第九話
「……なあ、本当にセリーヌは来るのか?」
王城の一室で朝食を食べ終えた僕たちに、扉から入ってきたユリスが言った。セリーヌが屋敷から出ていったあの日、さすがに疲れた僕たちは一度休息を摂って翌日にユリスに伝えに言った。そしてアレクセイたちの交渉の末に王城に泊まってセリーヌを待つことにして、音沙汰が無いまま今日で三日経っていた。
「あ? 死にたきゃあ追い出してもいいんだぜ」
「ちょ、アレクセイ兄さん!」
アレクシオスが慌ててそう言うと同時にユリスの隣にいた従者がアレクセイに詰め寄ろうと一歩踏み出すが、ユリスが「いい。気にしてない」と従者の前に手を出して止めさせた。
「パスカル、別にここに住みたいなら部屋くらい用意できる。下手な嘘付かなくたっても……」
「それが嘘じゃないんだよ。信じてくれないかな」と僕はユリスの目を見ながら言ったが、ユリスはいささか懐疑的だった。
「まあ、君が言うなら信じるけどさ。僕だっていきなり王になったもんで色々忙しいんだ。邪魔してこないなら好きにしてくれていいよ、兄弟。」
言い残すとユリスは腕組みをしながら従者を引き連れて退室していった。
この三日間でセリーヌの襲撃に備えての準備は重ねてきた。いくらセリーヌを物理的に攻撃しても元から死体なので死ぬことは無いらしく、セリーヌの魂をこの世に繋ぎ止めている鎖を断ち切ることが一番効果的だというアレクシオスの提案の元、アレクシオスが除霊の術式を仕掛けた武器を作り続けている。
そしてそれらは主に矢だった。アレクセイの二本のダガーにも術式を施したが、アレクシオスはアレクシスの弓術に賭けているようだ。
「一回刺しただけじゃあんま意味が無いと思うんだ。聖堂から出てきた煙が全部鎖になったと考えると……」
太陽の上がりきっていない頃、アレクシオスが武器庫の床に直で座って十数本の矢に囲まれながら言った。僕は城ですることが無く緊張が増すばかりなので、紛らわすためにアレクシオスの作業を手伝いに来ている。武器庫には先祖代々受け継がれてきたと言われる青い王家の剣が特に目立って飾られていた。
積み重なった矢の鋭利な先端部分を見て、僕はふとこれを全部セリーヌに突き刺した場合を考えて気分が悪くなってしまった。
「これ全部、セリーヌを仕留めるためなんだよね」
「言わないでよ。考えないようにしてたんだから。僕だってまさか、魔術をセリーヌ相手に使うなんて思っても見なかった」
「……ごめん」
「謝ることじゃないけどさ。でも、もしセリーヌを傷つけるのが嫌なら良い方法があるよ」
「えっ?」と僕は食い気味に身を乗り出した。
「煙の未練と共鳴してああなってるわけだから、要はセリーヌの未練を晴らしてあげればいいんだ。心当たりあるでしょ?」
それは僕が王座に就くことだとは嫌でも分かった。セリーヌがしかし現実として僕はそんな器じゃない。
「無理だよ、やっぱりさぁ」
「じゃあ諦めるしかないね」
するとその時、武器庫のドアが勢いよく開いて慌てた形相のアレクセイが見えた。そのドアの音とアレクセイの並々ならぬ様子に僕とアレクシオスが身震いした。
「大変だ! セリーヌが来たぞ!」
アレクセイに案内されるまま僕たちは城内を走っていった。辿り着いたのはひとつの窓の前で、そこには多数の護衛とアレクシス、ユリスの姿があった。
アレクシオスがアレクシスに気付くと持ってきた弓と矢を手渡し、そして聞いた。
「そんでセリーヌはどこなのさ」と三階の高さから城下町を見渡す。
「下じゃない、上だ。ほら」
アレクシスが指差した先には確かにそこにセリーヌの姿があった。
黒い肉体を鎧でまとい、背中に生えている翼を大きく羽ばたかせて飛んでいる。ある高度を保ちながら下にいる兵士たちを見下ろしていた。
下の兵士たちは頑張ってセリーヌを落とさせようと頑張っているみたいで、少なくない数の矢がセリーヌの元へと飛んでいくが、それらは全てセリーヌの高さまで届かずに勢いを失っていく。
静かにその様を見ていたセリーヌだったがついに動き出した。
右腕をバッと伸ばすとセリーヌの周囲一帯におよそ三十本ほどの黒い剣が現れた。それらはどれも下を向いたままセリーヌと同じ高度で兵士の頭を睨んでいた。
兵士たちがセリーヌの攻撃を予期したのか一斉に逃げ出すのと同時に剣が無慈悲にも落下してくる。何人かは逃れたが少なくない数の兵士にそれらに突き刺さり動けなくなってしまった。
「なんだありゃ……!」とユリスの護衛の一人が声を漏らす。
