第四章 勇者

82話 恋愛相談

 とある日の昼下がり。

 はルーンウォルズの商業区広場の一画。ソフィーの本屋の前で、一人佇んでいた。


 ふぅー。


 さっきから深呼吸を何回も繰り返している。

 意を決して中に入りたいのだけれど、なかなかその踏ん切りがつかない。


 なぜわたしが一人でソフィーに会いにきているのか。当然それには理由がある。

 わたしは物知りなソフィーに、相談に乗ってほしいことがあった。


 それは――彼のこと。

 彼とわたしの関係のこと。


 

(ど、どどど――どうすれば、彼と今以上の関係になれるのか、ということ)



 思わず胸がドキドキとしてしまう。

 最近はいっつもこうだ。

 

 彼のことを考えるだけで頭の中がぐるぐると空転してしまう。

 彼とわたしが今以上の関係にいることを、ほんの少しでも想像しただけで、心の中がわしゃわしゃと掻き乱されてしまう。


 興奮は人の視界を狭め、冷静な判断を奪う。

 わたしはそのことを痛いほど自覚して、行動できていたはずなのに。

 今のわたしは、彼のことについて、一切の冷静な思考ができていない。


 これ以上、この問題をわたし一人の心のうちに抱えておくことは限界で、誰かに助けてほしかった。

 以前のわたしなら、自分の弱みを他人にさらけけ出すなんて有り得なかった。


 唯一の例外が、彼。

 

 だけど、この問題を彼に相談するわけにもいかない。

 わたしの心当たりで相談できそうだったのは、博覧強記はくらんきょうきなソフィーだけ。


 わたしのことを友だちと言ってくれたトゥーリアの顔も頭に浮かんだけれど、あの子に相談したら、面白がって話を大きくするような気がしてやめた。

 

 わたしは共感や励ましの言葉が欲しいんじゃない。

 欲しいのは、現実的なアドバイス。

 冷静な視点と豊富な知識に基づく、客観的な評価を欲していた。


 だから、ソフィーを選んだ。

 

「……よし」

 

 心の中で大きな決心をした後に小さくつぶやいて、ドアに手をかける。

 

 ぎぃっと音を立てて開いた扉の向こうには、たくさんの本棚があった。古い紙の香りがふわっと鼻をくすぐる。

 そしてカウンターの奥では、いつものようにソフィーが一人で読書をしていた。

 

 相変わらずこの店にはお客さんは一人もいないようだ。

 ソフィーはどうやって生計を立てているんだろう、という余計な心配が頭に浮かんできた。


「いらっしゃいませ……あれ? ミステル……」


 ソフィーはわたしの姿に気づくと、読んでいた本をパタンと閉じて、声をかけてくれた。


「ニコくんは?」

「今日はニコとは別行動なんです」

「珍しいね……えっと、何か本をお探し……?」


 ソフィーの話す速さはとてもゆっくりだ。

 だけど、今のわたしには、そんな彼女のテンポがちょうどよかった。


「えっと、その――」

「ん……?」

「あの……実は、ソフィーに相談に乗ってほしいことがありまして……」


 わたしは勇気を振り絞って声を出す。

 わたしの問いに、ソフィーは首を傾げた。

 

「わたしに相談……? えっと……何かな……?」

「その、あの、えと」


 いざ本題を切り出すとなると、緊張して言葉が出てこなくなってしまう。

 わたしは必死に言葉を紡ごうとするけど、どうしても上手くいかない。


「と、とりあえず、座って……今お茶を用意するから」


 ソフィーはそう言うと、奥の部屋へと消えていった。

 彼女が用意してくれたイスに座って待つこと数分。

 

 しばらくして戻ってきた彼女は、湯気が立ち昇っているカップを二つ持ってきてくれた。

 

「はい……紅茶。こっちのほうが落ち着くと思って、ホットで……」

「あ、ありがとうございます――」


 差し出されたカップを受け取り、ひと口、口をつけた。

 温かい紅茶がノドを通り抜けていく感覚が心地よく、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じた。


「それで……相談っていうのは……何……?」

「はい、その、ですね。えっと」


 少しだけ言い淀むけれど、今度は口を開くことができた。


「――いの」

「え?」

「こ、こいの……」

コイ?」


 ダメだ、ハッキリ言わなきゃ。もっとちゃんと声を出して。


 

「恋の! 恋の仕方を教えてほしいんですッ!」


 

 わたしは精一杯声を振り絞って告げた。結果としてかなりの大声になってしまった。

 


「……!? ……ゴホッ、ゲホ、ガハッ!」

 

 わたしの相談を聞いた瞬間、ソフィーは口に含んでいた紅茶を吹き出した。

 どうやらノドの変なところに入ってしまったようで、しばらくせきこんでいた。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「ケホッ……うん、ご、ごめん……予想外すぎて。ちょっとびっくりしちゃっただけ……で……」

 

 ソフィーはなんとか呼吸を整えてから、こちらを見てくる。

 その目元には涙さえ浮かんでいた。


「い、意外すぎる……ミステルから恋愛相談だなんて……なんでわたしに……?」

「その、ソフィーは沢山の本を読んでいて、物知りだから……きっと良いアドバイスをくれるかと思って……恥ずかしながらわたし、これまで、こういう経験をしたことがまったくなくて、どうすればいいか、わからなくて……」


 わたしは心の中に散らばる雑多な言葉を、なんとか意味が通るように並べる。


「うーん……そりゃ本は読んでるけれど、でも、わたしもそういうのあんまり経験なくて……」


 ソフィーは困り顔を浮かべて言った。

 

「そ、そうなんですか?」

「うん、だって、ほら、わたし、こんな性格だし……それに、子どもの頃から本しか読んでこなかったから……あと、男の子はちゃんと男の子とくっつくべきだし……」


 最後の言葉の意味は、高尚すぎてわたしにはよく分からなかった。


「相手は……ニコくん?」

「え!? どうして分かるんですか!?」

「いや、それくらい分かるよ……」


 わたしは意中の相手を言い当てられてしまい、ドギマギしてしまう。

 

 さすがソフィーだ。

 口では謙遜けんそんしているけれど、たったこれだけの情報でわたしの想い人を見抜くなんて。

 確かな読書力に裏付けられた知識は本物だ。

 

(やっぱりソフィーならわたしの悩みに適切な解決策を――)


「うーん、いいアドバイスができればいいんだけど……そもそも、恋愛って本を読んだからってどうにかなるものじゃないし……」

「そ、そんな……じゃあ、みんなはどうやって恋愛のことを学んでいるんですか……? それともなにか特殊なスキルを?」


 もしそうだとしたら。

 まだハイオークの魔石が残っていたはずだ。ヴォルカヌスの魔石だってある。場合によっては、そのスキルを――


「いやいや、そんなスキルないでしょ……」


 ソフィーが呆れ顔になった、そのとき。


「ちょっと待ったー!」


 室内に、聞き覚えのある大きな声が響き渡った。

 この声は――


 わたしが後ろを振り向くと、見知ったドワーフの少女。トゥーリアが仁王立ちしていた。


「こんな面白そうな話、ボクを差し置いてするなんてズルいよ!」


 彼女はそう言ってわたし達を指差す。その瞳は好奇心の炎で爛々らんらんと燃え盛っているようだった。


「さぁ、女子会を始めるよッ!」

「じょ、女子会……?」


 わたしとソフィーは顔を見合わせる。

 トゥーリアはそんなわたし達に、満面の笑みを向けた。

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