80話 そして季節は夏へと移ろう

 俺たちがルーンウォルズに戻ってからしばらくして。

 バルバロッサが俺たちに約束したとおり、ドラフガルドから、ドワーフの職人たちが派遣された。

 

 彼らの手によって、外壁の修復工事が開始される。

 ドワーフの職人たちの手際は見事なもので、魔族の手によって損傷しボロボロになっていた外壁が、日を追うごとに修復されていった。

 そのことは、魔族の襲撃におびえて暮らしていた住民にとって、希望そのものだった。


 それと同時に、ルーンウォルズの住民とドワーフたちとの交流も少しずつ増えていった。

 外壁の復興工事に、街の男手を出し、女たちは食事や生活の支度をする。

 最初はぎこちなかったけれど、少しずつ、だけど確実に、二つの種族の間に、笑顔が増えていった。


 そして、修繕作業が始まって一か月――

 ついに外壁の補修が完了した。


 その夜はお祭り騒ぎだった。


 ルークの計らいで、ルーンウォルズの広場に特設の宴会会場が設けられ、住民とドワーフたちが一同に集まり、種族の垣根無く、共に肩を抱き、酒を片手に大いに笑いあい、語り合った。


 かつて前領主ダメアンが分断してしまった人間ヒューマンとドワーフの絆が、外壁の復興と共に、もとの形へと戻っていった。


 

***

 


 トゥーリアは、クロエから紹介された物件を大層気に入ったらしく、即決でそこに住むことを決めた。

 場所は商業区内の広場に面した一角。二階建ての建物で、一階がこじんまりとした鍛冶工房に、二階が居住スペースになっていた。

 

 引っ越しをしてからほどなくして、彼女は鍛冶工房を開くことになった。

 トゥーリアの鍛冶の腕は確かなもので、武具はもちろんのこと、包丁などの日用品やくわや鎌といった農機具に至るまで、幅広い金物を造りだす。

 そして、良質なそれらを、良心的な価格設定と丁寧なアフターフォロー付きで販売するのだ。

 彼女自身の人を惹きつける天真爛漫な人柄も手伝って、トゥーリアの鍛冶工房は、あっという間に大繁盛した。


「だからいったろ? ボクは鍛冶師ブラックスミスなんだから! 狂戦士ベルセルクじゃないよーだ!」


 トゥーリアが冗談まじりで俺に言う。

 狂戦士ベルセルク扱いされたことを地味に根に持っていたようだ。

 だって、しょうがないじゃないか。俺が見た彼女の戦い方はまさに狂戦士ベルセルク

 ドラフガルドの流血姫りゅうけつきという二つ名に、ウソ偽りないものだった。


 とはいえ、外壁が修復されてから、魔族と戦うような機会もなく、彼女の実力が発揮されることもなかった。

 

 つまり、ルーンウォルズは平和な日々を享受していた。


***


 もうひとつ語らなければいけないのが、アリシアのことだ。

 俺を錬金術の師匠と慕う彼女は、俺が最初に課した課題――錬金術の教本の習得を、想定していたよりもずっと早くに済ませてしまった。


 俺は彼女に、教本を習得した後は錬金術の実践に入っていくことを約束していた。


 そして、今日。

 

 その約束を受けて、俺とアリシアはアトリエの工房にいた。


 教本を片手に、目の前の作業台に置かれたビーカーの中を、真剣な眼差しで見つめるアリシア。

 彼女はこれから、生まれて初めての錬金術に挑むのだ。


「アリシア。わかってると思うけど、錬金術の発動には平常心がなによりも重要なんだ。肩の力を抜いて、リラックスしてね」

「う、うん……!」

「大丈夫、発動に必要な魔力はそう大した量じゃない。【基礎魔法】しか使えない俺だって発動できるんだからね。重要なのは錬金術の理論を、そして錬成の対象物を、正しく理解すること。それができたらあとは心の問題だよ」

「重要なのは理解……あとはわたしの心の問題……」


 アリシアは俺の言葉を、自分に言い聞かせるように反芻はんすうした。


「わかった、やってみる!」


 そういってアリシアは瞳を閉じて、錬成のための素材――薬草と精製水が入ったビーカーのに手をかざす。

 

 彼女がこれから錬成するのは回復薬ポーションだ。

 

 俺はこれまで、アリシアの前で幾度となく回復薬ポーションの錬成を行った。レシピも手順も、すべて彼女の頭の中に叩き込まれているはず。


 アリシアがスゥッと一度大きく深呼吸をしてから、意を決したようにスキルを発動した。


「――分解せよニグレド


 アリシアが詠唱すると、青白い光の新円がゆっくりとビーカーの周りを囲んだ。同時にビーカーの中に入れられた素材が青い光に包まれる。

 光の中で物質の分解が行われる。


「えっと、キ、再結晶せよキトリニタス――」


 そのまま、錬金術の第二工程へと入っていく。最初の新円に沿って第二の新円がゆっくりと描かれ、一つの円環となった。

 円環の中で青い光はますますその強さを増していき、その輝きの中で二つの素材が一つに混ざり合っていく。


(よし、ここまではいい調子だ! あとは最後の工程――物質の固定化さえ、うまくいけば――)

 

 アリシアの額に玉のような汗が滲む。

 彼女にとって初めての錬成。精神力の消耗は計り知れないだろう。


(がんばれ、がんばれアリシア!)


