断章 とある勇者の結末 後編

「な、なぜだッ! なぜ魔力が枯渇する!? 回復薬ポーションの効果はッ!? どういうことだ!?」


 王都の西側に広がる広大なダルマニア平原にて。

 魔族の集団暴走スタンピードを解決するために一人この地を訪れたラインハルトは、虚空こくうに向けて狼狽ろうばいの声をあげていた。


 討伐対象となる魔族はマドネスホーン。巨大な角を持つ牛型うしがたの魔族だ。

 Cランク相当の魔族であるが、群れで行動する性質を持つ。

 時折、一部の個体の狂奔きょうほんが群れ全体へ伝播でんぱし、大規模な集団暴走スタンピードに発展することがあり、その場合の危険度はAランク相当に跳ね上がる。その習性はホーンという名前の由来にもなっていた。

 

 今回の集団暴走スタンピードにおいても、その数は一〇〇体はくだらないとされていた。

 本来ならとてもではないが、冒険者一人の手に負える依頼ではない。

 だが、ラインハルトの力をもってすれば、魔族の数など問題にはならなかったはずだ。

 実際、マドネスホーンとの戦闘を開始した直後は、敵を圧倒していたのだ。


 しかし、戦闘開始から十五分ほどが経過した時、突如として聖剣エクスカリバーは輝きを失った。

 それはラインハルトの魔力が枯渇こかつしたためであった。

 

 聖剣エクスカリバーの力を行使するために必要な莫大な量の魔力。

 それを確保するために、ラインハルトは【魔力自動回復】付加効果エンチャントが付与された回復薬ポーションを用意していた。


 対策は万全。思う存分聖剣エクスカリバーを振るうことができるはず。

 それにもかかわらず、またしても魔力切れ。

 

「馬鹿野郎……! なぜ回復薬ポーション付加効果エンチャントが機能しないんだ!?」

 

 回復薬ポーションは討伐依頼に発つ前に、突貫とっかんで準備をした。

 緊急で錬金術師アルケミストを雇い、ニコ・フラメルのを念押ししたうえで、急ピッチで回復薬ポーションを準備させたのだ。

 

 そしてラインハルトは、戦いが始まる前に回復薬ポーションを飲んでいた。

 それなのに付加効果エンチャントの効果が発揮されていないのだ。

 回復薬ポーションの錬成に失敗したのか、あるいは――


 (まさか、あの野郎……! 偽のレシピを渡したのかッ!? この僕をおとしめるために……!)


 ラインハルトの脳裏のうりに浮かぶ、一つの可能性。

 ラインハルトの顔色はみるみるうちに青ざめていく。


 それはニコ・フラメルに対する怒りのため。

 それだけではない。

 恐怖と絶望感、焦燥感が彼の全身を支配した。


 聖剣エクスカリバーを使えない以上、未だ大量に残るマドネスホーンに対して、ラインハルトには抗う術がなかった。

 

 マドネスホーンは少なく見積もっても未だ五〇体は残っている。

 彼の身を守る白銀の鎧も、ニコ・フラメルに破壊されすでに無く、それらがすべてラインハルトへと襲いかかれば、ひとたまりもない。


 命を守るためには、一刻も早くこの場から逃げなくてはならない。

 しかし、逃げ出せば、依頼の失敗――それはラインハルトの冒険者ギルドからの除名を意味する。

 

 ……ちなみに彼の脳裏には、魔族の集団暴走スタンピードを解決できなければ王都に脅威がもたらされるとか、無辜むこの民が危険に晒されるとか――そういう考えは微塵みじんもなかった。

 

「馬鹿野郎! この野郎ッ! クソ野郎ッッ! なんで僕がこんな理不尽な目にあわないといけないんだよッ!」


 ラインハルトはギリっと奥歯を噛み締めた。

 その眼にじわりと涙が浮かぶ。


「くそっ! くそっ! くそッ!」


 もはや彼に冷静さはない。

 彼は叫びながら、地面を踏みつけた。何度も、何度も踏みつける。

 その姿は、さながら欲しい玩具おもちゃを買ってもらえなくて駄々をこねる子供のようだった。

 

「あぁあああああっ! ふざけやがってッ!」


 そして彼は魔族の群れに背を向けて、その場から駆け出した。

 それはの惨めな敗走だった。



 ***

 


 結局、ダルマニア平原の集団暴走スタンピードを解決できず、王都まで逃げ帰ったラインハルトを待っていたのは、冒険者ギルドからの除名処分であった。


 王都に戻ってからしばらくは冒険者ギルドに行くこともできず、パーティ本拠地の自室に閉じこもっていた。

 そんな彼を心配するマーガレットらパーティメンバーに対しても、取り合うことができず、食事もほとんど喉を通らない。


 そのうちに冒険者ギルドからの訪問者があった。

 訪れたのは冒険者ギルドの副会長ベロンである。


 とある夜、パーティ本拠地の入り口扉の前に立つ彼は、憎々しげな表情を浮かべて、一巻の巻物スクロールを開き、ラインハルトの目前へ突き出した。


青の一党ブラウ・ファミリアパーティリーダー、ラインハルト。我々冒険者ギルドは、今日限りをもって、S級の階位を剥奪はくだつする。また、この決定に伴い、当ギルドの冒険者登録から貴様を除名する。今後、当ギルドから貴様へ、いかなる仕事も斡旋あっせんすることはないし、報酬を支払うことも一切ない。以上だ」


 彼の口から、冷酷な事実が告げられる。

 そしてベロンは、手にしていた巻物スクロールを丸め、それを床に投げ捨てた。


「ふん、せっかくダレルスが与えたチャンスも生かすこともできず、惨めに逃げ帰ってくるとは――聖剣エクスカリバーを使えなくなったという噂は本当だったということか。貴様には、本当にもうなんの利用価値も残っていないのだな」