僕もその光景に恐怖を感じてしまった。セリーヌの力もそうだが、罪も無い人を簡単に
「俺が止めてやるよ……」
アレクセイが静かに、されど力強く呟いてセリーヌを睨む。
するとセリーヌは下に傾けた首を真っ直ぐにしてガラス越しに僕たちを見た。いやはっきり分かる、見たのは僕の目だ。ユリスの周りの護衛たちやアレクセイたちもギョッとして各々武器を構える。
次の瞬間、セリーヌが翼を大きく羽ばたかせて僕たちの方へと突っ込んできた。気付いた僕たちは左右に飛び跳ねて、ユリスの護衛は主人ごと素早くその場から離れた。
城のガラスを木の枠ごと打ち破ってセリーヌが侵入する。さっきまで僕たちがいた場所に着地したセリーヌはガラスや木の破片が舞う中でゆっくりと立ち上がった。よく見るとセリーヌの鎧の背中部分には翼が生えるための穴が空いていた。
セリーヌがゆっくりと周囲を見回す最中に両端にいた兵士たちが襲いかかり、それを見たセリーヌは右手に先程落下させたような黒い剣を生み出して交戦が始まった。兵士たちは勇敢に立ち向かうもしかし、それらは虚しくセリーヌの剣に切りふせられていった。僕はそれを離れて見ていることしか出来なかった。
だんだんと兵士が倒れていって廊下が空いてきたその時、交戦中に一本の矢が飛んできた。それは兵士の間を華麗に切り抜け、セリーヌが矢に気付くと同時に矢がセリーヌの翼を撃ち抜いた。
「やった!」
廊下の奥からアレクシスの声が聞こえた。
セリーヌの右の片翼に刺さったのはアレクシオスが術式を仕掛けた矢の一本だった。セリーヌがえづきながら苦悶の表情を浮かべていると、だんだんと片翼の形が歪んで、左右対称だったはずのもう片方とは似つかないような造形になる。
好機と判断した兵士がセリーヌに迫ってきた。セリーヌは矢を抜こうとしていたところだったため対処が遅れたし、それに矢が刺さった状態だからなのか動きも鈍っていた。一転攻勢の兵士たちにセリーヌをが追い詰められる。
そしてセリーヌが侵入して空けた穴に突き飛ばされてセリーヌは三階の高さから落下してしまった。その場に一瞬の安堵が生まれるが、それは本当に一瞬だと皆分かっていたようだった。
「あれで死ぬとは思えないけどな」とユリスが言う。「下に行くぞ!」
その合図で残った兵士が床に伏している兵士を避けつつ下に向かっていった。アレクセイとアレクシスとアレクシオスも続くが、僕は残ることにした。
セリーヌが暴れだしたのは僕が不甲斐ないせいだ。セリーヌによって傷つけられた人を無視して下に行けなかった。それに僕が行ったとしても役に立たないだろうし。
「だ、大丈夫ですか?」
息のある兵士に声をかけて身体を起こすのを手伝う。倒れてる中で生き残ったのは全体の半分、いや半分よりは少ないだろう。中には腹を一突きされたりした死体もある。
「助かるわ、ガキ。て、手当も頼む。足がやられちまったんだ」
「分かりました!」
僕は僕の身につけていた服を落ちていた剣で切り取って、その包帯もどきを兵士の足の傷口に巻いた。
「俺はこれでいい。ほかの奴も頼む。……生きてる奴を」
「は、はい!」
僕は倒れている兵士に声をかけていく。死体に声をかけることもあったが、身体を起こして軽い治療をした。一枚目の服を使い切るとまた上の服を一枚抜いで使っていく。
その時ふと気付いた。セリーヌが空けた壁の穴、セリーヌが落ちていった穴の外、ふとそこを覗いた僕はセリーヌが真っ直ぐこちらを見上げている姿が見えた。矢が刺さった肩翼は自分で切り落としたのかもう無くなっていて、まるで羽をもがれた蝶だった。
僕はセリーヌと目が合って動けなくなった。不思議と恐怖が無く、むしろいつも黙って僕を見守っていたセリーヌがそこにいるような気がして、離れてしまうと二度と会えない気がして動けなかった。
するとセリーヌの元に大量の矢が飛んできた。よく見るとセリーヌの周囲を既に兵士が取り囲んでいた。
セリーヌはその矢を避けなかった。いや、まるで刺さるまで兵士の接近や矢が飛んだことに気付いていなかったみたいだった。
だがセリーヌは鎧や腕や足に何本か刺さった矢を気にする様子は無かった。アレクシオスの術式がかかった矢は全てアレクシスが持っているため、刺さったのはなんでもない普通の矢だ。セリーヌはまた黒い剣を生み出して兵士の集団に走っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます