インターミッション とある二人のスローライフ

「ん――」

 

 はゆっくりと目を開く。

 もうすっかり見慣れたアトリエの自室の天井がその目に映った。

 

 ベッドの上で上半身を起こし、軽く背筋を伸ばす。

 壁に掛けた時計に目をやると、午前五時半過ぎ。

 いつも通りのわたしの起床時間だ。

 

 そのまま、ベッドから起き上がり、窓際まで歩いて行く。

 窓にかけられたカーテンを開くと、東雲しののめ色に染まった空が広がっていた。


 今日もいい天気になりそうだな――


 わたしは窓を開けて部屋の換気をしてから、うーんと、大きく伸びをもうひとつ。

 

 それから、パジャマを脱ぎ捨てて、クローゼットからいつもの狩猟服を取り出して着替える。

 まだ眠っているであろう彼を起こさないように気をつけながら、アトリエの一階に降りて、洗面所で朝の身支度を整えた後。


 わたしは一度自室に戻って、ベッド脇のサイドテーブルの引き出しから、ミオスティスの髪飾りを取り出して、頭につけた。


「ふふ――」


 この髪飾りを着けるとき、いつも自然と笑みが溢れる。

 わたしの宝物のひとつ――わたしの一番大切な男性ひとがくれたものなのだから。


 さて、これで準備は完了だ。

 いつもの朝の見回りに出かけることにしよう。


「いってきます――」


 わたしは小さく呟いてからアトリエの外へ出た。


 ***


 王都エルミアからルーンウォルズへ帰ってきてから、早いもので既に二週間が経過していた。

 非日常の旅は終わりを告げて、わたしも彼も、いつもの日常に戻っていった。


 わたしの一日は、いつも街の見回りから始まる。

 これは元々、街を囲む外壁が崩れていたとき、崩壊地点に魔族の痕跡がないかの確認をしていたことの名残のようなもので。

 外壁の崩壊が完全に修復された今、わたしがしていることは見回りという名前の朝の散歩だ。

 気の向くままに街の中を歩き回り、朝の澄んだ空気を味わう。

 すでに季節は晩夏に差し掛かっていたけれど、早朝はまだ涼しくて過ごしやすい。この時間の少しだけひんやりとしている風が頬を撫でていく感触が好きだった。

 

 今日は街の北側に広がる農園地帯をふらふらと歩き回り、時間にして大体一時間くらい経った後、アトリエに戻ることにした。


 ***

 

 アトリエまで戻ると、玄関口に備えられた郵便受けに一通の封書が投函されていることに気がついた。

 わたしは郵便受けを開いてその手紙を取り出す。

 宛先はニコ・フラメル。消印は王都エルミアになっていた。

 わたしはその手紙を懐にいれてから、アトリエの扉を開いた。


 中に入ると、ダイニングの方からいい匂いが漂ってきた。

 キッチンに彼が立っているのが見える。どうやら朝食の準備をしているらしかった。

 

「おはようございます」


 わたしは彼に声をかける。

 その声を聞いて彼は振り返ると「お帰り、ミステル」と言って微笑んだ。


「朝ごはんできてるよ。今日はパンケーキにしてみました」


 そう言って手招きする彼の言葉に従い、わたしは彼のそばへと歩み寄って行き、彼の肩越しにパンケーキの盛られた小皿を覗き込んだ。

 

 こんがりとした狐色の生地の上に、バターとメープルシロップが添えられており、焼きたての生地からは、ほかほかと湯気が立っている。

 香ばしい小麦と濃厚なバターの香りが鼻腔をくすぐった。


「わあ、美味しそう――」

「ふふふ……冷めないうちに食べよう。ミステル、テーブルに並べてくれる?」

「はい、もちろんです」


 わたしは彼に言われた通り、ダイニングテーブルの上に、パンケーキを乗せたお皿やグラスなどを並べていった。

 そして、ミルクの入ったブリキ製の水差しを用意したところで、二人向かい合う形で席に着く。

 

「いただきます」


 彼といっしょに手を合わせて、食事前の挨拶をしてから、ナイフとフォークを手に取った。


「美味しい……!」

 

 目の前に置かれたパンケーキを一口食べた瞬間、わたしは思わず声をあげてしまった。

 表面はパリッとしているけれど、中はふんわりとしていて口の中に溶けるように柔らかい。

 そして、口に含んで噛み締めたときに感じる優しい甘さがたまらなく美味しかった。

 

 もし幸せというものに味があるなら、きっとこんな味をしているんだろうな。

 わたしはそんなことを本気で思う。

 

「喜んでくれてよかった」


 わたしの反応を見て嬉しそうな顔を浮かべる彼。

 そんな彼を見つめているうちに、わたしの胸の中には温かい気持ちが溢れてくる。

 

 わたしは改めて、しみじみと思った。


 やっぱりわたしはこの人のことが大好きなんだ――


 そんな大好きな人が作ってくれた朝ごはんを、一緒に顔を合わせて食べる。

 何気ない朝食の一幕だけれども、その小さな幸福こそが、わたしにとってかけがえのないものだと思えた。

 

