71話 錬金術師、酔う

 ドワーフの秘酒を骨の髄までたっぷりと浴びた俺の世界は急速に回り出す。


 ぐるんぐるんぐるん――


 視界がものすごい勢いで回転し、光や色が万華鏡のように崩れては輝いて、また崩れては輝いてを繰り返していた。


 落ち着け、冷静に、クールになろう。

 まず自分の現在地を確認しよう。話はそれからだ。


 俺は酔っている。

 だけど大丈夫、現状を正しく認識できている。

 それに辛うじて意識は失っていない。

 

 あれだけの強い酒を浴びるほど飲んで、とりあえず意識を失わずに済んでいるのは、事前に酔い止めの薬を飲んでいたからだろう。

 酒好きのドワーフの宴会に参加するのだ。一滴も飲めない下戸のミステルと一緒に。これくらいの事態は想定できた。


 次に自分がやるべきことに考えを巡らす。

 

 未だ気持ち悪さや吐き気は感じない。今のところ酩酊感や多幸感、全能感、アルコール摂取により現れる、高揚状態だけが全身を支配している。

 だがそれも時間の問題。このままだと間違いなく吐く。それは間違いない。経験則で俺はそのことを理解していた。


 だから今やること。

 水を――ひたすら水を飲んで体内のアルコールを少しでも薄めるのだ。


 俺は隣に座っているであろうミステルに声をかけた。


「ミひゅテル、水を――」


 口がうまく回らない。


「ニコ、だ、大丈夫ですか? はい、お水です。これをどうぞ」


 ミステル? が何やら言葉を喋っている。しかしその言葉の持つ意味は今の俺には理解できない。俺の耳には単なる音の羅列としてしか届かなかった。

 

 彼女が何かの透明な液体が入ったコップを差し出してくれた。水だ。きっとこれは水だ。

 万に一つ酒だったら俺は死ぬ。


 俺はそれを受け取ろうとして……


 スカッ。


 あれぇ?


 俺は空振りした。手元が定まらずコップを上手く掴めなかったからだ。


「だ、大丈夫ですか?」

 

 また少女から何か音が聞こえた。

 落ち着いて。もう一回。

 俺は再びコップを受け取るために手を伸ばす。今度はしっかりと受け取ることができた。


 そしてその中身を一気にあおる。

 冷たい水がノドを通り過ぎていく。


「も、もっと……」

「は、はい! どうぞ」


 少女が差し出したジョッキを、まるで砂漠のオアシスを見つけた旅人かのように、ゴクゴクと音を立てて水を飲んだ。

 

 それで少し楽になった。

 いや、楽になりすぎて――

 

 俺はそれ以上自分の頭を支え続けることができず、テーブルに突っ伏した。そばに置かれた食器が、ガシャーンと派手な音を立てて散らばる。


「ニコ!? 大丈夫ですか?」


 どこからか、きれいな音が聞こえた。


「あちゃー、ちょっと飲ませすぎちゃったか。ドワーフの酒は人間ヒューマンには強すぎたのかなぁ」


 またべつの音がきこえる。


「トゥーリア。ニコは、ニコは大丈夫でしょうか……!?」

「まぁ、水も飲めてたみたいだし、大丈夫だと思うよ。とりあえずこのまま寝かしておいてあげよう。もし、戻しちゃってもボクが面倒見るからさ」

「いえ、ニコのお世話はわたしがやりますので!」

 

 ああ、暗やみがここちいい。

 きこえてくる音もなんだかきれいでここちいい。とても安心できる音だ。


「そうだミステル。ニコがダウンしたから、この機会に一つ聞いていい?」

「なんですか?」

「ガリア火山でも聞いたけど、キミとニコって本当は恋人同士なんじゃないの?」

「な、ななななななな……!」


 なんだか音の感じがかわったな。

 まぶたがおもいけど、もう少しこの音をきいていたい。


「ななな、なにをなにをなにを……!」

「だってさー、息もピッタリだし、お互いのことすごく大事にしてる感じだし……、本当は付き合ってるんでしょ?」

「わわわわわわたしとニコは――そういう関係では」

「恋人じゃないの?」

「こここここここ恋人だなんて――」


 にわとりかな?


「へ〜、ふぅ〜ん、そうなんだ――」

「な、なんなんですか! そのいやらしい笑みは――」

「いや〜、もしキミたちが本当に恋人じゃないならさ――」

「恋人じゃないなら?」

「ボクにもチャンスがあるってことだよねぇ」

「えっ――」

「だって、ニコは顔もそれなりに悪くないし、優しいし――」


 あーねむいお酒こわい。

 あ、ちょっときもちわるくなってきた。


「なんといっても、いつものちょっぴり頼りない感じと、戦いの時のキリッとした姿とのギャップがたまらないっていうかさー! あっはっはっ。ゾクゾクしちゃうよねー」

「……めです」

「え?」

「ダメですダメですダメですダメです! 絶対にダメです! 確かにニコはかっこいいし、いつも優しいし、戦ってるときの真剣な顔はとても凛々しくて素敵で――だけど絶対にダメです!」


 うっぷ

 水を――だれか――


「……ぷっ」

「え?」

「ぷははははははっ、あはははははっ」

「な、なんで笑うんですか?」

「いやゴメンゴメン。ちょっとからかっただけなのに、あんまりミステルが可愛い反応をするから、つい」

「な、な――ッ」

「ごめんってば、そんなに怒らないでよ」

「……怒ってません」

「とりあえずミステルの気持ちはよーくわかったよ」

「うう〜」


 み、みじゅ――

 

「ふふ、安心してよ。ボクはキミの味方だよ」

「え……?」

「だってボクはキミのことも大好きだからさ。イイ女は友達の恋路を邪魔しないのさ」

「と、友達……わたしが……?」

「うん! ボクとミステルは友達、だろ?」

「……」

「あれ? どうしたのミステル? 返事がないけど?」

「そ、そうですね。わたしとあなたは、と、とも、だち、です……」

「えへへ、そうだよ――」

 

 おれは、さいごの力をふりしぼって体をおこした、

 しかいがふらふらとしたけれどなんとかこらえる、


「ニコ? 大丈夫ですか?」


 おれに気づいたやさしい音がちかづいてきた、そしておれのからだをやさしくささえてくれる、

 

 そうだこのおとはミステルだ、

 ミステルはやさしいからきっとおれをまもつてくれるだろう、


「ミひゅてりゅ――ちょっと限界だから、おれは部屋で寝るね」

「わかりました。私が支えていきますから、しっかりつかまってくださいね」

「あと……水を……」

「はい! ちょっと待ってください」

「あーはいはい、水をどうぞ。ミステル、飲ませてやって」

「ありがとうございます、トゥーリア」


 ……んぐ、んぐ

 みず

 うま


「あーあ、できればもっと早くにキミたちに逢いたかったな。もしそうなら……」

「え?何か言いました?」

「ううん、なんでもないよ。ほら、早くそのを部屋に送っていってあげなよ」

「わかりました。ほら、ニコ。こっちです」

「どーかついでがあったらよいつぶれたアルケミストにお水をそなえてやってください」

「何言ってるんですか、いきますよ」

「それじゃ、ごゆっくりー」


 こうしておれのいしきはとだえた

 みなさんもおさけののみすぎにはちゅういしてください

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