 気がつけば俺も自分の拳をギュッと握りしめていた。


大いなる業は至れりアルス・マグナ!」


 彼女が錬金術の最終工程スキルを発動した。

 スキルの詠唱に応じ、円環に幾何学的な紋様が刻みこまれ、錬成陣は完成へと至る。

 錬成陣の中で光の輝きは最高潮に達し、やがてゆっくりと収束していった。


 光が完全に収まった後、ビーカーの中は緑色の液体で満たされていた。


「はあッ、はあッ――」


 アリシアは荒く息を吐きながら、その場にへたり込んでしまう。


 俺は出来上がった液体に、【分析アナライズ】スキルを発動し、錬成の成果を確認した。


「し、師匠……? どうだった?」


 アリシアが不安げな表情で見上げてきた。


「やっぱり、失敗しちゃったかな……」


 俺はそんな彼女に、完成したばかりのを手渡した。


「おめでとうアリシア」

「え……?」

「錬成は成功だ。これでキミは錬金術師アルケミストの仲間入りだよ」


 アリシアは呆けたような表情で、自分が錬成した回復薬ポーションを見つめる。


「本当に成功したの……?  わたしが、錬金術を……?」

「ああ、間違いなくね。見事な回復薬ポーションだ。品質も問題ないよ。初めての錬成にしては文句のない出来だった」


 俺の言葉にウソはなかった。

 ぶっちゃけ俺が初めて錬成した回復薬ポーションより上質だった。


 アリシアの瞳にみるみるうちに、涙が溜まっていった。


「やったぁー! ありがとう師匠!」


 ギュッ!

 彼女は嬉しさのあまり、俺に飛びついてくる。

 

「ちょっ、わわっ――」


 アリシアの柔らかい身体が、ムギュッと俺の胸板に押し付けられた。思わずドギマギしてしまう。

 でも、そんな下心は一瞬。


「アリシア……?」

「よかった、これでわたしもみんなの役に立てるんだ――」


 アリシアは両の瞳にいっぱいの涙を溜めていた。


「ずっと、ずっと、ずーっと! 師匠の、ミステルさんの、クロエの、お兄ちゃんのッ! みんなの役に立ちたかった……! だけどわたしは何にも取り柄がなくて、わたしだけ何にもできなくて……! みんなが戦っているのに、ただ見ているだけなんてイヤで、でも何もできないのが悔しくて……」


 涙と共に、彼女が秘めていた想いをさらけ出す。


「うん……」

「だから、やっと、わたしにもできることが見つかって嬉しい……!」


 アリシアは俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。

 俺はそんなアリシアの頭を優しく撫でてあげた。


「アリシア。錬金術はたった今、キミの魂に刻まれた。キミはもう何もできないなんて引け目を感じる必要はないんだ」

「しじょうぉぉ……」


 アリシアは涙と鼻水まみれの顔を俺に向ける。


「というか、これから忙しくなるからね。ルーンウォルズの外壁が修復されて、これから去っていった人たちがどんどん戻ってくるんだ。きっと薬だって今よりもっと需要が増える。俺一人じゃ到底手が足りないんだから、手伝ってもらうからね」


 俺はそう言ってアリシアに笑顔を向けた。


「ふえぇ~ん! じじょぅぉぉぉ~! ありがどおおぅ〜!」


 アリシアはボロボロと大粒の涙を流しながら何度もうなずく。こうして、彼女は晴れて錬金術師アルケミストとなったのだ。



 そのとき――

 

 がちゃりと音を立てて、工房の扉が開かれた。


 途端、ぞくりと背中に寒気を感じた。

 

(これは、なんだ? 殺気?)

 

 恐る恐る扉の方に顔を向けると――

 

 扉の向こうに立っていたのは、生気のない瞳でこちらを見つめる、ミステルだった。


「ミ、ミステル!?」

「ニコ――、一体アリシアと何をしているんですか?」


 ミステルは虚ろな声で言った。

 彼女の瞳には、俺とアリシアが抱き合っている姿がバッチリと写っていることだろう。


「い、いや、誤解だ。これはただ二人で錬成をしていただけで――」

「ただの錬成で、なぜ抱き合う必要があるんですか?」

「その、随喜ずいきの抱擁というか、きみが考えているようなやましいことは一つもなくて――ちょっと!? やめて、弓に手をかけないで。怖い、怖いから!」


 こうして、へそを曲げてしまったミステルの機嫌を直すのに、俺はたっぷり三日はかかってしまった。


 ――とまあ、こんな感じで。

 

 穏やかだけど慌しい、そんな日々が過ぎていった。

 そして、季節はあっという間に春から夏へ、移ろっていった。


 

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