***


「そういえば、ニコ宛に手紙が届いていましたよ」


 朝食後。

 洗い物を終えたわたしは、彼と一緒に食後の珈琲コーヒーを飲みながら、先程受け取った封筒を手渡した。

 

「え、俺宛て? 誰からだろう」

 

 彼は不思議そうな顔をして封を切り、中身を取り出して読み始めた。


「あ――ルドルフさんからだ」

「えっと、どなたでしたっけ?」

「ほら、エルミアの商会ギルドで会った。俺たちの担当審査官になってくれた――」

「ああ、あの人ですか。なんて書いてあるんです?」

「えっとね――」


 そう言って手紙に視線を落とす彼の表情が段々と明るくなっていった。


「マジか――」

「何かいいことが書いてありました?」

「俺の回復薬ポーション――売れてるって!」


 わたしの問いを受けて、彼は手紙の内容をかいつまみながら説明してくれた。


 前回エルミアに行ったときに販売許可を受けた回復薬ポーションが、貴族や王族関係者を中心として売れ行き好評らしく、最高品質の回復薬ポーションとして評判になっているらしい。

 前回持って行った在庫一〇〇〇個の回復薬ポーションは、この二週間ですでに三分の一程が売れてしまったようで、しかも未だ注文が殺到しているそうだ。

 手紙の内容は、回復薬ポーションの定期的な納品と、可能な限りの増産の依頼で結ばれている、とのことだった。


 手紙を読み終えた彼は、信じられないといった表情でつぶやいた。


「まさかそんなに売れるなんて……」

「ふふ……よかったですね、ニコ」

「うん……でも、嬉しいんだけど、なんか実感がわかないっていうか、不思議な感じだなぁ……」


 そう言って、彼はまだどこか呆然としている様子だ。

 わたしはそんな彼に声を掛ける。

 

「自信を持ってください。ニコの作った回復薬ポーションは、それだけ素晴らしいってことですから」

「うん……へへ、ありがとう」


 彼はわたしの言葉を受けてはにかむように笑った。


「それにしても、定期納品と増産か――定期納品はルーンウォルズの商会に頼めばなんとかなるかもしれないけど、増産はなぁ――」

「難しいんですか?」

「うん、俺のアトリエだけだと、人員も設備も材料も、何もかも限られてるからね。今より素材採取も錬成も、倍以上時間をかけて、アリシアにも目一杯手伝ってもらって、無理やり増産することもできるかもしれないけど――」


 そう言って彼は腕を組んで考え込んでしまった。

 

 わたしは彼の言葉を聞いて、内心それは嫌だなと思ってしまう。

 彼の負担が大きくなるのは避けたい。それに、彼とアリシアが二人で工房にいる時間が増えるのも、モヤモヤしてしまう。

 なにより、わたしと彼の二人の時間――恋人としての時間が、仕事のせいで少なくなってしまうことが嫌だった。


 ああ、ワガママだ、わたし――

 

 相棒としてわたしがすべきことは、彼が己の仕事に専念できるようにしっかりとサポートすることなのに、ついつい自分のことばかり考えてしまっていることが恥ずかしくなる。


「ニコ、わたしにできることがあればなんでもサポートします。だから、あなたのしたいことを優先してくださいね」


 だからわたしは本心とは裏腹の言葉を彼に告げた。


「そうだね――」


 彼はそう言って少しの間、何かを考えるように顔を伏せて黙り込んだ。

 やがて、顔を上げてわたしを見つめると、口を開いた。


「やっぱり、しばらく増産はいいかな――」

「いいんですか?」

「うん、あまり忙しくなりすぎるのも考えものだし、今はもっと別のことに時間を割きたいんだ」

「別のこと?」


 わたしが聞き返すと、彼は少しだけ照れたような顔をしながら答えてくれた。


「今はきみとの時間を何よりも大切にしたいと思って――せっかく恋人になれたんだから」


「えっと、それはつまり……」

 

 彼の発言の意図を理解して、わたしの顔が一気に熱くなった。

 

「いや、もちろんミステルが良ければだよ? きみだって色々と忙しいだろうしね!?」

 

 わたしの反応を見て、慌てだす彼。

 そんな彼を見て、思わずクスリと笑い声が出てしまう。


「な、なんで笑うのさ?」

「ごめんなさい――その、よかったなと思って」

「え、何が?」


 わたしは彼の問いに言葉を返す代わりに、ありったけの愛しさを込めて微笑みを返す。


 彼もわたしと同じ気持ちだったことが、途方もなく嬉しかったのだ。


「いいえ、なんでもありません。ニコがそう決めたならわたしは賛成です」

「うん、ありがとう――」


 踊り出したくなるような喜びの感情は、そっと胸のうちに隠したうえで、わたしはなんでもないような様子で彼に声をかけた。

 

「それじゃあニコ、今日はこれからどうしますか――」


 そしてわたしの日常が始まる。

 

 それは何気ないゆったりとした、穏やかな日常スローライフ

 だけど、大好きな男性ひとと過ごすかけがえのない日々。


 孤独だったわたしを決して見捨てなかった、優しい錬金術師アルケミストが与えてくれた、愛おしい時間だった。


 

 あぁ、わたし今、幸せだ――

 











――――――――――――――――



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