 ベロンは嫌らしい笑みを顔に浮かべ、ラインハルトを見下ろす。

 だが、ラインハルトは何も答えず、ただ黙ったままうつむいているだけだった。


「ショックで声も出ないといったところか? かつての勇者もこうなると惨めなものだ。まぁいい。ワシと貴様の縁もこれっきりだ。もう顔を見ることはないだろうが、せいぜい残りの人生は小市民として慎ましく暮らすといい。くひゃひゃひゃ……」

 

 その姿を見たベロンは、さらに満足そうな表情になり、踵を返してその場を立ち去ろうとした。


 ラインハルトは呆然とした表情で、小さくなっていくベロンの背中を見つめる。


 青の一党ブラウ・ファミリアのS級の階位も。

 勇者としての名誉も

 冒険者としての地位すらも。

 彼がこれまで築き上げてきたすべては崩れ去った。


 もちろん、彼の人生はこれからも続く。

 しかしそれは勇者ではなく、ベロンがいう通り、小市民としての人生。

 勇者としての賞賛と栄誉――その美酒を味わい尽くした彼にとって、それはあまりに残酷なものだった。


「そんなのは絶対に嫌だ……勇者として僕は……これまでも……これからも……」


 なぜ自分がこんな目にあわないといけないのか。

 ラインハルトはその根本的な原因が自分自身にあることを省みることなく、未だ被害者然とした気持ちを抱いていた。


 じわりと視界が滲む。

 彼は泣いていた。

 それは肥大化した自己愛症ナルシシズムから生み出されたいびつな涙だった。


「うっぐ、ひっぐ……なんとか……なんとか……しないと……」


 嗚咽おえつにまみれながら、おぼつかない足取りで、彼はベロンの背を追いかける。そして、その足にしがみついた。


「頼む!  お願いします!  どうか、僕を助けてください!  なんでもしますから!」

 

 必死の形相ぎょうそうを浮かべ、彼は懇願こんがんする。

 しかし、ベロンは鬱陶うっとうしそうに彼の腕を蹴り払った。

 

「ええい、女々めめしい奴だ! 貴様のようなゴミ虫を助ける理由などあるものかッ! さっさと失せろッ!」


 ベロンはラインハルトの懇願こんがんに、全く取り合おうとしない。

 ラインハルトの瞳に絶望の色が浮かぶ。


 ラインハルトは必死に考える。

 勇者として、自分の地位を保つためになにをすればいいのか。

 冒険者ギルドに認められるために、この状況で自分にできることはなにか、と。


「そもそも、依頼の偽装の首謀者はこの男なんだ。そうだ……僕は何も悪くない。この男が、この男が全部悪いんだ……」


 そしてラインハルトが次に思い至ったことは――


 この男がいなくなれば。


 親の七光りだけで、能力に不相応な地位に就き、周囲に混乱と迷惑ばかりかけているこの男。

 依頼偽装の首謀者であり、他にも様々な不正に手を染めているこの男。

 あろうことか勇者に不実の罪をなすりつけ、その地位を不当に奪おうとしているこの男。


 彼は一つの可能性に思い至る。

 


 そうだ、そうに違いない!

 

 この男を――いや、この魔族を討伐すれば、その功績をギルドが認めてくれるかもしれない!


 ラインハルトの思考は、すでに狂気に支配されていた。


 彼はゆらりと立ち上がると、瞳孔が極限まで開かれた目で、ベロンを睨みつける。


「――さえ、いなくなれば」

「あ……?」


 ラインハルトは一歩、また一歩とベロンの元へ近づく。

 

「お前さえ、いなくなれば……」

「な、何を! き、貴様……」

 

 ラインハルトの異様な様子に気づいたベロンは、一歩後退りをした。


「お前さえいなくなればああああッ!」


 ラインハルトは両手をベロンの首元に伸ばし、力いっぱい締め上げる。

 

「やめ、がはっ、離せッ――」

「勇者に仇なす魔族め――!」


 ベロンは必死に抵抗するものの、彼の非力で冒険者であるラインハルトをどうこうできるはずもなく、なすすべもない。

 

 頭部への酸素を遮断されたベロンの顔は、みるみるうちに赤黒く変色していく。

 血管が浮き出て、その相貌そうぼうはあたかも紫色のメロンのようであった。


「―――――ッ」

 

 やがて、ベロンは白目を剥き、口からだらしなく舌を突きだした。

 ラインハルトはベロンから手を放すと、糸の切れた操り人形のように、地面に崩れ落ちる。

 そして、そのまま動かなくなった。


「は……はは……ははは……」


 その姿を見たラインハルトは、乾いた声で笑う。


「やった……! 魔族を討伐したぞ! これで安心だ……! エルミアの平和は勇者の手によって守られた……! ははは、あはははははは……!」


 ラインハルトは虚空を見つめたまま、歓喜の声をあげた。


 しかしそれもつかの間。

 

 一時的な狂気から解放されたラインハルトは、自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに気づく。


「ち、違う――僕は、そんなつもりじゃ――」


 動かなくなったベロンを前にして、呆然あぜんとその場に立ち尽くすしかなかった。


「誰か――誰か助けてくれ――」

 

 彼はかすれた声でそう呟いた。

 しかし、その言葉に応える者は誰もいない。


「そ、そうだ。これは、悪い夢だ――夢なら早く覚めてくれ――」


 これがとある勇者の結末。

 愚かなる勇者は罪を犯し、くしてすべてを失った。

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