれ。君じゃ勝てない」

「けっ……!」


 よろよろと立ち上がるアレクセイ。その手にはしっかりとダガーを握りしめている。どんな事があろうと自身の獲物を離さないのはアレクセイの覚悟なんだ、と直感的に分かった。


「諦められるか。これ以上誰も死なせたくねえんだよ」とアレクセイは静かに語る。

「へえ、意外だな。そんなに―――」


 セリーヌが話している最中に下の階からアレクシオスの矢が放たれる。しかし瞬時に矢に気付いて振り返ったセリーヌは一瞬の内にそれを裏拳で弾き無駄に終わった。矢が回転しながら中を舞い、庭に転がる一体の鎧の上にカランと落ちた。

 何事も無かったかのようにアレクセイに向き合ったセリーヌが言葉を発する。


「そんなに優しかったっけ? それとも、私を倒してユリス大王様を救った英雄になったら商売しやすいのかな」

「……。俺はお前のことしか考えてねえよ」


 肩で息をするアレクセイが再度ダガーを持って構える。その無謀とも言える行動に僕の周囲の兵士からもどよめきが上がる。


「アレクセイ兄さん! もう逃げて! 本当に死んじゃうよ!」


 下の階からの大声はアレクシオスだった。セリーヌはその声の方を振り返って一瞥するとアレクセイに「逃げろってさ。どうする?」と、まるで一緒に買い物に行った時のような軽い口調で言った。しかし言い終えてからアレクセイに近づいた一歩は、鋭く僕たちに緊張感を与えていた。

 だがそれを見てもアレクセイは後ろに下がらない。


「諦める理由にはならねえよ。死ぬのなんて」

「……そっか」


 セリーヌは頷くように少しだけ俯くと、顔を上げてアレクセイに微笑みかけた。


「そんな君のこと、結構好きだよ」

「えっ?」


 アレクセイが戸惑う間にセリーヌが二歩目となる足を出し、その足を踏みしめて身体と剣の切っ先も前に出した。その急速な動きをアレクセイが咄嗟に対処しようとするが間に合わない。

 アレクセイの胸はセリーヌの剣で一突きされてしまった。一瞬の出来事だった。

 セリーヌが剣を引き抜くと、必死の形相のまま固まった顔のアレクセイの死体が他の兵士と同様草の上に転がった。

 下の階からアレクシオスの泣き声の混じった叫び声が聞こえる。アレクシスがどうなったかはここからでは分からないが、何故か僕から涙は出なかった。

 庭の上でセリーヌは何もせず立ち尽くして空を仰いでいた。するとその時ユリスの号令がした。


「やるしかないぞ! 今あいつを野放しにしたら国民が殺されてしまう! お前たちの家族までもだ! 国のために命をかけろ、それがお前たちの志願した理由だろ! あいつを殺せ!」


 それを合図に、一人、二人、そして十人、二十人と雄叫びをあげてセリーヌに走っていった。文字通り兵士たちは死ぬ気だ。それに対してセリーヌはただ圧倒的な力で相手するのみ、剣をまた血で濡らすのだった。

 それを僕はただ見ているだけ。加勢したって僕の力じゃ役に立たない。それが現実だから、大人しく見ているだけ……その状態に僕は違和感を抱いた。


 事の発端は僕が王座を継がない判断をしたからだ。判断そこが始まりだった。事が続いたからセリーヌはアレクセイを殺したんだ。事が終わらないからまた殺し合いが行われる。

 それも全て中心は僕だ。僕が始めた事だ。それなのに僕がただ見ているだけなのはおかしいじゃないか。終わらせなきゃいけない! 他の誰でもない僕が―――


 そこまで考えると自然と身体が立ち上がってしまった。

 周りの負傷した兵士が僕の方を見る。僕は構わず走り出した。「お、おい! どこに行くんだ!?」という声も無視した。

 誰かが止めてくれるだろうって思ってた。終わらせてくれるだろうって。ずっとそうやって生きてきたから、今回もきっと何とかできる誰かが何とかしてくれるって考えてた。

 だけれどアレクセイは死んだ。走りながら、今になって涙が出てきた。


 僕が辿り着いたのは武器庫の中、代々受け継がれた王家の青い剣の前だった。僕は飾られていたその剣を手に取る。ずっしりとした重みに身震いしてしまうが、それと同時に頼もしさがあった。

 今思えば……セリーヌのせいじゃないか。あの日、僕を助けたあの時、君は僕の目を閉じさせた。目を瞑ったまま今日まで来てしまった。

 もう目を開けてもいいでしょ? これからは僕の足で歩いていくんだから。

 青い剣を握りしめて武器庫を出た僕はまた走った。今度はセリーヌがいる庭へとだ。兵士の手当てで服を使ったため今上に着ているのはシャツ一枚。そのおかげで、外に出て当たる風はシャツ越しに冷たく肌を撫でた。

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