67話 大いなる業
俺は自分の手足や顔にヒンヤリ軟膏を念入りに塗りたくる。そして、服の上からワイバーンの皮を身にまとった。
「よし、準備完了だ。用意はいいかい、二人とも」
俺はミステルとトゥーリアに声をかける。
「いつでも大丈夫です」
「ボクも!」
俺は二人に向かってうなずいた。
そして、上空を駆けるヴォルカヌスに視線を移す。
ヴォルカヌスは相変わらず炎を身にまといながら、雷雲を背に旋回していた。
自分の心臓の鼓動が、ドクンドクンと破れるくらい強く脈打つのを感じる。
それはおそらく恐怖と緊張のため。だけどそれだけじゃなかった。
高揚と使命感。
ミステルとトゥーリアが一緒にいてくれるから、それらが恐怖と緊張をわずかに上回ってくれた。
手も足も動く。震えはない。
よし、行こう。
俺たちは岩陰から飛び出した。
ヴォルカヌスは俺たちの姿を見つけるなり、急降下してきた。
トゥーリアが俺たちの前に踊り出し、ヴォルカヌスの動きに合わせて、
「どわぁ、アチチチッ!」
トゥーリアの身体に、ヴォルカヌスの身体からほとばしる火の粉が降りかかった。
ヴォルカヌスはそのまま俺たちの頭上スレスレを通過すると、再び方向転換をして俺たちに向き直る。
そのまま
「来ます! 火炎の吐息です」
「わかってる! 俺の後ろに下がって!」
俺の言葉に応じて、ミステルとトゥーリアが素早く身を弾く。
俺はそれを見届けると、自身の右手のひらをまっすぐヴォルカヌスに向けた。
***
俺は走馬灯のように、とある風景を思い出していた。
退屈な午後の座学の時間。
――このように錬金術の極意は万象の変換。それは目に見えるものばかりではありません。
初老の
――たとえば、物質の燃焼。かつて、モノが燃える理由は、物質の構成源である
――そう、正しくはモノととある物質との結合による。これを『酸素』と言います。
俺は板書された錬成陣をノートに転記する。
――わかりますか。この酸素という物質は目にも見えず、触れることは叶いません。ただし、今この場にも、確かに
――そこに在るならば、万象は錬金術の対象になります。
老
――先生、目に見えないモノの錬成なんて、そんなことできるんですか?
――できますとも。理論上はね。
――どうやって?
――何も変わりません。物質の本質を理解したうえで、分解し、変容せしめ、固定化するのですよ。
――いやいや、そんなのできたらまさに魔法じゃないですか。
――残念ながら、魔法の源であるマナについては、まだ分かっていないことが多い。しかし、いつかそれが理解された暁には、それこそ、魔法すら錬金術の対象になるかもしれませんね。
教室のざわめきはさらに広がる。
錬金術を学ぶ者の中には、自身の魔力の少なさ故に、魔法の道を挫折した者もいる。一般的な感覚として
――皆さん、ゆめゆめ忘れないように。わたし達が手にするこの力は、まさに大いなる業。
――この業をどう活かすのか、それはすべて、この先の皆さんの研鑽にかかっています。さて、余談がすぎました。では次のページを……
***
そして意識は
そうだ。できる。
俺は今日まで、真理に近づくために、ずっと研鑽に励んできた。
目には見えないだけで、空気中には、燃焼の原因物質、酸素が在る。
俺が錬金術でやるべきことは、目前の領域にある酸素濃度を調整し、炎を殺すこと。
俺の頭の中には、あの日の錬成陣がハッキリと浮かんでいた。
「
それは錬金術における第一工程。物質を分解する工程。
俺がかざした右手を中心に、虚空に青い光の真円が描かれる。
第一の真円が示すは黒化――それは腐敗や死の象徴。
「
それは錬金術における第二工程。分解した物質から必要な要素を選び取り、再構築し、別なるモノに変容する工程。
第一の真円の内側に径の小さな第二の真円が描かれ、美しい二重円となる。
第二の真円が示すは白化――それは変化と生の象徴である。
これら相反する二つの
俺は最後のスキルを発動した。
「
二重の真円によって生まれた
あの日の錬成陣が、今、俺の目前で完成した。
刹那――ヴォルカヌスの口元から、灼熱の豪炎が放たれた。
***
炎は一瞬にして俺たちの周囲を包みこんだ。
だけど、俺が作り出した錬成陣が盾になったかのように――まるで炎が俺たちを避けるようにして左右に割れていく。
ヴォルカヌスの火炎の吐息は、凄まじい熱量だった。
炎の直撃こそ免れているものの、その
錬成した薬とワイバーンの皮の効果がなければ、蒸し焼きになってしまうことだろう。
視界は真っ赤に染まり、まるで世界そのものが燃え上がっているかのようだった。
その永遠とも思えるような時間の中で、俺は錬金術を発動し続ける。
我が身を絶え間なく襲う苦しみの中、ただただ、目前の真理を選びとり続ける。
寸分の違いなく、正確に。
その作業に一寸の狂いでも生じれば、たちどころに錬成陣は消滅し、俺は、俺たちは、煉獄の業火に焼かれて消し炭になる。
残念ながら、俺の後ろに控えるミステルとトゥーリアの無事を、振り返って確認する余裕はなかった。
分解、変容、そして固定化。
錬金術の三工程を、俺は絶え間なく繰り返す。
自分でも不思議なのだが、途中から苦しいという感覚がなくなってきた。
代わりに俺を満たすのは、言葉で形容し難いのだが、ある種の快感、愉悦。
(これはそう――万能感だ)
俺は自分にあまり自信がない。
すぐ人に謝ってしまって、よくミステルに怒られる。
できるだけ、他人に優しく、誠実に。その結果、自分が損をしたって別に構わない。我が身に起こる大体の理不尽も、苦笑いをひとつして自分を誤魔化すことができる。
その振る舞いは、生来の気質であり、青の一党での冷遇の日々を送る中で、自分自身を守るための処世術でもあった。
だけど、今抱いている感覚は。この万能感は。
そんな自分からは、一番程遠いものだった。
だけどそんな気持ちになるのも仕方がないことだ。
だって俺は今、確かに真理を掴んでいる!
確かに、錬金術の極意に足を踏み入れている!
はは、
ハハハッ!
そうか、簡単なことだ。
錬成の対象が見えてるか、見えていないかなんて関係がない。
キャンプの火付だろうが、
そんなものは術の行使に何の関係もないッ!
物質の本質を理解しているか。
物質の変換に対して、正しい標を示しているか。
それだけだ。
「ははは、ははははははっ!」
紅蓮の世界の中で、自身の魔力のありったけを注ぎ込みながら、俺は笑っていた。
***
やがて、ヴォルカヌスの吐く炎の勢いが、徐々に弱まり始めた。火炎袋の燃料が尽きつつあるのだろうか。
それでも、俺は錬金術を行使する手を休めない。ヴォルカヌスの炎が完全に力尽きるまで、これを続けなくてはいけない。
そしてついに、炎が止んだ。
ヴォルカヌスがその身に纏っていた炎も消え、その巨体が
やっと火炎袋の燃料が尽きたのだろうか。
まだわからない。追撃の炎がくる可能性も否定できなかった。
追撃に備えるために、俺は再び体内の魔力を練ろうとする。しかし、俺の身体は、自分の意志とは無関係に、膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込んでしまった。
「ニコ――!」
ミステルが俺の元に駆け寄る。
「俺は大丈夫……それよりも……ヴォルカヌスを」
重たい頭を上げ、なんとかヴォルカヌスを見据える。
ヴォルカヌスの身体から再び炎が噴出することはなく、追撃の火炎も放射してくる様子はない。
その代わりに、ヴォルカヌスは黒い翼を大きくはためかせ、上空高くに飛び立とうとしていた。
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